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Heilige Drei Könige (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)が終わるとクリスマス休暇も終わりという感じで、昨日の1月7日から学校も始まっているのですが、今年は12月26日からの3回目のロックダウンのお陰で今年はオンライン授業で始まっています。現時点ではそのロックダウンが1月24日まで延長されています。
クリスマスのイルミネーションはまもなく取り外されるので、今日はシリーズ最後です。ウィーン街中のイルミネーション、ウィーン街中のイルミネーション2、ウィーン街中のイルミネーション3、ウィーン街中のイルミネーション4をお届し、お陰様で好評を頂きました。
こちらはウィーンのどこだかすぐに気づく方は多いと思います。
赤の丸いイルミネーションとそのわきには渦巻き模様のイルミネーションが設置されていますね。
昼間見るとこの大きな丸はかなり濃い赤で、まるでくす玉のように見えます。
実際にこれが初めて設置された時には大晦日のカウントダウンの直後、新年を迎える時にくす玉のように割れると思っていた地元の人が多かったです。
渦巻き模様は明らかにウィーンの世紀末時代の画家"クリムト"を意識しているように思われます。
ここはシュテファン大聖堂からは国立オペラ座とは反対方面であるRotenturmstraßeで、ウィーンのイルミネーションの中でもちょっと特殊な雰囲気です。
こちらはシュテファン大聖堂があるシュテファン広場です。
イルミネーションと言うよりも、例年通りここに立つクリスマスツリー🎄を最後に登場させたかったんですね。
毎年クリスマス市が出てる時はシュテファン大聖堂もゴシック様式が浮かび上がるようなライトアップをするのですが、今年はこのクリスマスツリーだけが飾られました。
寂しいですね。
それでもここで立ち止まって写真を撮っている多くの人を見ました。
今年は活気あるいつものクリスマスがウィーンの街に見られることを願っています。
今日から学校も始まり、クリスマス休暇が終わって、通常のウィーンの生活が戻ってきました。
しかし、1月24日までは3度目のロックダウン中ですので、学校はオンライン授業です。
昨日1月6日は"Heilige Drei Könige"で、ベツレヘムからの星に導かれて3人の学者がイエスを拝みにやって来るという有名な話からの祝日でした。
この日まではクリスマスの習慣があり、たいていの家庭ではクリスマスツリーがそれまでは飾られています。
このシーンを表したジオラマが"Weihnachtskrippe"(ヴァイナハツクリッペ)で、アドヴェント時期から教会やクリスマス市、家庭などに多く見られ、クリスマスツリーと一緒に飾ります。
ウィーンの旧市街一角にあるミノリーテン教会のWeihnachtskrippeはよく知られていて、毎年必ず飾られます。
私のこのサイトでも毎年ここのWeihnachtskrippeを紹介するのも伝統となっています。
この教会の中に入って主祭壇を正面に見て右側に見入ってしまう大きなWeihnachtskrippeが飾られています。
このWeihnachtskrippeはとても手が込んでいて、登場人物が一部動く演出もされていて、見るものを別世界に誘い込みます。
ベツレヘムの生活風景が演出されていて、イエスとマリアは一番左側にいます。
水も流されていて、そのせせらぎの音が心地良さと敬虔さを与えてくれます。
かなり大きなジオラマなので、それぞれの場所では個別の生活風景の空気が感じられます。
正面から見た全体の写真を撮るのが場所的に難しいのが残念です。
ミノリーテン教会は個人的に好きなゴシック様式の教会で、王宮のそばにあっても閑静な広場の一角にあります。
ここのゴシック様式のアーチも素敵で中世の面影があります。
またこの教会にはレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のモザイクがあることでも知られています。
今日1月6日は"Heilige Drei Könige" (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)というキリスト教の祭日です。
日本では"祭日"という表現はもう存在せず、現在では全て"祝日"と表現しますが、聖三王のこの日はキリスト教の宗教儀礼上の休日なので祭日と呼んでもでもいいのかなと思います。
heilig・・・聖なる、drei・・・3、Könige・・・王様達という日本語訳ですから"聖三王"となりますが、よく習慣的に東方三博士、東方三賢者とも言われています。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して今日までは飾っておく習慣になっています。
新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。
しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。
それぞれの名前と彼らがイエスに捧げる物は以下の通りです。この3人は大陸の象徴でもあります。
カスパール (アジアを象徴)
没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場
メルキオール (ヨーロッパを象徴)
黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場
バルタザール (アフリカを象徴)
乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場
これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。
この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。
ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。
クリスマスの時期には上の写真で見られるように、イエスを拝みに来るシーンを演出したWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)というものが多く見られます。
今回はChristkindlの切手を掲載しましたが、多くはジオラマ的で、クリスマスツリーと一緒に飾る習慣があります。
こちらはお正月はたいして重要ではなく、三が日もありませんので、社会は1月2日から普通に始まりますが、今日までクリスマス休暇を取っている人も多いです。
去年のクリスマスは新型コロナウィルスのお陰で、クリスマス市も中止となり、全くと言っていい程観光客もいない地元だけの寂しいクリスマスとなりました。
それでも例年通りウィーンの街中はクリスマス時期のイルミネーションが設置されましたが、それも年が明けてまもなく終わりになります。
Heilige Drei Könige (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)が終わるとクリスマス休暇も終わりという感じで、次の日の1月7日から学校も始まるわけですが、今年は12月26日からの3回目のロックダウンのお陰で学校開始は18日の週からということになっています。
さらに昨日そのロックダウンが1月24日まで延長されるという発表がありました。
クリスマスのイルミネーションはまもなく取り外されるので、その前にもうちょっとイルミネーションの街並みを紹介します。
先日はウィーン街中のイルミネーション、ウィーン街中のイルミネーション2、ウィーン街中のイルミネーション3をお届し、お陰様で好評を頂きました。
こちらはいかにもウィーンらしい・・・というかかつての帝国の都を思わせるイルミネーションですね。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家に詳しい方はこのイルミネーションを見た瞬間にすぐオーストリア帝国の帝冠(ルドルフ2世の帝冠)であることがわかります。
そのヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の下に歴代神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号があったので、このウィーンという街は皇帝の居城として永く君臨してきたわけです。
この通りはグラーベンを横切ってペータース教会に通じているHabsbrugergasse(ハプスブルグガーガッセ)です。
まさにハプスブルグ家の名前がそのまま通りに名前になっています。
こちらはグラーベンのシュテファン大聖堂側とは反対側のほぼ延長上にあるBognergasseです。
この通りには有名なエンゲル薬局があり、奥にはAm Hof、右側にはTuchlaubenがあります。
この地域は何年も前からウィーン旧市街の新たなショッピング地区として高級店が並ぶようになりました。
高級時計が多く扱われているWAGNER、ヴィトン、右にはPRADAが見えていますね。
ここはグラーベンのような華やかさはない少し閑静なしかし洗練された空気が感じられる通りで、ここには円柱形のイルミネーションが施されています。
日本では三が日が終わり、菅首相が東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏1都3県での緊急事態宣言再発令の検討をしているようですね。
アジア人は感染者数が少なく、こちらと比べると死亡者数は少ないですが、圧倒的に検査数が少ないこともよく挙げられます。
さて、カレンダーではクリスマスも終わりましたが、クリスマスツリー🎄も一緒に年を越します。
1月6日の"Heilige Drei Könige"まではイエス・キリストの話が続くからです。
さて、ウィーン 街中のイルミネーション、ウィーン 街中のイルミネーション 2 をお届けしましたが、街中には個性あるイルミネーションが見られるのでまたいくつか紹介します。
こちらはウィーン旧市街のDorotheergasseです。
Dorotheergasseは中世の頃、グラーベンの南側にある2つの畑地域の境であり、15世紀にSt.Dorothea修道院が設立されたことから通りの名前になっています。
実はこの通りは最初に話題にしたSpiegelgasseの隣で、ほぼ平行に通っています。
こちらは細長い棒のようなものが4本一組で角度を変えながら設置されています。
何となくロウソクを思わせますが、シンプルですね。
雑踏を避けてこのような通りを歩くだけでも歴史を感じるウィーンです。
早いもので明日が大晦日です。
こちらは1月6日のHeilige Drei Könige(聖三王)の休日までクリスマスの習慣があります。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して飾っておく習慣になっています。
先日はウィーン 街中のイルミネーションを話題にして好評を頂いたので、今日は別の場所のイルミネーションをお届けします。
こちらはバロック様式の建物が並ぶ美しい通りのAnnagasseです。
ここには素敵な天井フレスコ画が見られるアンナ教会があります。
ここのイルミネーションは楽譜になっていて、それがいくつも灯されているのが見えます。
五線紙の上にあるト音記号や音符がおもしろいですね。
この奥にはHaus der Musik(音楽の家)という有名な博物館やこの界隈にはウィーン市立音楽大学やウィーン国立音大などもあるのでその環境に相応しいイルミネーションと言えますね。
"音楽の都" ウィーンらしいです。
こちらは歩行者天国のイルミネーションとは違いますが、非常に目立ったのでここに取り上げました。
ウィーンに詳しい形方であればここがどこだかすぐお分かりになるでしょう。
こちらは国立オペラ座の真横にある有名なカフェGerstner(ゲルストナー)です。
2017年の3月まではKärntnerstraße のシュテファン大聖堂に近い所にGerstnerがありましたが、現在のこの場所に引っ越して、新しいカラーである薄緑を強調して営業しています。
ちなみにかつてのGerstnerにはSULKA(スルカ)が入っています。
建物の4階まで届くようなクリスマスツリーです。
このクリスマスツリーをよく見れば地面の水準からすでに演出されています。
去年は毎日多くの人が立ち止まってここの写真を撮っていましたが、今年は本当に寂しいクリスマスでした。
今日のウィーンは6:45の時点でマイナス6℃と今年一番の冷え込みとなりました。
昨日同様太陽が見られるいい天気になりそうですが、予報では日中1℃・・・寒いですね。
昨日12月26日は特に"Stephanitag"(シュテファニーターク)とも呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂でお馴染みの聖人シュテファヌスの日でした。
クリスマスもカレンダーでは終わってしまいましたが、今日は日曜日です。
昨日はSteyr(シュタイアー)のそばにあるChristkindl(クリストキンドル)を話題にしました。
ここには知られた巡礼教会が立っていて、この時期多くの人が訪れるわけですが、ここは巡礼する人だけではなく、別のあることで多くの人を集めています。
教会を右に見ながらその横を通って行くと、すぐ裏側にはGasthaus(レストランとして食事、宿泊がいっしょにできる施設)があります。
ここの名前は"Christkindlwirt" で、この建物の中には毎年クリスマス時期に限ってオーストリアの郵便局が出張してきます。
左の写真はこの建物の中に見られる郵便局の案内板で、POSTAMT CHRISTKINDLと書かれています。
この手前の所にちょとしたコーナーがあって、そこで色々なクリスマスカードが売られています。
ここには郵便局の係が待機していて、クリスマスカード(絵葉書)を持ってない人はここで買えます。
奥へ入ると右上の写真のような空間にいくつかのショーケースが置かれていて、記念切手などが紹介されています。
ずっと奥に係が座っている窓口が設けられているので、そこで準備したクリスマスカード(絵葉書)を出します。
先日うちは何枚かここで出しましたが、最初に枚数分の切手を購入して、この空間でクリスマスカードを書いて、係に渡しました。
なぜ郵便局がここに?
こちらではクリスマス時期にはクリスマスカードを贈る習慣があります。
"クリスマスおめでとう・・・そしてまた来年いい年でありますように・・・"
というような内容で、親しい人達に贈ります。
クリスマスカードに来年のことも書くので、年賀状という習慣はありません。
そもそも新年は年の初めという感覚だけで全くと言っていい程重要性はありません。
オーストリアではプレゼントを持って来るのはサンタクロースではありませんね。
Christkind・・・子供のキリストがやって来るわけで、この街の名前は巡礼教会と同じ
"Christkindl"ですね。
ここからクリスマスカードを出せば、この街の
消印である"CHRISTKINDL"が押されます。
これを受け取った人々に、Christkindからのクリスマスカードが届いたんだな・・・と夢を与えることができるわけです。
右の写真は2017年にここで買った切手です。
オーストリア国内に出したので、68セントとなっていて、東方三博士(三賢者)がイエスを拝んでいます。
その時Christkindlで出したクリスマスカードがうちにも無事に届きました。
ちゃんと"CHRISTKINDL"の消印が押されています!
今日12月26日も第2クリスマスの日ということでお休みです。
今日は特に"Stephanitag"(シュテファニーターク)とも呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂でお馴染みの聖人シュテファヌスの日です。
年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスですが、今年は異例でした。
しかも今日から3度目のロックダウンに入ります。
本来の習慣からすれば12月23日までがクリスマスの空気を楽しみ、24日からは今までの盛り上がりが嘘のような静かな街の空気に変わります。
多くは家族とクリスマスを過ごしますので、クリスマスツリーの装飾やプレゼントの演出、食事などの準備に追われます。
もう何度も書いていますが、クリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、子供のキリスト・・・"Christkind"(クリストキント)が持って来ます。
オーストリアでは伝統的にサンタクロースは絶対に登場しません。
クリスマス市も"Christkindlmarkt"と一般的に言われます。(今年は残念ながら中止となりました)
うちにも夕食後、しばらくしてChristkindが多くのプレゼントをクリスマスツリーの下に置いて行きました。
さて、今日はここ数年この時期に話題にしているChristkindlです。
オーストリアには"Christkindl"という名の街があることを御存知でしょうか?
地元ではもちろん知られた街で、観光的にもかなり知れ渡ってきています。
"Christkindl"という街はOberösterreichの一角で、リンツからだと車で40kmぐらい南に行った美しい街 Steyr(シュタイアー)のStadtplatzからさらに4km程離れた所にあり、徒歩だと50分ぐらいかかります。
ここはSteyrの行政区に入る人口2.000人弱の小さな町ですが、ここには有名な巡礼教会とレストランぐらいしかありません。この巡礼教会ができるにあたって有名な伝説があります。
<Christkindlの伝説>
Steyrに住んでいたFerdinand Sertlはこの地域の楽団長であり、火元見回り人をしていました。
彼は癲癇(てんかん)に悩まされていたこともあり、孤独を好んでいたということです。
1695年か1696年に彼はSteyrの修道女から12cmの大きさのワックスで作られた茨の冠をかぶった子供のイエス・キリストの磔刑像(CHRISTKIND)を買いました。
それをトウヒの木の幹に彫られた空間に捧げ、毎日このイエス像の前でお祈りをしたそうです。
するとまもなく彼の病気が治ったということです。
この話がまたたく間に広がって、奇跡を求める多くの人が訪れる巡礼場所となりました。
1699年にはこのトウヒの木の周りに木製の礼拝堂が作られました。
1702年にはこの地域GarstenのAnselm修道院長が石の教会にするきっかけを作り、建築家Giovanni Battista Carloneに依頼しますが、パッサウ司教の許可が下りず、次の年には中断してしまいます。
結果的に1708年に許可が下りますが、その時にはCarloneがこの世を去っていたので、メルク修道院をバロック化したことで知られるJakob Prandtauerが引き継いで、1725年7月26日に奉納されました。
現在でもここは重要な巡礼教会として知られています。
左上の写真はこの巡礼教会で、右上はこの教会内部の主祭壇です。
教会の正面は2本の塔が印象的なバロック様式です。
真ん中にも塔があるように見えますが、これはドームになっています。
この教会を作らせた修道院長Anselmのコンセプトではローマにある有名なパンテオンをベースにしています。
この主祭壇はオーストリアでは非常に珍しいスタイルで、初期ロココ様式となっています。
それは祭壇の枠というものが全くなく、そのまま空間に置かれていて、Tabernakel(タベルナーケル)という聖櫃が黄金の球体となっています。
このタイプのものはオーストリアにはここを含めて3つしか例がありません。
この球体の上に伝説の12cmのキリスト像が奉られています。
左上の写真が伝説のChristkind像です。
これがこの巡礼教会と街の名前になっています。
右上の写真は入口部分とパイプオルガンです。
この教会の内部はひとつのホール的空間しかなく、脇にはいくつかの祭壇があります。
右の写真は天井フレスコ画で、マリア被昇天を表していて、1710年、Carl von Reslfeldによるものです。
この天井ドームの形からわかるように、教会内部空間はこの円形の一空間しかありません。
逆に言えば天からの光がこのドームを通して内部に入り込んでくるという支配性を感じます。
左の写真はこのChristkindl教会を後ろから見ています。
正面とは全く違い、ドーム部分が強調されているのがわかります。
このすぐ左に見えている建物がレストラン"Christkindlwirt"(クリストキンドルヴィルト)でここが特別に重要な意味を持つ場所となります。
右の写真はこの教会の正面左側に掲げられている記念プレートです。
さて、ここは宗教的に巡礼としてこの教会に訪れる方が非常に多いわけですが、それとは別にAdvent時期には数え切れない程多くの人が訪れます。
その続きは明日にしましょう。
クリスマスは年間を通して一番大事な行事でしょうか。
宗教的には復活祭が一番重要ですが、生活の中ではクリスマスです。
今年は新型コロナウィルスの影響で一時的にも大きく生活が変わり、異例のクリスマスとなりました。
それでも12月7日より段階的緩和されて、商店なども営業を再開し、クリスマスまでの残された時間に何とかクリスマスプレゼントを買ったりとか、クリスマスツリーを選んでいる人を多く見かけ、それなりに街中は活気を感じました。
しかし明日から3度目のロックダウンに入ります。
昨日はクリスマス・イヴ、うちにもChristkindがやって来て、たくさんのプレゼントをクリスマスツリーの下に置いて行きました。
ところで12月24日のクリスマス・イヴはこちらでは一般的にどのように過ごすのでしょう?
12月24日は地元ではたいてい家族と共に過ごすクリスマスで、遠くに住んでいる人もこの時期には帰ってきて、家族皆でクリスマスを過ごします。
皆さんが家庭でいわゆるクリスマスパーティーを行いますが、実際には"クリスマスパーティー"などという名称はほとんど聞かれません。
アドヴェント時期に会社などで開かれる時はクリスマスパーティーという人もいますが、クリスマス・イヴの時にはこの表現は普通は使われません。
家族皆が集まり会話をしながら、プンシュを飲み、夕食をし、そしてプレゼント交換を楽しむわけです。
家族がそれぞれ持ち寄ったプレゼントは、クリスマスツリーの下に置かれるという習慣になっています。
そのためツリーの下にはたくさんのプレゼントが、Christkindによってもたらされたというわけです。
そうです・・・こちらではサンタクロースなんか登場しません。"Christkind"がやって来ます。
小さい子供がいる家庭ではChristkindが実際にプレゼントを持って来るということを信じさせて、夢を持たせて演出します。子供達は時が来るのをそわそわして待つわけです。早くプレゼントをもらいたいですからね。
夕食は何を食べるかというと・・・
魚を食べる習慣が現在でも多く見られます。
その中でも鯉なども多く食べられ、また鱒やカマスなどを食べる人も多いでしょうか。
フライで食べる人もいれば、ソテーにして食べる人もいると思います。
これは「魚」がキリストのシンボルとして古来から使われてきた・・・ということも理由のひとつです。
うちは毎年お寿司を食べる習慣です。
ちなみにチキンを食べることは外から住み着いた人は別として地元人であまりないでしょうか。
当時アメリカに移民したオランダ人達は、慣れない土地で、今までのように家畜を飼うことは最初は難しかったようです。そこでチキンを食べることから、始まったとされています。
夕食が終わると、いよいよBescherung(ベシェールング)といわれるプレゼント交換です。
この時に歌われるものが、昨日紹介した「きよしこの夜」です。
この曲は地元の人にとっては、特別な曲であり、一般的なクリスマスソングとしては区別されていて、クリスマス時期にひっきりなし聞かれるわけではありません。
この曲はこのプレゼント交換の前だけにこの歌を歌う地元の人が多いと思います。
できればギターの伴奏で歌うべきとされています。
それはオリジナルがギターの伴奏で演奏されたからですね。
この曲が歌われる時はかなり敬虔な雰囲気になりますね。
冗談を言い合うような雰囲気ではなく、かなりセレモニー的な空気になります。
歌い終わって、皆さんと「Frohe Weihnachten!」(フローエ・ヴァイナハテン・・・クリスマスおめでとう)と言いながら、共に抱き合います。
その後、お互いにプレゼントをその場で開いて皆さんで楽しむわけです。
その後は年間を通してこの時だけは夜の教会のミサに行く人も多いと思います。
これは日本で言う初詣のような感覚に近いですね。
12月25日、26日はお休みです。
私は今まで多くのオーストリアの家庭のクリスマス・イヴを経験しました。
それぞれの家庭の習慣によりますが、多くはこのような流れでクリスマス・イヴが過ぎていきます。
うちも家族と毎年このようにクリスマス・イヴを過ごしています。
先日の日曜日がAdventの第4日曜日となり、Adventkranzに4本目のロウソクが灯されました。
いよいよ今日がクリスマスですね。
こちらでは今日の午前中にクリスマスツリーを装飾する人が多いと思います。
うちも先日買ったクリスマスツリーを今日まで庭のテラスに立てかけておきましたが、今日の昼過ぎには部屋に入れてネットを外して飾ります。
ウィーンの街は午後から晩にかけてとても静かになり、多くの人が家で家族とクリスマスを過ごします。
遠くに住んでいる人も実家に戻って来て、家族皆で食事をし、クリスマスを祝う人が多いと思います。
家庭によってそれぞれの習慣があるとは思いますが、食事の前や後にBescherung(ベシェールング)と言われるプレゼント交換をするわけですが、この時に"きよしこの夜"が歌われます。
クリスマスソングとしてクリスマス時期にしょっちゅう流れているイメージがありますが、オーストリアではこのプレゼント交換のこの時、1回だけ、しかも敬虔な気持ちで歌われます。
このきよしこの夜はこの国オーストリアから生まれたことは御存知でしたか?
