今日12月24日はクリスマスイヴです。
11月半ばから街を盛り上げたクリスマス市も一部を除いて昨日で終わり、今までの盛り上がりがまるでうそのような静かな時がやってきます。
今日の午前中にクリスマスツリーの飾り付けをする人が多く、仕事をしている人がいても一部の業界を除いてたいてい昨日までか今日の午前中までです。
毎年12月24日と言えば"きよしこの夜"をテーマにしたくなります。
この名曲はこのオーストリアから生まれた曲だからです。
ウィーンは音楽家をテーマにしたら時間がいくらあっても足りない程、様々な作曲家が足跡を残しました。
これもヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城がこの街ウィーンであり、
そしてそのハプスブルグ家に永く神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号があったことから
この街は皇帝の居城としても栄えて来たことが大きな理由です。
音楽家の住居をテーマとすると、モーツァルトハウス、ベートーヴェンの遺書の家、
シューベルトの生家などが圧倒的に訪れる機会が多いわけですが、その有名な作曲家達の
大先輩と言えばハイドンですね。
ハイドンと言うと、誰でも知ってますが、モーツァルトやベートヴェンと比べるとすぐに
彼の曲を出せる人は意外と少ないかもしれません。
ハイドンは少年時代と晩年はウィーンの街で過ごしていますし、このウィーンの街で亡なっていますので、彼の最後の家が博物館として公開されています。
ウィーンのベルヴェデーレ宮殿に近い所にARSENAL(アルゼナール)という煉瓦造りで独特の建築様式を持った大きな建物が並んでいる場所があります。
通常の市内観光でこの界隈をバスで通ることがよくあり、非常に目立つ建物ですから、その時には簡単に御案内していますが、個人的に観光でここに来る人は少ないでしょう。
ここは31の部分から成り立つ、かつての軍の施設で1848年の革命がきっかけとなって皇帝
フランツ・ヨーゼフ1世が建設させたものです。
リンク道路時代の有名な建築家で楽友協会や国会議事堂を建てたテオフィル・ハンセンと
ルードヴィヒ・フェルスターによってビザンチン・ネオゴシック様式で1856年に建てられました。
このアルゼナールの一角にHeeresgeschichtliches Museum (軍事史博物館)があり、
今日はそれにちょっと触れてみましょう。
この11月7日の週末からこの時期に信じられないような暖かい日が続いています。
朝はかなり霧が立ち込めていて、車を運転していてもすぐ前の車が見えないぐらいです。
しかし、シェーンブルン宮殿がある地下鉄シェーンブルン駅からシェーンブルン宮殿に向かう朝の8:15頃には霧は晴れていて駅の所からウィーンの森の西側がハッキリ見えています。
シェーンブルン宮殿の内部見学が終わる頃には青空が広がっています。
秋のベートーヴェンの散歩道、ラインツ動物公園、秋を感じるハイキングコース、
秋のウィーンの森といった緑豊かな秋の雰囲気を紹介しましたがこの場所も個人的には大好きな所です。
ウィーンのシュテファン大聖堂は街の真ん中に立っているので、観光の皆様だけでなく、
このウィーンの地元の人にとっても重要な意味を持っています。
1147年から歴史を見続けて来ています。
そのため、シュテファン大聖堂だけでもしっかり見たら、大変時間がかかります。
今までもシュテファン大聖堂の有名な説教壇、当時のステンドグラス、記念プレート、
涙を流す聖母マリア、プンメリン、ローマ時代の墓石、モーツァルト最後のお別れの場所、
祝福と幸運を授かるコロマニ石などとシュテファン大聖堂を話題にしていますが、
今日は普通の人が気づかないちょっとしたシュテファン大聖堂の宝物館です。
ウィーンでシェーンブルン宮殿は絶対に外せない重要なバロック建築で、世界遺産にも
登録されていますね。
でもバロックという観点から見ると、ベルヴェデーレ宮殿の方がずっと美しいバロック宮殿
です。
このベルヴェデーレ宮殿は上宮と下宮とあるわけですが、この上宮はクリムトの接吻があることで知られていて、下宮と共にオーストリアギャラリーという美術館になっています。
この上宮の代理石の間では1955年5月15日、4ヶ国との国家条約が結ばれて、オーストリアが永世中立国になる基本の一歩が始まりました。
今年5月15日はその60周年記念という大変おめでたい日で、国家的セレモニーが行われています。
ウィーンという街は415km²とかなり広い街ですが、本当に住みやすく生活のクオリティーが高い街だなぁ~と20年以上住んでいてもよく思います。
中心からちょっと離れるだけで豊かな緑が広がっていて、またウィーンとは思えない牧歌的な所が多くあります。
家族とよくハイキングと言うと大げさですが、散歩や散策をしょっちゅう楽しんでいます。
よく出かける所がウィーン21区のStammersdorf界隈で、ここにはグリンツィングなどとは全く雰囲気が違う、地元の本格的なホイリゲ街があります。
そこから始まる"Stadtwanderweg 5"があり、よくうちはここに出かけます。
この辺りの秋の雰囲気を少し紹介します。
Stadtwanderweg (シュタットヴァンダーヴェーク)はウィーン市が管理しているウィーン市内のハイキングコースで全部で9コース(11コース)あります。
直訳すれば街のハイキングコースです。
秋のこの時期、朝方は霧が発生することが多くなりました。
でもたいていはお昼になるにつれてそれもなくなり、いい天気になっています。
