"森の都"とも形容されるウィーンの街は緑が多いことで知られていますが、その緑を囲むもっと広大な緑がウィーンの森です。
ウィーンの森には重要な見所が多く点在していますが、そのひとつである"悲劇のマイヤーリンク"として知られるマイヤーリンクには、ルドルフ皇太子のお気に入りの狩猟の館がありました。
そこで今から135年前の1889年1月30日、マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢とピストル心中自殺をしてしまう・・・という悲劇が起きることになるわけです。
息子が自殺した後、父親のフランツ・ヨーゼフ1世が、皇太子が自殺をしたと言われる場所を中心に取り壊し、礼拝堂を作らせました。
その礼拝堂は今もひっそりと立っていて、2014年10月9日からリニューアルされて今年で10年目を迎えます。
今日は先日このマイヤーリンクに行った時に撮影したものを掲載します。
10年前にリニューアルされて以来、中の様子や展示物は変わっていません...と書いておきながら、その後も数えきれない程ここに来ているのでリニューアルオープンからもう10年経つことが信じられません。
オーストリアでひとつの観光スポットとして最も多くの方が訪れるのがシェーンブルン宮殿です。
シェーンブルン宮殿はヨーロッパで重要なバロック建築であり、世界遺産にも登録されていて、宮殿見学、庭園見学、動物園など幅広く楽しめます。
団体ツアーではシェーンブルン宮殿に入らないことは僅かの例外を除いてまずありませんし、個人で旅行される方もウィーンが初めてであれば必ず訪れるでしょう。
このシェーンブルン宮殿を見学する際、宮殿内部は写真撮影禁止であることは知られていますが、今月2月1日から写真、ビデオ撮影が解禁になっています。
今日はこのシェーンブルン宮殿の有名な大広間を動画でお届けします。
先日私のHPの伝統でもあるミノリーテン教会のWeihnachtskrippeを紹介しました。
これは毎年1月6日"Heilige Drei Könige"の祝日に因んでいて、ベツレヘムからの星に導かれて3人の学者がイエスを拝みにやって来るという場面を再現したもので、ドイツ語ではWeihnachtskrippeと呼ばれ、日本語では降誕場面などと言われています。
この日まではクリスマスの習慣があり、たいていの家庭ではクリスマスツリーがそれまでは飾られていて、同時にこの"Weihnachtskrippe"(ヴァイナハツクリッペ)もアドヴェント時期から教会やクリスマス市、家庭などにクリスマスツリーと一緒に飾られる習慣があります。
2月2日のMaria Lichtmessまでは飾られていると思いますが、今日は動画編を御覧下さい。
前回2023年10月5日に行ったライブオンラインツアーVol.168で Schilcher Sturm(シルヒャー・シュトゥルム)を話題にしました。
毎年楽しみにしているこのSchilcher Sturm(シルヒャー・シュトゥルム)は今年は9月28日が初日でした。
初日にすでに飲んでいるのですが、この日はWaldviertel pur 2023をライブオンラインツアーでお届けしたので、翌週になってしまったわけです。
ウィーンで有名な伝統カフェハウスのひとつLandtmann(ラントマン)が今年150周年を迎えました。
それに先立ちLandtmannは今年2月にカフェハウスLandtmannの歴史をテーマにしたプロモーション・フィルムを製作しました。
映画撮影はカフェを閉店することなく、営業しながらも数日間にわたって行われました。
実はこのプロモーション・フィルムに私も出演していて、オーナーのQuerfeldさんと一緒に演じています。
本篇では3分20秒ぐらいから私とQuerfeldさんが登場します。
ちょうど商談が終わって、お互いに喜びながら食事をしようというシーンで、私にはウィーンナーシュニッツェル、Querfeldさんにはお寿司がサーブされ、用意されたナイフ、フォークと箸が違っていたことから交換するというシーンです。
ヨーロッパ人がイメージする日本人なので、七三分けにさせられてしまいました・・・(笑)
このLandtmannは個人的にも仕事でもよく行きます。
トルテも定評がありますが、食事も美味しいです。
パーテルノステルを御存知ですか?