今年も私のホームページの伝統としてこの曲をクリスマス・イヴの話題にしたいと思います。
ザルツブルク中心から車で約20kmぐらい走った所にOberndorf(オーベルンドルフ)という人口5600人程の小さい街があります。
その街の一角に、この写真に見られるStille Nacht Kapelle(シュティレ・ナハト・カペレ・・・きよしこの夜礼拝堂)が立っています。
ここにはもともと聖ニコラウス教会が建っていました。
当時そのニコラウス教会で、1818年、ここの教会のオルガンの状態がとても悪く、弾ける状態ではなかったようです。
その年のクリスマスの12月24日にはそのオルガンをミサで使うことができませんでした。
そこでこの教会のヨーゼフ・モール神父が詩を書き、フランツ・グルーバー先生がその詩に曲をつけ、ここの壊れたオルガンの代わりにギターで伴奏されてその時歌われた曲・・・それが「きよしこの夜」(Stille Nacht) だったのです。
モール神父とグルーバー先生によって"きよしこの夜"が作られて歌われた当時のニコラウス教会は、19世紀終わりのザルツァッハ川の何回かの水害によって傷んでしまったため、最終的に1913年に取り壊されることになります。
その取り壊しから20年以上経った後の1937年8月15日、当時のニコラウス教会と同じこの場所にこの写真に見られるように現在の礼拝堂が奉納されました。
ちなみに現在でもこのOberndorfにはこのきよしこの夜記念礼拝堂から1km離れた所に新しいニコラウス教会が立っていて活躍しています。
この新しいニコラウス教会は1906年に建築が始まり、1910年に完成しています。
礼拝堂の中はシンプルな構造となっています。
上の2枚の写真は礼拝堂内部に見られるステンドグラスです。
左側がヨーゼフ・モール神父で、神父の下には当時のニコラウス教会も描かれています。
モール神父は詩人ではありませんでしたが、きよしこの夜の詩は、1816年にすでに書かれていたということです。
右側はグルーバー先生でギターを持って演奏していて、その下にはやはりニコラウス教会が描かれています。
彼ももちろん知られた作曲家ではありませんでした。
こちらは礼拝堂の主祭壇です。
この中はシンプルな小さな礼拝堂で、記念館的な雰囲気が感じられますが、現在でも宗教的に使われています。
"きよしこの夜"は、1818年・・・今から200年近く前にここで歌われ、その後「Stille Nacht! Heilige Nacht!」と呼ばれ、チロルの有名なツィラータールを経由し、ヨーロッパ全土に、そしてアメリカに・・・やがて日本にまでと、世界中に知られるようになったのです。
この曲なしのクリスマスは考えられませんね。
こちらではプレゼント交換をする前に必ずと言っていいほどこの曲が歌われます。
「きよしこの夜」は全世界330の言語で現在でも歌われ、親しまれています。
このきよしこの夜は2011年に無形文化遺産にも登録されました。
一昨年2018年はこの"きよしこの夜"が生まれた200周年記念でした。
オーストリア造幣局はきよしこの夜200周年記念硬貨を発行しています。
今年は新型コロナウィルスの影響でクリスマス市も中止となり、3度目のロックダウンが明後日やって来るという異例のクリスマスとなりましたが、クリスマスを祝う伝統習慣は全く変わることがありません。
皆さんも良いクリスマスを!
Frohe Weihnachten!
今日のウィーンは朝6:30の時点で11.6℃もあり、この時期にしては暖かい日となりそうです。
でも残念ながら晴れマークは見られないようです。
先日の日曜日にAdventkranzに4本目のロウソクが灯され、明日がクリスマスです。
今年はクリスマス市も開かれず、観光客で賑わうウィーンの街が全く見られない異例のクリスマス時期となりました。
去年のクリスマス市をいくつか掲載しましたが、今日はシュテファン大聖堂の去年のクリスマス市です。
ウィーンのシンボルのひとつであるシュテファン大聖堂は素晴らしいゴシック様式で、街の真ん中に立っています。
このシュテファン大聖堂を祭壇側の方へ向かって囲むようにクリスマス市が出ています。
シュテファン大聖堂のクリスマス市は1999年から始まっていますのでもうすっかり地元に定着しています。
シュテファン大聖堂のクリスマス市は今年11月15日が初日で、私は初日にここで今年最初のプンシュを飲みました。
この場所はケルントナー通りとグラーベンが交わる所にあり、また地下鉄1号線と3号線が通っていることもあって、いつも多くの人が行き来しています。
場所的にいいので、仕事帰りの地元の人が多く集まるクリスマス市です。
左上はプンシュが売っている屋台ですが、かなりの混雑です。
中心にありながらも観光客より地元の人が多く訪れている傾向です。
仕事帰りに同僚や友達と語りながらプンシュを飲んでいる人の姿を多く目にします。
屋台のイルミネーションもゴシック様式の大聖堂を思わせます。
今日ここに紹介した写真は11月15日のこのシュテファン大聖堂のクリスマス市の初日に撮影したものです。
初日でもこの時はかなりの盛況です。
ほんのちょっとの時間でもプンシュを飲みながらクリスマスの空気を感じて歴史あるウィーンの街に佇み、物思いに耽るのもいいでしょう。
今日のウィーンは朝6:30の時には3.3℃でした。
昨日は冬至だったので、これから日が徐々に長くなっていくわけですね。
ウィーンの街中には例年通り多くのクリスマスツリーを売る業者が見られます。
この時こそは彼らが主役と言わんばかりにこの時期の風物詩となっています。
うちも土曜日にクリスマスツリーを買いました。
クリスマスツリーのもみの木はこちらでは"Christbaum" (クリストバウム)と呼ばれていて、本物のもみの木にちゃんと装飾をして飾る習慣があります。
そもそも、"本物のもみの木"という表現がこちらの人からすると滑稽だと思います。
おもちゃのツリーを飾る習慣はないからです。
生活の中では年間を通して一番重要な行事がクリスマスです。
(宗教的には復活祭ですが)
ところでなぜクリスマスにもみの木を飾るのでしょうか?
まずクリスマスの習慣を参照して下さい。
ここで書いている通り、以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①
その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②
農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、これは紀元前217年頃からあったとされています。
③
北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、 収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
さて、クリスマスツリーの原型は、上述した③の北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで使われていたのがもみの木です。
冬でも葉を枯らさずにいる・・・これが生命の象徴とされていました。
こうした「祭りごとを行う時に、もみの木を飾る」という行為は今のドイツにも伝わり、キリスト教の普及と共にキリスト教でもその習慣を引き継いで行きました。
1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が精霊救貧院にツリーを飾ったことが最初の、クリスマスツリーをクリスマスに飾った記録とされています。
常緑樹を飾ったのはなぜでしょうか?
日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。
そのような歴史的背景から現在に見られるクリスマスツリーを飾る習慣があるわけですね。
今日がアドヴェントの第4日曜日ですね。
Adventkranzに最後のロウソクが灯されます。
今年は新型コロナウィルスの影響で異例のクリスマスとなり、しかも12月26日からは3回目のロックダウンとなるオーストリアです。
それでも街中でクリスマスツリーを売る業者がラストスパートと言わんばかりに頑張っています。
こちらは毎年必ず本物のもみの木を飾ります。
(そもそも"本物"という表現自体を聞くことはほとんどないです)
うちも昨日の土曜日の午後にクリスマスツリーを買いました。
もみの木はTannenbaum(タンネンバウム)とドイツ語で呼ばれますが、特にこのクリスマスツリーのもみの木は、ここオーストリアではChristbaum(クリストバウム)と呼ばれています。
オーストリアではクリスマスプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなくChristkind(クリストキント)ですからね。
背丈が高いものから低いもの、全体の形が整っているものなど様々です。
もみの木にも種類が多くあります。
オーストリアは林業も重要な産業であり、計画的な植林をしているため、もみの木がなくなることは絶対にありません。
毎年時期になると選ばれたもみの木が切られて売られるために運ばれてきます。
うちは毎年家の近くに出る業者からクリスマスツリーを買いますが、その業者はNiederösterreichのWaldviertelに広大な林業地を所有する地元で有名な業者で、家族経営ですがウィーンを始め周辺にいくつかの販売スポットを出しています。
毎年ここで買うのでうちはもう顔を覚えられていて、ちょっとした世間話になります。
この時期が年間を通して一番忙しい時期で、1月6日が過ぎると彼らは休暇に入るそうです。
でもその後、何もしないかというとそうではなく、切り取ったもみの木の根を掘り起こして、新しいもみの木を植える作業が待っていて、さらに成長しているもみの木も当然管理しなければいけないので、非常に大変だということです。
平均的に植えてから10年前後のもみの木が一番需要があるということです。
そのぐらいのもみの木が普通の家庭に飾る高さに適しているんでしょうね。
うちが昨日買ったクリスマスツリーは2.5mの高さがあり、うちは毎年比較的大きめのツリーを飾ります。
上の写真はグラーベンやショッテン教会前でクリスマスツリーが売られている様子です。
グラーベンという美しい歩行者天国には、この時期にいくつかのツリーを売る業者が出るので、ツリーが売られているグラーベンはやはりこの時期にしか味わえない空気です。
ツリーはネットに包まれて運ばれ、ネットが外されてKreuzと呼ばれる十字型の木に立てられて売られています。
右の写真では木製のKreuzが置かれているのが見えます。
クリスマスツリーが売られている場所には、必ず円形の物が置かれています。
クリスマスツリー(もみの木)の形はどれも一緒なので適当に大きさと値段で選んですぐに買う・・・ということにはなりません。
実際に飾ることを思い浮かべて、どのくらい緑が密集しているか、真っすぐであるか、均等であるか、ツリーの先が美しいか、全体のシルエットが美しいか・・・などポイントがいくつもありますので選ぶのは結構時間がかかります。
どれを買うか決めたら、Kreuzが欲しいか欲しくないか聞かれますが、どこの家庭にもたいていKreuzの代わりにクリスマスツリーを支える専用のものがあるので普通はKreuzは要りません。
開いているツリーをこのままを運ぶのは不便ですし、しかもクリスマスまではまだ時間がありますから緑が乾いてはいけないのでもう一度ネットに包むわけです。
そこで前述した上の写真に見られるこの円形の物が大活躍をします。
ツリーの根本部分からこの円形の中にツリーを通していくと、狭くなっていく円形の中を通りながらツリーの葉が折りたたまれて、同時にツリーがネットでくるまる・・・という中々便利な物です。
今年もうちで買ったツリーを私と子供とでネットに包ませてもらいました。
それなりの力が必要です。
今年は重かったですね。
ネットで包んだ状態で持ち帰ります。
12月24日にもみの木の葉が緑であることが重要ですから、あまり早く飾ってしまうと乾燥してしまいます。
うちも昨日買ったクリスマスツリーはネットで包まれたまま庭のテラスに立てかけてあります。
この時期はクリスマスツリーを持って帰る人の姿が頻繁に見られ、車の上に買ったツリーを乗せて走っている光景もよく見られます。
ウィーンには約300のクリスマスツリーを売る場所があり、この業者の本拠地であるNiederösterreich州からのクリスマスツリーが350.000本も売られます。
今日のウィーンは朝7:00の気温が2.5℃、うちの界隈はかなり濃い霧が立ち込めています。
今日も曇りの予報で、暗い空になりそうです。
オーストリアでは12月7日より規制が段階的緩和されて、商店なども営業を再開してはいるものの、クリスマス市もクローズとなり、クリスマスらしくない異例のクリスマス時期となっています。
それでもクリスマスまで1週間を切り、ここ数日続けて中心部を歩いているのですが、コロナ禍とは思えない人出で、クリスマスプレゼントを早く買わないと・・・という空気が伝わってきますね。
それなりに活気がありますが、やはり寂しさを感じます。
クリスマスツリーを売る業者がいつもの場所でクリスマスの空気を盛り上げてくれています。
今日はウィーンの街中のイルミネーションをお届けします。
コロナ禍であっても例年通り、ウィーンの街中のイルミネーションは見られます。
こちらはケルントナー通りです。
たいてのガイドブックではウィーンの一番の目抜き通りと紹介されていて、国立オペラ座とシュテファン大聖堂を結んでいます。
ウィーンを個人で観光する人はここを何度となく歩くと思います。
3大歩行者天国の中では一番長く、ローマ時代から存在していた歴史ある通りです。
ここは細かいイルミネーションがカーテンのように垂れ下がり、その中には大きな4つの星が輝いていて、それが左右交互に取り付けられています。
これは昨日の光景です。
こちらはGraben (グラーベン)のイルミネーションです。
Grabenはケルントナー通りとシュテファン大聖堂の間にあるStock im Eisen Platzからコールマルクトまでの約300mで、広場のような通りで、ウィーンでは最も美しい歩行者天国です。ここにはペスト記念柱も立っています。
ローマ時代ヴィンドボナの頃は堀になっていた所なので、堀=Grabenということです。
ここのイルミネーションは鳥が羽ばたいているような雰囲気で、左右の建物に全部で10個取り付けられています。
イルミネーションがない通常のグラーベンも美しいですが、この時期はひと際印象的です。
多くの人が立ち止まって写真を撮っています。
左側にたくさんのクリスマスツリーが売られているのが見えますね。
本来この場所にはプンシュスタンドがあって、人々が語り合っている光景が見られるのですが、今年はプンシュが飲めなくて残念です。
家で作ろうと思います。
こちらはコールマルクトです。
3つの歩行者天国では一番短く、200mぐらいの通りで、グラーベンとミヒャエル広場を結んでいます。ここには高級店が多く並んでいることで知られ、有名なDEMELもあります。
ここは満天の星のように小さなイルミネーションが無数に灯されていてまるで銀河のようです。
写真はグラーベン側からの眺めです。
この奥に王宮のミヒャエル宮が見えるのですが、ここではほとんどわかりません。
イルミネーションがなくてもこれらの通りはウィーンらしくて上品さがあり、歩くだけで楽しくなりますが、クリスマス時期はまた雰囲気が違います。
今日のウィーンは朝6:30の時点で3.1℃でした。
天気予報では久しぶりに晴れマークが出ていますね。
オーストリアでは12月7日より規制が段階的緩和されて、商店なども営業を再開してはいるものの、クリスマス市もクローズとなり、クリスマスらしくない異例のクリスマスの時期となっています。
やっぱりこの時期、ウィーンでのクリスマス市を掲載しないのは寂しいので、先日去年の市庁舎のクリスマス市を掲載した所、予想以上に好評を頂きましたので、今度は去年のシェーンブルン宮殿のクリスマス市をお届けします。
今年2019年のシェーンブルン宮殿のクリスマス市の初日は11月23日で、26回目のクリスマス市となりすっかり地元に定着しています。
ここ数年は昼間のシェーンブルン宮殿のクリスマス市を掲載しましたが、今年は夕暮れからのライトアップが素敵なシェーンブルン宮殿のクリスマス市です。クリスマスツリーが宮殿前庭中央に立てられて、それを囲むように楕円形的に屋台が並びます。
クリスマスツリーの高さは18m、Niederösterreichのウィーンの森からのもので、11月6日にここに立てられました。
もみの木ではなくトウヒです。
このぐらい背丈があるもみの木はかなり時間がかかるので、大きな広場などに置かれるクリスマスツリーはトウヒが使われます。
このクリスマスツリーは今年ちょっと話題になりました。
それは通常のように切り倒したわけではなく、木が立ったまま切り出されたからです。
このツリー自体にも、また周りの木も保護できるという大きな利点があります。
バロック様式の美しいシェーンブルン宮殿の幻想的なライトアップを楽しみながらのクリスマス市は他とはちょっと違います。
地元の人も多く訪れ、もちろん観光客の皆さんも楽しめますからここは他とは違った空気です。
観光客が多く集まる重要なスポットですが、地元の人は歴史的背景を詳しく知らなくても、(もしくはもう忘れてしまっている)ウィーンにこの建物があるというちょっとした誇りを持っているように感じられます。
最もウィーンの街は歴史的建造物が多く建ち並んでいるので、ウィーンのどこのクリスマス市も街並みや建造物と綺麗に調和しています。
屋台を見ても正直な所、買いたい物があるか・・・と言うとそうではないかもしれません。
その時に偶然何かいい物が見つかれば・・・みたいな感覚です。
一番大事なことはこのクリスマスの雰囲気を味わうことでしょう。
早いものでもうすぐアドヴェントの第3日曜日で、ADVENTKRANZには3本目のロウソクが灯されます。
年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスですね。
クリスマス時期のウィーンの街はとても素敵です・・・と今年も楽しみにしていたのですが、新型コロナウィルス拡大防止のため再ロックダウンが11月3日から始まり、途中で規制が強化されて12月7日より段階的緩和されて、商店なども営業を再開している状況です。
今年は一時的にも大きく生活が変わり、異例のクリスマス時期となりました。
クリスマス市もクローズとなり、クリスマスらしくないクリスマスを迎えようとしています。
新型コロナウィルスのことを聞いた時にはまさか、こんなことになるとは夢にも思いませんでした。
毎年色々なクリスマス市の模様を掲載しているのですが、今年はそれができず残念で仕方ありません。
そこで、今日は去年2019年の市庁舎のクリスマス市の模様をお届けします。
今年で34回目を迎えたウィーン市庁舎のクリスマス市は11月15日が初日となりました。
フランドル風ゴシック様式の立派な市庁舎の素敵なライトアップを背景に、夢のようなイルミネーションが施されています。
今年も去年と同じスタイルですが、市庁舎公園などには新しいイルミネーションも多く見られます。
写真は12月7日17:45頃です。
アドヴェントの第2土曜日ということで、物凄い混雑となっていました。
毎年恒例の"Frohe Weinachten" が見られます。これはクリスマスおめでとう・・・ということですね。
こちらではクリスマス市のことを"Christkindlmarkt"と言います。
クリスマスプレゼントを持って来るのはChristkind・・・子供のキリストだからです。
オーストリアではサンタクロースは装飾やマスコット以外には絶対に登場しません!
だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うわけですから、プレゼントを持ってくるのはChristkindです。
ここは地元人から観光客まで多くの人が集まり、連日賑わっています。
どこのクリスマス市もそうですが、たいていはプンシュスタンドが混み合います。
花よりだんご・・・ですね。
屋台の数は154です。
実際に多くの屋台が出ていても、欲しい物がそうそう多くあるわけではありません。
しかし、このような美しい歴史的建造物を背景にした空間に足を運んで、ウィーンの街に流れるクリスマスの空気を楽しむわけですね。
大好評のスケートリンクも今年も初日にオープンし、3.000m²のスケートリンクには子供から大人まで多くの人が滑っています。
御存知だと思いますが、通常この市庁舎前のスケートリンクはクリスマス市が終わり、カウントダウンも終わって年が明けた1月後半からオープンしていましたが、2016年からはクリスマス市と同時にスケートリンクの一部もオープンしています。
ウィーンのChristkindlmarktは歴史があって700年以上前に遡ります。
ハプスブルグ家のアルブレヒト1世が1296年に、ウィーンの商人達に"12月市"を開くように特権を与えたことから来ています。
今年の市庁舎前に立てられたクリスマスツリーは32m、樹齢130年、Salzburg州から運ばれたものです。
ウィーンの市庁舎前広場に立てられるクリスマスツリーは毎年オーストリアの色々な州から運ばれます。
アドヴェントクランツにロウソクが1本灯されているのが見えますか?