ウィーンの街中の秋の雰囲気も素敵ですが、中心から離れた郊外の雰囲気も印象的です。
郊外と言えばウィーンの森ですね。
"ウィーンの森"として仕事で頻繁に行くのは南方面ですが、音楽を専門的にやっている方のツアーなどではベートーヴェンの遺書の家を訪れることが多いです。
実際にここはウィーンの森ではなく、森の入口と言った方がいいと思います。
ベートーヴェンの遺書の家に行くと、たいていはベートーヴェンの散歩道にも足を踏み入れます。
先日はこのベートーヴェンの散歩道にあるベートーヴェン像にちょっと触れました。
ここもやっぱり秋していました。
ウィーンは"森の都"と言われているぐらい緑が多い街で、街の至る所に緑が見られます。
中心のリンク道路の並木やたくさんの公園を始め、外側にもシェーンブルン宮殿やプラター公園などの大きな緑・・・そしてその豊かな緑を囲むもっと大きな緑がウィーンの森です。
地元の方々はなるべく外に出よう・・・と思う方が多く、自然の中を歩くと色々な人達に出会います。
うちも自然の中を歩くことが好きで、時間を見つけてはHagenbachklammとかMyrafälle、カーレンベルクなどによく出かけます。
また、ウィーンには"Stadtwanderweg"というウィーン市が定めている街中のハイキングコースも素敵です。
ウィーンの森にはたくさんのハイキングコースがあり、またオーストリアはアルプスを大きく持っている国ですから手軽なハイキングから本格的な登山まで無数のコースがあります。
今日は手軽なハイキングコースとして地元で有名なラインツ動物公園について少し書きたいと思います。
最近またウィーンの森に行くことが多くなりました。
日本からの皆様とウィーンの森へ行く場合、多くは南の森に出かけます。
そちらは個人的には行きづらいこと、また多くの歴史的重要な場所が点在しています。
日本からのツアーの場合、午前中ウィーン市内観光をし、午後オプショナルツアーとしてウィーンの森が設定されていたり、組み込みでウィーンの森が入っていることが多いわけですが、上述した南の森に行くことが圧倒的に多く、その中でも特にゼーグロッテ、
ハイリゲンクロイツ修道院、マイヤーリンクが主流ですがm場合によってはバーデンが入ることもあります。
半日ウィーンの森観光で3か所の入場観光は詰め込み過ぎなので、入場は2箇所で、
途中、軽く写真ストップをする場合がほとんどです。
そんな時によく行くのがリヒテンシュタイン城です。
以前雪化粧のリヒテンシュタイン城を話題にしましたが、今回は夏の時期のお城です。
朝夕と日中の気温の差が大きくなってきて秋を感じるウィーンです。
ここ数日の天気は小雨や曇りで灰色的です。
そこで青空が見たいので、曇りになる前のいい天気の時の画像を紹介します。
やっぱりヨーロッパの街は天気が良くて、青空が見えればより街も美しく見えます。
ウィーンの街には荘厳な建造物が多く建ち並んでいますが、青空のもとで見ればとても映えて見えます。
日本からの団体ツアーでシェーンブルン宮殿と同様に多く訪れるベルヴェデーレ宮殿は重要なバロック建築で、"バロック様式"をテーマにすればシェーンブルン宮殿よりも高く評価されています。
ここ毎日ベルヴェデーレ宮殿を御案内していますが、青空で見るベルヴェデーレ宮殿は改めて素敵な建造物です。
ウィーンはかつての帝国の都ですから、様々な歴史上の有名人達が足跡を残しました。
街中を歩いていると色々な場所に記念の銘板が見られ、それが現在の生活の中に自然に溶け込んでいます。
今日はこんな人もウィーンに住んでいたのかという例でアンデルセンを話題にします。
ウィーンは朝が結構冷え込むようになって来ました。
それでも日中は太陽のもとにいるとかなり暑く感じますが、やっぱり秋です。
先日久しぶりにまたヒルシュシュテッテンの花壇庭園に出かけて来ました。
ここは家族でよくいくお気に入りの場所で、個人的にウィーンでの生活のクオリティーの高さを感じることができる場所のひとつだと思っています。
この花壇庭園のドイツ語名称は"Blumengärten Hirschstetten"で、ウィーン市が管理している大きな植物庭園です。
実際には植物だけではなく動物、テーマ庭園、遊び場、迷路、ぶどう畑、ミツバチ観察、
温室などがあり、非常に充実した内容になっています。
ウィーンの真ん中に建つシュテファン大聖堂はウィーンのひとつのシンボルであり、
歴史的にもとても重要です。
場所的にもケルントナー通りとグラーベンという重要な歩行者天国のほぼ交差した所に位置しているため観光の皆さんの目印にもなり、旧市街を歩けば何度となく通るでしょう。
このシュテファン大聖堂は1147年からずっとこの場所で歴史を見つめてきましたし、
大聖堂自身にも様々な重要なものが目白押しです。
このコーナーでも知らない間にシュテファン大聖堂の色々な物について書きました。
今日ここで紹介する物もそのシュテファン大聖堂にあって、しかし知られていない
ちょっと重要な物です。
シュテファン大聖堂の有名な説教壇、当時のステンドグラス、記念プレート、
涙を流す聖母マリア、プンメリン、ローマ時代の墓石、モーツァルト最後のお別れの場所なども是非御覧下さい。
ウィーンは荘厳な建造物がたくさん見られ、かつての帝国の都が今でも十分感じられる美しい街ですが、夜も重要な建造物がライトアップされていますので昼間とは違った雰囲気を
感じることができます。
その中で意外とシェーンブルン宮殿のライトアップは見ない方が多いです。
シェーンブルン宮殿はオーストリアではひとつの観光ポイントとしては年間を通して最も
多くの方が訪れる場所ですが、たいていの観光の皆さんはシェーンブルン宮殿見学ができる昼間に訪れますね。
