こちらでは<音楽の都>100の過去の記事を掲載しています。
なぜかこのコーナーで音楽をテーマにした内容は今まで一度も書いていませんでした。
基本的に何を書くかということはあまり考えず、生活をしている中で思い立ったことや
その時見たり読んだりしたことを書いているだけなので・・・。
でも音楽とウィーンは切っても切れない関係ですね。
ウィーンは様々な形容をされる街ですが、「音楽の都」としても有名です。
これだけの作曲家が足跡を残した街は他にはないでしょう。
音楽家をテーマにしたら時間がいくらあっても足りません。
ここオーストリアにおいてクラシックの3大作曲家といえば・・・
これは意外と3人すぐ出て来ないんですね。
例えばベートーヴェンはウィーンではモーツァルト以上に足跡を残しましたがドイツ人です。ウィーンナーワルツのヨハン・シュトラウス?
もちろん彼もオーストリア、しかもウィーン人です。
しかし彼の音楽はワルツやポルカなどが中心ですので、前述の「クラシック」いうことに
こだわれば路線が少し外れますね。
オーストリア人としてクラシックの3大作曲家といえば、
モーツァルト、シューベルト、ハイドンでしょうか。
この中でウィーン人と定義すればシューベルトだけですね。
シューベルトは1797年にウィーン現在の9区Nußdorferstraße で生まれています。
モーツァルトはウィーンから約300kmのザルツブルクで1756年、ハイドンはウィーンから約50km離れたローラウで1732年に生まれています。
ウィーンには中央墓地という世界的に知られている観光スポットがあります。
広さ約2.5km²あり、ヨーロッパでは
2番目に大きな墓地です。
この墓地は1874年にオープンし、
「名誉区」という特定の地域があり、
歴史に名を残した人々がいわゆる名誉市民としてその場所に埋葬されています。
その一角に「32A]区 という有名な
場所があり、たくさんの音楽家が眠っている地域で、中央墓地を観光として訪れる方がたいてい目指す地域です。
7月26日にこのコーナーで中央墓地について書きました。
そこにはモーツァルトの記念碑がありますがお墓はありません。
モーツァルトのお墓はSt.Marx(聖マルクス霊園)にあります。
ただ・・・遺骨がないということはあまりにも有名です。
モーツァルトが亡くなった時、彼は忘れ去られて無名状態でした。
そこで3等級という当時の庶民的な埋葬方法が選ばれました。
これは大きな穴の中にたくさんの遺体を麻袋に入れて、(もしくは麻布にくるまれて)投げ込んで、上から石灰をかけて終わり・・・数年後再びそこには掘り返して別の遺体を埋葬する・・・という質素なスタイルでした。
そもそも19世紀まで、貴族や聖職者以外には碑を立てるという習慣はありませんでした。
モーツァルトが亡くなった後、未亡人となったコンスタンツェや、後彼女が再婚するニッセン等の努力からモーツァルトが知られるようになっていきます。
そこでついにウィーン市がモーツァルトの埋葬場所を探すようになりましたが、遺骨がバラバラで判別不可能でした。
そこで・・・
モーツァルトがほぼ埋葬されたであろう・・・という場所に記念碑を立てました。
その記念碑がモーツァルト没後100年後、つまり1891年にすでにオープンしていた大きな中央墓地に移動したのです。
そこで記念碑が持ってかれた、ここSt.Marx には新たにこの写真のように天使がたたずむ悲しげなお墓が作られました。
天才作曲家らしく遺骨はありませんが、これがモーツァルトのお墓です。
St.Marxは1784年から約90年間墓地として使われました。中央墓地ができるにあたって、周辺墓地と同様に閉鎖されるはずでしたが、当時のヨーロッパで貴重な「ビーダーマイヤー様式の墓地」ということから残されました。
しかし墓地の機能はなく、墓石がそのまま並べられた公園としてウィーン市が管理しています。
※偶然にも今日7月31日の新聞にモーツァルトのお墓についての記事がありました。Michael Lorenz (54)というウィーンの歴史家によると
ヨーゼフ2世が決めた埋葬方法はモーツァルトには適用されなかった・・・つまり麻布にまかれて共同墓地に投げ込まれたわけではなく、ちゃんと棺に入れられて埋葬されたそうです。
ウィーン、オーストリアの手軽なお土産として、モーツァルトチョコレートがあります。ウィーンの街中を始め、オーストリアのありとあらゆるお土産屋さん、スーパー等で
必ずと言っていいほど目にします。
漠然とモーツァルトチョコレートといっても種類が多いのですが、
モーツァルトの顔が書いてある、ボール型のチョコが定番です。
これは、「MOZART KUGELN・・・モーツァルト クーゲルン」と呼ばれています。
このボール型のモーツァルトクーゲルンも種類が豊富で色々な会社がモーツァルトクーゲルンを製造しています。
基本は丸いチョコレートの中にMARZIPAN(日本ではマジパンとして知られている)が入っています。
マジパンはアーモンドと砂糖を混ぜてローラーでペースト状にしたものです。
様々なモーツァルトクーゲルンがある中で、オリジナルはこの写真に見られる、
ザルツブルクの「Fürst」(フュルスト)でしか買えない、銀の包み紙に青いモーツァルトがデザインされているもの・・・これだけです。
7月26日に中央墓地について少し書きました。
中央墓地への行き方の質問がよくあります。
中心からオーソドックスな行き方は路面電車71番で乗換なしで行けます。
71番は現在リンク道路のBörseから中央墓地を結んでいる便利な路線で、オペラ座から1本で行けるわけです。
中央墓地の第2門(Zentralfriedhof 2.Tor)で降りるのが定番です。
そこからの入口を入って徒歩3分で有名な名誉区です。
もうひとつの方法は、地下鉄3号線(U3)で終点のSimmeringまで行き、
そこから路面電車71番もしくは路面電車6番に乗り変えて、中央墓地第2門までです。
この方法ですと、ウィーンのシュテファン大聖堂からでも行き易いですね。
こちらはウィーンを訪れれば、おそらく必ず見るであろうモーツァルト像です。
リンク道路に面した、王宮庭園に立っています。
ザルツブルクで生まれたモーツァルトですがそこにあるモーツァルト記念像よりもこちらウィーンの方が
有名です。
この像はヴィクトール・ティルグナーという有名な彫刻家によるもので、
19世紀終わりに作られました。
もともとこの像はオペラ座裏のアルベルティーナ広場に立てられていたのですが戦争で被害を受け、その後修復されて現在のように王宮庭園に新たに立てられました。
やはり天才作曲家の
モーツァルトは有名ですので、このコーナーでも「モーツァルトのお墓」 などを始め何回か取り上げています。
今回はかなり知られているものですが、実はあまり見ることができない「魔笛小屋」です。
「魔笛」はモーツァルトが亡くなる年の1791年3月 エマヌエル・シッカネーダーから
ドイツ語劇の依頼がありました。
シッカネーダーは1751年生まれ・・・モーツァルトより5つ年上です。
彼はレーゲンスブルクで学び、22歳頃、モーザーの劇団に入団し、その5年後には座長になり、一座を率いて様々な所を回ります。
その時1780年、ザルツブルクでも公演し、モーツァルト一家との関係が生まれ、モーツァルトとは旧知の仲になるわけです。
モーツァルトがウィーンで活躍する頃から、シッカネーダーもウィーンに出て来ることとなり、色々な劇場と契約して活動します。
1789年、現在のウィーン中心から近い所にある「Freihaustheater (フライハウステアター)、または
Theater auf der Wieden (テアター・アウフ・デア・ヴィーデン)」の監督となり、ドイツ語による台本を多く作成し、大衆的な劇を演じるようになっていました。
そんな状況からモーツァルトに「魔笛」の依頼が来たわけです。
晩年のモーツァルトは妻コンスタンツェがバーデンに療養に行き、かなり孤独でした。
そこでシッカネーダーがこのTheater auf der Wieden のそばの小屋にモーツァルトを住まわせ、作曲活動をさせることになるわけです。
その小屋が「魔笛小屋」であり、この小屋はウィーンから1897年にザルツブルクに移されることになります。
現在この「魔笛小屋」はザルツブルクの国際モーツァルト財団が所有し、音楽大学「モーツァルテウム」の大ホールが使用されるイベントの夏季のみ一般が見ることができます。
この小屋はモーツァルテウムの庭園「バスチオン」に置かれ、このコンサートホールを通ってしか行くことができないという,とても限られた場所に置かれています。
この魔笛小屋の屋根には苔がついているのがわかります。
映画「アマデウス」の中でも、酒にかなり酔って鍵盤の前に座って魔笛の中の曲を演奏しているモーツァルトのシーンが出て来ます。そのシーンの最後には、この魔笛小屋と似たような小屋がちゃんと映し出されています。