今日のウィーンは朝7:00で3.5℃、日中も5℃ぐらいで、しかも雨マークが見られ、太陽がすがたを見せないどんよりとした1日になりそうです。
ここ数日はずっと空はグレーですね。
クリスマスがどんどん近づいて来ていますね。
今年は11月3日以降の再ロックダウンが12月6日まで続き、クリスマス市も中止となる異例のAdvent時期となりました。
それでも一昨日ADVENTKRANZに2本目のロウソクを多くの人が灯したはずですし、ニコロの習慣もきっと各家庭で楽しまれたはずです。
12月7日より、再ロックダウンの規制が少し緩和されたことにより、商店も感染対策をしっかりした上で営業を再開しています。
クリスマス市は中止になっても、クリスマスプレゼントが無いクリスマスはあり得ない・・・やはりこれからクリスマスプレゼントを買う人が多くなるはずです。
ちなみにKMU Forschung Austriaによればこの再ロックダウンでの地元商業の損失はウィーンだけでも300.000.000ユーロということですから相当なものです。
多くの人は家族とクリスマスを過ごします。
そのため、それぞれにクリスマスプレゼントを渡すので買い物も大変です。
さて、今日はウィーンではクリスマスプレゼントに何を贈るかという傾向を見てみましょう。
右の表は今年2020年度のクリスマスに何を贈るか・・・という統計で、オーストリアの経済情報新聞Wiener Wirtschaft2020年12月3日号に掲載されていたものです。
本が一番多く、おもちゃ、商品券がベスト3となっています。アルコールやタバコが好きな人にとっては、クリスマスプレゼントとしてもらうのは嬉しいのでしょうか。
クリスマスは年間を通して一番重要ではありますが、誕生日ではないのでプレゼントは高価な物ではなくても、気の利いた物がよしとされていることからも納得できます。
実際には一人に買うわけではなく、複数のプレゼントを用意するわけですから、金銭的にも1人だけにそう多くはかけられません。
本 | 43% |
おもちゃ | 35% |
商品券 | 33% |
衣料品 | 32% |
香水、化粧品 | 23% |
嗜好品(酒、コーヒー、タバコなど) | 16% |
現金 | 16% |
ここでちょっと私の過去の経験をお話しします。
当時付き合っていた彼女にクリスマスプレゼントをどうしようかと考えていました。
彼女は当時、新車に乗っていてスノータイヤが必要になっていたんです。
タイヤまとめて4つは結構高いので出費がかさむな~と嘆いていたのを見て、そうだ、スノータイヤをクリスマスプレゼントにすればいい、これはいいアイデアだと自信を持って提案しました。
(本来クリスマスプレゼントは相手に内緒で用意しますが、この場合は状況的に先に提案しました)
彼女の反応はとっても驚いて、同時に呆れたようにスノータイヤをクリスマスプレゼントにするなんて、何ロマンのないこと言ってるのと、半ば怒られて「Sicher, nicht!」とハッキリ断られました。
自分は役に立つものだし金銭的に助かるだろうと思ったんですけどね・・・。
まぁ、確かにクリスマスプレゼントがスノータイヤなんて夢が無さすぎますね。(笑)
この統計ではウィーンの85%の人がクリスマスプレゼントを買い、1人の平均支出額は320ユーロとなっています。
今年は新型コロナウィルスの影響で予算も去年と比べたら少ないということです。
どうしてクリスマスプレゼントを買うかということについては
70%が相手を幸せにさせることが、自分の喜びであると答え、
伝統であると答えた人は36%、
相手も自分にプレゼントしてくれるからと答えた人は17%でした。
こちらではクリスマスプレゼントを持って来るのは、Christkind(クリストキント)・・・子供のキリストで、サンタクロースではありません!
クリスマス習慣はクリスマス市がオープンする頃から実感できますね。
ウィーンでは本来11月初旬にはクリスマス市が登場し、その後続々と例年通りの場所にクリスマス市が始まるはずでしたが、今年は残念ながら再ロックダウンとなり、クリスマス市どころではなくなりました。
それでもクリスマスは年間を通して一番重要な習慣ですから、12月7日以降に商店がオープンしたら多くの人が買い物に走ると思いますし、クリスマスツリーを売る業者も準備を始めています。
さて、そのクリスマスにはプレゼントをもらう習慣がありますね。
オーストリアでサンタクロースがプレゼントを持って来るなんて言うと、地元の多くの人に苦笑いをされてしまいます。
では誰がプレゼントを?
それはChristkind(クリストキント)・・・子供のキリストと昔から決まっています。
だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うためのもの・・・だから子供のキリストがプレゼントを持って来るわけです。
じゃあサンタクロースは誰か?
それはカトリックの有名な聖人ニコラウスが原型というのが一般的で、今日12月6日は聖ニコラウスの日です。
ニコラウスは小アジア(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。
貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。
よくある有名な彼のエピソードは、年頃3人の娘を持った、貧しい父親の話です。
お金がなかったので、娘達を嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。
その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に投げ込まれた・・・ということです。
何かピンと来ますね!
もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達がニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・ということです。
<ニコラウスがサンタクロースへ変化していく>
小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。
現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。
1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアのBari (バーリ)に持たらされ、そこにニコラウスの教会が作られました。 現在でもそこは有名な巡礼教会です。
その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。
やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀、オランダ人達が移民していき、その時にこのニコラウス習慣をアメリカに持って行きました。
St.Nikolaus はドイツ語では、ザンクト・ニコラウス、英語でセント・ニコラウス・・・オランダ語ではSinterklaas・・・これがアメリカから"サンタクロース"というカタカナ書きで日本に入って来たわけです。
日本はアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけですが、こちらオーストリアではサンタクロースがプレゼントを持って来ることはあり得ません。
12月6日は良い子にしている子供達にはニコラウスがやって来る・・・こちらでは"ニコロ"とも愛称で呼ばれています。
悪い子供にはKramps (クランプス)・・・鬼が来ることになっていて、その日は昨日の12月5日です。
<こちらの子供達のニコラウス習慣>
自分の靴をきれいに磨いておいて、12月6日ニコラウスの日の前日の12月5日夜寝る前に、自分の部屋の窓に置いておきます。
そこでニコラウスが良い子の所に現れて、その磨かれた靴の中に、食べ物を入れるという習慣があります。
その食べ物は落花生、みかん、リンゴ、チョコレートなどで、この冬に食べ物がある・・・という象徴なんですね。
実際に靴を磨いている子供達はそんなに多くないかもしれませんが、この12月6日に食べ物やちょっとした小さな贈り物をもらうことは現在でもとてもポピュラーな習慣です。
地元ではNikolo(ニコロ)と呼ばれ、この時期の大事な習慣として生活に浸透しています。
今日12月6日はニコラウスの日、だからクリスマスにはもう登場しません。
クリスマスにプレゼントを持って来るのはChristkindです。
サンタクロースはドイツ語では"Weihnachtsmann"と呼ばれ、直訳すれば”クリスマスの男“になり、クリスマス時期のポピュラーなキャラクターとして、装飾として登場、クリスマスの雰囲気を盛り上げる仕事をします。
今日のウィーンは朝6:45の時点ではマイナス2℃・・・かなり冷え込んでいます。
外に駐車されている車のフロントガラスはみんな凍っています。
車に乗る人がこの氷を削り落とす光景がよく見られます。
こんな一場面でもウィーンの冬を感じます。
さて、12月に入りコロナ禍でもクリスマスがどんどん近づいています。
ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません。
絵画、建築、音楽などはキリスト教と密接な関係があり、現在の私達の生活や習慣にも大きな影響を与えています。
キリスト教のことが少しでも見えてくると、ウィーンをもっと楽しめます。
Adventskranzなどはこのクリスマス時期には欠かせないもののひとつですね。
そのキリストが誕生したことを祝うのがクリスマスであり、年間を通して生活の中ではクリスマスが一番重要です。(宗教的には復活祭が一番重要ですが)
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからもそれが窺えますが、今年は残念ながらコロナ禍でのクリスマスを迎えることになります。
今日はそのクリスマスという習慣はどのように始まったかについて少しまとめます。
現在世界の多くの国が、12月25日の「クリスマス」を祝います。
ドイツ語ではWeihnachten (ヴァイナハテン)と呼ばれています。
このクリスマスというのはどこから生まれたのでしょうか?
313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。
聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。
当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。
キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかったわけです。
言い方を変えれば、コンスタンティヌス帝は当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも思えます。
以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、
太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、
これは紀元前217年頃からあったとされています。
③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、
収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
これらの習慣が現在私達の時代のクリスマスのベースになっていたわけです。
人間が今まで築き上げた歴史の長さから比べれば、私達はそのほんの一部分しか生きられないわけですから、この現在のクリスマスの習慣が何百年後かには変わっているかもしれませんね。
早いもので11月も最終日となりました。
今日の朝7:00のウィーンの気温は3℃、曇り空ですが昨日同様、午後には青空が出そうです。
もっともウィーンは広い街ですから同じウィーンでも気温がかなり違うことがあります。
私が住んでいる所は緑が多いのでマイナス1℃、でも中心のSchwedenplatz辺りに来たら+2℃でした。
今日の朝は今年初めての雪です。
かなり水分が多い雪ですので、うちの方は薄らと白くなっていましたが、中心界隈は白さは見られません。
昨日の11月29日はアドヴェントの第1日曜日でした。
ADVENT(アドヴェント)とはクリスマスイヴから遡って4回の日曜日を数えるわけで、早くクリスマスが来ないかな~・・・とわくわくしながら待つ時期のことです。
このアドヴェントの重要な習慣として"ADVENTSKRANZ"があります。
ADVENTKRANZ(アドヴェントクランツ)とは一般的にもみの木の葉をこのように円形にし、そこに4本のロウソクが立っているというものです。
アドヴェント第1日曜日にロウソクを1本灯します。
うちでも昨日夕食の時に1本目を灯しました。
右の写真は今年のうちのAdventkranzで、今年は白いロウソクを使い、奥さんが制作している(Tomofelt)熊を飾っています。
写真だとLEDロウソクに見えるかもしれませんが、しっかり火が灯されていますよ。
次に来週アドヴェントの第2日曜日に2本目を灯しますが、この時にすでに灯した1本目も同時に灯します。
アドヴェントの第3日曜日に3本目を灯し、すでに灯した2本も同時に灯します。
そしてアドヴェントの第4日曜日に4本目を灯し、すでに灯した3本も同時に灯します。
つまり4本全部灯されて、その週にクリスマスがやって来る・・・というわけです。
今年は12月20日がアドヴェントの第4日曜日となりますね。
4本のロウソクを同時に灯さなければならないため、ロウソクを灯し切らないようにする必要があります。
<ADVENTKRANZはどのように生まれたか?>
もともとADVENTKRANZは、1839年、プロテスタントの神学者で教育者のJohann Hinrich Wichern (1808–1881) によって導入されました。
その理由は、とても貧しい子供達がAdventの時期にしょっちゅう「いつクリスマスが来るの?」と聞いてきました。
そこで彼は、20本の赤い小さいロウソクと、4本の白い大きなロウソクでこの現在のADVENTKRANZの形をしたカレンダーを作ったのです。
毎日赤い小さなロウソクが1本ずつ灯され、日曜日ごとに大きな白のロウソクが灯されました。
これによって子供たちがクリスマスまでの日数を数えることができたのです。
カトリックにこのADVENTKRANZが登場するのは1925年ということです。
ADVENTKRANZは街中の色々な所で見られます。
オーソドックスな形は上の写真のように円形ですが、ロウソクが横1列に4本並んでいるものや、4つのロウソクの大きさが初めから違っているものなどそれなりにバリエーションがあります。
クリスマスがいつ来るのかわくわくしながら待つこちらの子供達はアドヴェントカレンダーをもらう習慣もあります。
カレンダーと言っても紙をめくっていくものではなく、12月1日から12月24日までの数字がランダムに配置され、該当の日の数字をやぶると中からチョコレートなどが出て来るというものです。
うちの場合は何年もレゴのアドヴェントカレンダーを子供にプレゼントしました。
毎日違った形のブロックが中から登場するというものです。
おもちゃ屋さんに行くと、趣向を凝らした子供向けのユニークなアドヴェントカレンダーがたくさん売られています。
こちらは白馬亭のアドヴェントカレンダーです。
ここは毎年数回宿泊するので、誕生日カードやクリスマスカードなどを毎年贈ってくれます。
このアドヴェントカレンダーは去年送られてきたものです。
それぞれの数字の中にはチョコレートが入っていました。
ちなみにここ数年ADVENTSKRANZ(アドヴェンツクランツ)という言い方が多く見られるようになり、実際私も2018年と2019年ではADVENTSKRANZと表現していましたが、それはドイツで主流になっているだけであり、どうもピンと来なかったんですね。
ここはオーストリアですからやっぱりADVENTKRANZと表現するべきです。
オーストリアは今でこそヨーロッパのひとつの小国かもしれませんが、この国がヨーロッパに与えた、そして残した歴史的、文化的影響は計り知れないものがあります。
歴史あるオーストリアは四季を通じて伝統や習慣が多く見られます。
これらはしっかりと次の世代へと受け継がれています。
年間を通して生活で一番重要な習慣はクリスマスでしょうか。
(宗教的には復活祭ですが)
クリスマスの空気はひと月以上も続き、そこからしてその重要性を感じます。
本来であれば今頃はクリスマスで盛り上がっているウィーンの街ですが、今年は新型コロナウィルスの影響で再ロックダウン中となっていて、昨日も街をちょっと歩いてみましたが、カールス教会前のクリスマス市も全く屋台が立てられていませんでした。
市庁舎のクリスマス市は12月7日以降オープンの希望を持っているかのように、進められていた準備はそのままになっていました。
そんな外出規制がある中で、今日はADVENTの第1日曜日を迎えました。
ADVENT (アドヴェント)はクリスマスがあとどのくらいしたら来るんだろう・・・とわくわくしながら待つ時期のことです。
日本語でアドヴェントでもいいと思いますが、待降節とか降臨節とも呼ばれています。
ADVENTはラテン語のadventusから来ていて、「到着/到来」を意味します。
もともとAdventus Domini(ドイツ語でAnkunft des Herren)で直訳すると主の到着、そこから人間世界へのキリストの到来・・・という意味です。ちなみにこのアドヴェントはローマカトリックの習慣で、正教会にはそこまで普及していません。
参考までにキリスト教の成立も御興味があればどうぞ。
アドヴェントはクリスマスイヴから遡って約4週間の期間で、厳密にはクリスマスイヴ前の一番近い日曜日から遡って4回の日曜日を数えます。
もし12月24日がたまたま日曜日であればそのイヴの日が4回目の日曜日となります。
3年前の2017年は12月24日がアドヴェントの第4日曜日となりました。
アドヴェントの第1日曜日は一番早くて11月27日、一番遅くて12月3日となります。
2016年は11月27日がアドヴェントの第1日曜日となりました。
今年は11月29日・・・つまり今日がアドヴェントの第1日曜日となります。
"アドヴェント"は古代ローマでは皇帝や王様の到着を意味していたようですが、宗教的にも神が神殿に到着するということで用いられ、後のキリスト教がその習慣をキリスト到着として担って行きました。
この形となるのは1038年、皇帝コンラート2世の時代から、そして1570年にローマ教皇ピウス5世が定めたようです。
ローマカトリックやプロテスタントではこのアドヴェントの第1日曜日から新しい年が始まりますので、教会的には"元旦"ということになりとても重要な日です。
アドヴェント時期のウィーンの街も素敵なのですが、今年は残念ながら楽しめたとしても限られていて短い期間となりそうです・・・。
ウィーンの歩行者天国のイルミネーション、ウィーン歩行者天国のイルミネーション2、ウィーン街中のイルミネーション3、ウィーン街中のイルミネーション4の4回にわたってウィーンの街中のイルミネーションを話題にした所、好評を頂きましたのでイルミネーションがまもなく取り外される前に最終回をお届けします。
こちらはちょっとシンプルなイルミネーションで、のれんのように垂れ下がったものがいくつも設置されています。
ここはウィーン旧市街のWollzeileです。
Wollzeileはバーべンベルク時代からあった通りで、現在のリンク道路の外側のウィーン川へと通じていて、さらにずっとハンガリーまで通じている重要な商業通りという歴史を持っています。
13世紀半ばにはWollezeilという名称で呼ばれていましたが、1827年から現在のWollzeileという呼び方になっています。
毛織工や毛織業者がここにあったことが通りの名前の由来となっています。
こちらはウィーンのどこだかすぐに気づく方は多いと思います。
赤の丸いイルミネーションとそのわきには渦巻き模様のイルミネーションが設置されていますね。
昼間見るとこの大きな丸はかなり濃い赤で、まるでくす玉のように見えます。
実際にこれが初めて設置された時には大晦日のカウントダウンの直後、新年を迎える時にくす玉のように割れると思っていた地元の人が多かったです。
渦巻き模様は明らかにウィーンの世紀末時代の画家"クリムト"を意識しているように思われます。
ここはシュテファン大聖堂からは国立オペラ座とは反対方面であるRotenturmstraßeで、ウィーンのイルミネーションの中でもちょっと特殊な雰囲気です。
昨日から学校も始まり、クリスマス休暇が終わって、通常のウィーンの生活が戻ってきました。
一昨日1月6日は"Heilige Drei Könige"で、ベツレヘムからの星に導かれて3人の学者がイエスを拝みにやって来るという有名な話からの祝日でした。
この日まではクリスマスの習慣があり、たいていの家庭ではクリスマスツリーがそれまでは飾られています。
このシーンを表したジオラマが"Weihnachtskrippe"(ヴァイナハツクリッペ)で、アドヴェント時期から教会やクリスマス市、家庭などに多く見られ、クリスマスツリーと一緒に飾ります。
ウィーンの旧市街一角にあるミノリーテン教会のWeihnachtskrippeはよく知られていて、毎年必ず飾られます。
私のこのサイトでも毎年ここのWeihnachtskrippeを紹介するのも伝統となっています。
この教会の中に入って主祭壇を正面に見て右側に見入ってしまう大きなWeihnachtskrippeが飾られています。
このWeihnachtskrippeはとても手が込んでいて、登場人物が一部動く演出もされていて、見るものを別世界に誘い込みます。
ベツレヘムの生活風景が演出されていて、イエスとマリアは一番左側にいます。
天使が真ん中に立ち、水も流されていて、そのせせらぎの音が心地良さと敬虔さを与えてくれます。
かなり大きなジオラマなので、それぞれの場所では個別の生活風景の空気が感じられます。
正面から見た全体の写真を撮るのが場所的に難しいのが残念です。
真ん中に天使が立っていますね。
ちなみに右側の地面に置かれている禁止マークは写真ではなく"触らないで下さい"と書かれています。
ミノリーテン教会は個人的に好きなゴシック様式の教会で、王宮のそばにあっても閑静な広場の一角にあります。
ここのゴシック様式のアーチも素敵で中世の面影があります。
またこの教会にはレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のモザイクがあることでも知られています。
Heilige Drei Könige (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)が終わるとクリスマス休暇も終わりという感じで、今日1月7日から学校も始まります。
通常のウィーンの生活が戻って来ました。
クリスマスのイルミネーションはまもなく取り外されるので、その前にもうちょっとイルミネーションの街並みを紹介します。
先日はウィーンの歩行者天国のイルミネーション、ウィーン歩行者天国のイルミネーション2、ウィーン歩行者天国のイルミネーション3をお届し、お陰様で好評を頂きました。
こちらはいかにもウィーンらしい・・・というかかつての帝国の都を思わせるイルミネーションですね。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家に詳しい方はこのイルミネーションを見た瞬間にすぐオーストリア帝国の帝冠(ルドルフ2世の帝冠)であることがわかります。
そのヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の下に歴代神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号があったので、このウィーンという街は皇帝の居城として永く君臨してきたわけです。
この通りはグラーベンを横切ってペータース教会に通じているHabsbrugergasse(ハプスブルグガーガッセ)です。
まさにハプスブルグ家の名前がそのまま通りに名前になっています。
こちらはグラーベンのシュテファン大聖堂側とは反対側のほぼ延長上にあるBognergasseです。
この通りには有名なエンゲル薬局があり、奥にはAm Hof、右側にはTuchlaubenがあります。
この地域は何年も前からウィーン旧市街の新たなショッピング地区として高級店が並ぶようになりました。
高級時計が多く扱われているWAGNER、ヴィトン、右にはPRADAが見えていますね。
ここはグラーベンのような華やかさはない少し閑静なしかし洗練された空気が感じられる通りで、ここには円柱形のイルミネーションが施されています。
今日1月6日は"Heilige Drei Könige" (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)というキリスト教の祭日です。
日本では"祭日"という表現はもう存在せず、現在では全て"祝日"と表現しますが、聖三王のこの日はキリスト教の宗教儀礼上の休日なので祭日と呼んでもでもいいのかなと思います。
heilig・・・聖なる、drei・・・3、Könige・・・王様達という日本語訳ですから"聖三王"となりますが、よく習慣的に東方三博士、東方三賢者とも言われています。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して今日までは飾っておく習慣になっています。
新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。
しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。
それぞれの名前と彼らがイエスに捧げる物は以下の通りです。この3人は大陸の象徴でもあります。
カスパール (アジアを象徴)
没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場
メルキオール (ヨーロッパを象徴)
黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場
バルタザール (アフリカを象徴)
乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場
これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。
この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。
ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。
クリスマスの時期には上の写真で見られるように、イエスを拝みに来るシーンを演出したWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)というものが多く見られます。
多くはジオラマ的で、クリスマスツリーと一緒に飾る習慣があります。
こちらはお正月はたいして重要ではなく、三が日もありませんので、社会は1月2日から普通に始まりますが、今日までクリスマス休暇を取っている人も多いです。
カレンダーではクリスマスも終わりましたが、クリスマスツリー🎄も一緒に年を越します。
明日1月6日の"Heilige Drei Könige"まではイエス・キリストの話が続くからです。
さて、ウィーン歩行者天国のイルミネーション、ウィーン歩行者天国のイルミネーション2をお届けしましたが、街中には個性あるイルミネーションが見られるので歩行者天国ではありませんがまたいくつか紹介します。
こちらはウィーン旧市街のDorotheergasseです。
Dorotheergasseは中世の頃、グラーベンの南側にある2つの畑地域の境であり、15世紀にSt.Dorothea修道院が設立されたことから通りの名前になっています。
実はこの通りは最初に話題にしたSpiegelgasseの隣で、ほぼ平行に通っています。
こちらは細長い棒のようなものが4本一組で角度を変えながら設置されています。
何となくロウソクを思わせますが、シンプルですね。
雑踏を避けてこのような通りを歩くだけでも歴史を感じるウィーンです。
こちらは1月6日のHeilige Drei Könige(聖三王)の休日までクリスマスの習慣があります。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して飾っておく習慣になっています。
先日はウィーンの歩行者天国のイルミネーションを話題にしましたが、好評を頂いたのでまた別の場所のイルミネーションをお届けします。
こちらはバロック様式の建物が並ぶ美しい通りのAnnagasseです。
ここには素敵な天井フレスコ画が見られるアンナ教会があります。
ここのイルミネーションは楽譜になっていて、それがいくつも灯されているのが見えます。
五線紙の上にあるト音記号や音符がおもしろいですね。
この奥にはHaus der Musik(音楽の家)という有名な博物館やこの界隈にはウィーン市立音楽大学やウィーン国立音大などもあるのでその環境に相応しいイルミネーションと言えますね。
"音楽の都" ウィーンらしいです。
こちらは歩行者天国のイルミネーションとは違いますが、非常に目立ったのでここに取り上げました。
ウィーンに詳しい形方であればここがどこだかすぐお分かりになるでしょう。
こちらは国立オペラ座の真横にある有名なカフェGerstner(ゲルストナー)です。
2017年の3月まではKärntnerstraße のシュテファン大聖堂に近い所にGerstnerがありましたが、現在のこの場所に引っ越して、新しいカラーである薄緑を強調して営業しています。
ちなみにかつてのGerstnerにはSULKA(スルカ)が入っています。
建物の4階まで届くようなクリスマスツリーです。
このクリスマスツリーをよく見れば地面の水準からすでに演出されています。
毎日ここを通りましたが、多くの人が立ち止まって写真を撮っていました。
ウィーンでの伝統のひとつにSpanische Hofreitschule (スペイン乗馬学校)があります。白馬のエリート達が優雅に伝統的で高度な古典馬術を披露し、2015年に無形文化遺産にも登録されました。
彼らの住まいは王宮の一角で、Stallburg(シュタルブルク)と言われる1552年に建築された美しいルネッサンス様式の重要な建物です。
ここの中庭はとても素敵です。
Stallburgはこの場合"厩宮"と呼んでいいと思います。
この美しい中庭空間で去年2019年のアドヴェント時期よりAdventmarktが始まりました。
ADVENT IN DER STALLBURG der Spanischen Hofreitschule Wienはこの冬初めて登場し、去年の12月2日から始まり、2020年1月6日まで開かれています。
左上の写真はこのStallburgの中庭で、美しいルネッサンス様式のアーチ構造がこの特別なイルミネーションによってさらに引き立てられています。
正直、この中庭空間にAdventmarktが出るということは思いもしませんでした。
この場所は頻繁に通りますが、ここのガイドツアーに参加しない限りこの中庭空間には入れません。
Adventmarkt・・・いわゆるクリスマス市なのですが、その辺に出ていたクリスマス市とは全く雰囲気が違い、売っている物もセンスがいい物が多くあります。
私もここをちょっと覗いた時に、家内にちょっとした小物を衝動買いしてしまいました。
普段は入れないこの空間に入れるだけでなく、昼間には見られない演出も面白いです。
入口から入ると、このようにスペイン乗馬学校のLipizzaner(リピツァーナー)を思い起こさせるペガサスが天を羽ばたいているような演出となっていて、多くの人が写真を撮っていました。
このAdventmarktは15:00~21:00 1月6日までで、入場無料です。
クリスマスはいかが過ごされましたか?