そのため、夜ここに改めて来る・・・という考えにはならないようです。
ウィーンはバロックの都ともよく形容されるように、ヨーロッパでも重要なバロック建築が
多く見られるわけですが、バロック以外に様々な、全ての建築様式を見ることができます。
ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック・・・このような言葉はヨーロッパでは
たいてい聞かれることで、時代の物差しであり、絵画、建築、音楽、キリスト教、工芸品、
生活習慣などに見られる重要な様式です。
この流れや特徴が少しでもわかるとヨーロッパの街はもっとおもしろく見えてきます。
その様々な様式の中で"ユーゲントシュティール"もが多く見られます。
ユーゲントシュティールは19世紀終わりから第一次世界大戦が終わるまでの非常に短い時間でしたが、集中的に多くの物が見られます。
このコーナーでも
マジョリカハウス、カールボロメウス教会、アム・シュタインホーフ教会、Hohe Brücke,
シュトゥルードゥルホーフシュティーゲ, アンカー時計、オットー・ヴァーグナーの駅舎、
などについて書きました。
今日はそのユーゲントシュティールのひとつで、ウィーン旧市街の一角にあるよく知られた
エンゲル薬局について少し書きたいと思います。
今日で8月も終わりで、同時に休暇シーズンも終わりになります。
9月から新年度が始まりますが、ウィーンの場合学校は9月7日からです。
気温はまた35℃前後と厳しい暑さが再びやって来ました。
まだまだ泳ぎに行く人が多いと思います。
オーストリアはウィーンをちょっと離れるとのんびりした美しい風景が広がっています。
アルプスが横たわっているおかげでちょっとした散策からハイキング、本格的な登山まで
幅広く楽しまれていて、コースも綺麗に整備されています。
自然の中で楽しむ地元の方は非常に多いです。
オーストリアは自然が形成したある意味では歴史ある場所が"Naturpark" (自然公園)として管理されていて、国内に48箇所のNaturparkがあります。
VNÖ (Verband der Naturparke Österreichs) ---オーストリア自然公園連盟が中心になって管理しています。
家族とよく出かけるウィーンの森のHagenbachklammがある自然公園EICHENHAINや、
巨大な石がたくさんあるBlockheideも自然公園になっています。
そのBlockheideに近い所Schremsにも、ひとつ自然公園があります。
ウィーンに滞在して、時間が一日使えれば是非ヴァッハウ渓谷に行きたいです。
ドナウ河の最も美しい所として知られ、ぶどう畑や杏子の木がたくさんあるのどかな美しい風景が広がり、中世の面影を残す小さな街がたくさんあり、ワインの名産地としてもしられています。世界遺産にも登録されているこの地域はシーズン中、定期的にクルーズ船が運行され、地元の人から観光の皆さんにも大変人気があります。
このヴァッハウ渓谷にある一番のお勧めはデュルンシュタインですが、船下りを優先する人はここで下船せず、クレムスまで行ってしまいます。
ウィーンからの日帰りツアーでは、船から降りて、30~40分ぐらい散策をしてまたウィーンに戻るパターンが多いですが、このデュルンシュタインは一泊する価値が十分あると思いますし、のんびり滞在し、廃墟のクエンリンガー城にも上りたいと思います。
そこからのドナウ河の眺めは忘れられないものとなるはずです。
そのデュルンシュタインのお勧めスポットのひとつにホテルのテラスがあります。
オーストリアには歴史ある修道院や教会やお城などがたくさんあります。
修道院や教会などはヨーロッパ文化の宝庫です。
ウィーンにもたくさん修道院があり、街中にもいくつもあります。
ウィーンに来る日本の皆さんと修道院として圧倒的に多く観光する所は、メルク修道院や
ウィーンの森のハイリゲンクロイツ修道院などは頻繁に行きます。
さて、今日は私が本当にお勧めしたい、そしてもちろん個人的に大好きな修道院アドモントについて少しまとめてみようと思います。
ウィーンから半日のオプショナルツアーや、全日観光でも午後ウィーンの森に行くツアーも
多いわけですが、その時にたいてい南の森に出かけます。
ウィーンの森はウィーンを北、西、南と3方向から囲み、広さ1.250km²もあるヨーロッパアルプスの一番東側にある部分です。
ウィーンの森観光と言えば、北方面と南方面に大きく分かれると思いますが、比率的には
南の方が圧倒的に多いです。
こちらは行きにくい・・・ということもありますが、見所が多く点在しているからです。
バーデン、ハイリゲンクロイツ修道院、マイヤーリンク、リヒテンシュタイン城、
ゼーグロッテなどがこの南で一般的な観光ポイントです。
その中でよく訪れるゼーグロッテに去年の冬の間に演出が追加されました。
ウィーンはかつての帝国の都だったので、荘厳な建築物がたくさん見られ、様々な様式の
建物が見られます。
歴史的に言われない普通の人が住んでいる集合住宅だって、豊かな装飾があったり、
古典的な様式で作られていたりするので、街を歩いているだで楽しいです。
そんな古典建築とは全く違い、独特な個性を持った、そしてカラフルな色をふんだんに使用し、一度見たら忘れることのないフンデルトヴァッサーはウィーンの画家として大変人気が
あります。
このコーナーでもフンデルトヴァッサーハウス 1, フンデルトヴァッサーハウス 2や,
バルバラ教会を紹介しています。
さて、今日はこのフンデルトヴァッサーのトイレを見てみましょう!