音楽の都とも言われるウィーンでは、毎日至る所で演奏会が行われています。
オペラ、通常の演奏会、教会音楽、観光の皆さんが手軽に行けるワルツコンサート等、とても豊富です。
ウィーンでのいわゆる通常演奏会と言えば、楽友協会ホール、コンツェルトハウスが2大演奏会ホールでしょうか。
今回はこの楽友協会ホールについて少し書きたいと思います。
ウィーンは様々な作曲家が足跡を残した街です。
一般的には、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウスなどの住居や記念像はお馴染みでしょうか。
でもこの街は「へぇ~、この人もウィーンにいたんだ~」という意外な作曲家の跡も
かなりたくさん残っています。
その中で、アントニオ・ヴィヴァルディもその一人でしょうか。
ウィーンの街の至る所に有名な音楽家の跡があります。
以前ここでも書いていますが、オーストリアの3大クラシックの作曲家と言えばモーツァルト、シューベルト、ハイドンです。
しかし、ドイツ生まれのベートヴェンはこのウィーンの街にモーツァルト以上に足跡を残しました。
(ベートーヴェンが生まれた時も、亡くなった時も"ドイツ"という国は存在していませんでした)
だってベートーヴェンはウィーンで80回近くの引っ越しをしています。
そのため色々な場所にベートーヴェンの跡が見られるわけです。
ベートーヴェンは、1770年ドイツのボンで生まれました。
16歳の時にすでにウィーンに来ましたが、3ヶ月程の滞在でボンに戻りました。
2回目のウィーンは22歳の時でした。
そこから亡くなる56歳まで(56歳3ヶ月と10日で亡くなる)ほぼウィーン、ウィーンの森に滞在しました。
ウィーンに2回目に出て来てからはまもなくベートーヴェンは有名になり、順調なスタートでした。
しかし、26歳頃から難聴の兆しが現れました。
作曲家としては致命傷の難聴が原因で、32歳の時に死を決意して遺書を書いたことは有名です。
これが俗に「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれています。
しかし、自分は芸術家であり、それを成し遂げるまではやはり死ぬことはできない・・・と気持ちを改め、その後様々な名曲が生まれます。
彼はおそらく48歳の時からは完全に聞こえなくなってしまいます。
そんな状況の中50歳を過ぎたベートーヴェンは、ウィーンの森のバーデンの街で、第九交響曲の大半を作曲したわけです。
ウィーンの街は音楽家だけに焦点を当てても見きれません。
これだけの作曲家が足跡を残した街はウィーン以外にはないでしょう。
以前にも書きましたが、オーストリアにおいての3大クラッシックの作曲家と言えば、モーツァルト、シューベルト、ハイドンですね。
一般的に観光では、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトといった作曲家がウィーンでは特にポピュラーでしょうか。
大作曲家ベートーヴェンはドイツ人ですがウィーン、ウィーン近郊にたくさんの足跡を
残しました。
ウィーンの街だけでもベートーヴェンの跡を辿ったら時間がいくらあっても足りません。
ウィーンの南の森には温泉街で有名なBaden(バーデン)があります。
この街はローマ時代からの温泉地で、ハプスブルグ家の避暑地でもあり、
数多くの有名な音楽家が住みました。
この街にベートーヴェンは計15回、少なくとも7つの家に住みました。
ウィーンの楽友協会ホールは、世界で最も音響のいいホールのひとつで、この場所は抜きに出て世界的に有名ですね。
そこまで有名なコンサートホールはありませんが、それでもこのオーストリアには有名なコンサートホールが結構あります。
その中で作曲家の名前がそのままホールの名称になっている「ハイドンザール」について少し書きたいと思います。
ハイドンはオーストリアでの3大クラッシックの作曲家の1人ですね。
モーツァルトの「魔笛の小屋」を9月24日に紹介しましたが、その魔笛に登場するパパゲーノが見られる「Papagenotor・・・パパゲーノの門」があります。
オペラ愛好家にはかなり知られているこのパパゲーノの門は、「Theater an der Wien・・・テアター・アン・デア・ヴィーン」にあります。
ここはよく日本語では、アン・デア・ウィーン劇場とも言われています。
前回の中央墓地シリーズ「ウィーンの中央墓地 3」は2013年10月28日に書き、
ヨハン・シュトラウス(父)に触れました。
今日は32A区にはない有名人としてCarl Czerny ・・・カール・チェルニー(日本ではツェルニーとしての方が有名でしょう)のお墓です。
街中至る所に有名な音楽家の跡があるウィーンです。
2013年10月28日付の「ウィーンの中央墓地 3」で、ヨハン・シュトラウス(父)のお墓について書きましたが、そのシュトラウス(父)の最後の場所がウィーン旧市街地にあります。
ウィーンは音楽の都ですから、有名な音楽家が数多く住みました。
ウィーンに跡を残した作曲家と言えば、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、
ハイドン、ブラームス、ヨハン・シュトラウス等がすぐ浮かんできますが、
それ以外の音楽家でちょっと意外的なフランツ・リストもこのウィーンにはよく
住んでいました。
ウィーンを観光する方にとって、
シュテファン大聖堂と並んで目安になる建物と言えば国立オペラ座です。
地下鉄1,2,4号線のKarlsplatz駅や、
路面電車が多く走るリンク道路上に
面しています。
ウィーン主要劇場でも触れていますが、この国立オペラ座は、1709席、
立ち席567席、年間300回近くの公演数を持ち、客席の埋まる割合が年間平均98%弱、また例外を除いて同じ演目が2日と続かないわけで、セットを毎日取り換えている・・・という想像を絶する運営状況です。
いつか時間がある時にこのコーナーで座席の値段などについて書こうと思ってますが、
国立オペラ座の値段は演目によって基本は大きく9つのカテゴリーに分かれています。
様々な座席があるわけで、座席も8ランクに分かれていて、基本カテゴリーによって
同じ座席でも値段が変わるようになっています。
国立オペラ座で一番いい席は4種類あり、
Parkett 1~6列目 (平土間)
Parterre Loge 11~13番の1列目 (平土間ボックス)
1.Rang Loge 11~13番の1列目 (1階ボックス)
Mittelloge (中央ボックス)
となっています。
この4つの席の値段は今年のシーズン(2014年6月まで)で、最高カテゴリー"P"の時は250ユーロ、バレエの"C"カテゴリーの時は130ユーロとなっています。
※以下国立オペラ座公式サイトからの座席表です。
http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/pageparts/zoom_06.html
ウィーンにはたくさんの個性溢れる博物館がありますが、その中のひとつで
Haus der Musik (ハウス・デア・ムヅィーク)、日本語で「音楽の家」というおもしろい博物館があります。
シューベルトの誕生日の1月31日付で、ウィーンにあるシューベルトの生家について少し書きました。
シューベルトはここに生まれてから4年半住むことになります。
実際に2階に彼が住んだ場所で、
後にウィーン市がこの建物を
買い取り、1912年6月18日から
博物館として一般公開されました。
その後、シューベルトが実際に生きていた当時のように修復されて
1969年5月14日から新たに一般公開されています。
このシューベルトの生家の中庭の奥に、あまり気づくことがないものがあります。
ウィーンの南の森一角にHeiligenkreuz(ハイリゲンクロイツ)という小さな街があり、
そこに街の名前の由来である歴史ある有名なハイリゲンクロイツ修道院があります。
ここは是非内部見学をしたい修道院です。
今日はその修道院の教会にあるパイプオルガンについてです。
ウィーンにはヨーロッパで2番目に長い「ドナウ河」が流れています。
昔はローマ時代の国境ラインでもあり、現在のオーストリアでも水路や発電としても大変重要です。
そのドナウ河をテーマにした「美しき青きドナウ」はたいていの方が知っている曲で、オーストリア第2の国歌のようなもので、新年の最初にテレビでも流され、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも定番の曲ですね。
そのヨハン・シュトラウスが41歳の時に作曲した「美しき青きドナウ」の背景について今日は触れてみたいと思います。
今年5月に国立オペラ座の座席と座席表について書いていますが、
来月9月から新しいシーズン(2014/2015)が始まります。
それに伴って、国立オペラ座観劇の料金が少し引き上げられました。