私は例年通りクリスマスツリー🎄を飾り、家族と過ごしました。
こちらでは年間を通して生活の中ではクリスマスが一番重要です。
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからもわかります。
カレンダーではクリスマスが終わりましたが、クリスマスツリーは1月6日まで飾っておく習慣があります。
クリスマスツリーも一緒に年を越すわけですね。
まだまだクリスマスの空気は街中に漂っています。
今日はウィーンの3大歩行者天国のイルミネーションをお届けします。
こちらはケルントナー通りです。
たいてのガイドブックではウィーンの一番の目抜き通りと紹介されていて、国立オペラ座とシュテファン大聖堂を結んでいます。
ウィーンを個人で観光する人はここを何度となく歩くと思います。
3大歩行者天国の中では一番長く、ローマ時代から存在していた歴史ある通りです。
ここは細かいイルミネーションがカーテンのように垂れ下がり、その中には大きな4つの星が輝いていて、それが左右交互に取り付けられています。
こちらはGraben (グラーベン)のイルミネーションです。
Grabenはケルントナー通りとシュテファン大聖堂の間にあるStock im Eisen Platzからコールマルクトまでの約300mで、広場のような通りで、ウィーンでは最も美しい歩行者天国です。ここにはペスト記念柱も立っています。
ローマ時代ヴィンドボナの頃は堀になっていた所なので、堀=Grabenということです。
ここのイルミネーションは鳥が羽ばたいているような雰囲気で、左右の建物に全部で10個取り付けられています。
イルミネーションがない通常のグラーベンも美しいですが、この時期はひと際印象的です。
多くの人が立ち止まって写真を撮っています。
こちらはコールマルクトです。
3つの歩行者天国では一番短く、200mぐらいの通りで、グラーベンとミヒャエル広場を結んでいます。ここには高級店が多く並んでいることで知られ、有名なDEMELもあります。
ここは満天の星のように小さなイルミネーションが無数に灯されていてまるで銀河のようです。
写真はグラーベン側からの眺めです。
この奥に王宮のミヒャエル宮が見えるのですが、ここではほとんどわかりません。
イルミネーションがなくてもこれらの通りはウィーンらしくて上品さがあり、歩くだけで楽しくなりますが、クリスマス時期はまた雰囲気が違います。
昨日12月26日は特に"Stephanitag"(シュテファニーターク)とも呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂でお馴染みの聖人シュテファヌスの日でした。
クリスマスもカレンダーでは終わってしまいました。
今日から平日ですが、明日からはまた週末ですからそのまま休みを取っている人は多いはずです。
昨日はSteyr(シュタイアー)のそばにあるChristkindl(クリストキンドル)を話題にしました。
ここには知られた巡礼教会が立っていて、この時期多くの人が訪れるわけですが、ここは巡礼する人だけではなく、別のあることで多くの人を集めています。
教会を右に見ながらその横を通って行くと、すぐ裏側にはGasthaus(レストランとして食事、宿泊がいっしょにできる施設)があります。
ここの名前は"Christkindlwirt" で、この建物の中には毎年クリスマス時期に限ってオーストリアの郵便局が出張してきます。
左の写真はこの建物の中に見られる郵便局の案内板で、POSTAMT CHRISTKINDLと書かれています。
この手前の所にちょとしたコーナーがあって、そこで色々なクリスマスカードが売られています。
ここには郵便局の係が待機していて、クリスマスカード(絵葉書)を持ってない人はここで買えます。
奥へ入ると右上の写真のような空間にいくつかのショーケースが置かれていて、記念切手などが紹介されています。
ずっと奥に係が座っている窓口が設けられているので、そこで準備したクリスマスカード(絵葉書)を出します。
先日うちは何枚かここで出しましたが、最初に枚数分の切手を購入して、この空間でクリスマスカードを書いて、係に渡しました。
なぜ郵便局がここに?
こちらではクリスマス時期にはクリスマスカードを贈る習慣があります。
"クリスマスおめでとう・・・そしてまた来年いい年でありますように・・・"
というような内容で、親しい人達に贈ります。
クリスマスカードに来年のことも書くので、年賀状という習慣はありません。
そもそも新年は年の初めという感覚だけで全くと言っていい程重要性はありません。
オーストリアではプレゼントを持って来るのはサンタクロースではありませんね。
Christkind・・・子供のキリストがやって来るわけで、この街の名前は巡礼教会と同じ
"Christkindl"ですね。
ここからクリスマスカードを出せば、この街の
消印である"CHRISTKINDL"が押されます。
これを受け取った人々に、Christkindからのクリスマスカードが届いたんだな・・・と夢を与えることができるわけです。
右の写真は2017年にここで買った切手です。
オーストリア国内に出したので、68セントとなっていて、東方三博士(三賢者)がイエスを拝んでいます。
その時Christkindlで出したクリスマスカードがうちにも無事に届きました。
ちゃんと"CHRISTKINDL"の消印が押されています!
今日12月26日も第2クリスマスの日ということでお休みです。
今日は特に"Stephanitag"(シュテファニーターク)とも呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂でお馴染みの聖人シュテファヌスの日です。
年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスです。
宗教的には復活祭ですが、クリスマス習慣を楽しむ期間はクリスマス市が出る時から数えればひと月以上もあるわけです。
市庁舎やシェーンブルン宮殿のクリスマス市は12月26日まではやっていますが、場所的に観光産業もひとつの理由になっています。
しかし、本来の習慣からすれば12月23日までがクリスマスの空気を楽しみ、24日からは今までの盛り上がりが嘘のような静かな街の空気に変わります。
多くは家族とクリスマスを過ごしますので、クリスマスツリーの装飾やプレゼントの演出、食事などの準備に追われます。
もう何度も書いていますが、クリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、子供のキリスト・・・"Christkind"(クリストキント)が持って来ます。
オーストリアではサンタクロースは絶対に登場しません。
クリスマス市も"Christkindlmarkt"と一般的に言われます。
うちにも夕食後、しばらくしてChristkindが多くのプレゼントをクリスマスツリーの下に置いて行きました。(笑)
さて、オーストリアには"Christkindl"という名の街があることを御存知でしょうか?
地元ではもちろん知られた街で、観光的にもかなり知れ渡ってきています。
"Christkindl"という街はOberösterreichの一角で、リンツからだと車で40kmぐらい南に行った美しい街Steyr(シュタイアー)のStadtplatzからさらに4km程離れた所にあり、徒歩だと50分ぐらいかかります。
ここはSteyrの行政区に入る人口2.000人弱の小さな町ですが、ここには有名な巡礼教会とレストランぐらいしかありません。
この巡礼教会ができるにあたって有名な伝説があります。
<Christkindlの伝説>
Steyrに住んでいたFerdinand Sertlはこの地域の楽団長であり、火元見回り人をしていました。
彼は癲癇(てんかん)に悩まされていたこともあり、孤独を好んでいたということです。
1695年か1696年に彼はSteyrの修道女から12cmの大きさのワックスで作られた茨の冠をかぶった子供のイエス・キリストの磔刑像(CHRISTKIND)を買いました。
それをトウヒの木の幹に彫られた空間に捧げ、毎日このイエス像の前でお祈りをしたそうです。
するとまもなく彼の病気が治ったということです。
この話がまたたく間に広がって、奇跡を求める多くの人が訪れる巡礼場所となりました。
1699年にはこのトウヒの木の周りに木製の礼拝堂が作られました。
1702年にはこの地域GarstenのAnselm修道院長が石の教会にするきっかけを作り、建築家Giovanni Battista Carloneに依頼しますが、パッサウ司教の許可が下りず、次の年には中断してしまいます。
結果的に1708年に許可が下りますが、その時にはCarloneがこの世を去っていたので、メルク修道院をバロック化したことで知られるJakob Prandtauerが引き継いで、1725年7月26日に奉納されました。
現在でもここは重要な巡礼教会として知られています。
左上の写真はこの巡礼教会で、右上はこの教会内部の主祭壇です。
教会の正面は2本の塔が印象的なバロック様式です。
真ん中にも塔があるように見えますが、これはドームになっています。
この教会を作らせた修道院長Anselmのコンセプトではローマにある有名なパンテオンをベースにしています。
この主祭壇はオーストリアでは非常に珍しいスタイルで、初期ロココ様式となっています。
それは祭壇の枠というものが全くなく、そのまま空間に置かれていて、Tabernakel(タベルナーケル)という聖櫃が黄金の球体となっています。
このタイプのものはオーストリアにはここを含めて3つしか例がありません。
この球体の上に伝説の12cmのキリスト像が奉られています。
左上の写真が伝説のChristkind像です。
これがこの巡礼教会と街の名前になっています。
右上の写真は入口部分とパイプオルガンです。
この教会の内部はひとつのホール的空間しかなく、脇にはいくつかの祭壇があります。
右の写真は天井フレスコ画で、マリア被昇天を表していて、1710年、Carl von Reslfeldによるものです。
この天井ドームの形からわかるように、教会内部空間はこの円形の一空間しかありません。
逆に言えば天からの光がこのドームを通して内部に入り込んでくるという支配性を感じます。
左の写真はこのChristkindl教会を後ろから見ています。
正面とは全く違い、ドーム部分が強調されているのがわかります。
このすぐ左に見えている建物がレストラン"Christkindlwirt"(クリストキンドルヴィルト)でここが特別に重要な意味を持つ場所となります。
右の写真はこの教会の正面左側に掲げられている記念プレートです。
さて、ここは宗教的に巡礼としてこの教会に訪れる方が非常に多いわけですが、それとは別にAdvent時期には数え切れない程多くの人が訪れます。
その続きは明日にしましょう。
昨日12月24日はクリスマス・イヴで、年間を通して一番大事な行事でしょうか。
宗教的には復活祭が一番重要ですが、生活の中ではクリスマスです。今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市を掲載し、その後ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市、シュピッテルベルクのクリスマス市、マリア・テレジア広場のクリスマス市、Am Hofのクリスマス市、とMQのクリスマス市と話題にし、アドヴェントも振り返るとあっという間に過ぎてしまいました。
毎日仕事をしていると時の経つのが早いです。
今年も日本からの多くのお客様にこちらのクリスマスの様々な習慣を御案内しました。
こちらがクリスマスの雰囲気で盛り上がるのは12月23日までです。
24日からは今までのクリスマスの雰囲気がまるでうそのように街が静かになります。
24日は午前中だけ仕事をする人もいたり、商店街なども14:00ぐらいまで営業していることもありますが、多くの人は24日の午前中にクリスマスツリーを部屋に飾り、装飾をし、夕方から夜にかけてのクリスマスを祝う準備をします。多くのレストランもクローズとなります。
こちらは家族とクリスマスを過ごす・・・というのが一般的です。
ただ市庁舎のクリスマス市は26日まで、シェーンブルン宮殿も例年通り26日までとなっています。
でもこれはこの時期観光でウィーンに来られた方のためのサービス的なイメージです。
うちは昨日24日の午後ぐらいからクリスマスツリーを飾りました。
12月24日のクリスマス・イヴはこちらでは一般的にどのように祝われるのでしょう?
12月24日は地元ではたいてい家族と共に過ごすクリスマスで、遠くに住んでいる人もこの時期には帰ってきて、家族皆でクリスマスを過ごします。
皆さんが家庭でいわゆるクリスマスパーティーを行いますが、実際には"クリスマスパーティー"などという名称はほとんど聞かれません。アドヴェント最中に会社などで開かれる時はクリスマスパーティーという人もいますが、クリスマス・イヴの時にはこの表現は普通は使われません。
家族皆が集まり会話をしながら、プンシュを飲み、夕食をし、そしてプレゼント交換を楽しむわけです。
家族がそれぞれ持ち寄ったプレゼントは、クリスマスツリーの下に置くという習慣になっています。
そのためツリーの下にはたくさんのプレゼントが、Christkindによってもたらされたというわけです。
そうです・・・こちらではサンタクロースなんか登場しません。"Christkind"がやって来ます。
小さい子供がいる家庭ではChristkindが実際にプレゼントを持って来るということを信じさせて、夢を持たせて演出します。子供達は時が来るのをそわそわして待つわけです。早くプレゼントをもらいたいですからね。
夕食は何を食べるかというと・・・
魚を食べる習慣が現在でも多く見られます。その中でも鯉なども多く食べられ、また鱒やカマスなどを食べる人も多いでしょうか。フライで食べる人もいれば、ソテーにして食べる人もいると思います。
これは「魚」がキリストのシンボルとして古来から使われてきた・・・ということも理由のひとつです。
ちなみにチキンを食べることは外から住み着いた人は別として地元人であればまずないでしょう。
当時アメリカに移民したオランダ人達は、慣れない土地で、今までのように家畜を飼うことは最初は難しかったようです。そこでチキンを食べることから、始まったとされています。
夕食が終わると、いよいよBescherung(ベシェールング)といわれるプレゼント交換です。
この時に歌われるものが、昨日紹介した「きよしこの夜」です。
この曲は地元の人にとっては、特別な曲であり、一般的なクリスマスソングとしては区別されていて、クリスマス時期にひっきりなし聞かれるわけではありません。
この曲はこのプレゼント交換の前だけにこの歌を歌う地元の人が多いと思います。
できればギターの伴奏で歌うべきとされています。
それはオリジナルがギターの伴奏で演奏されたからですね。
この曲が歌われる時はかなり敬虔な雰囲気になりますね。実際には冗談を言い合うような雰囲気ではなく、かなりセレモニー的な空気になります。
歌い終わって、皆さんと「Frohe Weihnachten!」(フローエ・ヴァイナハテン・・・クリスマスおめでとう)と言いながら、共に抱き合います。
その後、お互いにプレゼントをその場で開いて皆さんで楽しむわけです。
その後は年間を通してこの時だけは夜の教会のミサに行く人も多いと思います。
これは日本で言う初詣のような感覚に近いですね。
今日の12月25日、明日の26日はお休みです。
私は今まで多くのオーストリアの家庭のクリスマス・イヴを経験しました。
それぞれの家庭の習慣によりますが、多くはこのような流れでクリスマス・イヴが過ぎていきます。
うちも家族と毎年このようにクリスマス・イヴを過ごしています。
一昨日の日曜日が、Adventの第4日曜日となり、Adventskranzに4本目のロウソクが灯されました。
クリスマスが年間を通して最も重要なイベントです。
こちらでは今日の午前中にクリスマスツリーを装飾する人が多いと思います。
うちも先日買ったクリスマスツリーを今日まで庭のテラスに立てかけておきましたが、今日の午前中には部屋に入れてネットを外して飾ります。
ウィーンの街は午後から晩にかけてとても静かになり、多くの人が家で家族とクリスマスを過ごします。
遠くに住んでいる人も実家に戻って来て、家族皆で食事をし、クリスマスを祝う人が多いと思います。
こちらではクリスマスには魚を食べる習慣があります。
魚はイエス・キリストのシンボルのひとつです。
家庭によってそれぞれの習慣があるとは思いますが、食事の前や後にBescherung(ベシェールング)と言われるプレゼント交換をするわけですが、この時に"きよしこの夜"が歌われます。
クリスマスソングとしてクリスマス時期にしょっちゅう流れているイメージがありますが、オーストリアではこのプレゼント交換のこの時、1回だけ、しかも敬虔な気持ちで歌われます。
このきよしこの夜はこの国オーストリアから生まれたことは御存知でしたか?