オーストリアは観光立国というイメージがあるかもしれませんが、この国は小さい国ながら
かなりの経済大国で、様々な産業があります。
その中で鉄鋼業はこの国を代表する産業のひとつで、早くから鉄の技術が生まれ、
LD法という世界特許を生み出し、現在でも鉄鉱石が露天掘りされています。
そんなことから鉄道も早くから発達したわけで、オーストリアの世界遺産の中で
"センメリング鉄道"という鉄道が世界遺産にも登録されていることからもわかります。
この鉄道はヨーロッパで一番最初にアルプスを越えた山岳鉄道として大変重要です。
この鉄道についてはこのブログコーナーを始めた時から、私は最初に話題にしたかったのですが、なぜか今頃になってしまいました。
春から突然夏の暑さにもなるウィーンで、30℃を超えると日陰に避難したくなります。
ここ毎日35℃を越えていて、暑い日が続いています。
こちらの日差しは日本よりも強いですが、湿気が少ない気候ですから直射日光の下と比べると日陰はずっと涼しく感じますし、建物の間をさわやかな風が吹き抜けて行きます。
街中のカフェなどでは、ミストが吹き付けてきますし、ケルントナー通りに植えられている
木にもミストが取り付けられています。
でも本当に暑い時には噴水のそばに行くのもいいですね。
個人的にはベルヴェデーレ宮殿のKaskadenbrunnenも好きですが、この噴水はベルヴェデーレ宮殿の庭園に行かないと見ることができません。
今日話題にする噴水は、観光でほぼ毎回皆様にバスの中から御案内しています。
ウィーンの街には地元の子供達に人気のあるスポットがいくつもあります。
シェーンブルン宮殿の動物園や技術博物館などは特に人気があり、家族連れで来ている人を多く見かけます。
いつもその時の気分でこのコーナーの話題を決めているので、本当は前々から話題にしたかった今日のテーマも今頃になってしまいました。
観光ではおそらくあまり行くことがない、Haus des Meeres (ハウス・デス・メーレス)
といういわゆる海洋館(水族館)です。
直訳すれば"海の家"となるでしょうか。
ウィーンの街も本当に見所が尽きないですが、ウィーンの外側にも数え切れない程、多くの
見所があります。
オーストリアは小さい国ですが、国内に美しい風景や見所が点在しています。
このコーナーでもよく話題にするヴァッハウ渓谷は個人的に大好きで、仕事ではもちろん、個人的にも家族とよく出かけます。
ヴァッハウ渓谷は全長2.800kn以上あるドナウ河の最も美しい所と言われ、オーストリアの
世界遺産のひとつにも登録されています。
毎年日本の皆様にヴァッハウ渓谷を御案内することが多くありますが、先週の土曜日の
ヴァッハウ渓谷は本当にいい天気で、まさに"ヴァッハウはこうでなければいけない天気"
でした。
ヴァッハウ渓谷の街並みではなく、ドナウ河の雰囲気を掲載します。
オーストリアはアルプス山脈を大きく横たえて持っている国ですから、地形の変化が特徴的です。手軽に歩けるハイキングコースから専門の登山家までが楽しめる魅力的で美しい
ハイキングコースが星の数ほどあります。
ウィーンの街中を歩いているだけでは全く意識しませんが、ウィーンやウィーン周辺にだって魅力的なハイキングコースがいくつもあります。
典型的な例としてはウィーンの森ですね。ウィーンの森だって厳密に言えばアルプスですから標高が低い山がたくさん集まっているわけです。
家族でよく出かけるHagenbachklammも手軽でいい所ですが、今日話題にするこの場所もとても素敵で、個人的には大好きです!
