ウィーンの街はベートーヴェンが亡くなるまで長く滞在し、多くの引っ越しをしたことでも知られていますが、ウィーンの街にはベートーヴェンに関する博物館がいくつかある中で、
ハイリゲンシュタットの遺書の家がもっともポピュラーでしょうか。
今では閑静な住宅街になっているこの地域はベートーヴェンが住んだ当時はのどかな
田園風景が広がっていました。
この博物館はたったの2部屋しか見学する
スペースがありませんが、ベートーヴェンが32歳の時に遺書を書いたという劇的な
ドラマがあったわけです。
この博物館の奥の部屋がベートーヴェンの
最後の住居からの資料が展示されていて、
そこにデスマスクも見ることができます。
このデスマスクはベートーヴェンが
シュバルツシュパー二エンハウスで1827年3月26日に亡くなってから
すぐに作られたものです。
製作者はJosef Danhauser( ヨーゼフ・ダンハウザー 1805~1845)
というオーストリアビーダーマイヤー時代の画家です。
彼は尊敬するベートーヴェンが亡くなったと聞かされてすぐに、ベートーヴェンの友人であるシュテファン・フォン・ブロイニングにデスマスク製作のお願いをしました。ブロイニングもすぐに了承して、ダンハウザーはベートーヴェンの最後の住居に行くことができました。
ベートーヴェンは3月26日午後遅くに、56歳で、肝硬変で亡くなりました。
その数時間後にダンハウザーは亡くなったベートーヴェンから型を取りました。
ここに見られるデスマスクは石膏による最初の鋳造です。
このデスマスクはその後、ツェルニーの弟子であった作曲家であるフランツ・リストが
所有していました。