今年も私のホームページの伝統としてこの曲をクリスマス・イヴの話題にします。
ザルツブルク中心から車で約20kmぐらい走った所にOberndorf(オーベルンドルフ)という人口5600人程の小さい街があります。
その街の一角に、この写真に見られるStille Nacht Kapelle(シュティレ・ナハト・カペレ・・・きよしこの夜礼拝堂)が立っています。
ここにはもともと聖ニコラウス教会が建っていました。
当時そのニコラウス教会で、1818年、ここの教会のオルガンの状態がとても悪く、弾ける状態ではなかったようです。
その年のクリスマスの12月24日にはそのオルガンをミサで使うことができませんでした。
そこでこの教会のヨーゼフ・モール神父が詩を書き、フランツ・グルーバー先生がその詩に曲をつけ、ここの壊れたオルガンの代わりにギターで伴奏されてその時歌われた曲・・・それが「きよしこの夜」(Stille Nacht) だったのです。
モール神父とグルーバー先生によって"きよしこの夜"が作られて歌われた当時のニコラウス教会は、19世紀終わりのザルツァッハ川の何回かの水害によって傷んでしまったため、最終的に1913年に取り壊されることになります。
その取り壊しから20年以上経った後の1937年8月15日、当時のニコラウス教会と同じこの場所にこの写真に見られるように現在の礼拝堂が奉納されました。
ちなみに現在でもこのOberndorfにはこのきよしこの夜記念礼拝堂から1km離れた所に新しいニコラウス教会が立っていて活躍しています。
この新しいニコラウス教会は1906年に建築が始まり、1910年に完成しています。
礼拝堂の中はシンプルな構造となっています。
上の2枚の写真は礼拝堂内部に見られるステンドグラスです。
左側がヨーゼフ・モール神父で、神父の下には当時のニコラウス教会も描かれています。
モール神父は詩人ではありませんでしたが、きよしこの夜の詩は、1816年にすでに書かれていたということです。
右側はグルーバー先生でギターを持って演奏していて、その下にはやはりニコラウス教会が描かれています。
彼ももちろん知られた作曲家ではありませんでした。
こちらは礼拝堂の主祭壇です。
この中はシンプルな小さな礼拝堂で、記念館的な雰囲気が感じられますが、現在でも宗教的に使われています。
"きよしこの夜"は、1818年・・・今から200年近く前にここで歌われ、その後「Stille Nacht! Heilige Nacht!」と呼ばれ、チロルの有名なツィラータールを経由し、ヨーロッパ全土に、そしてアメリカに・・・やがて日本にまでと、世界中に知られるようになったのです。
この曲なしのクリスマスは考えられませんね。
こちらではプレゼント交換をする前に必ずと言っていいほどこの曲が歌われます。
「きよしこの夜」は全世界330の言語で現在でも歌われ、親しまれています。
このきよしこの夜は2011年に無形文化遺産にも登録されました。
去年2018年はこの"きよしこの夜"が生まれた200周年記念でした。
オーストリア造幣局はきよしこの夜200周年記念硬貨を発行しています。
クリスマス時期のウィーンを楽しんでいますか?
クリスマスの空気・・・それは様々な所で見られます。
街中のイルミネーション、クリスマス市、デコレーション、プンシュの香り、クリスマスツリーが売られている、クリスマスプレゼントを買う人・・・街を歩くだけで楽しいです。ひと月以上も続いたクリスマスの空気を楽しむのは今日が最後で明日がクリスマス・イヴです。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市を掲載し、その後ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市、シュピッテルベルクのクリスマス市、マリア・テレジア広場のクリスマス市、Am Hofのクリスマス市と話題にしましたが今日は最後のクリスマス市をお届けします。
こちらはMQのクリスマス市です。
ここのクリスマス市は毎年ウィーンで一番最初にオープンするクリスマス市で、今年は11月7日が初日でした。
美術史博物館と自然史博物館の間にはマリア・テレジアの像があるマリア・テレジア広場があり、そのマリア・テレジア像の反対側の通りには、横長の建物があります。
これがMQで正確にはMuseumsQuartier という博物館地区があります。
これは1725年馬小屋として建てられたバロック建築です。
1922年からは見本市会場として使われ、2001年にこの建物を残し、その中庭空間を大きく改築し、博物館地区としてモダンなスポットに生まれ変わりました。
ここにはレオポルド美術館、現代美術館、建築博物館、子供博物館、Kunsthalleなどや、
おもしろい店やレストランなどが多く入っています。
MQの細長い建物にはいくつか入口があり、建物の中を通り抜けていくと中庭空間があります。
この博物館地区は、バロック様式や歴史主義、現代建築があり、独特の中庭空間です。
クリスマス市といってもここは他のクリスマス市とは全く違う、モダンな屋台がいくつか並んでいます。
この中庭に入っ瞬間にちょっと幻想的な気分になります。
レオポルド美術館や現代美術館といったモダンなアートが多く展示されている博物館もあることからそれに合わせた演出ということでしょうか。
屋台の中はこんな感じで、場所柄若者が多く来ています。
外にもスタンドテーブルがありますが、屋台の中でくつろげるのは他のクリスマス市にはないですね。
寒さをあまり感じないのは長所です。
ちょっとした飲み屋さんに入った印象です。
屋台もそれぞれ個性あるクリスマス演出をしていて、照明も異なります。
MQのクリスマス市は12月23日が千秋楽で16:00~23:00までです。
ウィーンにいらっしゃる方はちょっと覗いてみ下さい。
今日がアドヴェントの第4日曜日ですね。
Adventskranzに最後のロウソクが灯されます。
ひと月以上も楽しむクリスマス習慣もフィナーレに近づいています。
街中でクリスマスツリーを売る業者がラストスパートと言わんばかりに頑張っています。
こちらは毎年必ず本物のもみの木を飾ります。
先日クリスマスツリーを飾る習慣について書きましたが、うちも先週土曜日の午後にクリスマスツリーを買いました。
もみの木はTannenbaum(タンネンバウム)とドイツ語で呼ばれますが、特にこのクリスマスツリーのもみの木は、ここオーストリアではChristbaum(クリストバウム)と呼ばれています。
オーストリアではクリスマスプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなくChristkind(クリストキント)ですからね。
背丈が高いものから低いもの、全体の形が整っているものなど様々です。
もみの木にも種類が多くあります。
オーストリアは林業も重要な産業であり、計画的な植林をしているため、もみの木がなくなることは絶対にありません。
毎年時期になると選ばれたもみの木が切られて売られるために運ばれてきます。
うちは毎年家の近くに出る業者からクリスマスツリーを買いますが、その業者はNiederösterreichのWaldviertelに広大な林業地を所有する地元で有名な業者で、家族経営ですがウィーンを始め周辺にいくつかの販売スポットを出しています。
毎年ここで買うのでうちはもう顔を覚えられていて、ちょっとした世間話になります。
この時期が年間を通して一番忙しい時期で、1月6日が過ぎると彼らは休暇に入るそうです。
でもその後、何もしないかというとそうではなく、切り取ったもみの木の根を掘り起こして、新しいもみの木を植える作業が待っていて、さらに成長しているもみの木も当然管理しなければいけないので、
非常に大変だということです。
平均的に植えてから10年前後のもみの木が一番需要があるということです。
そのぐらいのもみの木が普通の家庭に飾る高さに適しているんでしょうね。
上の写真はグラーベンで売られているクリスマスツリーです。
グラーベンという美しい歩行者天国には、この時期にツリーを売る業者がいくつか出るので、ツリーが売られているグラーベンはやはりこの時期にしか味わえない空気です。
ツリーはネットに包まれて運ばれ、ネットが外されてKreuzと呼ばれる十字型の木に立てられて売られています。
右の写真では木製のKreuzが奥にいくつも置かれているのが見えます。
クリスマスツリーが売られている場所には、左上の写真で見られるように円形の物が必ず置かれています。
クリスマスツリー(もみの木)の形はどれも一緒なので適当に大きさと値段で選んですぐに買う・・・ということにはなりません。
実際に飾ることを思い浮かべて、どのくらい緑が密集しているか、真っすぐであるか、均等であるか、ツリーの先が美しいか、全体のシルエットが美しいか・・・などポイントがいくつもありますので選ぶのは結構時間がかかります。
どれを買うか決めたら、Kreuzが欲しいか欲しくないか聞かれますが、どこの家庭にもたいていKreuzの代わりにクリスマスツリーを支える専用のものがあるので普通はKreuzは要りません。
このままツリーを運ぶのは不便ですし、しかもクリスマスまではまだ時間がありますから緑が乾いてはいけないのでもう一度ネットに包むわけです。
そこで前述した上の写真に見られるこの円形の物が大活躍をします。
ツリーの根本部分からこの円形の中にツリーを通していくと、狭くなっていく円形の中を通りながらツリーの葉が折りたたまれて、同時にツリーがネットでくるまる・・・という中々便利な物です。
今年もうちで買ったツリーを私と子供とでネットに包ませてもらいました。
それなりの力が必要です。
ここの業者に笑いながら、これができればうちで働くことができるよ・・・と言われました。
ネットで包んだ状態で持ち帰ります。
12月24日にもみの木の葉が緑であることが重要ですから、あまり早く飾ってしまうと乾燥してしまいます。
うちも土曜日に買ったクリスマスツリーはネットで包まれたまま庭のテラスに立てかけてあります。
この時期はクリスマスツリーを持って帰る人の姿が頻繁に見られ、車の上に買ったツリーを乗せて走っている光景もよく見られます。
ウィーンには約300のクリスマスツリーを売る場所があり、この業者の本拠地であるNiederösterreich州からのクリスマスツリーが350.000本も売られます。
クリスマスまではもう秒読みですね。
街中を歩くと、クリスマスプレゼントの買い忘れはないかと言わんばかりに慌ただしく歩く人々の姿が目立ちます。
それと同時に年末の空気が漂い始め、今年も終わりが近づいていることを意識します。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市を掲載し、その後ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市、シュピッテルベルクのクリスマス市、マリア・テレジア広場のクリスマス市、と話題にしましたがここも地元の人が多く集まるクリスマス市です。
こちらはAm Hofのクリスマス市で、"Weihnachts Markt Am Hof"と呼ばれています。
去年は青空の下でのここのクリスマス市を話題にしましたが今年は夜です。
Am Hof は歴史的にとても重要な場所で、ウィーンがローマ時代にヴィンドボナと呼ばれていた頃から存在していた部分で、中世のバーベンベルク王朝時代1155年~1156年にウィーンに宮廷を移したハインリヒ2世がここに居城を建設させています。ハプスブルク家のフランツII/I世がオーストリア帝国を宣言した場所でもあり、 映画「第三の男」でも登場したりと話題が多い広場で、中央には黒のマリア像が立っています。
ウィーンの旧市街地の中で、建物に囲まれている広場としては最も大きく、長さ110mx60m(短い所は約30m)です。
このちょっと先にはFreyungのクリスマス市があります。
この広場の真ん中の空間を囲むようにしてたくさんの屋台が並んでいます。
広場の中のさらに閉ざされた空間です。
このような派手さがない、しかし美しい景観に場所を好む地元の方が多いです。
カウンターのようになっているちょっと洒落た屋台もあります。
この広場で重要な建物のひとつが、左上の写真に見られるAm Hof(アム・ホーフ)教会です。
イタリア的バロック様式の正面部分がとても印象的です。
暗闇から浮かび上がるようなライトアップです。
場所的にも観光客の皆さんよりも地元の方が多いですね。
それぞれクリスマス市にはそれぞれカラーがあり、地元の人はその時の気分でクリスマス市を選んでいます。
先日Spittelberg(シュピッテルベルク)のクリスマス市を話題にしました。
ここのクリスマス市は石畳の細い路地に小さな屋台がたくさん並んでいて、バロック様式の家並みとマッチした昔ならではクリスマス市です。
日本からの観光の皆さんがここに来ることは非常に少ないと思いますが、何年も前に夜ここを訪れる主要なクリスマス市を訪れる弾丸ツアーがありました。
さて、このSpittelbergには地元でも知られている名物ポテトパンケーキがあり、私も毎年クリスマス市が出ている時には何回も食べに行ってます。
ここのポテトパンケーキは"SPITTELBERGER ERDÄPFELPUFFFER"(シュピッテルベルガー・エルトエプフェルプッファー)という名前が付けられています。
"Erdäpfel"はオーストリアでよく聞かれる言葉で"ジャガイモ"という意味です。
つまりシュピッテルベルクのポテトパンケーキです。
ここのクリスマス市は地元で有名ですが、そこに毎年右の写真に見られるように、これが食べられる屋台が登場します。
屋台の前には必ずと言っていい程行列ができていて、15分前後ぐらい(場合によってはそれ以上)待つことが多くあります。
この時は15:30ぐらいで、ここが混み合う前の時間です。
もちろんこれを食べにここに来ました。
焼き栗スタンドのようにすでに焼かれていて暖められているものを売るわけではないこと、一度に多くを作れないこともあって供給が追い付かないというわけです。
でもここでは必ず出来立てのものを食べることができます。
こちらがSPITTELBERGER ERDÄPFELPUFFFERです。
細く切られた繊維のようなジャガイモとジャガイモを潰したものがミックスされてからっと揚げられます。
こちらでは"knusprig"という言葉でよく表現されています。
大きさは通常の屋台で売っているKartoffelpufferよりも1.5倍ぐらいの大きさで、外側がサクッとした食感でありながらも中身は柔らかさを感じます。
これには塩とニンニクを少し塗って食べるのが定番です。
写真なので残念ながら味をお伝えすることはできませんが、くせになる味です。
ここはいつも行列が出来ているので、これを食べるなら暗くなる前に行った方がいいでしょう。
でもこのSpittelbergのクリスマス市は暗くなってからの方がいい雰囲気になります。
ウィーンの街中にはクリスマスツリーを売る業者がたくさんあり、この時期だけは主役と言わんばかりに大活躍をしています。
クリスマスツリーが売られ始めると、いよいよクリスマス習慣ももうクライマックスに差し掛かっている気持ちになりますね。
さて、今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市を掲載し、その後ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市、シュピッテルベルクのクリスマス市を紹介しましたが、今日はマリア・テレジア広場のクリスマス市をお届けします。
国立オペラ座からリンク道路をちょっと先に行くとヨーロッパ三大美術館のひとつにも数えられている美術史博物館がと自然史博物館の真ん中にあるマリア・テレジア広場は観光客がとても多く集まるクリスマス市となっています。美術史博物館に向かい合って自然史博物館という荘厳な建造物があり、美術史博物館との間に広場の由来になっているマリア・テレジア女帝の像が立っています。
ここは芝生が植えられているゾーンがあり、歩行者が通るゾーンが決められていて、その限られたスペースに屋台が並んでいるので混雑すると歩くのも大変です。
2017年はマリア・テレジア生誕300周年記念の年で、特別展もあり、またウィーンフィルのニューイヤーコンサートでもこの広場が登場しています。
天使のイルミネーションが設置されていて、記念写真が撮れるようになっています。
この広場に立つと2つの荘厳な建造物はもちろんのこと、リンク道路を超えて王宮、反対側にはMQ(博物館地区)も見られ、ウィーンらしい優雅さ、かつての帝国の都を感じます。
ここは昼間でもかなり賑わっていますが、やっぱり暗くなってからでしょう。
しかし個人的にここのクリスマス市は悪くないのですが、あまり落ち着かないと思いますね。
それぞれのクリスマス市にはそれぞれの空気があります。
ウィーンの街中には多くのクリスマスツリーを売る業者が見られます。
この時こそは彼らが主役と言わんばかりにこの時期の風物詩となっています。
クリスマスツリーのもみの木はこちらでは"Christbaum" (クリストバウム)と呼ばれていて、本物のもみの木にちゃんと装飾をして飾る習慣があります。
そもそも、"本物のもみの木"という表現がこちらの人からすると滑稽だと思います。
おもちゃのツリーを飾る習慣はないからです。
生活の中では年間を通して一番重要な行事がクリスマスです。
(宗教的には復活祭ですが)
ところでなぜクリスマスにもみの木を飾るのでしょうか?
まずクリスマスの習慣を参照して下さい。
ここで書いている通り、以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①
その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②
農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、これは紀元前217年頃からあったとされています。
③
北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、 収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
さて、クリスマスツリーの原型は、上述した③の北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで使われていたのがもみの木です。
冬でも葉を枯らさずにいる・・・これが生命の象徴とされていました。
こうした「祭りごとを行う時に、もみの木を飾る」という行為は今のドイツにも伝わり、キリスト教の普及と共にキリスト教でもその習慣を引き継いで行きました。
1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が精霊救貧院にツリーを飾ったことが最初の、クリスマスツリーをクリスマスに飾った記録とされています。
常緑樹を飾ったのはなぜでしょうか?