ここ連日30℃を超えているウィーン・・・とても暑いので水をテーマにしたくなりました。
フランツ・ヨーゼフ1世が一目惚れしたというバイエルンの王女エリザベートは、当時ヨーロッパでは一番美しい女性のひとりとも言われ、今でも世界中に多くのファンがいますし、日本でもエリザベートを好きな方は多いんだな・・・と仕事をしていると実感します。
エリザベートは話題性がたっぷりですから、彼女の跡や記念のモニュメントなどを見ようと
すると色々な所に足を伸ばす必要があります。
このコーナーでもすでにエリザベートのことは何回か話題にしています。
知られていないエリザベート像、国民庭園のエリザベート像、シシィ博物館、
さて、今日のエリザベートのテーマに関しては、地元では有名な場所ですが、観光レベルではおそらく全くと言っていいほど知られていないエリザベート・ヘーエです。
ウィーンの市内観光で、通常のツアーの場合はたいていシェーンブルン宮殿に行きます。
最近はツアーの観光内容が結構詰まってることが多いため、私達は以前のようにホテルから
出発するのではなく、シェーンブルン宮殿で直接ミートということが圧倒的に多いです。
宮殿内部見学が終わった後、トイレ休憩も含めたフリータイムをたいてとります。
その時に美しい庭園に行かれる方も多いわけですが、庭園に行ってまず目立つのは丘の上にあるグロリエッテです。
ウィーンの街には様々な教会があり、それぞれの教会は個性があります。
でも"キリスト教史" や"教会史" などに少しでも触れると、カトリック教会としての習慣や
共通性というのが見られます。
今日はウィーンの中心部ではなく、ちょっと外側にある重要な教会に触れてみます。
このコーナーでもよく話題にするヒルシュシュテッテンの花壇庭園は個人的に好きな所で、
おにぎりを作って家族としょっちゅう出かけます。
ここは様々な花が植えられているだけでなく、テーマごとに分けられたコーナーや、温室、動物達も放し飼いされていたり、ミツバチを観察できたり、遊び場や迷路もあってかなり
楽しめます。
この花壇庭園の一角に、最近民家の庭を再現したコーナーがオープンし、8つの異なった個性ある庭を見ることができます。
今日はそれをちょっと話題にします。
ヨーロッパで2番目に長いドナウ河は、ウィーンでは運河を含めて4本に大きく枝分かれしています。ドナウ河はこの辺りはローマ帝国の国境であり、そのためドナウ川沿いにはこの
ウィーンを初めとして歴史ある古い街が多くあります。
現在でも水路、水運、水力発電などと重要な役割を担っています。
ウィーンのドナウ河についてはこちら→ 秋のドナウ河
ウィーンの街にはエリザベート皇后に関する色々な物が見られます。
やっぱりそれだけ話題性もあり、悲惨な死を遂げてからは彼女の生前中よりも、もっと
伝説化していくことになります。
エリザベート皇后のシシィ博物館では様々な物が展示されていますが、おしまいの方に
エリザベート皇后が旅で使用した宮廷車両のちょとしたコピーが展示されています。
今回はそのオリジナルについてです。
先日TullnにあるPRASKACに行きました。
PRASKACは地元で有名なガーデンショップで、定番な花から普通の花屋さんでは絶対に
見ることができない花まで幅広く置かれています。
うちはよくここに出かけるのですが、ここには以前にも話題にした花のねこ(Blumenkatze)があります。
2013年7月30日付けで紹介した花のねこと、2014年2月13日付で紹介した花のねこを
是非比較してみて下さい。
今年の花のねこはこんな感じでした。
オーストリアは絵になるような美しい風景がたくさん広がっている国で、地形の変化も独特のものがあります。
今のオーストリアには"海"というものがないのは非常に残念ですが、氷河から形成された
湖はたくさんあります。
非常にポピュラーなザルツカンマーグートはサウンド・オブ・ミュージックでも知られた美しい湖が点在していて、私も大好きな場所です。
ここは日本からのツアーもハルシュタットなどにしょっちゅう訪れます。
氷河の湖と言えば、クラーゲンフルトのそばにあるWörthersee (ヴェルターゼー)・・・ヴェルター湖(ヴェルト湖)も個人的には大好きです。
ここにある地元で有名なピュラミーデンコーゲルについて少し書こうと思います。
今日5月15日はこのオーストリアにとってとても重要な日です。
それは1955年5月15日にオーストリアは待ちに待った4ヶ国占領時代から解放される
国家条約が結ばれた日であるからです。
オーストリアは永世中立国です。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の帝国時代最後の皇帝カール1世が、シェーンブルン宮殿で一切の事から手を引く・・・と宣言したのは1918年11月11日でした。
その翌日の12日にはドイツオーストリア民主主義共和国が手回しよく生まれています。
1919年10月21日からはオーストリア共和国という現在の呼び名になります。
その後オーストリアファシズムがあって、1938年にヒトラーの最初の犠牲国となった
オーストリアは地図上から消え、第2次世界大戦に巻き込まれて敗国となりました。
1945年から連合軍(アメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連)に占領され、オーストリアは
分割統治をされることになります。
その後紆余曲折しながら、10年間の占領時代を終えて、今日のテーマである国家条約が
ベルヴェデーレ宮殿の大理石の間で結ばれました。
参考までに・・・
も是非御覧下さい。
ウィーンの王宮は非常に複雑で、様々な時代を反映する建築様式から成り立っています。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城であり、神聖ローマ帝国の皇帝の
居城でもあった王宮は、単独で世界遺産に登録されているシェーンブルン宮殿よりも
