ハイドンザール

ウィーンの楽友協会ホールは、世界で最も音響のいいホールのひとつで、この場所は抜きに出て世界的に有名ですね。

そこまで有名なコンサートホールはありませんが、それでもこのオーストリアには有名なコンサートホールが結構あります。

 

その中で作曲家の名前がそのままホールの名称になっている「ハイドンザール」について少し書きたいと思います。

 

ハイドンはオーストリアでの3大クラッシックの作曲家の1人ですね。

 

ハイドンザールは、ブルゲンラント州の

州都アイゼンシュタットのエスターハーズィ宮殿にあります。

 

この宮殿は、ハンガリーの大貴族エスターハーズィ家(16世紀終わり頃から現在まで続いている)が当初、ハプスブルグ家の土地であったここを、17世紀1622年に借りることから始まり、

1649年エスターハーズィ家のパウル1世の時から、エスターハーズィ家の所有と

なりました。

 

そのパウル1世の時代、イタリアのカルロ・カルローネによって、現在の基本となるバロック様式に改築されました。

 

その後、120年後の18世紀の終わり~19世紀初頭、ニコラス2世によって、新古典主義で、再び改築され、現在に至っています。

 

 

ハイドンザールはこの宮殿内にあります。

 

このホールは、この宮殿が最初にバロック化されたパウル1世の時代、1672年に作られ、当初はハイドンザールという名前ではありませんでした。

 

もともとは演奏会ではなく、舞踏会や晩餐会やセレモニーを目的として作られましたので、当時の床は大理石でした。(現在は木です)

 

天井のフレスコ画は、17世紀後半のもので、カルポフォロ・テンカラによるもので、ギリシャ神話がテーマになっています。

 

壁には、歴代ハンガリー王や支配者(例えばハプスブルグ家の皇帝など)が描かれています。

 

ハイドンはこのエスターハーズィ家に29歳から福楽団長として仕えることから始まり、その5年後には楽団長として、作曲活動、楽団の世話、演奏活動等多忙な生活を送り、彼が58歳の時の1790年に楽団が解散されたことをきっかけに年金生活となります。

 

しかし、その5年後まもなくニコラウス2世が再び楽団を結成し、ハイドンを楽団長として任命したのです。

結果的にハイドンが亡くなる5年前の1804年、彼が72歳の時に、老齢のため仕事がきつくなってきたこともあり、お役目が終わって、フンメルが変わりを務めるわけです。

 

ハイドンを最初に雇ったのは、パウル2世で、ハイドンが29歳の時でした。

 

その時から、エスターハーズィ家のメイン宮殿はこのアイザンシュタットに移ることになります。

つまり、ハイドンはここで人生のかなりを過ごし、その中で様々な演奏をこの宮殿内のホールで行ってきたわけです。

そのためここはハイドンザールという名称で親しまれています。

 

実際、ホールが作られたのが1672年ですから、その約90年後にハイドンがここで活躍することになるわけです。

 

ここは音響もとても定評があり、現在でも頻繁に演奏会も行われ、またその中でもハイドン音楽祭が有名です。

 

この宮殿を見学する時に、ハイドンザールを見ることができ、リハーサル時以外は、ホールに座って、音源はCDですが、音響を楽しむことができます。

 

 

 

 

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