日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。
そのような歴史的背景から現在に見られるクリスマスツリーを飾る習慣があるわけですね。
早いもので昨日がアドヴェントの第3日曜日となり、Adventskranzに3本目のロウソクが灯されました。
クリスマス習慣も残す所あと1週間となりました。
ウィーンの街中には約300のクリスマスツリー🎄を売る業者がここぞとばかりに活躍しています。
この時期ウィーンに来られた方はこのクリスマスの空気を思う存分味わって下さい。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市を紹介し、その後ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市を話題にしました。
今日は地元で一番人気のひとつであるクリスマス市をお届けします。
こちらはSpttelberg(シュピッテルベルク)のクリスマス市です。
Spittelbergは1850年までVorstadtのひとつであり、現在ではウィーン7区(Neubau)にあります。
Vorstadt(フォアシュタット)とは、当時帝国の都であったウィーン中心部に城壁があった頃、その外側にGlacisがあり、その外側に広がっていた、2つめの城壁の手前までの集落の総称です。
現在ではMQの奥にある、BurggasseとSiebensterngasseに挟まれた地域です。
1525年にBürgerspitalから得た場所で、もともとSpitalberg(シュピタールベルク)とも呼ばれていました。
17世紀後半のトルコ軍のウィーン包囲があった時や、1809年ナポレオン軍がこの地域から中心に向けて攻撃をした場所でもあり、小高い所にあります。
バロック時代に、現在見られるように建物が密集して建てられました。
ここには絵になる石畳の小路が数本あって、バロック様式の建物が多く建ち並ぶ非常に美しい閑静な所です。
中庭を経由する抜け道なども数本あり、センスのいいブティック、画廊、手作りの工芸品店やレストラン的飲み屋さんなどもいくつかあります。
クリスマス市がない時にここを歩いてみて下さい。
とても閑静なウィーンらしい雰囲気ですよ。
左上はプンシュ屋台のひとつですが、何かいい雰囲気ですね。
右上はここの名物のジャガイモパンケーキを買おうとする人の列です。
左上はワッフルの屋台で様々な種類のトッピングが選べます。
右上はちょっとつまみたくなるようなベーコンが載せられたパンとプンシュが売られている屋台です。
屋台それぞれが個性を強調しているようで面白いです。
Spittelbergのクリスマス市はGutenberggasse,Spittelberggasse,Schlankgasseの石畳の細い小路に多くの屋台が並んでいます。
昔ならではのクリスマス市の雰囲気が残るこのSpittelbergのクリスマス市は地元ではとても人気があります。
私もここは大好きで、毎年クリスマスシーズンだけでも数回は訪れています。
ウィーンの街中にはクリスマスツリーとして飾られるもみの木を売る業者がこの時こそが主役と言わんばかりに活躍しています。
もみの木が売られ始めるとクリスマスはもう目と鼻の先と言う空気が流れます。
ひと月以上も続くリスマスシーズンですが、徐々にクリスマスの空気自体も変わって行きます。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Freyungのクリスマス市を話題にしました。
今日はまた別の場所のクリスマス市をお届けします。
ミヒャエル広場はコールマルクトの延長上にあり、Herrengasseと交差したローマ時代から存在している歴史的にとても重要な場所で、ミヒャエル教会、ロースハウスなど見どころも多くある美しい広場です。
ここの王宮のライトアップもとても印象的で、その前に小さな屋台がたくさん並んでいます。
屋台の色は白を基調としていて、ハプスブルグ帝国時代のワッペンがそれぞれの屋台に見られます。
ここのクリスマス市は "k.u.k. Weihnachtsmarkt am Michaelerplatz"という名称で、王宮のミヒャエル宮を背景に、かなりこじんまりしていますが、この美しい広場の美しい景観に溶け込んでいます。
"k.k"という名前が示す通り、かつての帝国時代を思い起こさせる演出となっています。
"k.u.k."というロゴはマリア・テレジアが最初に用いたものですが、フランツ・ヨーゼフ1世もこの称号を用いて、かつての帝国時代の面影を偲ばせます。
ここは王宮という重要な観光ポイント、歩行者天国のコールマルクトがあることから必然的に観光客が多く通り抜ける所で、私も頻繁に御案内しています。
その割には他のクリスマス市と比べてここは空いていることが多いです。
美しい街並みを見ながら、ここにたたずんで歴史を感じながらプンシュをゆっくり飲むのもいいです。
クリスマスがあと何日したら来るんだろう・・・とわくわくしながら待つAdvent時期も早いもので今週が第3日曜日となり、Adventskranzに3本目のロウソクが灯されます。
今年は12月1日(日)がアドヴェントの第1日曜日でした。
クリスマスツリーを売る業者がこの時期の主役と言わんばかりに街中で活躍しています。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市をお届けしましたが、今日はウィーンでは地元レベルで人気あるFreyungのクリスマス市です。
Freyungのクリスマス市は毎年"Altwiener Christkindlmarkt"(アルトヴィーナー・クリストキンドルマルクト)という名称でFreyungという旧市街地の広場で開かれています。
"古きウィーンのクリスマス市"・・・ということですね。
ここは地元で非常に人気のあるクリスマス市で、周りに美しい建物が並ぶ広場であり、ウィーン中心部にもありながらも雑踏を忘れさせてくれます。
Freyung (フライウング)はハプスブルグ家の前のバーベンベルク王朝時代にウィーンに宮廷を移したハインリヒ2世が、アイルランドからベネディクト会の修道士をここに呼んだ1155年から存続している歴史あるショッテン修道会と付属教会がある美しい広場です。
ここはかつては "Gegend bei den Schotten" (ショッテン修道会わきの地域)と呼ばれていました。
ドイツ語で現在のスコットランドはSchottlandと呼ばれていますが、Schotten は当時はアイルランドを意味していました。
Freyungという名は、このショッテン修道会に属したこの場所は、街からの行政が及ばない治外法権的な場所だったようで、ここに来れば自由になれる・・・ということから由来しています。
1710年からこの場所は「Freyung」と名付けられました。
この広場は二等辺三角形のような形で、周りにはショッテン教会だけでなく、多くの宮殿が立ち並んでいるウィーンらしい美しい広場です。
このショッテン教会側の限られた場所に屋台が立ち並び、この中は外界から完全に離れた別世界を形成しています。
2本の通りがあり、それぞれに小さな屋台が並び多くの物が売られていて、通り抜けるだけでも楽しいです。
このようなこじんまりしたクリスマス市の方がより"地元"を感じます。
市庁舎のクリスマス市とは正反対の空気です。
大きなクリスマス市もそれなりにいいですが、地元の人はこのようなこじんまりした静かな雰囲気で、しかし歴史を感じる美しい街並みのクリスマス市を好む人が多いですね。
私も個人的にここのクリスマス市は好きです。
もう何回も書いていますが、年間を通して生活の中で一番重要なイベントはクリスマスです。
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからも理解できます。
このクリスマスの時期には街中の主要な通りにイルミネーションが灯され、クリスマス市やプンシュ屋台が立ち、レストランやカフェ、商店のデコレーションなど・・・街中を歩くだけで楽しいです。
またもみの木を売る業者が準備を始め、また場所によってはもみの木がすでに売られている所もあります。
このクリスマス時期の仕事は年間を通してやっぱり特別な気持ちになりますね。
さて、今日はオーストリアクリスマス市ベスト10というタイトルで、オーストリアのどこのクリスマス市が人気があるかという統計をお知らせします。
こちらではクリスマス市のことをChristkindlmarkt(クリストキンドルマルクト)、Adventmarkt(アドヴェントマルクト)、Weihnachtsmarkt(ヴァイナハツマルクト)などといつくかの呼び方があります。
クリスマスにはサンタクロースが登場せず、プレゼントはChristkind・・・子供のキリストが持って来ることからChristkindlmarktと言うわけですね。
市庁舎のクリスマス市にもそのロゴがハッキリ見られます。
Advent(アドヴェント)はクリスマスがいつやって来るのだろう・・・とわくわく待つ習慣なのでAdventmarkt、ドイツ語でクリスマスは"Weihnachten"ですからWeihnachtsmarktとも言うわけですね。
右の表は12月9日の新聞Österreich (oe24)に掲載されていた現時点でのクリスマス市のランクです。
1位はWolfgangseeです。
ここはWolfgang湖に面しているSt.Wolfgang、St.Gilgen、Stroblの3つの街で楽しむことができ、ロマンチックでムード満点なクリスマス市です。
St.Wolfgangは私の大好きな白馬亭があります。
2位にはウィーン市庁舎のクリスマス市がランクしました。
3位は私も大好きなウィーンのSpittelberg、9位にはシェーンブルン宮殿のクリスマス市が入っています。
ウィーンからは4つがベスト10入りです。
最後のSchloss Hofもうちが毎年行っている所です。
1. | Wolfgangsee(Salzburg,Oberösterreich) |
2. | Rathausplatz (Wien) |
3. | Spittelberg(Wien) |
4. | Mariazell(Steiermark) |
4. | Schloss Hellbrunn(Salzburg) |
6. | Altes AKH (Wien) |
6. | Domplatz (Salzburg) |
6. | Goldenes Dachl(Tirol) |
9. | Schönbrunn(Wien) |
9. | Schloss Hof(Niederösterreich) |
市庁舎のクリスマス市はオーストリア最大であり、350万人が訪れます。
今年はプンシュなどのフード系にはオーストリア全体で390.000.000ユーロ(約470億円)が消費されるということです。
屋台でいつも混んでいるのはフード系です。
それぞれのクリスマス市にはそれぞれの空気があります。
そんな違いを地元の人は楽しんでいるようです。
年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスですね。
クリスマス時期のウィーンの街はとても素敵です。
先週末の土曜日もウィーン中心部は物凄い人で溢れていました。
世界から多くの人が来てウィーンのクリスマスを楽しんでいます。
早いもので一昨日がアドヴェントの第2日曜日で、うちでも2本目のロウソクを灯しました。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市をお届けし、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger
Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)、シェーンブルン宮殿のクリスマス市をすでに話題にしました。
ウィーンのクリスマス市の中で最も華やかなのはやっぱり市庁舎のクリスマス市です。
今日は市庁舎のクリスマス市の雰囲気をお伝えします。
今年で34回目を迎えたウィーン市庁舎のクリスマス市は11月15日が初日となりました。
フランドル風ゴシック様式の立派な市庁舎の素敵なライトアップを背景に、夢のようなイルミネーションが施されています。
今年も去年と同じスタイルですが、市庁舎公園などには新しいイルミネーションも多く見られます。
写真は12月7日17:45頃です。
アドヴェントの第2土曜日ということで、物凄い混雑となっていました。
毎年恒例の"Frohe Weinachten" が見られます。これはクリスマスおめでとう・・・ということですね。
こちらではクリスマス市のことを"Christkindlmarkt"と言います。
クリスマスプレゼントを持って来るのはChristkind・・・子供のキリストだからです。
サンタクロースは装飾やマスコット以外には絶対に登場しません!
だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うわけですから、プレゼントを持ってくるのはChristkindです。
ここは地元人から観光客まで多くの人が集まり、連日賑わっています。
どこのクリスマス市もそうですが、たいていはプンシュスタンドが混み合います。
花よりだんご・・・ですね。
屋台の数は154です。
実際に多くの屋台が出ていても、欲しい物がそうそう多くあるわけではありません。
しかし、このような美しい歴史的建造物を背景にした空間に足を運んで、ウィーンの街に流れるクリスマスの空気を楽しむわけですね。
大好評のスケートリンクも今年も初日にオープンし、3.000m²のスケートリンクには子供から大人まで多くの人が滑っています。
御存知だと思いますが、通常この市庁舎前のスケートリンクはクリスマス市が終わり、カウントダウンも終わって年が明けた1月後半からオープンしていましたが、2016年からはクリスマス市と同時にスケートリンクの一部もオープンしています。
ウィーンのChristkindlmarktは歴史があって700年以上前に遡ります。
ハプスブルグ家のアルブレヒト1世が1296年に、ウィーンの商人達に"12月市"を開くように特権を与えたことから来ています。
今年の市庁舎前に立てられたクリスマスツリーは32m、樹齢130年、Salzburg州から運ばれたものです。
ウィーンの市庁舎前広場に立てられるクリスマスツリーは毎年オーストリアの色々な州から運ばれます。
アドヴェントクランツにロウソクが1本灯されているのが見えますか?
この時期ウィーンに来たら是非ここには足を運んで下さい。
もちろん暗くなってからがいいです。
このクリスマス時期のウィーンの街はまた特別の季節感を味わえます。
色々なクリスマス市、プンシュ屋台、イルミネーション、デコレーション・・・街を歩くだけで楽しいです。
古くからの伝統を感じながら現在私達の時代のクリスマス・・・ウィーンは昔と今が交差した奥深い街です。
さて、今日は先日クリスマス市の屋台で食べた物を紹介します。
こちらはシュテファン大聖堂のクリスマス市の一角にある屋台です。
クリスマスツリーが立っている所から奥に入って行くとこの屋台があります。Handgemachte Erdäpfelpuffer...手作りのポテトパンケーキ という屋台の名前が見られます。
写真では多くの人で見えませんが、屋台の前に大きなポテトパンケーキがたくさん置かれていて、外国からの旅行者はこれを見てシュニッツェルか・・・と思われる人が多いです。
でもよく見ると違います。
この屋台では5種類のパンケーキが提供されています。
実際には手作りパンケーキは1種類しかありませんが、トッピングを選ぶことができます。
こちらは"Wildsau"と言われる5種類のひとつで、厚さはあまりありませんがこんがり揚げられていて(knusprig)、サワークリームの上に燻製ベーコンが散りばめられています。
その他に以下の4つがあります。
リンゴかコケモモが選べる"Zuckergoscherl"
オーソドックスな塩とニンニクの"Ursprung"
自分の好みで選べる"Sonderling"
フェタチーズをのせたギリシャ風"Der kleine Grieche"
通常のKartoffelpufferは秋から冬にかけて街中に出る焼き栗スタンドや、どこのクリスマス市でも必ず売られていますが、このタイプのものはそう多くは見かけません。
また今年も紹介しますがSpittelbergのErdäpfelpufferは有名ですね。
正直あまり期待していなかったのですが、意外と美味しくてボリュームもあります。
EUR4.50はちょっと高いと思いますが、量と場所代としてしょうがない・・・といった感じでしょうか。
この辺りで軽く食べたい方にはお勧めです。
もちろんプンシュとですね。
クリスマス習慣はクリスマス市がオープンする頃から実感できますね。
ウィーンでは今年11月7日には最初のクリスマス市が登場し、その後続々と例年通りの場所にクリスマス市が始まります。
ひと月以上もクリスマスの雰囲気を楽しむわけですから、いかにクリスマスが重要であるかということがわかります。
そのクリスマス習慣もひと月以上同じ空気が漂うかというとそうではありません。
12月24日が近づくにつれて、クリスマス時期でも徐々に街の空気が変わって行きます。
さて、クリスマスはプレゼントをもらう習慣がありますね。
オーストリアでサンタクロースがプレゼントを持って来るなんて言うと、地元の人に苦笑いをされてしまいます。
では誰がプレゼントを?
それはChristkind(クリストキント)・・・子供のキリストと昔から決まっています。
だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うためのもの・・・だから子供のキリストがプレゼントを持って来るわけです。
じゃあサンタクロースは誰か?
それはカトリックの有名な聖人ニコラウスが原型というのが一般的で、今日12月6日は聖ニコラウスの日です。
ニコラウスは小アジア(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。
貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。
よくある有名な彼のエピソードは、年頃3人の娘を持った、貧しい父親の話です。
お金がなかったので、娘達を嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。
その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に投げ込まれた・・・ということです。
何かピンと来ますね!
もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達がニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・ということです。
写真の右側が聖ニコラウスです。
彼は司教の姿ですね。
<ニコラウスがサンタクロースへ変化していく>
小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。
現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。
1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアのBari (バーリ)に持たらされ、そこにニコラウスの教会が作られました。 現在でもそこは有名な巡礼教会です。
その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。
やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀、オランダ人達が移民していき、その時にこのニコラウス習慣をアメリカに持って行きました。
St.Nikolaus はドイツ語では、ザンクト・ニコラウス、英語でセント・ニコラウス・・・オランダ語ではSinterklaas・・・これがアメリカから"サンタクロース"というカタカナ書きで日本に入って来たわけです。
日本はアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけですが、こちらオーストリアではサンタクロースがプレゼントを持って来ることはあり得ません。
12月6日は良い子にしている子供達にはニコラウスがやって来る・・・こちらでは"ニコロ"とも愛称で呼ばれています。
悪い子供にはKramps (クランプス)・・・鬼が来ることになっていて、その日は昨日の12月5日です。
<こちらの子供達のニコラウス習慣>
自分の靴をきれいに磨いておいて、12月6日ニコラウスの日の前日の12月5日夜寝る前に、自分の部屋の窓に置いておきます。
そこでニコラウスが良い子の所に現れて、その磨かれた靴の中に、食べ物を入れるという習慣があります。
その食べ物は落花生、みかん、リンゴ、チョコレートなどで、この冬に食べ物がある・・・という象徴なんですね。
実際に靴を磨いている子供達はそんなに多くないかもしれませんが、この12月6日に食べ物やちょっとした小さな贈り物をもらうことは現在でもとてもポピュラーな習慣です。
今日の12月6日は地元ではNikolo(ニコロ)と呼ばれ、この時期の大事な習慣として生活に浸透しています。ちなみに悪い子供にはKramps (クランプス)・・・鬼が来ることになっていて、その日は昨日の12月5日です。
上の写真の左側がKrampsです。
今日の12月6日はニコラウスの日、だからクリスマスにはもう登場しません。
クリスマスにプレゼントを持って来るのはChristkindです。
サンタクロースはドイツ語では"Weihnachtsmann"と呼ばれ、直訳すれば”クリスマスの男“になり、クリスマス時期のポピュラーなキャラクターとして、装飾として登場、クリスマスの雰囲気を盛り上げる仕事をします。
クリスマス時期のウィーンはまた特別に素敵ですね。
イルミネーションを見ながら街を歩くだけでワクワクした気持ちになります。
クリスマス市もこの時期にはなくてはならないものです。
クリスマス市に行って欲しい物がすぐ見つかるか・・・と言うとどうでしょうか?