長い歴史を持っています。
王宮(Hofburg)は博物館、政治関係、住居などと多目的でもあります。
その中で一般的にはあまり見学しませんが、内容は大変充実した博物館として古楽器博物館 (Sammlung alter Musikinstrumente)があります。
ウィーンの街には様々な教会が建っています。
それぞれの教会は個性があり、様々な様式が見られますが、しかしキリスト教というひとつの培われてきた伝統の上に存続しているという共通性を持っています。
教会をぶらぶら見ているだけでも楽しい街歩きができます。
このコーナーでも思いつきで色々な教会話題にしていますが、この教会も素敵な空間を楽しめます。
昨日4月23日はKirschenhainfest (キルシェンハインフェスト)・・・桜の森まつりが
開かれました。
この桜の森まつりは今年で14年目を迎え、過去3回雨で中止になっているので、今年は
11回目ということになります。地元でもラジオで宣伝されるぐらいかなり知られた
イヴェントとなっています。
私もこのイヴェントは自分の子供が出演することもあり、毎年楽しみにしています。
今年は開始13時頃に若干雨がぱらつきましたが、その後天気も回復し、太陽も照り付け、
むしろ暑いぐらいでした。
ウィーン市21区、ウィーン市森林局、日本大使館の主催によるもので、ドナウインゼルという人口の島の一角で毎年この時期に行われます。
ウィーンのかなり郊外にAspern (アスペルン)というかつての集落があります。
ここは現在ウィーン22区の一角で、この名前は地元では歴史的にとても有名です。
そこには大きなライオンの像があり、"Löwe von Aspern" (アスペルンのライオン)
と呼ばれています。
ウィーンの街はぶらぶら歩くだけでも十分楽しく、歴史の中での様々な言われある物を見ることができます。
また、街中だけではなく、ウィーンの森が広がっているのでたくさんのハイキングコースがあるわけです。
このコーナーでも、Hagenbachklammや、ウィーンでのお勧めのハイキングコースについても書いています。
そんなハイキングコースの中にも歴史的に興味深いものがたくさんあるわけですが、
ウィーンの森のバーデンとマイヤーリンクを結ぶヘレーネ渓谷も地元では有名です。
そこには、そこを散歩した人でないとまず知られていないベートーヴェンの跡があります。
ヨーロッパや他の地域からの観光客の中ではかなり有名で、最近日本の皆様からもたまに
質問を受けるようになったParndorf (パルンドルフ)にあるアウトレットについて少し紹介
したいと思います。
今日はOstermontag(オスターモンタック)と言われる復活祭の次の日の月曜日で、
復活祭の日曜日に続いて2つ目の休日です。
クリスマスの12月26日や、聖霊降臨祭の次の日の月曜日も休日となっています。
昨日の土曜日に家族でよく出かけるヒルシュシュテッテンの花壇庭園に行って来ました。
シェーンブルン宮殿のような大きな復活祭市ではありませんが、ここでも恒例の復活祭市が
あります。
一昨日の午後、家族皆でちょっとした散歩をしようとHagenbachklammに行こうと思ったのですが、連日の雨できっと道がぬかっていると思い、観光でも有名なカーレンベルクに行くことにしました。
こちらはアスファルト化された歩きやすいハイキングコースがあるからです。
カーレンベルクは通常ウィーンの森北方面観光で訪れる定番な観光ポイントで、標高484mの高さからウィーンの街を一望できることで知られています。
ここまでは38Aという路線バスが走っているのですが、うちの場合ここに行く時には車を
グリンツィング界隈に置いて、そこからバスでカーレンベルクに行き、下りのハイキングを
楽しみます。カーレンベルクの頂上に駐車するとまた下からここに戻って来なければいけなくなるからです。
家を出た頃は青空でしたが、車を置いてバスを待っている間にどんどん雲が多くなり、
すぐに空も暗くなってまもなく雨が降り出しました。雲の動きが非常に複雑で、南の空は
青空が見えました。今年のこの時期によくある天候パターンです。
降り出した雨が雹になり、台風のように降り注ぎました。
上に行こうかどうしようか一瞬迷いましたが、経験上すぐ止むだろうと思ったので
吹雪の中バスで約20分かけて上がって行きました。
ウィーンの北の森観光と言えば、ベートーヴェンの遺書の家やベートーヴェンの散歩道、
カーレンベルクへ上って、ウィーンの眺めを楽しむのは一般的です。
実際に"森"と言っても、遺書の家界隈は森の中にあるわけではなく、森の入口といった感じで、ウィーン郊外の街並みを見ることができます。
しかしベートーヴェンが住んでいた頃は牧歌的な風景が広がっていました。
今日3月26日はそのベートーヴェンの命日になりますね。
ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書の家を見学される方も多いでしょう。
この界隈はベートーヴェンが住んだ家がたくさんあって、彼は日課のようによく散歩をしました。
ウィーンのリンク道路は世界的に知られた環状道路で、様々な様式が飛び交っています。
考え方は保守的で、過去の様式を重んじる時代だったので、そこから過去の様式ではなく、時代に相応しい芸術・・・という発想が生まれ、ユーゲントシュティールが登場します。
時代的に19世紀の終わりぐらいから第一次世界大戦が始まる1914年ぐらいまでにウィーンでは花が咲き、オットー・ヴァーグナーやクリムトなどの世紀末ヒーローが登場しました。
短い時間だったにもかかわらず、ウィーンではユーゲントシュティール様式の建物はたくさん見ることができとても重要です。
観光中バスで中心から離れて、シェーンブルン宮殿に向かう途中に、ナッシュマルクトの横を通って行きますが、その時に右側に見られる印象的な2つの重要な建築があります。