パーテルノステル(Paternoster)は循環式のレトロなエレベーターです。
循環式なので利用する人がいなくても止まることなく常に上下しています。
2つのエレベーターシャフトがあり、左が昇りで、右が下りです。
止まることがないため、カゴが来たらタイミングよく乗る、目的の階に来たらタイミングよく降りないと行けません。
そのため扉も存在しません。
ウィーンの街には未だに7つのパーテルノステルが活躍していて、今日はそのひとつを動画で御覧下さい。
ウィーンで有名な伝統カフェハウスのひとつLandtmann(ラントマン)が今年150周年を迎えます。
それに伴ってLandtmannは今年2月にカフェハウスLandtmannの歴史をテーマにしたプロモーション・フィルムを製作しました。
映画撮影はカフェを閉店することなく、営業しながらも数日間にわたって行われました。
実はこのプロモーション・フィルムに私も出演していて、オーナーのQuerfeldさんと一緒に演じています。
このメーキングでは50秒ぐらいから私とQuerfeldさんが登場します。
ちょうど商談が終わって、お互いに喜びながら食事をしようというシーンです。
ヨーロッパ人がイメージする日本人なので、七三分けにさせられてしまいました・・・(笑)
本編公開は150周年記念日からです。
このLandtmannは個人的にも仕事でもよく行きます。
トルテも定評がありますが、食事も美味しいです。
世界遺産のひとつであるヴァッハウ渓谷はドナウ河の一番美しい所として知られています。
このヴァッハウ渓谷のハイライトがDÜRNSTEIN(デュルンシュタイン)です。
ここは仕事でも個人的にもよく行く所で、私も大好きです。
前回は先日家族と散策に出かけた時に撮影したデュルンシュタインの一角、その2を動画でお届けしましたが、今日はこの街にある廃墟のお城からの眺めを掲載します。
世界遺産のひとつであるヴァッハウ渓谷はドナウ河の一番美しい所として知られています。
このヴァッハウ渓谷のハイライトがDÜRNSTEIN(デュルンシュタイン)です。
ここは仕事でも個人的にもよく行く所で、私も大好きです。
前回は先日家族と散策に出かけた時に撮影したデュルンシュタインの一角を動画でお届けしましたが、今日はその続編で、ここのメイン通りとその界隈をお届けします。
世界遺産のひとつであるヴァッハウ渓谷はドナウ河の一番美しい所として知られています。
このヴァッハウ渓谷のハイライトがDÜRNSTEIN(デュルンシュタイン)です。
ここは仕事でも個人的にもよく行く所で、私も大好きです。
今日は先日家族と散策に出かけた時に撮影したデュルンシュタインの一角を動画でお届けします。
ウィーンの街は旧市街を歩いているだけだと狭いと思われる方が多いと思いますが、この街はとても広いです。
東京と同じ23区で成り立ち、街の面積は415km²もあり、見所も中心以外に多く点在しています。
東京は市がたくさんありますが、ウィーンはStadt Wienですからウィーン市です。
ウィーンを高い所から眺めようと思えば多くの可能性があります。
中心ではシュテファン大聖堂の塔に上るのが手っ取り早いですね。
大観覧車から見るというのもいいでしょう。
どちらも街中ですから素敵な眺めを楽しめても、街全体というわけではありません。
天気が良くて時間があればウィーンの北の森カーレンベルクに行って見ましょう。
日本は連日30℃を越える日が続いている地域が多く、まだまだ暑いと思います。
こちらは30℃を越えた日は今年は現時点で26日ありましたが、湿気が少ないのでジトーっとした深い感はありません。
しかし、日差しが強いので気温が20℃そこそこでも太陽の下にいるとかなり暑さを感じます。
逆に日陰に行くと30℃を越えている日でも、かなり涼しく感じますね。
最近の朝の気温は13℃前後、日中も20℃前後と秋の訪れを感じます。
今日はちょっと涼めるかもしれないものをお届けします。
前回の110年前のウィーンの街と路面電車の貴重な映像1が大好評でした。
1906年のリンク道路の状況や当時の交通、人々、走っている路面電車などを通してウィーンの街の歴史を視覚的に楽しめます。
100年以上前の写真や貴重な映像を見ても、街並み自体が変わることはほとんどありません。
しかし、当時の流行りなどから人々のファッションが違ったり、車が全く走っていなかったり、現在は歩行者天国になっている所でも鉄道馬車が走っていたりなど現在との違いを多く見ることができます。
今回は115年前の貴重な映像第2弾です。
ウィーンの中心部はリンク道路という有名な環状道路があり、その両側には様々な様式で荘厳な建造物が多く建ち並んでいます。
このリンク道路は19世紀後半、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が中世からの城壁(市壁)の取り壊しを決定した1857年から1865年にかけて建設されました。
ウィーンの観光でリンク道路はヨーロッパの色々な建築様式が見られることからとても重要です。
リンク道路は車は一方通行で、時計回りにドナウ運河沿いを経由して1周することができます。
基本3車線のリンク道路の真ん中の車線を車で1周すると運河沿いを入れて5.4kmです。
かつてはリンク道路の周りを路面電車の1番、2番が東京の山手線のように1周していましたが、2008年10月より廃止され、それぞれ別の動き方をしています。
その路面電車はリンク道路が開通した1865年から走っていますので、2015年はリンク道路開通150周年記念と同時に、路面電車も150周年記念という大変おめでたい年でした。
最初の区間はSchottenring~Hernals間で、鉄道馬車から始まっています。
1883年には蒸気路面電車が導入され、1897年1月28日には電化された最初の路面電車が現在のLinie5の部分を走り、それ以降急速に普及し始め、1903年には最後の鉄道馬車が現場から別れを告げました。
ちなみに蒸気路面電車は1922年までは外の地域で活躍していました。
路面電車ひとつとっても興味深い歴史を見ることができますね。
さて、今日は約110年前の1906年のウィーンの街を走る路面電車の貴重な映像を紹介します。
是非以下の映像を御覧下さい。