意外と買う物ってすぐには見つからないような気がします。
クリスマス市はクリスマスの空気を楽しむ人が多いと思いますので、花より団子的にプンシュスタンドやフード系がやっぱり混み合います。
友達や仲間とプンシュを飲みながらおしゃべりをする・・・おしゃべりするならカフェだっていいわけですが、クリスマスの空気を楽しみながら・・・これがいいんですね。
それぞれのクリスマス市にはそれぞれの空気があります。
プンシュを飲みながらちょっと落ち着いてウィーンのクリスマスの空気を味わうちょっと贅沢とさえ言えるひと時です。
今年最初のプンシュを紹介しましたが、私個人的にはどこのクリスマス市よりも、この屋台で提供されているプンシュが(自家製プンシュは除いて)毎年おいしいと思います。
その場所とは右の写真に見られる屋台で、ウィーン旧市街一角のSchottentorにあります。
この屋台はどこかのクリスマス市に立っているわけではなく、この場所に屋台だけが出されています。
この屋台は毎年Adventのこの時期にチャリティーを目的としてプンシュやちょっとしたつまみを提供しています。
大きなクリスマス市は荘厳な建物があって、雰囲気は素敵ですが、プンシュの味はと言うと大量に生産しているので正直美味しいとは思いません。
私個人的にはここのオレンジプンシュが一番美味しいと思います。
この屋台にはオレンジプンシュしか提供されていません。
私はここに来るとオレンジプンシュとGrammelschmalz(グランメルシュマルツ)を注文します。
Schmalzとは動物性脂肪を溶かして精製した食用油です。
豚肉のラードを熱して溶かすと透明性がある油になりますが、その透明性がある油が冷めるとくすんだ白い色をした塊になります。
Grammelはラードを熱する時に、それが焦げないように注意しながらきつね色になるぐらいまでゆっくり熱し、透明な油ではない残った部分で、ちょっとカリカリしています。
オーストリアでは豚の背中の部分(Rückenspeck) からGrammelschmalzが作られます。
これをパンに載せて、塩をかけて食べるとおいしいんですね。
プンシュの味によく合います。
実はここのGrammelschmalzは公には提供されていませんので、こちらから言って作ってもらいます。
その際には気持ちを渡します。
ここのプンシュは3.50ユーロなので、Grammelschmalzと合わせて私はいつも5ユーロ置きます。
ウィーンのどのクリスマス市で飲むプンシュよりもナチュラルな味がして、くせがありません。
個人的にはクリスマスのこのシーズンはここによく足を運んでいます。
12月に入ってクリスマスがもっと身近になってきました。
12月1日の日曜日がアドヴェントの第1日曜日となり、うちも夕食の時にアドヴェントクランツに最初のロウソクを灯しました。
アドヴェント時期の観光もウィーンの街中を歩くだけで何かこうワクワクしてきて楽しいですね。
お客様が違うので同じ場所を何十回と御案内することになり、クリスマス時期の習慣について何度も色々な御案内をするわけですが、クリスマスのこの時期はこの時だけしか話題にならないことが多いですので常に新鮮な気持ちで楽しく仕事をしています。
今年は一番最初にシュテファン大聖堂のクリスマス市をお届けし、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、 "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)と話題にしていますが、今日はシェーンブルン宮殿のクリスマス市をお届けします。
今年2019年のシェーンブルン宮殿のクリスマス市の初日は11月23日で、26回目のクリスマス市となりすっかり地元に定着しています。
ここ数年は昼間のシェーンブルン宮殿のクリスマス市を掲載しましたが、今年は夕暮れからのライトアップが素敵なシェーンブルン宮殿のクリスマス市です。クリスマスツリーが宮殿前庭中央に立てられて、それを囲むように楕円形的に屋台が並びます。
クリスマスツリーの高さは18m、Niederösterreichのウィーンの森からのもので、11月6日にここに立てられました。
もみの木ではなくトウヒです。
このぐらい背丈があるもみの木はかなり時間がかかるので、大きな広場などに置かれるクリスマスツリーはトウヒが使われます。
このクリスマスツリーは今年ちょっと話題になりました。
それは通常のように切り倒したわけではなく、木が立ったまま切り出されたからです。
このツリー自体にも、また周りの木も保護できるという大きな利点があります。
バロック様式の美しいシェーンブルン宮殿の幻想的なライトアップを楽しみながらのクリスマス市は他とはちょっと違います。
地元の人も多く訪れ、もちろん観光客の皆さんも楽しめますからここは他とは違った空気です。
観光客が多く集まる重要なスポットですが、地元の人は歴史的背景を詳しく知らなくても、(もしくはもう忘れてしまっている)ウィーンにこの建物があるというちょっとした誇りを持っているように感じられます。
最もウィーンの街は歴史的建造物が多く建ち並んでいるので、ウィーンのどこのクリスマス市も街並みや建造物と綺麗に調和しています。
屋台を見ても正直な所、買いたい物があるか・・・と言うとそうではないかもしれません。
その時に偶然何かいい物が見つかれば・・・みたいな感覚です。
一番大事なことはこのクリスマスの雰囲気を味わうことでしょう。
何回も書いていますが生活の中で一番重要なイベントはクリスマスですね。
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからもわかります。
冬至に近づき、日が短くなっていくこの時期・・・それを吹き飛ばすクリスマスの習慣、この時期ウィーンの街中を歩くだけで何かうきうきした気持ちになりますね。
クリスマス市、プンシュスタンド、イルミネーション・・・どれをとってもこの時期だけです。
これらはウィーンに限らずもちろんオーストリアの至る所でクリスマス市が開かれ、アドヴェントの習慣を見ることができます。
今日は地元で知られたそんなある場所を話題にしたいと思います。
こちらは "Kittenberger Erlebnisgärten"(キッテンベルガー エアレープニスゲルテン)です。
ここはウィーン中心部からヴァッハウ渓谷方面へ85km程車で走った所にある地元で知られた様々なスタイルの庭が集まった大きなテーマパークです。
広さ50.000m²以上もあるこの庭園にはクリスマス時期恒例のイルミネーションが施され、地元では毎年多くの人が訪れます。
ここはうちのお気に入りのスポットのひとつで、知り合いの家族と現地で待ち合わせをしてここの雰囲気を楽しみました。
ここには多くスタイルの庭園があるわけですが、それぞれイルミネーションが灯されて、昼間見る時と違い、時として幻想的な空間を演出しています。
京都のお寺などでも紅葉の時期に夜のライトアップの演出をしている所が多くありますが、感覚的にはまさにそんな感じです。一番左上の写真は世界最大のハーブが植えられている渦巻き花壇から庭園を眺めています。
ウィーンの街中で見られるクリスマス市もこの時期無くてはならないもので、街中のイルミネーションも素敵ですが、ウィーンの郊外には話題性があり地元で知られたクリスマス市がたくさんあります。
昨日はマイナスの朝となったウィーンで、今年一番の寒さとなりました。
もっともウィーンは広い街ですから同じウィーンでも気温がかなり違うことがあります。
私が住んでいる所は緑が多いのでマイナス1℃、でも中心のSchwedenplatz辺りに来たら+2℃でした。
今日の朝は今年初めての雪です。
かなり水分が多い雪ですので、うちの方は薄らと白くなっていましたが、中心界隈は白さは見られません。
昨日の12月1日はアドヴェントの第1日曜日でした。
ADVENT(アドヴェント)とはクリスマスイヴから遡って4回の日曜日を数えるわけで、早くクリスマスが来ないかな~・・・とわくわくしながら待つ時期のことです。
このアドヴェントの重要な地元での習慣として"ADVENTSKRANZ"があります。
ADVENTSKRANZ(アドヴェンツクランツ)とは一般的にもみの木の葉をこのように円形にし、そこに4本のロウソクが立っているというものです。
アドヴェント第1日曜日にロウソクを1本灯します。
うちでも昨日1本目を灯しました。
次に来週アドヴェントの第2日曜日に2本目を灯しますが、この時にすでに灯した1本目も同時に灯します。
アドヴェントの第3日曜日に3本目を灯し、すでに灯した2本も同時に灯します。
そしてアドヴェントの第4日曜日に4本目を灯し、すでに灯した3本も同時に灯します。
つまり4本全部灯されて、その週にクリスマスがやって来る・・・というわけです。
今年は12月22日がアドヴェントの第4日曜日となりますね。
4本のロウソクを同時に灯さなければならないため、ロウソクを灯し切らないようにする必要があります。
<ADVENTSKRANZはどのように生まれたか?>
もともとADVENTSKRANZは、1839年、プロテスタントの神学者で教育者のJohann Hinrich Wichern (1808–1881) によって導入されました。
その理由は、とても貧しい子供達がAdventの時期にしょっちゅう「いつクリスマスが来るの?」と聞いてきました。
そこで彼は、20本の赤い小さいロウソクと、4本の白い大きなロウソクでこの現在のADVENTSKRANZの形をしたカレンダーを作ったのです。
毎日赤い小さなロウソクが1本ずつ灯され、日曜日ごとに大きな白のロウソクが灯されました。
これによって子供たちがクリスマスまでの日数を数えることができたのです。
カトリックにこのADVENTSKRANZが登場するのは1925年ということです。
ADVENTSKRANZは街中の色々な所で見られます。
オーソドックスな形は上の写真のように円形ですが、ロウソクが横1列に4本並んでいるものや、4つのロウソクの大きさが初めから違っているものなどそれなりにバリエーションがあります。
クリスマスがいつ来るのかわくわくしながら待つこちらの子供達はアドヴェントカレンダーをもらう習慣もあります。
カレンダーと言っても紙をめくっていくものではなく、12月1日から12月24日までの数字がランダムに配置され、該当の日の数字をやぶると中からチョコレートなどが出て来るというものです。
うちの場合は何年もレゴのアドヴェントカレンダーを子供にプレゼントしました。
毎日違った形のブロックが中から登場するというものです。
おもちゃ屋さんに行くと、趣向を凝らした子供向けのユニークなアドヴェントカレンダーがたくさん売られています。
オーストリアは今でこそヨーロッパのひとつの小国かもしれませんが、この国がヨーロッパに与えた、そして残した歴史的、文化的影響は計り知れないものがあります。
歴史あるオーストリアは四季を通じて伝統や習慣が多く見られます。
これらはしっかりと次の世代へと受け継がれています。
年間を通して生活で一番重要な習慣はクリスマスでしょうか。
(宗教的には復活祭ですが)
クリスマスの空気はひと月以上も続き、そこからしてその重要性を感じます。
先日クリスマスはどのように始まったか・・・についてちょとまとめましたが、このような歴史的背景が少し見えてくると街中を歩いていてもより楽しくなります。
今日はクリスマスに関係するADVENT(アドヴェント)についてです。
ADVENT (アドヴェント)はクリスマスがあとどのくらいしたら来るんだろう・・・とわくわくしながら待つ時期のことです。
日本語でアドヴェントでもいいと思いますが、待降節とか降臨節とも呼ばれています。
ADVENTはラテン語のadventusから来ていて、「到着/到来」を意味します。
もともとAdventus Domini(ドイツ語でAnkunft des Herren)で直訳すると主の到着、そこから人間世界へのキリストの到来・・・という意味です。ちなみにこのアドヴェントはローマカトリックの習慣で、正教会にはそこまで普及していません。
参考までにキリスト教の成立も御興味があればどうぞ。
アドヴェントはクリスマスイヴから遡って約4週間の期間で、厳密にはクリスマスイヴ前に一番近い日曜日から遡って4回の日曜日を数えます。
もし12月24日がたまたま日曜日であればそのイヴの日が4回目の日曜日となります。
一昨年2017年は12月24日がアドヴェントの第4日曜日となりました。
アドヴェントの第1日曜日は一番早くて11月27日、一番遅くて12月3日となります。
2016年は11月27日がアドヴェントの第1日曜日となりました。
今年は12月1日・・・つまり今日がアドヴェントの第1日曜日となります。
"アドヴェント"は古代ローマでは皇帝や王様の到着を意味していたようですが、宗教的にも神が神殿に到着するということで用いられ、後のキリスト教がその習慣をキリスト到着として担って行きました。
この形となるのは1038年、皇帝コンラート2世の時代から、そして1570年にローマ教皇ピウス5世が定めたようです。
ローマカトリックやプロテスタントではこのアドヴェントの第1日曜日から新しい年が始まりますので、教会的には"元旦"ということになりとても重要な日です。
アドヴェント時期のウィーンの街も素敵です。
今週の日曜日がアドヴェントの第1日曜日です。
街中のイルミネーションも先週から灯され、クリスマスの雰囲気がより素敵になったウィーンの街です。
街を歩くだけで何かこうわくわくしますね。
さて、今年最初のクリスマス市としてシュテファン大聖堂のクリスマス市を話題にしましたが、今日はベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市をお届けします。
ベルヴェデーレ宮殿もシェーンブルン宮殿と同様、頻繁に訪れる観光スポットで、重要なバロック建築であることで知られています。
"バロック建築"ということをテーマにすれば、シェーンブルン宮殿以上に評価が高い宮殿で、上下宮2つの宮殿が庭園を挟んでいます。
ここは現在オーストリアギャラリーという重要な美術館となっていて、2012年クリムト生誕150周年祭をきっかけに、毎日のように入場観光することが多くなり、クリムト中心とした御案内を頻繁にしています。
ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市は今年で16回目ということで歴史は浅いですが、中心から離れていることもあり週末以外は混雑が少ないこと、また歴史ある美しい宮殿を背景にした空間が素敵です。
去年は夜の雰囲気をお届けしましたが、今年は青空の下でのクリスマス市です。
ここは今年11月22日が初日,最後が12月26日で毎日オープンしています。
オープン時間の詳細はこちらからどうぞ。
上宮の前に屋台が並べられ、クリスマス市のいい空間を提供しています。
青空の下も開放的で、この素敵なバロック宮殿を背景にやはりプンシュですね。
このベルヴェデーレ宮殿の今年のプンシュカップは靴型です。
シュテファン大聖堂も靴型ですが、でもちょっと歪んだ感じにんっています。
靴型はここ数年のトレンドでしょうか。
右上の写真を見て下さい。
この時団体ツアーの皆様と美術館の見学を終えた後の集合場所をクリスマス市にしました。
その時のフリータイムを利用して多くの皆さんがプンシュを飲んで、ここのカップを持ち帰られました。
この時期全てのクリスマス市もオープンし、街中のイルミネーションも灯され、クリスマスの空気がさらに盛り上がっているウィーンの街です。
街をちょっと歩くだけでクリスマスの空気が感じられ、プンシュスタンドも例年通りオープンし、生活の中で年間を通して一番重要なクリスマスを楽しむ地元の空気・・・ウィーンのこの時期ですね。
昨日はクリスマスがどのように始まったかについてでした。
さて、今日はこのコーナーで今年最初のクリスマス市をお届けします。
ウィーンのシンボルのひとつであるシュテファン大聖堂は素晴らしいゴシック様式で、街の真ん中に立っています。
このシュテファン大聖堂を祭壇側の方へ向かって囲むようにクリスマス市が出ています。
シュテファン大聖堂のクリスマス市は1999年から始まっていますのでもうすっかり地元に定着しています。
シュテファン大聖堂のクリスマス市は今年11月15日が初日で、私は初日にここで今年最初のプンシュを飲みました。
この場所はケルントナー通りとグラーベンが交わる所にあり、また地下鉄1号線と3号線が通っていることもあって、いつも多くの人が行き来しています。
場所的にいいので、仕事帰りの地元の人が多く集まるクリスマス市です。
左上はプンシュが売っている屋台ですが、かなりの混雑です。
中心にありながらも観光客より地元の人が多く訪れている傾向です。
仕事帰りに同僚や友達と語りながらプンシュを飲んでいる人の姿を多く目にします。
屋台のイルミネーションもゴシック様式の大聖堂を思わせます。
今日ここに紹介した写真は11月15日のこのシュテファン大聖堂のクリスマス市の初日に撮影したものです。
初日でもこの時はかなりの盛況です。
ほんのちょっとの時間でもプンシュを飲みながらクリスマスの空気を感じて歴史あるウィーンの街に佇み、物思いに耽るのもいいでしょう。
ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません。
絵画、建築、音楽などはキリスト教と密接な関係があり、現在の私達の生活や習慣にも大きな影響を与えています。
キリスト教のことが少しでも見えてくると、ウィーンの街はもっと楽しくなります。
そのキリストが誕生したことを祝うのがクリスマスであり、年間を通して生活の中ではクリスマスが一番重要です。(宗教的には復活祭が一番重要ですが)
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからもそれが窺えます。
ウィーンの街は先週末よりイルミネーションも灯され、より素敵になったこのクリスマス時期です。今日はそのクリスマスという習慣はどのように始まったかについて少しまとめます。
現在世界の多くの国が、12月25日の「クリスマス」を祝います。
ドイツ語ではWeihnachten (ヴァイナハテン)と呼ばれています。
このクリスマスというのはどこから生まれたのでしょうか?
313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。
聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。
当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。
キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかったわけです。
言い方を変えれば、コンスタンティヌス帝は当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも思えます。
以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、
太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、
これは紀元前217年頃からあったとされています。
③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、
収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
これらの習慣が現在私達の時代のクリスマスのベースになっていたわけです。
人間が今まで築き上げた歴史の長さから比べれば、私達はそのほんの一部分しか生きられないわけですから、この現在のクリスマスの習慣が何百年後かには変わっているかもしれませんね。
11月14日にはSpittelberg,11月15日には市庁舎、シュテファン大聖堂、Am Hof、ミヒャエル広場などのクリスマス市がオープンし、クリスマスの空気がいよいよ現実的なものとなっているウィーンの街です。
10月でも街中を歩けばクリスマス関係の物が多く売られていたり、またクリスマスのイルミネーションが街中に設置されたりしているのを見るとクリスマスが近づいているんだなぁ~・・・ということを意識しますが、実際にクリスマス市が始まるとその雰囲気は一挙に高まっていきますね。
昨日は午前と午後の仕事の間にやっと少しゆっくりする時間ができたので、オープンしたてのシュテファン大聖堂のクリスマス市に行って今年最初のプンシュを飲みました。
こちらが今年最初に飲んだシュテファン大聖堂のクリスマス市でのプンシュです。
今年のここのプンシュカップはここ何年も同じ靴型です。
カップにはシュテファン大聖堂が綺麗に描かれていますね。
このクリスマスの時期にクリスマス市などで多くの人が湯気を出しながら飲んでいるのを見ると、Glühwein (グリューヴァイン・・・いわゆるホットワイン)だと思われるかもしれませんが、そうではなく多くの人が "PUNSCH"(プンシュ)を飲んでいます。
Glühweinは冬の時期に好まれて飲まれますが、クリスマス時期は絶対プンシュですね。
クリスマス市の屋台にはGlühweinよりも遥かに多くのPunschがあります。
"Glühweinスタンド"とはあまり言われませんが、"Punschスタンド"とは頻繁に聞きます。
Punschには様々な種類がありますが、グリューワインと違い、多くはラム酒が入っています。
アルコール度は平均的に7.5%です。
口当たりがいいのですが、空きっ腹に飲むとそれなりに熱くなります。
昨日は午前中が曇りでしたが、昼ぐらいから青空が広がりました。
プンシュが出るとクリスマスがもうそこまで来ているんだなぁ~と強く感じます。
今年もウィーンを始め、地元の色々なクリスマス市やクリスマスの習慣などについてこのコーナーで取り上げていきます。
ここ数日は朝が冷え込みマイナス5℃前後、日中もマイナス2℃前後と寒い日が続いています。
昨日は風が冷たかったですから、体感的にもっと寒く感じました。
その辺に路駐してある車は氷が張りついているので、フロントガラスなどの氷をひっかいて取り除き、車を走らせる人の光景が目立ちます。
マイナスになっても空気が乾燥している場合は氷になりませんが、ちょっと空気に水分が多く含まれた場合は凍り付きますね。
さて、今日は歩行者天国のイルミネーションの最後です。
ウィーン歩行者天国のイルミネーションとウィーン歩行者天国のイルミネーション2は去年のクリスマス前に撮影したものですが、今回は今年になってから撮影したものです。
せっかくなので今日ここに登場させます。
こちらはいかにもウィーンらしい・・・というかかつての帝国の都を思わせるイルミネーションですね。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家に詳しい方はこのイルミネーションを見た瞬間にすぐオーストリア帝国の帝冠(ルドルフ2世の帝冠)であることがわかります。そのヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の下に歴代神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号があったので、このウィーンという街は皇帝の居城として永く君臨してきたわけです。この通りはグラーベンを横切ってペータース教会に通じているHabsbrugergasse(ハプスブルグガーガッセ)です。まさにハプスブルグ家の名前がそのまま通りに名前になっています。
撮影は2019年1月12日です。
こちらは歩行者天国ではありませんが、歩道に施されたイルミネーションです。
右側に路面電車がちょうど通り過ぎて行くのが見えます。
ここはリンク道路で、左側には市庁舎があります。
ここは市庁舎のクリスマス市オープン時からスケートリンクが作られ、クリスマス市終了後にそれが拡張されて1月18日~3月3日まで毎年恒例のWiener Eistraumといて人気があります。
そのためこのイルミネーションはまだまだ見ることができます。
こちらは1月6日のHeilige Drei Könige(聖三王)の休日までクリスマスの習慣があります。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して飾っておく習慣になっています。
毎年だいたい1月10日頃から街中を盛り上げて来たイルミネーションが取り外されます。
昨日はウィーンの歩行者天国のイルミネーションを話題にしましたが、好評を頂いたので、もう1回別のイルミネーションを紹介します。
ちなみにウィーンの街のイルミネーションは設置されていても、もう灯されていません。
まもなく取り外されます。
こちらはバロック様式の建物が並ぶ美しい通りのAnnagasseです。
ここには素敵な天井フレスコ画が見られるアンナ教会があります。
ここのイルミネーションは楽譜になっていて、それがいくつも灯されているのが見えます。
五線紙の上にあるト音記号や音符がおもしろいですね。
この奥にはHaus der Musik(音楽の家)という有名な博物館やこの界隈にはウィーン市立音楽大学やウィーン国立音大などもあるのでその環境に相応しいイルミネーションと言えますね。
"音楽の都" ウィーンらしいです。
こちらは歩行者天国のイルミネーションとは違いますが、非常に目立ったのでここに取り上げました。
ウィーンに詳しい形方であればここがどこだかすぐお分かりになるでしょう。
こちらは国立オペラ座の真横にある有名なカフェGerstner(ゲルストナー)です。
2017年の3月まではKärntnerstraße のシュテファン大聖堂に近い所にGerstnerがありましたが、現在のこの場所に引っ越して、新しいカラーである薄緑を強調して営業しています。
ちなみにかつてのGerstnerにはSULKA(スルカ)が入っています。
建物に星が降り注ぐようなイメージで、それぞれの窓に大きな★が施されたイルミネーションはクリスマスの時期を素敵に演出してくれました。
毎日ここを通りましたが、多くの人が立ち止まって写真を撮っていました。
今年のクリスマスシーズンが楽しみです。
クリスマスはいかが過ごされましたか?
私は例年通りクリスマスツリー🎄を飾り、家族と過ごしました。
こちらでは年間を通して生活の中ではクリスマスが一番重要です。
ひと月以上もクリスマスの空気を楽しむことからもわかります。
カレンダーではクリスマスが終わりましたが、クリスマスツリーは1月6日まで飾っておく習慣があります。
クリスマスツリーも一緒に年を越すわけですね。
クリスマス習慣も終わり、1月10日ぐらいからクリスマスツリーを片付ける(捨てる)人がほとんどでしょう。
うちも昨日クリスマスツリーを感謝の気持ちを込めて綺麗に切って捨てましたが、緑の枝の多くの部分を庭の他の植物などの寒さ除けなどに使います。
街中のイルミネーションもそろそろ取り外しが行われる頃で、昨日暗くなってから団体ツアーの皆様とコールマルクトやグラーベン、ケルントナー通りを歩きましたが、イルミネーションはまだ設置されていても灯されていませんでした。
そこで今日は本当はもっと前にここに掲載したかったウィーンの3大歩行者天国のイルミネーションをお届けします。
こちらはケルントナー通りです。
たいてのガイドブックではウィーンの一番の目抜き通りと紹介されていて、国立オペラ座とシュテファン大聖堂を結んでいます。
ウィーンを個人で観光する人はここを何度となく歩くと思います。
3大歩行者天国の中では一番長く、ローマ時代から存在していた歴史ある通りです。
ここは細かいイルミネーションがカーテンのように垂れ下がり、その中には大きな4つの星が輝いていて、それが左右交互に取り付けられています。
こちらはGraben (グラーベン)のイルミネーションです。
Grabenはケルントナー通りとシュテファン大聖堂の間にあるStock im Eisen Platzからコールマルクトまでの約300mで、広場のような通りで、ウィーンでは最も美しい歩行者天国です。
ローマ時代ヴィンドボナの頃は堀になっていた所なので、堀=Grabenということです。
ここのイルミネーションは鳥が羽ばたいているような雰囲気で、左右の建物に全部で10個取り付けられています。
イルミネーションがない通常のグラーベンも美しいですが、この時期はひと際印象的です。
多くの人が立ち止まって写真を撮っています。
有名なペスト記念柱も奥に見られます。
こちらはコールマルクトです。
3つの歩行者天国では一番短く、200mぐらいの通りで、グラーベンとミヒャエル広場を結んでいます。ここには高級店が多く並んでいることで知られ、有名なDEMELもあります。
ここは満天の星のように小さなイルミネーションが無数に灯されていてまるで銀河のようです。
写真はミヒャエル広場側からの眺めです。
この背後に王宮のミヒャエル宮が見えるのですが、ここではほとんどわかりません。
イルミネーションがなくてもこれらの通りはウィーンらしくて上品さがあり、歩くだけで楽しくなりますが、クリスマス時期はまた雰囲気が違います。
昨日のWeihnachtskrippeが好評だったので、今日は別のWeihnachtskrippeを紹介します。
ミノリーテン教会のWeihnachtskrippeのように大きな物はあまりありませんが、テーマが同じであるにもかかわらず、作者の個性、感性などがバラエティーに富んでいて絵画を鑑賞するような感覚で楽しみたいですね。
こちらは藁ぶき屋根が使われているちょっと農家風のWeihnachtskrippeです。
正面奥にはイエス・キリスト、ヨゼフとマリアがいて、東方三博士(三賢者)が左側に1人と右に2人見られます。
多くの家畜も演出されています。
こちらはアルプスの中にあるちょっとした村のようなイメージです。
背景の山の絵もいい演出をしています。
イエス、マリア、ヨゼフは右側にいて、3賢者がちょうどこの場所に到着したような雰囲気です。
Weihnachtskrippeを見る機会があったらじっくり観察してみて下さい。
1月6日はHeilige Drei Könige(聖三王)の祝日でした。
カレンダーでクリスマスは終わってもこの日までクリスマス習慣が続きます。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話ですね。
こちらではクリスマスツリーと一緒にこのイエスを拝んでいるシーンを飾る習慣があります。
このシーンを表したものを"Weihnachtskrippe"(ヴァイナハツクリッペ)と呼ばれいて、クリスマス時期には色々な所で見ることができます。
その中でもミノリーテン教会のWeihnachtskrippeは毎年ここで紹介しています。
今年1月6日のHeilige Drei Königeに掲載したWeihnachtskrippeはシュテファン大聖堂に飾られているものです。
今日は別のWeihnachtskrippeを見てみましょう。
こちらはイタリアトスカーナ地方的なWeihnachtskrippeです。
正面にはイエス・キリスト、ヨゼフとマリアがいて、左手には古井戸が見られます。
こちらはアーチが印象的なオリエントチックな雰囲気です。
左側の方から3賢者がイエスに近づいているシーンとなっています。
Weihnachtskrippeはイエスが生まれた場所であるベツレヘムを表し、共通のテーマにかかわらず、作者によって様々なスタイルが存在していて個性、感性、オリジナリティー、芸術性の違いなどを多く感じます。
一種の絵画を見ているようですね。
昨日から学校も始まり、クリスマス休暇が終わって、通常のウィーンの生活が戻ってきました。
一昨日1月6日は"Heilige Drei Könige"で、ベツレヘムからの星に導かれて3人の学者がイエスを拝みにやって来るという有名な話からの祝日でした。
この日まではクリスマスの習慣があり、たいていの家庭ではクリスマスツリーがそれまでは飾られています。
このシーンを表したジオラマが"Weihnachtskrippe"(ヴァイナハツクリッペ)で、アドヴェント時期から教会やクリスマス市、家庭などに多く見られ、クリスマスツリーと一緒に飾ります。
ウィーンの旧市街一角にあるミノリーテン教会のWeihnachtskrippeはよく知られていて、毎年必ず飾られます。
私のこのサイトでも毎年ここのWeihnachtskrippeを紹介するのも伝統となっています。
この教会の中に入って主祭壇を正面に見て右側に見入ってしまう大きなWeihnachtskrippeが飾られています。
このWeihnachtskrippeはとても手が込んでいて、登場人物が一部動く演出もされていて、見るものを別世界に誘い込みます。
ベツレヘムの生活風景が演出されていて、イエスとマリアは一番左側にいます。
天使が真ん中に立ち、水も流されていて、そのせせらぎの音が心地良さと敬虔さを与えてくれます。
かなり大きなジオラマなので、それぞれの場所では個別の生活風景の空気が感じられます。
正面から見た全体の写真を撮るのが場所的に難しいのが残念です。
真ん中に天使が立っているのが見えますか?