以下の表は国立オペラ座のサイトからの引用です。
http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/pageparts/stop_sitzplan.html#14-15
音楽に全く興味がない方が、音楽の都としてのウィーンで作曲家を挙げるとすると、
モーツァルトとベートーヴェンが圧倒的に多いでしょうか。
ベートーヴェンはオーストリアの3大クラシックの作曲家には入りませんが、ウィーンではモーツァルト以上に足跡を残しました。
それ以外でも、ヨハン・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス(父)、ショパン、
シューマン、リスト、バルトーク、ブルックナー、マーラー、ドヴォルザーク、
ワーグナー、ヴィヴァルディ、リヒャルト・シュトラウス、シベリウス、グルック・・・
とウィーンに足跡を残した音楽家を挙げたら切りがありません。
音楽が好きな方は別として、一般に知られている作曲家でもウィーンで意外と見落とされているブラームスについて少し書いてみたいと思います。
前回映画「第三の男」の有名なラストシーンに登場する並木道を紹介しました。
この映画の冒頭から流れるテーマソングは世界的に知られていて、今でもウィーンではホイリゲなどで必ずといっていいほど演奏されています。
「第三の男」のテーマソングはAnton Karas (アントン・カラス)によって
Zither (ツィター)で演奏されていて、この映画の中で頻繁に流れ、またラストシーンでも
静かなメロディーで演奏されています。
そのアントン・カラスが弾いたツィターを見ることができます。
ウィーンの南の森にはベートーヴェンが好んで滞在した有名な温泉街バーデンがあります。のんびりした雰囲気とビーダーマイヤー様式が多い美しい街で、ウィーンから十分日帰りで行って見る価値があります。
そこにはベートーヴェン第九交響曲の家があることで有名ですが、今日はこの名曲第九交響曲のちょっとしたエピソードについてです。
このブログコーナーでもすでに、ベートーヴェン第九交響曲の家、
ベートーヴェン第九交響曲の家2と話題にしていますので、そちらも参照して下さい。
その第九交響曲の家に行くと下の写真のものが展示されています。
今年の5月に国立オペラ座の座席や、チケットの値段について書きましたが、今回は世界一音響のいいホールのひとつである楽友協会の座席表とカテゴリーについてです。
楽友協会ホールについてはこちらを参照して下さい。
ウィーンのマリアヒルファー通りは美術史博物館の裏側からウィーン西駅まで、そしてさらにもっと奥まで伸びている長い通りですが、美術館の裏側から西駅までが俗にデパート街として知られ、通りの両側には様々なデパート的な店が並んでいて、ウィーンの中心部とはまた一味違った通りで多くの若者が歩いています。
この写真はマリアヒルファー通りを西駅側から中心方面に見たもので、地下鉄の"U"マークを見ることができる建物が手前に写っています。
この建物の壁の所に作曲家の記念プレートがあります。
人通りが多い場所で、たいていの人はそのプレートに気づきません。
その作曲家とはヨーゼフ・シュトラウスです。
音楽を知らない方でもモーツァルトのことは誰でも知っていると思います。
モーツァルトはウィーンに6歳の時に初めて来て以来数回訪れ、最後の4回目の滞在が25歳であり、それから亡くなる35歳までの10年間をこのウィーンの街で過ごします。
ちなみにモーツァルトの最後の家について以前書いていますので御覧下さい。
ただ博物館として見学できるのは"モーツァルトハウス ウィーン"だけですが、色々な場所
にモーツァルトの跡が見られます。
さて、今日はそのモーツァルトの跡のひとつについてです。
ウィーンの街を観光で歩く時は必ずと言っていいほど国立オペラ座の場所がひとつの目安になると思います。
国立オペラ座は1868年にリンク道路最初の大建造物としてプランされ、シッカルズブルク、ニュルという2人の建築家によりルネッサンス様式で建てられました。
国立オペラ座では年間約300回の公演数であり、2日として同じ演目が続かないという
大変な運営状況です。
今回はこの国立オペラ座の舞台裏事情について少しまとめてみたいと思います。
この国立オペラ座については何回か話題にしているので興味ある方は以下も御参照下さい。
"音楽の都 ウィーン"をテーマにすると、この街はいくら時間があっても足りません。
至る所に有名な音楽家の跡が見られるわけです。
オーストリア人ではないにもかかわらず、このウィーンにたくさんの足跡を残した作曲家といえばベートーヴェンですね。
ベートーヴェンについては、このコーナーでも中央墓地、ベートーヴェンの記念像、
最後の住居、21区の滞在場所、バーデンの第九交響曲の家と多く紹介していますが、
なぜか一番有名な遺書の家についてはまだ書いていなかったので、今日はこの遺書の家に
ついて少し書いて見ようと思います。
教会にはパイプオルガンがつきものですね。街中を歩いている時、偶然通りかかった教会の
中に入ってみたら、厳かなパイプオルガンが聞こえた・・・なんて経験をした方もきっと
いらっしゃるでしょう。
このウィーンこぼれ話でも、ハイリゲンクロイツ修道院のパイプオルガンや
楽友協会ホール黄金の間にあるパイプオルガンを紹介していますが、今日はウィーン最古のパイプオルガンについて少し書きたいと思います。
オーストリアの3大クラシックの作曲家と言えば、モーツァルト、ハイドン、シューベルト
ですが、シューベルトはウィーンで生まれたウィーン人です。
すでにここでは中央墓地のシューベルトのお墓、シューベルトの生家、ますの泉などを
紹介していますが、そのシューベルトに因んだもので、場所柄のせいか、あまり知られて
いないものがあります。
今日は1月27日です。
一昨日25日の夜に雪が降り、昨日26日は比較的いい天気でしたが、昨日の夜に雪が降り、
その雪がまだ降り続いていて、今日の朝は雪景色のウィーンの街です。
別の内容に触れるはずでしたが、今日の日付はモーツァルトの誕生日であることを意識したのでモーツァルトの内容にしたいと思います。
モーツァルトに関してこのコーナーではモーツァルトのお墓、魔笛の小屋、最後の住居、パパゲーノの門、最後のお別れの場所などについて書いていますのでそちらも参照して下さい。
ウィーンの街でモーツァルトの足跡を辿るとなるとそれなりの時間がかかります。
中心部だけでも18箇所モーツァルトが住んだ場所が確認されています。
しかし、博物館としてはモーツァルトハウス ウィーンの1箇所しかありません。
このコーナーでは大作曲家のモーツァルトをテーマにした内容をすでにいくつか書いていますが、博物館として見学ができるのはモーツァルトハウスウィーンだけです。
それ以外は言われある場所として様々な記念プレートを見ることができます。
ウィーンで亡くなったモーツァルトですが、生まれたのはザルツブルクです。
そのザルツブルクにあるモーツァルトの生家について少しまとめてみます。
モーツァルトのお墓、モーツァルトの最後のお別れの場所、モーツァルトの魔笛の小屋、
モーツァルトの最後の住居、パパゲーノの門 も是非御覧下さい。
これだけの音楽家が足跡を残した街はウィーン以外にはないでしょう。ウィーンはヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の居城があった街であることからきています。
街中の至る所に音楽家の跡を見ることができ,ここでも色々な音楽家を取り上げていますが、今回はモーツァルトと同時代で、当時はモーツァルトよりも重要な地位にいた
アントニオ・サリエリについて少し書こうと思います。
ウィーンの北の森観光と言えば、ベートーヴェンの遺書の家やベートーヴェンの散歩道、
カーレンベルクへ上って、ウィーンの眺めを楽しむのは一般的です。
実際に"森"と言っても、遺書の家界隈は森の中にあるわけではなく、森の入口といった感じで、ウィーン郊外の街並みを見ることができます。
しかしベートーヴェンが住んでいた頃は牧歌的な風景が広がっていました。
今日3月26日はそのベートーヴェンの命日になりますね。
ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書の家を見学される方も多いでしょう。
この界隈はベートーヴェンが住んだ家がたくさんあって、彼は日課のようによく散歩をしました。
ウィーンの街を歩くと色々な所に記念像といった銅像が立てられていることに気づきます。
基本的には歴史上名を残した重要な人物がテーマとなっています。
このブログコーナーでもいくつか記念像については書いていますので、絵画と彫刻を参照して下さい。
今日は今更ですが、ウィーンを象徴する像のひとつについてです。
ウィーンの街はぶらぶら歩くだけでも十分楽しく、歴史の中での様々な言われある物を見ることができます。