大型バスで通る時にはこの建物のすぐそばを走るので、左側に座ってる方が見難いことや、上を見上げて全体像が見難いことから、私はシェーンブルン宮殿から中心に入ってくる時にたいてい御案内しています。
このコーナーでは大作曲家のモーツァルトをテーマにした内容をすでにいくつか書いていますが、博物館として見学ができるのはモーツァルトハウスウィーンだけです。
それ以外は言われある場所として様々な記念プレートを見ることができます。
ウィーンで亡くなったモーツァルトですが、生まれたのはザルツブルクです。
そのザルツブルクにあるモーツァルトの生家について少しまとめてみます。
モーツァルトのお墓、モーツァルトの最後のお別れの場所、モーツァルトの魔笛の小屋、
モーツァルトの最後の住居、パパゲーノの門 も是非御覧下さい。
時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が一目惚れをし、当時ヨーロッパで最も美しい女性の1人とも言われた従妹にあたるエリザベートは、半ば伝説的な女性となり、日本にもたくさんのファンがいると思います。話題が尽きることがないこのエリザベートは、16歳でウィーンに嫁ぎ、30歳までに4人の子供が生まれますが、長男のルドルフ皇太子の悲劇は有名です。
このフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの結婚150周年記念日にあたる2004年4月24日に王宮の一角にシシィ博物館がオープンし、去年で10周年を迎え、世界中から様々な方が訪れています。
このシシィ博物館は、私も頻繁にツアーの皆様と行き御案内していますし、フリータイムの時の質問もとても多いスポットです。
ここは長く行われた改装工事が終了し、今まで一時的に中庭に出ていたチケット売り場も建物内にリニューアルされ、トイレも新しくなり、少しモダンな雰囲気になりました。
ここは若干入口が分かり難いため、結構入口を探されてしまうということをよく聞きます。
ヨーロッパの様々な建築様式が見られるウィーンの街ですが、その中で古典建築ではなく、
カラフルな色と曲線という独特の個性を持ったフンデルトヴァッサーはたいていのガイドブックでも紹介され、日本でもフンデルトヴァッサーを好きな人が多くいます。
フンデルトヴァッサーが手掛けたものは数多くありますが、中でも彼の一番の代表作である市営住宅のフンデルトヴァッサーハウスは有名ではありますが、一般的なツアーでは残念ながら訪れることがとても少ないのでここで話題にしたいと思います。
ウィーンは外から見ていたら全く見ることができない美しい中庭空間が至る所にあります。
そんな中庭空間には以前にもここで紹介したローマ時代の壁の名残りのような歴史的にとても重要なものがあったりして、ウィーンは奥が深い街だな~とつくづく思っていますが、
今日はそのような物をひとつテーマにしてみます。
ウィーンの街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城があったため、
王朝時代からのありとあらゆる物や習慣が現在でも見ることができます。
まさにウィーンは昔と今が交差した奥深い街です。
さて、ハプスブルグ家での超有名人としてマリア・テレジアはどなたでも知っていることでしょう。女性として国を動かし、現代社会構造の基盤を築き、16人の母親でもありと
話題たっぷりです。
その彼女の荘厳な"柩(ひつぎ)"を御覧になったことはありますか?
ハプスブルグ家の有名な伝統的な遺体埋葬方法があります。
心臓、内臓、骨と大きく3つに分けて、それぞれウィーン中心部にある3つの教会に
置かれています。
ただ・・・ハプスブルグ家全ての人々がこのスタイルで眠っているわけではありません。
17世紀前半~19世紀後半(1619年に亡くなった皇帝マティアス~1878年に亡くなった
フランツ・ヨーゼフ1世の父フランツ・カール)までの人々です。
マリア・テレジアの棺はその3つの教会のひとつであるカプツィーナ教会の地下納骨所に
あります。
Kaisergruft(カイザーグルフト)とかKapuzinergruft(カプツィーナーグルフト)とも呼ばれています。
ウィーン国際空港に到着してウィーンの街の中心に来る時には、個人旅行の場合は
オーストリア国鉄のS7やエクスプレスのCAT、タクシー、空港バス、団体旅行の場合は専用バスを使うことになります。
どの場合でも空港を出てまもなく見ることになるのは大きな石油コンビナートです。
高速道路の場合は左側に、国鉄の場合は右側に見ることになるます。
とても目立つので見逃すことはまずなく、これは何だろう・・・とまず皆さんが思われると
思います。
ザルツブルクはモーツァルトが生まれた街として世界的に知られていますが、この街は早くからヨーロッパの宗教的中心地となっていました。
そのためこの狭い旧市街にたくさんの教会があるわけですが、その中で今日は歴史あるペーター修道院の教会について少し書きたいと思います。
今年はリンク道路完成の150周年記念の年です。
それに合わせて、ウィーン市庁舎のWiener Eistraum に特別に設置されたCity
Skylinerがかなりの話題を集めています。
先日やっと空き時間が少しあったので、City Skylinerに乗ってきました。
オーストリアで最も多くの方が訪れる世界遺産シェーンブルン宮殿は、やはり宮殿内部見学は絶対にして頂きたいですね。
それ以外にこのシェーンブルン宮殿は庭園もとても充実していて、ここでまる一日過ごすこともできます。
シェーンブルン宮殿のシンボル的な存在であるグロリエッテからの目の覚めるような風景、地元の人達で賑わう世界最古の動物園、のんびりした美しい庭園内の散策コース、シェーンブルンの言われとなった美しい泉など、見どころが多く、地元ではこの庭園内でのんびりする方が多いですし、ジョギングやノルディックウォーキングをする方も大変多いです。
