国立オペラ座舞踏会(2017年)その1

国立オペラ座の舞踏会(Opernball・・・オペルンバル)は舞踏会シーズン中最も有名な舞踏会です。

この舞踏会は復活祭がいつに来るかによって開催される日が毎年変動します。

謝肉祭に最高点である火曜日(Faschingsdienstag)の前の週の木曜日と決められていますので、今年は2月23日の木曜日・・・つまり今日ということになります。

1月6日の聖三王を過ぎるとウィーンの街は舞踏会が至る所で開かれ、それに伴うカレンダーもあるぐらいです。

あらゆる分野での舞踏会が開かれる中で国立オペラ座の舞踏会がもっとも有名であり頂点に位置します。

 

 

国立オペラ座の舞踏会は準備も大掛かりで、数日前からリンク道路に面した正面入り口をセレモニー的に構築し、

内部の客席空間と舞台空間をつなげて上の写真に見られるように大きな舞踏会上を構築します。

この内部のメイン舞踏会場を構築するというもっとも大変な作業を始め、それ以外の内部での装飾やテーブルなどの配置を含めて約500人の方が仕事をし、合計30時間の準備時間が必要です。

そのため国立オペラ座は舞踏会の前2日間はお休みとなります。

上の写真を見ると一見、どちらに本来の舞台があるのかわからない状況ですね。これは奥の方が通常の舞台空間で

客席側からの光景となっています。本来の舞台とオーケストラピット、客席空間を全部水平に繋げて約80mの大舞踏会場となっています。本来の舞台の場所にもロジェが作られていますね。

 


<国立オペラ座舞踏会の歴史>

 

国立オペラ座舞踏会は、有名なウィーン会議(1814-1815) の時からだとされていますが、場所は宮廷関係の劇場ではなかったようです。

 

そもそも国立オペラ座自体、1868年に完成していますからウィーン会議の50年以上後ということになります。

その1820~30年代、この帝国の都ウィーンでは数々の大小の舞踏会が開かれるようになっていました。

ヨーゼフランナー、ヨハン・シュトラウス(父)が活躍する時代ですね。

それから王宮のレドゥーテンザールで開かれるようになっていきますが、1848年の革命時からはしばらく静かになります。

1862年Theater an der Wienが舞踏会開催を許されました。

1869年にリンク道路の現在の国立オペラ座を宮廷が使い始めますが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がここでの舞踏会を拒んでいたため、1870年に完成したニューイヤーコンサートで有名な楽友協会ホールで "Ball in der Hofoper"として開かれました。

1877年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が賛同し、初めて現在の国立オペラ座の一角で祭典が行われました。

ハプスブルグ帝国崩壊後、オーストリアが共和国となり、すぐに帝国時代の懐かしさから1921年にはすでに舞踏会が開かれました。

 

1935年には「Wiener Opernball」という名で開かれ、1939年第2次世界大戦前日の夜、最後のオペラ座舞踏会が開かれます。

 

戦後壊された国立オペラ座が1955年に修復され、1956年2月9日に現在のオーストリア共和国の初めての国立オペラ座舞踏会が開かれ、現在に至っています。

つまり今年は現在のオーストリアになって61回目ということですね。

 

国立オペラ座舞踏会は世界各国の著名人、貴賓が集まり、男性は燕尾服、女性はイブニングドレスと決められています。

 

 


国立オペラ座舞踏会の様子のビデオが見られますので、興味ある方は御覧下さい。

 

https://www.wiener-staatsoper.at/opernball/   ※国立オペラ座オフィシャルサイトより

 

 

 

 

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