また、街中だけではなく、ウィーンの森が広がっているのでたくさんのハイキングコースがあるわけです。
このコーナーでも、Hagenbachklammや、ウィーンでのお勧めのハイキングコースについても書いています。
そんなハイキングコースの中にも歴史的に興味深いものがたくさんあるわけですが、
ウィーンの森のバーデンとマイヤーリンクを結ぶヘレーネ渓谷も地元では有名です。
そこには、そこを散歩した人でないとまず知られていないベートーヴェンの跡があります。
ウィーンの国立オペラ座は年間約300回の公演数で、2日として同じ演目が続かないという
想像を絶する運営状況です。
去年この国立オペラ座の舞台裏事情1で、セットの搬入口や組織について少し触れました。
今回は国立オペラ座の舞台そのものを見てみましょう。
ウィーンの街はベートーヴェンが亡くなるまで長く滞在し、多くの引っ越しをしたことでも知られていますが、ウィーンの街にはベートーヴェンに関する博物館がいくつかある中で、
ハイリゲンシュタットの遺書の家がもっともポピュラーでしょうか。
ハプスブルグ家の人達は多くの専門分野を持っていて、宮廷内での教育は様々な分野からのものでした。
特にハプスブルグ家では音楽を専門とする皇帝が多く存在していました。
例えばマリア・テレジア女帝の御祖父さんのレオポルド1世はオーケストラの前に座り、
自らチェンバロを演奏し、指揮をするのが大好きだったといいます。
全音のピアノピースにはレオポルド1世の作曲したものがあります。
こういったことからウィーンは"音楽の都"などという形容にもつながっています。
最も神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号がほとんどハプスブルグ家の頭上に置かれていましたし、彼らが拠点としたのはこのウィーンの街だった・・・つまりこのウィーンという街は皇帝の居城だった・・・その帝国の都へ必然的に色々な人々が集まって来たわけで、
音楽もその一部というわけです。
マリア・テレジアも音楽にはかなり詳しかったようです。
シェーンブルン宮殿で6歳のモーツァルトが御前演奏をした時、マリア・テレジアは
大変感心し、多くの褒美を与えました。
今日はそのマリア・テレジアが所有していたちょっとおもしろいバイオリンについてです。
ウィーンの街は今でもかつての帝国の都であった面影を残し、荘厳な建造物が建ち並ぶ、
緑豊かな美しい街です。
それもハプスブルグ家というヨーロッパで一番長く続いた王朝の居城がこの街にあり、
そしてそのハプスブルグ家の頭上にかなりにわたって神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号が置かれていたことで、様々な人たちがこの帝国の都に集まって来ました。
そのため他のヨーロッパの街とは全く違った奥深さがある街です。
いつしか音楽の都と言われるようになり、有名な多くの音楽家達が足跡を残しています。
その中で意外なことに大音楽家のバッハはウィーンではまず見ることができません。
今日から8月です。ここ数日は気持ちのいい朝が続いていて、先週の猛暑日の連続がうその
ようです。しかしまた今日から予報では30℃を越えそうで来週は猛暑日が続くようです。
さて、ウィーンの国立オペラ座はリンク道路沿いの重要な建造物で、シュテファン大聖堂に通じるケルントナー通りに面していることもあり、ウィーンに滞在されれば何回も見ることになるでしょう。
また、定期的に行われている国立オペラ座内部見学も人気があります。
今日はその国立オペラ座にある大きなサロン的広間について触れてみます。
この国立オペラ座については何回か話題にしているので興味ある方は以下も御参照下さい。
長方形的で左右に飛び出したウィング構造をしている国立オペラ座の中には、幕間に
くつろいだり、待ち合わせ場所として使われる3つのサロン的大きな広間があり、
それぞれの広間は2階に作られていて、どれも個性があります。
7月、8月は休暇シーズンであり、また年度末でもあります。
そのため国立オペラ座や楽友協会などでの通常の演奏会はお休みということになります。
9月から新しいシーズン(2015/2016)が始まります。
それに伴って、国立オペラ座観劇の料金が少し引き上げられましたので、新料金をここに
掲載したいと思います。
ウィーンの国立オペラ座は今日9月4日が初日で、演目はヴェルディのリゴレットです。
去年の国立オペラ座でのチケットの値段(2014/2015)はこちらから
ウィーンはヨーロッパ文化が凝縮した街なので、あらゆる分野のものが交差しています。
音楽もその分野のひとつですから、この街には日本からも音楽の専門的なツアーが年間を通してたくさんあります。
様々な作曲家の住んだ家が多く残されているウィーンでは、ベートーヴェンが遺書を書いたハイリゲンシュタットに行くことが比率的には一番多いのではないかと思います。
ベートーヴェンのハイリゲンシュタット遺書の家はベートーヴェンが聴力の回復を期待して滞在した場所で、耳がが聞こえなくなっていくことで絶望して遺書を書いたというドラマがあった場所です。
このブログコーナーでもベートーヴェンに関することは結構取り上げています。
ハイリゲンシュタットの遺書の家、ベートーヴェンのデスマスク、第9交響曲の家、
第9交響曲の家 2、第9交響曲の家 3、交響曲第6番田園の小川、ベートーヴェンの記念像、
ヘレーネ渓谷のベートーヴェンの跡、ウィーン21区のベートーヴェンの滞在場所、
ベートーヴェンの最後の住居、中央墓地なども参照して下さい。
ドイツのハンブルク生まれの"3B" ひとりであるブラームスは、29歳の時にウィーンに初めてやって来て、その10年後からウィーンに定住することとなり、ウィーンのカールス教会のすぐそばで63歳で亡くなっています。
ウィーンでブラームスの跡を見ようと思うと実はあまりなく、ブラームスの像、中央墓地、楽友協会のブラームスザール、グリーヒェンバイスルのサインぐらいしかすぐには思いつきません。
ブラームスの博物館はありませんが、ハイドンハウス内にはブラームス記念室があって、
そこがある意味ではウィーンで唯一のブラームスの博物館らしい空間です。
ブラームスの博物館というと、ウィーンではなく、ウィーンから車で110km程南に走ったMürzzuschlag (ミュルツツーシュラーク)に中々充実したブラームス博物館があります。
秋のこの時期、朝方は霧が発生することが多くなりました。
でもたいていはお昼になるにつれてそれもなくなり、いい天気になっています。
ウィーンの街中の秋の雰囲気も素敵ですが、中心から離れた郊外の雰囲気も印象的です。
郊外と言えばウィーンの森ですね。
"ウィーンの森"として仕事で頻繁に行くのは南方面ですが、音楽を専門的にやっている方のツアーなどではベートーヴェンの遺書の家を訪れることが多いです。
実際にここはウィーンの森ではなく、森の入口と言った方がいいと思います。
ベートーヴェンの遺書の家に行くと、たいていはベートーヴェンの散歩道にも足を踏み入れます。
先日はこのベートーヴェンの散歩道にあるベートーヴェン像にちょっと触れました。
ここもやっぱり秋していました。
オーストリア国家公認ガイドとして年間を通して様々な分野のお客様と仕事をさせて頂いてます。
一般的なパッケージツアーや専門ツアー、このホームページから申し込まれる個人のお客様までとありとあらゆる分野のお客様で、日本全国津々浦々から、または海外に居住されている日本の方など様々です。
観光の内容も一般的なものから専門的なものまで様々なバリエーションがあります。
その中で個人的にちょっと印象に残るツアーのひとつにウィーンフィルメンバーによるプライベートコンサートが組み込まれた皆さんをアテンドしたこともあります。
ウィーンは音楽家をテーマにしたら時間がいくらあっても足りない程、様々な作曲家が足跡を残しました。
これもヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城がこの街ウィーンであり、
そしてそのハプスブルグ家に永く神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号があったことから
この街は皇帝の居城としても栄えて来たことが大きな理由です。
音楽家の住居をテーマとすると、モーツァルトハウス、ベートーヴェンの遺書の家、
シューベルトの生家などが圧倒的に訪れる機会が多いわけですが、その有名な作曲家達の
大先輩と言えばハイドンですね。
ハイドンと言うと、誰でも知ってますが、モーツァルトやベートヴェンと比べるとすぐに
彼の曲を出せる人は意外と少ないかもしれません。
ハイドンは少年時代と晩年はウィーンの街で過ごしていますし、このウィーンの街で亡なっていますので、彼の最後の家が博物館として公開されています。
ウィーンはとても奥が深い街なので、一般的なオーソドックスな市内観光から音楽や美術などの専門的なツアーまで、観光の種類も様々です。