以前ウィーンの別の場所の知られていないミニ日本庭園を紹介しましたが、
今日はそのシェーンブルン宮殿の庭園内にあるちょっと話題性がある日本庭園について
書いてみましょう。
ウィーンにはおもしろい博物館がたくさんありますが、地元の子供達にとても人気ある
博物館のひとつがTechnisches Museum(技術博物館)です。
以前は"産業技術博物館"と呼んでいましたが、最近"技術博物館"と呼んでいます。
"森の都"とも形容されるウィーンの街は緑が多いことで知られていますが、その緑を囲むもっと広大な緑がウィーンの森です。
ウィーンの森には重要な見所が多く点在していますが、"悲劇のマイヤーリンク"として
知られるマイヤーリンクは、ルドルフ皇太子の一番のお気に入りの場所であり、彼が狩猟の館として入手していました。
その場所で1889年1月30日、マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢とピストル心中自殺をして
しまう・・・というドラマが起きることになるわけです。
息子が自殺した後、父親のフランツ・ヨーゼフ1世が、皇太子が自殺をしたと言われる場所を中心に取り壊し、礼拝堂を作らせました。その礼拝堂は今もひっそりと立っています。
そのマイヤーリンクが改装がやっと終わって、去年2014年10月9日からリニューアルされてオープンしました。
(改装中も礼拝堂の見学はできました)
今日が1月30日ということで、悲劇のマイヤーリンクを思い浮かべてしまいましたので、ここを話題にしたいと思います。
オーストリアはハプスブルグ家がほぼカトリックを守ってきたので、現在でも国内では
ローマカトリックが圧倒的な割合を持っています。
ローマカトリックはキリスト教の中では最もボリュームがある宗派です。
キリスト教はヨーロッパ文化を見る上では非常に重要で、キリスト教に少しでも精通するとヨーロッパの街はよりおもしろく見えてきます。
カトリックには様々な聖人が登場し、イエスキリストや聖母マリアを盛り上げています。
その聖人の中でこちらの4大女性守護聖人のひとりに入る人気のある聖人バルバラ・・・
St.Barbaraについてちょっと触れてみます。
今日は1月27日です。
一昨日25日の夜に雪が降り、昨日26日は比較的いい天気でしたが、昨日の夜に雪が降り、
その雪がまだ降り続いていて、今日の朝は雪景色のウィーンの街です。
別の内容に触れるはずでしたが、今日の日付はモーツァルトの誕生日であることを意識したのでモーツァルトの内容にしたいと思います。
モーツァルトに関してこのコーナーではモーツァルトのお墓、魔笛の小屋、最後の住居、パパゲーノの門、最後のお別れの場所などについて書いていますのでそちらも参照して下さい。
ウィーンの街でモーツァルトの足跡を辿るとなるとそれなりの時間がかかります。
中心部だけでも18箇所モーツァルトが住んだ場所が確認されています。
しかし、博物館としてはモーツァルトハウス ウィーンの1箇所しかありません。
最近は雪が降っていませんが、去年の冬と比べるとウィーンの今年の冬はクリスマスの後からかなり多くの雪が降っています。
通常、東京に降る雪とは比べ物にならない、肉眼で雪の結晶が十分見られる質のいい雪が降ってきます。
雪が積もると、街中の雰囲気がガラッと変わりますね。
気温がマイナスだど雪も解けないので、やがて氷のようになって残ります。
そんな時に天気がよくなり青空が広がると、普段見慣れている建物も美しく見えますね。
今日は青空と雪化粧のシェーンブルン宮殿と庭園を紹介します。
音楽の都であるウィーンの街では、至る所で演奏会が楽しめます。
国立オペラ座、楽友協会、コンツェルトハウス、国民歌劇場といったオペラや演奏会が毎日のように楽しめる重要なホールを始め、様々な教会音楽や観光向けの宮殿コンサートまで
バリエーションが多彩です。時として、音大生の発表会的なローカルな演奏会や、卒業演奏会などにも出会えます。
"音響"ということで世界的に有名な楽友協会ホールはここ数年多くの方がガイドツアーにも
参加するようになり、せめてホールだけにでも入ってみたいという方が多くなりました。
このコーナーでも"ウィーン楽友協会ホール", "楽友協会地下にある4つのホール",
"楽友協会ホールのパイプオルガン", "楽友協会ホールの女像柱"などについていくつか取り上げています。
今回は小ホールであるブラームスザールについて少し書きたいと思います。
ウィーン中心部から比較的近い、車で26km程離れたNiederösterreichの一角にLeobendorfという小さな街があります。
そこにある標高220mの小高い丘の上にが地元でよく知られ、特に子供達にも人気のある中世風のロマンチックなお城 Burg Kreuzenstein(クロイツェンシュタイン城)があります。
ウィーンの王宮(Hofburg)は様々な建築様式から成り立っていて非常に複雑です。
そこには多くの見所が存在しますが、王宮での博物館というと経験上、エリザベート博物館や皇帝の部屋に行かれる方が多いと思います。
でも時間があれば是非宝物館(Schatzkammer)にも足を延ばしてみて下さい。
ここには歴史的に大変貴重な物や興味深いものがたくさん展示されています。
この宝物館の歴史的貴重な物として最近、オーストリア帝国帝冠や神聖ローマ帝国の帝冠
なども紹介しました。
今回は王冠ではなくエメラルドです。
ウィーン旧市街にはケルントナー通り、グラーベン、コールマルクトという3大歩行者天国があります。
たいていのガイドブックではケルントナー通りが一番の目抜き通りとして紹介さいれていますが、美しさから言えばGraben (グラーベン)が一番です。
もともとGrabenは、ローマ時代の堀があった場所が、バーベンベルク時代12世紀の終わりに埋められ、現在の通りとなったわけです。
この美しい細長い広場のようなGrabenの象徴的なものは何と言ってもペスト記念柱です。