ハイドンのお墓

オーストリアにおいてクラシック音楽の3大作曲家と言えば、モーツァルト、シューベルト、ハイドンですね。

音楽に興味がない方でも名前は知っているでしょう。

特にモーツァルトは誰でも知っているので親近感があると思いますが、逆にハイドンは有名ですが音楽に興味ない方でも知っているような作品はそんない多くないかもしれませんね。

しかし、ハイドンは当時、ヨーロッパでは一番尊敬された音楽家であり、それこそモーツァルトやベートーヴェンとも親交があり、大きな影響を与えました。

今日3月31日はハイドンが生まれた日ですから、このハイドンの埋葬に関しての有名なエピソードとお墓について少しまとめます。

 

このコーナーでもハイドンに関することはかなり取り上げていますので参照して下さい。

ハイドンザール皇帝賛歌作曲の場所マリアヒルファー教会ウィーンのハイドン博物館アイゼンシュタットのハイドン博物館

 

 

以下以前もこのコーナーで書いたハイドンの簡単な生涯です。

ハイドンは1732年3月31日にウィーンから車で東に50km弱走ったRohrau(ローラウ)という Niederösterreichの一角で車大工職人の父のもと、12人の子供の2番目として生まれました。

小さい頃から音楽的才能を見い出されたハイドンは、6歳の時にHainburg an d.Donauの親戚の家に行かされ、そこでウィーンのシュテファン大聖堂音楽学長ロイターの目に留まったのが8歳の時でした。

彼はハイドンをウィーンに連れて行き、ハイドンは9年間合唱団で学びます。

そこでチェンバロ、バイオリン、声楽も学びます。

1749年に変声期のため、シュテファン大聖堂の合唱団を辞めることになり、ここからフリーの音楽家としてウィーンの街にそのまま残ります。

彼が29歳の時にハンガリーの大貴族であるエスターハーズィ家の福楽団長として仕えることから始まり、その5年後には楽団長として、作曲活動、楽団の世話、演奏活動等多忙な生活を送ることになります。彼が58歳の時の1790年に楽団が解散されたことをきっかけに年金生活となります。

この頃からハイドンは拠点をウィーンに定めます。

1790年~1792年,1794年~1795年と2回にわたるイギリス旅行をするハイドンですが、その旅行の間の1793年61歳の時にハイドンはウィーンに家を購入し、65歳から住み始めて最終的にそこで77歳老衰で亡くなりました。

ハイドンが亡くなった場所は現在ハイドンは博物館として一般公開されています。

 

ハイドンが亡くなったのは1809年5月31日で遺体は現在ウィーン12区のハイドン公園になっている当時のHundsturmer(フントシュトゥルマー)墓地に埋葬されました。

その後1820年にハイドンの遺体は彼が人生の中心的な場所であったアイゼンシュタットにあるハイドンが長く仕えたエスターハーズィー家の重要な教会でるベルク教会に移されました。

この時にハイドンの頭蓋骨が無くなっていたということです。

 

どうやらエスターハーズィー家の書記官であったローゼンバウムとい刑務所長のペーターの仕業とされていて、埋葬の8日後に再びここを掘り返して頭蓋骨を持ち去ったということです。

当時流行っていた骨相学(と表現していいかわかりませんが)のためということになっています。

大作曲家ハイドンを調べるためだったのでしょう。

つまり、頭蓋骨無しでアイゼンシュタットに移されることとなったわけです。

その後、ペーターは警察に偽のハイドンの頭蓋骨は渡し、本物の頭蓋骨はローゼンバウムによってペーターに残されました。

その後ハイドンの頭蓋骨は色々な人の手に渡り、1895年楽友協会に流れ着き、1953年までここに保管されていました。

そして1954年にアイゼンシュタットに移されました。

ハイドンは145年ぶりに五体満足になったわけです。

 


 

上の2枚の写真がそのベルク教会です。

この教会はエスターハーズィー家のパウル1世のプランにより1705年に建築が始まりましたが、途中の中断もあり1803年になったやった奉納されました。

ハイドン教会とかカルヴァリエンベルク教会などとも呼ばれています。

左の写真はこの教会のバロック様式が見られますが、ハイドンが眠っているのはこの部分の真後ろに接続された場所です。

右上の写真が後ろの部分でこちらが教会の入口となります

 


 

いつか時間がある時に取り上げますがこの教会に入ると正面に主祭壇があり、円形のフレスコ画が印象的です。

教会入口のすぐ左に扉があり、そこを開けると左上の写真に見られるハイドンの霊廟があり、そこに大理石のハイドンのお墓が置かれています。

ちなみにここに入るためには入場料がかかりますので、たいてい係がいますから声をかけて下さい。

係がこの扉の鍵を開けてくれます。

この霊廟は1932年に作られました。

ハイドンの晩年の傑作であるオラトリオ "四季" がテーマとなっています。

霊廟内には四季を表す4つの像が立っています。

 

ここはハイドンファンの方にとって聖地となる場所のひとつですね。

 

 

 

 

 

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