入場観光としては圧倒的にシェーンブルン宮殿が多いわけですが、王宮のシシィ博物館、
皇帝の部屋、美術史博物館やベルヴェデーレ宮殿のオーストリアギャラリー、音楽家の住居や国立オペラ座、もちろんシュテファン大聖堂なども頻繁に御案内します。
つまり様々な観光のヴァリエーションがあるわけです。
そんな中で最近国立オペラ座の内部を案内することがまた多くなっています。
今日は国立オペラ座内部の座席とそれぞれの名称について取り上げます。
このブログコーナーでも国立オペラ座については何回か話題にしているので興味ある方は以下も御参照下さい。
ウィーンの元旦と言えばウィーンフィルニューイヤーコンサートをすぐに思い浮かべる方も多いでしょう。
お客様から一生に一度は見てみたい・・と言われる方が年間を通して非常に多く、チケットの入手方法とか値段などをよく聞かれます。
私もだいぶ前にニューイヤーコンサートをLIVEで見たことがありますが、基本的に毎年ニューイヤーコンサートに行かれるお客様のアテンドや年末年始にウィーンに滞在されるお客様の観光案内などの仕事をするので、ニューイヤーがやっている時間はたいてい街中で仕事をしています。
そのため録画をして元旦の夜に夕食を食べながらニューイヤーコンサートを見てるという個人的な習慣があります。
今日は今年のニューイヤーコンサートを見た感想を少しここに記します。
あくまでも"テレビで見た"わけで生で見たわけではありません。
以前もこのコーナーで話題にしていますが、王宮の一番新しい部分である新王宮の中には
古楽器博物館があり、古楽器や珍しい楽器などをハプスブルグ家の歴史や有名な音楽家に沿って、時代の流れと共に見学することができます。
ここは内部建築も素晴らしく、美しい階段ホールには驚かされます。
また、何と言ってもテーマがテーマだけにいつ行っても空いています。
以前この古楽器博物館からマリア・テレジアのバイオリン、アントンカラスのツィターを
紹介しましたが、今日はレオポルド・モーツァルトのバイオリンについて少し書きたいと思います。
オーストリアでの一番有名な作曲家と言えばやはりモーツァルトでしょうね。
今日1月27日はモーツァルトの誕生日で今年2016年はモーツァルト生誕260周年ということになります。
2006年がモーツァルト生誕250周年で大々的に話題になり、あれからもう10年経ったかと思うと時の流れの速さを実感します。
ザルツブルクで生まれたモーツァルトは4回目にウィーンに来た25歳の時から最終的にこの街に住み始めて、35歳でウィーンの街の現在デパートになっている所で亡くなりました。
ウィーンの街にはモーツァルトに関する場所がたくさんありますが、一般的には王宮庭園に
あるモーツァルト像が一番最初に浮かぶような気がします。
今日は観光ではあまり知られていないモーツァルトの泉について紹介します。
ウィーンはよく音楽の都と言われています。音楽に興味がある方にとってはウィーンという街は夢のような街でしょう。
これだけの音楽家が滞在した所はないと思います。
そのため"音楽"だけをテーマにしてもウィーンは見切れません。
オーストリアのクラッシックの3大作曲家といえば、モーツァルト、シューベルト、
そしてハイドンです。
今日1月31日はそのシューベルトの誕生日になりますね。
そのシューベルトの葬儀が行われた教会について少し書きたいと思います。
私が個人的に好きな空間のひとつに新王宮があります。
ここの内部にはSäulenhalle(ゾイレンハレ)という美しい空間や、素敵な階段ホール、
古楽器博物館、世界博物館、狩猟・武器鎧博物館・エフェソス博物館などがあり、いつ行っても空いています。
ついでにエレベーターに見えないエレベーターもここにあります。
ここの古楽器博物館は個人的にも好きなスポットですが、仕事でも意外と年間を通して行くこともあります。
ここには様々な楽器が年代順に展示さていて、重要な作曲家自身の楽器や演奏した楽器、
珍しいものなど様々で、しかもハプスブルグ家と音楽家がリンクしていてとても充実した内容になっています。
"古楽器"というとリュートやチェンバロ、クラヴィコードなどがすぐ浮かんでくると思いますが、この博物館にもたくさんのチェンバロやクラヴィコードが展示されています。
形も小さなものから今のグランドピアノのような大きなものまで様々です。
その他にもピアノフォルテとかハンマークラヴィーアとか名称も多くなっていきます。
音楽に詳しい方でしたら別に当たり前のことですが、チェンバロとクラヴィコードの違いは意外と知られていないようです。
この古楽器博物館には直接触れるチェンバロとクラヴィコードがあり、実際に違いを見て、
感じることができます。
また、別のコーナーには鍵盤のメカニズムが展示されています。
かつての帝国の都であるウィーンの街は様々な歴史的に需要なものが交差しています。
その中で"音楽の都"と形容されるにふさわしく様々な作曲家の跡が数え切れないぐらいに街中に点在しているウィーンですが、今日テーマにするこの教会はベートーヴェンの葬儀があったにもかかわらず訪れる方は意外と少ないと思います。
今日3月26日はベートーヴェンの命日です。
ウィーンに最も多くの足跡を残した音楽家はベートーヴェンでしょうか。
オーストリア人の3大クラッシックの作曲家ではないにもかかわらず・・・です。
その中でウィーンのリンク道路の内側にありながら、なぜかあまり注目されない、しかし、
重要な作品がたくさん生まれたパスクヴァラティハウスについて少し取りあげます。
"PASQUALATIHAUS"とドイツ語で言われますので、タイトル通りパスクヴァラティが
ドイツ語発音からの日本語読みですが、パスクラティとも多く呼ばれています。
このブログコーナーでもベートーヴェンに関することは結構取り上げています。
ハイリゲンシュタットの遺書の家、ベートーヴェンのデスマスク、第9交響曲の家、
第9交響曲の家 2、第9交響曲の家 3、交響曲第6番田園の小川、ベートーヴェンの記念像、
ヘレーネ渓谷のベートーヴェンの跡、ウィーン21区のベートーヴェンの滞在場所、
ベートーヴェンの最後の住居、中央墓地、ウィーンのベートーヴェンの散歩道にあるベートーヴェン像なども参照して下さい。
ちょっと時間が経ってしまいましたが、今年の春に久しぶりにモーツァルトのお墓に行きました。
前回ここに来たのはまだ寒かったのでたぶん3~4ヶ月ぶりではなかったかた思います。
ウィーンでお墓と言えばたいてい中央墓地が最初に挙がります。
ここはたくさんの作曲家が眠っていますので音楽に興味がある方にとってはとても重要な場所です。
また中央墓地は映画「第三の男」のラストシーンに登場する並木道があることでも有名です。
モーツァルトのお墓は聖マルクス霊園にあり、中央墓地よりも中心からは近いですが、かなり行きにくい場所にあります。
ウィーンの街を観光する時に必ずと言っていいほど国立オペラ座が位置関係の目安になると思います。
イタリア・ルネッサンス様式で作られたリンク道路最初の大建造物としてプランされたオペラ座は見た目だけではなく、運営状況も想像を絶する規模です。
国立オペラ座は絶対にガイドツアーで見ることをお勧めします。
もっともここは個人で入れるのは公演を見る時だけで、それ以外は国立オペラ座が半ば不定期で提供しているガイドツアーのみで見学が可能です。
私は国家公認ガイドなのでガイドツアーを提供している時間であれば皆様だけを御案内することができます。
実際私はパッケージツアーの皆様や、このホームページから申し込まれた様々なお客様を御案内しています。
この国立オペラ座の舞台の上で、実際にセットを構築しているいくつかのシーンをご紹介します。
すでにこの国立オペラ座については何回か話題にしているので興味ある方は以下も御参照下さい。
ウィーンは音楽の都とよく形容される通り、これだけの有名な作曲家が足跡を残した街は他にはないでしょう。
音楽ファンの方々にとってもウィーンは魅力的な街に違いありません。オーストリアの魅力からすれば音楽は極々一部にしか過ぎませんが、年間を通して仕事をしていると音楽に決して興味があるわけではなくても、モーツァルトやベートーヴェンの後を見たい方は多くいらっしゃいます。一般的なツアーでも音楽家達が眠る中央墓地が観光ポイントに入ることもよくありますし、皆さんとケルントナー通りを通る時にもモーツァルトが亡くなった場所をよく御案内しています。モーツァルトはその中央墓地には記念碑しかなく、聖マルクス霊園にお墓があります。
この聖マルクス霊園・・・St.Marxも年間を通してよく行きますが、モーツァルトのお墓があるにもかかわらず中央墓地と比べると行き難いこともあって数は少ないです。
今年6月後半に久しぶりにモーツァルトのお墓に行ったことを話題にしましたが、8月中旬にこの時のお客様と行った時にはモーツァルトのお墓がなんとなくなっていました!
