今年の3月10日に
というタイトルでウィーンの街にはバロック建築がとても多いことに触れました。
数あるウィーンの重要なバロック建築の中で、シェーンブルン宮殿とベルヴェデーレ宮殿は
ウィーンの2大バロック宮殿とも言われています。
シェーンブルン宮殿は
マリア・テレジアイエローが有名で、ベルヴェデーレ宮殿と比べると大きいですし、
単独で世界遺産にも登録され、印象深いかもしれません。
しかし、バロック建築的にはこちらのベルヴェデーレ宮殿の方が、より美しいバロック宮殿です。
ベルヴェデーレ宮殿は歴史に名高いオスマントルコのウィーン包囲1683年、ウィーンを危機から救った英雄プリンツ・オイゲンによるものです。
彼は、約150年トルコに支配されたブダペストや、ベオグラードも解放し、ハプスブルグ家3代の皇帝に仕え、(レオポルド1世、ヨーゼフ1世、カール6世)大出世し、地位と名声を手に入れ、この夏の離宮的なベルヴェデーレ宮殿を建築させました。
シェーンブルン宮殿の建築家フィッシャー・フォン・エアラッハに対し、もう一人のバロック巨匠建築家ルーカス・フォン・ヒルデブラントにより手がけられました。
完成はシェーンブルン宮殿より約25年遅い、1723年に完成しています。
ちなみに今年2013年はオイゲン公生誕350周年記念です。
オーストリアバロックは、1630年ぐらいから1740年ぐらいまでで、
このベルヴェデーレ宮殿はオーストリアバロックの全盛期に作られています。
バロックはイタリアで、16世紀終わりから始まり、ポルトガル語の「バロッコ」が語源と言われています。これはその前のルネッサンス時代に生きた人々が、このバロックの曲線や装飾を見て、
歪んだ(いびつな)真珠のよう・・・と表現し、後に時代様式の名称になりました。
ルネッサンスやバロックの後の時代の人々が過去を研究し、系統的に理論立てをし、あの時代はルネッサンスだとかバロックだ・・・と定義したわけです。これらの様式名は、
当時生きた人々が、「自分たちの時代がルネッサンスだ・・・とか、バロックだ・・・」
などと定義したわけではありません。
ベルヴェデーレ宮殿は上宮と下宮と2つの宮殿があり、通常ベルヴェデーレと言うと、この上宮がたいていガイドブックなどでよく紹介されます。
こちらの写真は2枚とも上宮で、2枚目のこの写真は池に逆さベルヴェデーレが映っていて、ちょっと綺麗です。
バロック建築は何と言っても、
豊かな装飾や歪んだ曲線や楕円形フォームが特徴です。
こちらもベルヴェデーレ宮殿の
後ろ側に行く入口の門です。
宮殿の装飾も素敵ですが、こういった門などにもとても凝った
装飾が施されていることが
わかります。
宮殿がメインですからどうしてもそちらに気を取られてしまいますが、こういっった庭園内にもバロック装飾がちゃんと使われています。
こちらはベルヴェデーレ宮殿の下宮です。
上宮より少し前の1716年に
完成し、プリンツ・オイゲンのプライベート住居として
使われました。
上宮と比べると、かなりシンプルな感じで、装飾も抑えられていますね。
でもこの下宮の中には、ラファエル・ドンナーのオリジナルの「ドンナーの泉」、
アルトモンテの天井フレスコ画や個性的な部屋など、見ごたえがあります。
このベルヴェデーレ宮殿は、上下共、オーストリアギャラリーという美術館として使われています。19世紀、20世紀の絵画を見ることができ、有名なクリムトの「接吻」、
エゴンシーレの「家族」、オスカー・ココシュカ、ヴァルトミュラー、モネ、マネ、
ゴッホ、ルノワール、ムンク、等が楽しめます。