様々な音楽家が足跡を残したウィーンですから、音楽家をテーマにしたら時間がいくらあっても足りません。
同じ彼らが住んだ住居でも、生家や亡くなった家や活躍していた家などいくつもあります。
普段の生活で街中を歩くだけでの歴史を感じることができるウィーンの街です。
さて、今日はウィーンに住んでいたことがあまり知られていない有名な作曲家について少し触れましょう。
去年も秋のベートーヴェンの散歩道というタイトルで書いていると思いますが、今年も秋の時期にベートーヴェンの散歩道を訪れました。毎年この時期はある大学の研修旅行があり、ウィーンでは必ずベートーヴェンの遺書の家とベートーヴェンの散歩道を訪れます。この大学の皆さんとはご縁があってもう10年ぐらい御案内させて頂いています。今年は皆さんとザルツブルクからウィーンまで7日間一緒で、全日いい天気で青空が広がる素敵なオーストリアを御案内できました。ひとつ残念だったのは遺書の家が改装中だったのでオープンしていなかったことです。
でもベートーヴェンの散歩道には行き、学生さんの先輩達が毎年歩く所を歩いて頂きました。
ウィーンは音楽の都として世界的に知られています。
モーツァルトやベートーヴェンは音楽に詳しくない方でも知っていますね。
でも音楽家の跡はウィーンだけではなく、オーストリアの様々な場所にも点在しています。
最もウィーンは帝国の都であったゆえに当然作曲家達も多く集まることになりますが。
さて、著名な音楽家としてモーツァルトやベートーヴェンの大先輩でもあり、晩年はヨーロッパでも大変に尊敬されたハイドンがいますが、このハイドンがオーストリア人であることを知らない人が意外と多いんですね。
通常のウィーンの観光で音楽をテーマにしたツアーでもない限りウィーンのハイドン博物館を御案内することはまずありません。
でも旧市街の徒歩観光をしている時にはハイドンが皇帝賛歌を作曲した場所をよく御案内することはあります。
そこで今日はハイドンを少し話題にしますがウィーンではありません。私はここをすでに仕事でもプライバートでも何回も訪れていますが、4月の終わりにも行く機会がありました。
うちは新年の夕食の時にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見る習慣があります。と言ってもニューイヤーコンサートが始まるのはウィーン時間の午前中11:15ですから私は毎年、年末から年明けにかけては大晦日や元旦も仕事をしますのでニューイヤーコンサートの時は観光しています。そのため録画しておいたものを夜見るわけですからLIVEで見ているわけではありません。個人的にニューイヤーコンサートはLIVEで見たこともありますが、御存知の通りチケットの値段だって普通のコンサートよりも正規価格でも遥かに高いですからね・・・。毎年11月ぐらいから地元の色々なチケット取り扱い業者から「うちはニューイヤーのチケットが数枚あるから行きたい人がいれば売れますので連絡下さい」というような電話やメッセージが私の所に届きます。でもその時の提示価格は正規価格よりも倍ぐらいの高さになっています。そのような業者ルートから簡単にチケットは入手できますので行く気になれば確実に行けますが、価値観の問題ですからね。2.000ユーロ以上を一枚のチケットに払うか・・・これなら生涯で数回行けば十分という気がします。
ちなみに今年、1月1日の正規価格は1.090ユーロです。
テレビで見るニューイヤーコンサートだっておもしろいですよ。途中に色々な演出があり、会場では見ることができない映像が見られます。
今年のニューイヤーコンサートについての感想を少し書きたいと思います。
ウィーンは"音楽の都"として世界的に知られていますが、音楽の都となるのは17世紀以降からであり、ここは何と言ってもヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城であり、そのハプスブルグ家の下に歴代神聖ローマ帝国に皇帝や王様の称号がありましたから"皇帝の居城"としての街だったので、他のヨーロッパの街と比べると歴史的立場というものが違っていました。逆になぜウィーンが音楽の都になったのか・・・こちらの方がずっと重要だったわけです。もちろんこれだけの作曲家が足跡を残した街はないでしょう。音楽をテーマにしても見切れないウィーンの街ですが、音楽はほんの一部にしかすぎません。
年間を通して音楽をメインテーマとして観光に来られる方は後を絶ちません。歴史が詰まったウィーンの旧市街地ぶらぶら歩きながら意外な所に作曲家が滞在した場所がたくさんあります。
ウィーンは旧市街地だけでなく音楽家の跡は外にも多く点在していますが、モーツァルト以上にウィーンで足跡を残したベートーヴェンは頻繁に郊外にも住んでいましたから、ベートーヴェンの跡が多く点在しています。
年間を通して頻繁に訪れるのがハイリゲンシュタットの遺書の家で、ベートーヴェンをテーマにすればウィーンでは最も多く訪れている気がします。一般ツアーから個人旅行の方々までウィーンで年を越そうという方が非常に多く、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートなどを始め、その時期は独特の空気になりますね。
そんなことから毎年、年末から年始にかけてベートーヴェンの遺書の家に訪れることが多く、今年の暮れから年始にかけてだけでも数回訪れました。
たいていハイリゲンシュタットの遺書の家に行く時にはベートーヴェンの散歩道も訪れますが、今年の始めにベートーヴェンの散歩道に行った時の様子です。
音楽をメインテーマにしてウィーンを訪れる方は中央墓地によく行かれると思います。そこは多くの有名な音楽家が眠っていることで知られ、その場所32A区というのは代名詞的にもなっています。
実際に中央墓地は音楽家だけではなく、色々な分野の著名人達が多く眠っていること、しかし現在でも大半は地元の墓地としてしっかり使われています。ここはもうひとつ映画「第三の男」のラストシーンの並木道があることでも知られ、音楽とは無縁でも映画のファンの方が今でも多く訪れます。32A区にはモーツァルトの記念碑が立っていますが、これをモーツァルトのお墓と勘違いする方が今でも意外と多いようです。モーツァルトのお墓は中央墓地ではなく、St.Marx (聖マルクス霊園)にあります。
今日はモーツァルトの誕生日ですね。
ウィーンと言えば様々な連想をされると思います。
ハプスブルグ帝国の都、音楽、ケーキ、豊かな緑、リンク道路、シェーンブルン宮殿、シュテファン大聖堂とウィーンを思わせる物は切りがありません。
19世紀初頭から流行ってきたウィンナーワルツもウィーンらしさを印象づけるもので、
現在でも様々な所で演奏会が行われていて、手軽に聞くことができますし、また謝肉祭の舞踏会シーズンではなくてはならないものです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも毎年多く取り上げられ、最後には必ずヨハン・シュトラウスの"美しき青きドナウ"が演奏されます。
オーストリアの国営放送も年明けすぐにこの曲を全国ネットで流します。
ヨハン・シュトラウスの美しき青きドナウについては以前もこのコーナーで話題にしていますが、それが作曲されたシュトラウスの住居についてはまだまとめてなかったので今日はそれをテーマにしてみます。
今日2017年2月23日 ... 国立オペラ座の舞踏会(Opernball・・・オペルンバル)は舞踏会シーズン中最も有名な 舞踏会です。 この舞踏会は復活祭がいつ来るかによって開催される日が毎年変動します。
謝肉祭の最高点である火曜日(Faschingsdienstag)の前の週の木曜日と決め られていますので、今年は2月23日の木曜日・・・つまり今日ということになります。
1月6 日の聖三王を過ぎるとウィーンの街は舞踏会が至る所で開かれ、それに伴うカレンダー もあるぐらいです。
ウィーンで生まれたピアノにBösendorfer(ベーゼンドルファー)があります。Bösendorferはスタインウェイ、ベヒシュタインと並ぶ世界3大ピアノのひとつで、こちらのコンサートホールや音楽大学にもよく見られ、一般の音楽愛好家でも家庭にベーゼンドルファーを置いている所もあります。
ウィーンフィルメンバーのプライベートコンサートを話題にしたことがありますが、ここにもベーゼンドルファーが置かれていました。私が以前15年近く19区の一角に住んでいましたが、私の大家さんもよくハウスコンサートを開いていて、家にはベーゼンドルファーが置いてありました。国立オペラ座のマーラーの間にもベーゼンドルファーが置いてあります。日本ではスタインウェイのシェアが圧倒的なシェアですが、ベーゼンドルファーをひいきにしているピアニストは世界でも多くいます。
ベーゼンドルファーはウィーンのピアノ製造業者ですが、現在ではウィーンの国立オペラ座から車で60km程走ったWiener Neustadtに工場があります。
年間を通して仕事をしているとウィーンの街中では様々な偶然に出会います。例えば楽友協会ホールを見学している時に佐渡裕さんが舞台から降りてきたことなどはその一例です。街中を観光している時に突然オーストリアの首相に出会ったりとかウィーンの市長さんに出会ったりとか・・・こんなことも数回ありました。
また、ケルントナー通りを学生さんを連れて案内している時にオーストリア国営放送局ORFのインタビューを受けたことがあり、この時にはその日の夕方にその時の模様がテレビに流れました。
また、ウィーンの中央墓地を御案内している時に地元の有力新聞のインタビューを受けて、2日後にかなり大きく新聞に掲載されたりとか・・・結構思い起こすとありますね。
また、これは私は関係ありませんが、観光をしている時に、お客様の知り合いが偶然その場所にいたこと・・・
日本からそれぞれ別のツアーに参加し、お互いにウィーンで偶然出会ったことなどよくあります。
そのような嬉しい偶然のひとつが先日国立オペラ座を内部見学している時に遭遇しました。
今年は突然に春が来たような感じがします。
3月の最後の週からずっと天気がよくて、日中の気温も25℃近くまで上がり、むしろ初夏の雰囲気です。
このような極端なことがこちらではよく見られます。
緑も多くなり、本来この時期に咲く花も一挙に咲き始めています。
寒かった冬を忘れるかのようにこの空気を地元の人が楽しんでいます。
先日もピクニック状態の市立公園をちょっと話題にしました。
ウィーンのどこの公園でも春の色が見られます。
公園のような大きな墓地に中央墓地がありますが、ここももちろん春の空気が漂っています。
この時期は音楽関係の高校生や特別なツアーが多く、続けて中央墓地に行くことが多いです。
ウィーンの旧市街地で一番美しい歩行者天国と言えばGraben (グラーベン)でしょうか。
ここは300m程の長さの広場のような通りで、ローマ時代には"堀"だった所でシュテファン大聖堂のすぐそばから延びています、
同じGrabenでも今日テーマにするGrabenは全く別の場所にあるTiefer Grabenという通りで,ここにはあまり気付かれることがないベートーヴェンの住居があります。
ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません。約2.000年の歴史を持つキリスト教文化が絵画、建築、音楽など様々な分野に影響を与えました。ヨーロッパの文化に触れるということはキリスト教文化に触れるようなものですね。ウィーンの街はそのキリスト教文化と同じ少なくとも2.000年の歴史を持ち、そのウィーンの街がヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城であり、そしてそのハプスブルグ家のもとに歴代神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号が長くに渡ってあったわけですから、他のヨーロッパの街とは根本的に歴史的な立場が違っていたわけです。
ヨーロッパ文化に触れる手っ取り早い方法は"ウィーンの街を歩く"だけで十分それを感じることができますよ。
その中で街中にたくさんある教会にも是非足を踏み入れてみましょう。外の街並みとは全く違う、敬虔で神聖な空気が素晴らしい建造物に漂います。
そんな教会の中でパイプオルガンの音が聞けたらどんなにいいだろう・・・と思われる方は多いです。
観光中にもどこかでパイプオルガンを聞ける教会はありますか、という質問を年間を通してよく受けます。
夜にも多くの教会で演奏会が行われていますが、団体ツアーの場合は夕食やワルツコンサートなど別の予定がはいている場合が多いです。
そんな時に今日ご紹介するペータース教会のオルガンコンサートはお勧めです。
スタインウェイと並んでウィーンの世界的に有名なピアノメーカーにBösendorfer(ベーゼンドルファー)があります。
日本では圧倒的にスタインウェイが多いと思いますが、ウィーンではたいていの音楽大学にはBösendorferが見られますし、国立オペラ座や楽友協会ホールにだって置かれています。
このBösendorferの工場には仕事で訪れることが多くあり、今年2月の終わりにもまたここを訪れる機会がありました。
ウィーンの国立オペラ座内部の御案内をすることは年間を通してかなり多いです。
ウィーンの国立オペラ座は有名ですから、オペラには興味なくても中をちょっと覗いてみたい・・・と思われる方は多いです。
国立オペラ座はガイドツアーのみで見学することができますので個人的に見ることはできません。
年間を通して不定期ですがドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語、日本語と色々な言葉でガイドツアーが提供されています。
ガイドツアーが始まる頃にはここはものすごく混雑します。
でも私(国家公認ガイド)とであれば私がお客様だけを御案内することができますので快適に観光できます。
その国立オペラ座はものすごい運営状況ですから、その辺をガイドツアーで知りながら見ると改めて国立オペラ座の凄さを実感できます。
今日は久しぶりに国立オペラ座の舞台裏事情というタイトルで普段は見られない状況を紹介します。
国立オペラ座の舞台裏事情1、国立オペラ座の舞台裏事情2、国立オペラ座の舞台裏事情3も御覧下さい。
ウィーンは"音楽の都"と形容されている通り、これだけの有名な作曲家が足跡を残した街は他にありません。
音楽家をテーマにするだけでも時間がいくらあっても足りません。
実際に音楽家達が歩き、楽曲の発想が湧いたこのウィーンの街を歩くだけでも感じるものがあります。
ウィーンでは国立オペラ座や国民歌劇場、楽友協会やコンツェルトハウスといった主要な劇場やコンサートホールでは毎日コンサートが行われ、それ以外だって色々な教会や小さなサロンなど、学生達のコンサートや観光主体の楽しめるコンサートまであらする種類のコンサートが開かれています。
音楽に詳しくなくてもヨーロッパの本当の歴史ある教会での響きを楽しんでみたいという方は多くいらっしゃいます。
所で以前ここでも取り上げたペータース教会の15:00からのオルガンコンサートは非常に手軽です。
このペータース教会はバロックの重要な歴史ある教会ですが、ここはオルガンコンサートだけではなく、Krypta(クリプタ)でも頻繁に演奏会が開かれています。
ウィーンは"音楽の都"とも形容され、これだけ多くの作曲家が足跡を残した街はないでしょう。
クラッシック音楽に興味があれば誰もがウィーンを訪れたいと思うのではないでしょうか。
年間を通して仕事をしていると毎年多くの音楽専門ツアーをアテンドしますが、最もポピュラーな作曲家と言えばモーツァルトとベートーヴェンでしょう。
モーツァルトは住んだ場所は多く残されていますが、博物館としてはモーツァルトハウスウィーンだけです。
ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの遺書の家、パスクヴァラティハウス、エロイカハウスの3つが一般公開されていて、それ以外多くの住んだ場所があります。
このハイリゲンシュタットの遺書の家は年間を通じて頻繁に御案内していますが、今年7月3日から改装工事が行われてしばらくクローズしていましたが、大きくリニューアルされて11月25日にオープニングセレモニーが行われ、以前と同じ時間帯で再び見学できるようになりました。
うちは新年の夕食の時にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見る習慣があります。
と言ってもニューイヤーコンサートが始まるのはウィーン時間の午前中11:15ですから私は毎年、年末から年明けにかけては大晦日や元旦も仕事をしますのでニューイヤーコンサートの時は観光しています。
そのため録画しておいたものを夜見るわけですからLIVEで見ているわけではありません。
個人的にニューイヤーコンサートは過去LIVEで見たこともありますが、御存知の通りチケットの値段だって普通のコンサートよりも正規価格でも遥かに高いですし、入手困難ですからね・・・。
でも毎年11月ぐらいから地元の色々なチケット取り扱い業者から「うちはニューイヤーのチケットが数枚あるから行きたい人がいれば売れますので連絡下さい」というような電話やメッセージが私の所に届きます。
でもその時の提示価格は正規価格よりも倍ぐらいの高さになっています。
そのような業者ルートから数枚であれば比較的簡単にチケットは入手できますので行く気になればほぼ確実に行けますが、価値観の問題ですからね。
2.000ユーロ以上を一枚のチケットに払うか・・・ということですね。
チケット業者によれば今年は例年と比べると、ニューイヤーコンサートのチケット入手が難しいと言われていました。
さて、テレビで見るニューイヤーコンサートはおもしろいです。
途中に色々な演出があり、会場では見ることができない映像が見られます。
今年のニューイヤーコンサートについての感想を少し書きたいと思います。
年間を通して中央墓地に行くことが多くあります。
ここにはベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウスやブラームスなどの有名な音楽家達が多く眠っていて、音楽愛好家には外せない重要な観光スポットとなっています。
世界の墓地の中でこれだけ観光的に有名になっているのはこの中央墓地ぐらいではないでしょうか。
さらにここは映画「第三の男」の最初と最後にも登場し、特にラストシーンの並木道が有名です。
そのため音楽ではなくて、映画ファンも多く訪れるわけです。
この映画は個人的に大好きです。
この中央墓地にはモーツァルトの記念碑はあってもお墓はありません。
モーツァルトのお墓は聖マルクス霊園というここではない別の場所にあります。
ウィーンにはユニークな博物館がたくさんありますが、そのひとつにHaus der Musik(音楽の家)があります。
最もウィーンは音楽の都ですから、音楽ファンの方にとっては特別に魅力的な街だと思います。
これだけの作曲家が足跡を残した街はないでしょう。
音楽の家はクラシック音楽が好きな人だけが楽しめるイメージがありますが、いやいや、ここは有名な音楽家に興味がなくても十分楽しむことができます。
もちろん、歴史に名を残した作曲家達の部屋や、ウィーンフィルコーナーもあるので音楽に興味がある方にとってもおもしろいです。
その音楽の家のユニークなあるものをひとつ話題にしましょう。
オーストリアにおいてクラシック音楽の3大作曲家と言えば、モーツァルト、シューベルト、ハイドンですね。
音楽に興味がない方でも名前は知っているでしょう。
特にモーツァルトは誰でも知っているので親近感があると思いますが、逆にハイドンは有名ですが音楽に興味ない方でも知っているような作品はそんない多くないかもしれませんね。
しかし、ハイドンは当時、ヨーロッパでは一番尊敬された音楽家であり、それこそモーツァルトやベートーヴェンとも親交があり、大きな影響を与えました。
今日3月31日はハイドンが生まれた日ですから、このハイドンの埋葬に関しての有名なエピソードとお墓について少しまとめます。
このコーナーでもハイドンに関することはかなり取り上げていますので参照して下さい。
ハイドンザール、皇帝賛歌作曲の場所、マリアヒルファー教会、ウィーンのハイドン博物館、アイゼンシュタットのハイドン博物館
今年は復活祭が4月1日で去年よりも15日早かったです。
ウィーンは言わずと知れた音楽の都です。
これだけの音楽家が足跡を残した街は他にはないでしょう。
しかし、音楽の都になるのは17世紀以降で、この街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の居城があって、そのハプスブルグ家の下に神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号が長く輝いていたため、ウィーンは皇帝の居城だったわけですから、他のヨーロッパの街とは歴史的な立場が違っています。
皇帝の居城があったとなれば、様々な分野の人が集まって来ますから、音楽はその一部分に過ぎません。
ウィーンがなぜ"音楽の都"と呼ばれようになったか・・・こちらの方がずっと重要です。
有名な音楽家の中で、ベートーヴェン以上にウィーンで多くの足跡を残した人がいるでしょうか?
ウィーンのベートーヴェンの博物館としては、ハイリゲンシュタットの遺書の家、パスクヴァラティハウス、エロイカハウスの3つです。
今日はこのエロイカハウスについて少しまとめます。
昨日の夜にGewitterが来て、今日から涼しくなりました。
気温が10℃は違います。
今年は6月5日に初めて30℃を超え、昨日まで30℃を超えた日が4日しかありませんが、27℃~30℃ぐらいの日がずっと続いて暑い日が多いです。
さて、ウィーンで演奏会に行こうと思うと多くの可能性があります。
楽友協会やコンツェルトハウスで毎日のように演奏会が、また国立オペラ座や国民歌劇場でも毎日異なったオペラやオペレッタを楽しむことができます。
さらに観光客の皆さんが手軽に楽しめる質のいいワルツコンサートや教会でのコンサートなど数えると切りがありません。
所でモーツァルトが生まれたザルツブルクでもザルツブルク音楽祭や復活祭音楽祭などは世界的に知られています。
それ以外でもやはり手軽に行ける小規模なコンサートもいくつかありますが、今日はそのひとつにちょっと触れてみましょう。
ウィーンで有名な作曲家の足跡をたどろうと思うと時間がいくらあっても足りないでしょう。
かつての帝国の都、宮廷文化が栄えたウィーンには様々な人が集まってくることになり、音楽家もその中に入ります。
ウィーンは"音楽の都"ともよく形容されていますね。
作曲家としてとにかく足跡が多いのはベートーヴェンで、彼は80回近くの引っ越しをしたこともあり、
ウィーンの中心部から郊外までベートーヴェンの跡が点在しています。
ウィーンでベートーヴェンの博物館としては、ハイリゲンシュタットの遺書の家、パスクヴァラティハウス、EROICAHAUS(エロイカハウス)の3つが挙げられます。
この中で圧倒的に多く訪れるのは遺書の家で、去年11月25日にリニューアルオープンし、とても充実した博物館に生まれ変わりました。
それに合わせて、パスクヴァラティーハウスの展示内容も以前と比べるとかなり充実しました。
ウィーンの国立オペラ座は重要な歴史的建造物であると同時に、ウィーンの中心部の位置関係を把握する上で観光の目安にもなる建物です。
ここでオペラを鑑賞するのもウィーンの楽しみのひとつです。
それとは別にここはガイドツアーの枠で見学することができ、音楽に興味あ方はもちろん、無い方も内部見学することをお勧めします。
国立オペラ座は年間を通して300回近く上演され、毎日ステージを変えているという凄まじい運営状況です。
ここはガイドの説明があった方が断然おもしろいです。
さて、この国立オペラ座の舞台裏事情として過去すでに何回か書いていますが、今日はそのシリーズの5回目です。
国立オペラ座の舞台裏事情1、国立オペラ座の舞台裏事情2、国立オペラ座の舞台裏事情3、国立オペラ座の舞台裏事情4も御覧下さい。
7月、8月は休暇シーズンであり、また年度末でもあります。
そのため国立オペラ座や楽友協会などでの通常の演奏会はお休みということになります。
9月から新しいシーズン(2018/2019)が始まりました。
それに伴って、国立オペラ座観劇の料金が少し引き上げられましたので、新料金をここに掲載したいと思います。
ウィーンの国立オペラ座は今年9月2日がTag der offenen Türで、初日は9月6日演目はビゼーのカルメンでした。
去年の12月からずっと忙しくて、クリスマスだけを除いて年末年始も休みなく仕事をしました。
昔は昼間の観光の後、夜のナイトツアーなどもやってその後さらに空港にお迎えに行くなんてこともしてましたが、年齢と共に体力の回復が遅くなりますので、今はよっぽど特殊でない限りは夜は仕事をしません。
去年の大晦日はベルヴェデーレ宮殿のあり得ない大混雑に巻き込まれながらも無事に終わって夜は紅白を見ながら家族とのんびり年越しをしました。
元旦は早速仕事を開始しましたが、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートがずっと気になっていました。
ニューイヤーコンサート中に、皆さんに楽友協会ホールの前で御案内するのはちょっと複雑な気持ちになりますね。
私も毎年ニューイヤーコンサートは楽しみにしていまして、今年のニューイヤーを去年からもウィーンフィルのサイトに申し込んでいましたが、抽選で外れてしまいました。
最も当たる確率はほとんどないでしょう。
そんなわけで毎回ニューイヤーコンサートは自宅の特等席で見るわけですが、今年も仕事の後楽しみながら見ました。
今日はその覚え書きです。
ウィーンは様々な形容をされますが、"音楽の都"というイメージが非常に強いと思います。
これだけの音楽家が足跡を残した街は他にないでしょう。
今日はオーストリア3大クラシックの作曲家であるシューベルトの誕生日ですから、シューベルトの生家をちょっと紹介します。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは世界的に有名で、日本からもニューイヤーコンサートが含まれたツアーが毎年多くあり、私も毎年ニュイヤーコンサートを楽しまれるお客様を御案内しています。
今年のウィーンフィルニューイヤーコンサートの覚え書きはこちらからどうぞ。
ニューイヤーコンサートのチケットは入手困難であることは知られています。
値段も通常の演奏会よりも遥かに高い金額になります。
日本からのニューイヤーコンサートが確約されている高額なツアーは別として、正規ルートでチケットを入手しようとすると、これはお金があるからといって手に入るものではありません。
今日はウィーンフィルニューイヤーコンサート2020年の正規料金について話題にしましょう。