こちらからの角度が一番いいかもしれません。
ミノリーテン教会は個人的に好きなゴシック様式の教会で、王宮のそばにあっても閑静な広場の一角にあります。
ここのゴシック様式のアーチも素敵で中世の面影があります。
またこの教会にはレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のモザイクがあることでも知られています。
カレンダーのクリスマスが終わったと思ったら、年末・・・そして新年を迎えてもう1月6日となりました。
時が流れるのは本当に早いですね。
今日1月6日は"Heilige Drei Könige" (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)というキリスト教の祝日です。
日本では"祭日"という表現はもう存在せず、現在では全て"祝日"と表現しますが、聖三王のこの日はキリスト教の宗教儀礼上の休日なので祭日と呼んでもでもいいのかなと思います。
heilig・・・聖なる、drei・・・3、Könige・・・王様達という日本語訳ですから"聖三王"となりますが、よく習慣的に東方三博士、東方三賢者とも言われています。
イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がベツレヘムにやって来る・・・というよく知られた話です。
そのためクリスマス習慣はこの日までは続くわけで、クリスマスツリーやイルミネーションなどもカレンダーでのクリスマスが終わっても、年を越して今日までは飾っておく習慣になっています。
新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。
しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。
それぞれの名前と彼らがイエスに捧げる物は以下の通りです。この3人は大陸の象徴でもあります。
カスパール (アジアを象徴)
没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場
メルキオール (ヨーロッパを象徴)
黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場
バルタザール (アフリカを象徴)
乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場
これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。
この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。
ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。
クリスマスの時期には上の写真で見られるように、イエスを拝みに来るシーンを演出したWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)というものが多く見られます。
多くはジオラマ的で、クリスマスツリーと一緒に飾る習慣があります。
今年のHeilige Drei Königeは日曜日ですから、本来祝日になるのでちょっと損した気分ですね。
こちらはお正月はたいして重要ではなく、三が日もありませんので、社会は1月2日から普通に始まりますが、今日までクリスマス休暇を取っている人も多く、明日から学校も始まります。
12月24日のクリスマス・イヴには多くの人が家族と過ごし、食事、プレゼント交換などをします。
12月25日はクリスマスで、今日12月26日も第2クリスマスの日ということでお休みです。
今日12月26日は特に"Stephanitag"(シュテファニーターク)とも呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂でお馴染みの聖人シュテファヌスの日です。
昨日はSteyr(シュタイアー)のそばにあるChristkindl(クリストキンドル)を話題にしました。
ここには知られた巡礼教会が立っていて、この時期多くの人が訪れるわけですが、ここは巡礼する人だけではなく、別のあることで多くの人を集めています。
教会を右に見ながらその横を通って行くと、すぐ裏側にはGasthaus(レストランとして食事、宿泊がいっしょにできる施設)があります。
ここの名前は"Christkindlwirt" で、この建物の中には毎年クリスマス時期に限ってオーストリアの郵便局が出張してきます。
左の写真はこの建物の中に見られる郵便局の案内板で、POSTAMT CHRISTKINDLと書かれています。
この手前の所にちょとしたコーナーがあって、そこで色々なクリスマスカードが売られています。
ここには郵便局の係が待機していて、クリスマスカード(絵葉書)を持ってない人はここで買えます。
奥へ入ると右上の写真のような空間にいくつかのショーケースが置かれていて、記念切手などが紹介されています。
ずっと奥に係が座っている窓口が設けられているので、そこで準備したクリスマスカード(絵葉書)を出します。
先日うちは何枚かここで出しましたが、最初に枚数分の切手を購入して、この空間でクリスマスカードを書いて、係に渡しました。
なぜ郵便局がここに?
こちらではクリスマス時期にはクリスマスカードを贈る習慣があります。
"クリスマスおめでとう・・・そしてまた来年いい年でありますように・・・"
というような内容で、親しい人達に贈ります。
クリスマスカードに来年のことも書くので、年賀状という習慣はありません。
そもそも新年は年の初めという感覚だけで全くと言っていい程重要性はありません。
オーストリアではプレゼントを持って来るのはサンタクロースではありませんね。
Christkind・・・子供のキリストがやって来るわけで、この街の名前は巡礼教会と同じ
"Christkindl"ですね。
ここからクリスマスカードを出せば、この街の
消印である"CHRISTKINDL"が押されます。
これを受け取った人々に、Christkindからのクリスマスカードが届いたんだな・・・と夢を与えることができるわけです。
右の写真は去年2017年にここで買った切手です。
オーストリア国内に出したので、68セントとなっていて、東方三博士(三賢者)がイエスを拝んでいます。
その時Christkindlで出したクリスマスカードがうちにも無事に届きました。
ちゃんと"CHRISTKINDL"の消印が押されています!
年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスです。
宗教的には復活祭ですが、クリスマス習慣を楽しむ期間はクリスマス市が出る時から数えればひと月以上もあるわけです。
市庁舎やシェーンブルン宮殿のクリスマス市は12月26日まではやっていますが、場所的に観光産業もひとつの理由になっています。
しかし、本来の習慣からすれば12月23日までがクリスマスの空気を楽しみ、24日からは今までの盛り上がりが嘘のような静かな街の空気に変わります。
多くは家族とクリスマスを過ごしますので、クリスマスツリーの装飾やプレゼントの演出、食事などの準備に追われます。
うちは昼食後、午後にクリスマスツリーを部屋に入れて家内と子供が装飾を担当し、私はロウソクやイルミネーションを施しました。
今年は特に形のいいツリーを探すことができ、部屋に飾ったら予想以上に綺麗です。
もう何度も書いていますが、クリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、子供のキリスト・・・"Christkind"(クリストキント)が持って来ます。
オーストリアではサンタクロースは絶対に登場しません。
クリスマス市も"Christkindlmarkt"と一般的に言われます。
うちにも夕食後、しばらくしてChristkindが多くのプレゼントをクリスマスツリーの下に置いて行きました。(笑)
さて、オーストリアには"Christkindl"という名の街があることを御存知でしょうか?
地元ではもちろん知られた街で、観光的にもかなり知れ渡ってきています。
そのChristkindlについて2回に渡り少しまとめてみましょう。
"Christkindl"という街はOberösterreichの一角で、リンツからだと車で40kmぐらい南に行った美しい街Steyr(シュタイアー)のStadtplatzからさらに4km程離れた所にあり、徒歩だと50分ぐらいかかります。
ここはSteyrの行政区に入る人口2.000人弱の小さな町ですが、ここには有名な巡礼教会とレストランぐらいしかありません。
この巡礼教会ができるにあたって有名な伝説があります。
<Christkindlの伝説>
Steyrに住んでいたFerdinand Sertlはこの地域の楽団長であり、火元見回り人をしていました。
彼は癲癇(てんかん)に悩まされていたこともあり、孤独を好んでいたということです。
1695年か1696年に彼はSteyrの修道女から12cmの大きさのワックスで作られた茨の冠をかぶった子供のイエス・キリストの磔刑像(CHRISTKIND)を買いました。
それをトウヒの木の幹に彫られた空間に捧げ、毎日このイエス像の前でお祈りをしたそうです。
するとまもなく彼の病気が治ったということです。
この話がまたたく間に広がって、奇跡を求める多くの人が訪れる巡礼場所となりました。
1699年にはこのトウヒの木の周りに木製の礼拝堂が作られました。
1702年にはこの地域GarstenのAnselm修道院長が石の教会にするきっかけを作り、建築家Giovanni Battista Carloneに依頼しますが、パッサウ司教の許可が下りず、次の年には中断してしまいます。
結果的に1708年に許可が下りますが、その時にはCarloneがこの世を去っていたので、メルク修道院をバロック化したことで知られるJakob Prandtauerが引き継いで、1725年7月26日に奉納されました。
現在でもここは重要な巡礼教会として知られています。
左上の写真はこの巡礼教会で、右上はこの教会内部の主祭壇です。
教会の正面は2本の塔が印象的なバロック様式です。
真ん中にも塔があるように見えますが、これはドームになっています。
この教会を作らせた修道院長Anselmのコンセプトではローマにある有名なパンテオンをベースにしています。
この主祭壇はオーストリアでは非常に珍しいスタイルで、初期ロココ様式となっています。
それは祭壇の枠というものが全くなく、そのまま空間に置かれていて、Tabernakel(タベルナーケル)という聖櫃が黄金の球体となっています。
このタイプのものはオーストリアにはここを含めて3つしか例がありません。
この球体の上に伝説の12cmのキリスト像が奉られています。
左上の写真が伝説のChristkind像です。
これがこの巡礼教会と街の名前になっています。
右上の写真は入口部分とパイプオルガンです。
この教会の内部はひとつのホール的空間しかなく、脇にはいくつかの祭壇があります。
右の写真は天井フレスコ画で、マリア被昇天を表していて、1710年、Carl von Reslfeldによるものです。
この天井ドームの形からわかるように、教会内部空間はこの円形の一空間しかありません。
逆に言えば天からの光がこのドームを通して内部に入り込んでくるという支配性を感じます。
昨日の日曜日が、Adventの第4日曜日となり、Adventskranzに4本目のロウソクが灯されました。
クリスマスが年間を通して最も重要なイベントです。
こちらでは今日の午前中にクリスマスツリーを装飾する人が多いと思います。
うちも先日買ったクリスマスツリーを今日まで庭のテラスに立てかけておきましたが、これから部屋に入れてネットを外して飾ります。
ウィーンの街は午後から晩にかけてとても静かになり、多くの人が家で家族とクリスマスを過ごします。
遠くに住んでいる人も実家に戻って来て、家族皆で食事をし、クリスマスを祝う人が多いと思います。
こちらではクリスマスには魚を食べる習慣があります。
魚はイエス・キリストのシンボルのひとつです。
家庭によってそれぞれの習慣があるとは思いますが、食事の前や後にBescherung(ベシェールング)と言われるプレゼント交換をするわけですが、この時に"きよしこの夜"が歌われます。
クリスマスソングとしてクリスマス時期にしょっちゅう流れているイメージがありますが、オーストリアではこのプレゼント交換のこの時、1回だけ、しかも敬虔な気持ちで歌われます。
このきよしこの夜はこの国オーストリアから生まれたことは御存知でしたか?
今年も私のこのサイトの伝統としてこの曲をクリスマス・イヴに取り上げます。
ザルツブルク中心から車で約20kmぐらい走った所にOberndorf(オーベルンドルフ)という人口5600人程の小さい街があります。
その街の一角に、この写真に見られるStille Nacht Kapelle(シュティレ・ナハト・カペレ・・・きよしこの夜礼拝堂)が立っています。
ここにはもともと聖ニコラウス教会が建っていました。
当時そのニコラウス教会で、1818年、ここの教会のオルガンの状態がとても悪く、弾ける状態ではなかったようです。
その年のクリスマスの12月24日にはそのオルガンをミサで使うことができませんでした。
そこでこの教会のヨーゼフ・モール神父が詩を書き、フランツ・グルーバー先生がその詩に曲をつけ、ここの壊れたオルガンの代わりにギターで伴奏されてその時歌われた曲・・・それが「きよしこの夜」(Stille Nacht) だったのです。
モール神父とグルーバー先生によって"きよしこの夜"が作られて歌われた当時のニコラウス教会は、19世紀終わりのザルツァッハ川の何回かの水害によって傷んでしまったため、最終的に1913年に取り壊されることになります。
その取り壊しから20年以上経った後の1937年8月15日、当時のニコラウス教会と同じこの場所にこの写真に見られるように現在の礼拝堂が奉納されました。
ちなみに現在でもこのOberndorfにはこのきよしこの夜記念礼拝堂から1km離れた所に新しいニコラウス教会が立っていて活躍しています。
この新しいニコラウス教会は1906年に建築が始まり、1910年に完成しています。
礼拝堂の中はシンプルな構造となっています。
上の2枚の写真は礼拝堂内部に見られるステンドグラスです。
左側がヨーゼフ・モール神父で、神父の下には当時のニコラウス教会も描かれています。
モール神父は詩人ではありませんでしたが、きよしこの夜の詩は、1816年にすでに書かれていたということです。
右側はグルーバー先生でギターを持って演奏していて、その下にはやはりニコラウス教会が描かれています。
彼ももちろん知られた作曲家ではありませんでした。
こちらは礼拝堂の主祭壇です。
この中はシンプルな小さな礼拝堂で、記念館的な雰囲気が感じられますが、現在でも宗教的に使われています。
"きよしこの夜"は、1818年・・・今から200年近く前にここで歌われ、その後「Stille Nacht! Heilige Nacht!」と呼ばれ、チロルの有名なツィラータールを経由し、ヨーロッパ全土に、そしてアメリカに・・・やがて日本にまでと、世界中に知られるようになったのです。
この曲なしのクリスマスは考えられませんね。
こちらではプレゼント交換をする前に必ずと言っていいほどこの曲が歌われます。
「きよしこの夜」は全世界330の言語で現在でも歌われ、親しまれています。
このきよしこの夜は2011年に無形文化遺産にも登録されました。
すでに お気付きだと思いますが、今年2018年はこの"きよしこの夜"が生まれた200周年記念です。
いよいよ明日がクリスマス・イヴとなりました。
うちは明日の昼過ぎぐらいからクリスマスツリー🎄を飾ろうと思います。
Chritkindがきっとプレゼントを持って来てくれるでしょう。
今年も
シュテファン大聖堂のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、Spittelbergのクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Schloss Hofのクリスマス市、Freyung(フライウング)のクリスマス市、Am Hofのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市、マリア・テレジア広場のクリスマス市話などのウィーン主要なクリスマス市を話題にしましたが、今年最後のクリスマス市としてMQのクリスマス市をお届けします。
昨日はマリア・テレジア広場のクリスマス市をお届けしましたが、そこからリンク道路を背にして、広場の反対側の大通りを渡った所にMQがあります。
MQのクリスマス市がウィーンでは一番早く11月8日にオープンしています。
MQとは正確にはMuseumsQuartierで、日本語ではよく博物館地区と呼ばれています。
これは1725年馬小屋として建てられたバロック建築です。
1922年からは見本市会場として使われ、2001年にこの建物を残しながら、その中庭空間を大きく改築し、博物館地区としてモダンなスポットに生まれ変わりました。
ここには左上の写真の奥に見られるレオポルド美術館、現代美術館、建築博物館、子供博物館、Kunsthalleなどや、おもしろい店やレストランなどが多く入っています。
他のクリスマス市と比べるとかなりモダンな雰囲気で、クリスマスイルミネーションも独特です。
MQの中庭空間にはモダンな屋台がいくつか並んでいて、それぞれが室内となっています。
屋台なのですが、それぞれが小さな店みたいな感じになっていて、柔らかな明るいカラーで灯されていて、幻想的な雰囲気です。
屋台の中には観光客は少なく、地元の若者が多くいて、プンシュを飲みながら語り合っています。
左上の写真は円形の屋根にイルミネーションが演出されていて、その下にはスタンドテーブルが多く並べられています。
左上の写真に見られるEisstockが楽しめる場所があります。
これはおそらく13世紀ぐらいスカンジナビアで始まったとされ、カーリングに似たようなものです。
右上の写真は屋台の中のワンシーンです。
屋台と言っても入るとわかりますが、"店"ですね。
MQのクリスマス市は他と比べて、やはりモダン性を感じます。
今日12月23日が千秋楽で14:00~23:00までです。
ウィーンにいらっしゃる方はちょっと覗いてみ下さい。
今年は11月27日に初めて日中の気温がマイナスとなり、その後0℃前後が続きましたが、12月4日は日中+12℃になりました。
その後1週間ぐらいは7℃前後という日が続き、そこからまた寒くなって日中1℃前後という日が続き、また気温は上昇気味です。
予報ではクリスマスは10℃前後です。
振り返ってみれば毎年クリスマスは10℃前後で、春に来る復活祭の時期の方が寒いというちょっと矛盾した陽気です。
さて、今週の日曜日に4本目のロウソクがAdventskranzに灯され、楽しかったクリスマス時期もフィナーレです。
今日はマリア・テレジア広場のクリスマス市をお届けします。
マリア・テレジア広場はヨーロッパ3大美術館のひとつに数えられる美術史博物館とその反対側に立つ自然史博物館の2つの荘厳な建造物の間にあり、広場の由来になっているマリア・テレジア女帝の像が堂々と立っています。
左上の写真に見られる美術史博物館では10月2日よりブリューゲル(父)の特別展示会が開催中で、事前予約の入場券も完売しているほどの大盛況となっています。
ここのクリスマス市は毎年賑わっていますね。
この時もたくさんの人が楽しんでいました。
広場の中央に立つ、マリア・テレジア像もライトアップしています。
去年2017年はマリア・テレジア生誕300周年記念の年で、特別展もあり、またウィーンフィルのニューイヤーコンサートでもこの広場が登場しています。
この女帝の像を囲むようにして多くの屋台が出ています。
奥に見えるのは自然史博物館です。
ここは地元の人よりも観光客が多く集まるようです。
美術史博物館を見学してから、ここでプンシュを飲んでちょっと気晴らし・・・いいですね。
天使のイルミネーションが設置されていて、記念写真が撮れるようになっています。
右はヴィレンドルフのヴィーナスの実物大コピーが売られています。
自然史博物館もここに屋台を出していて、クリスマスにはあまり関係ないミュージアムショップに本来売られている物が多くありました。
この広場に立つと2つの荘厳な建造物はもちろんのこと、リンク道路を超えて王宮、反対側にはMQ(博物館地区)も見られ、ウィーンらしい優雅さ、かつての帝国の都を感じます。
ここは昼間でもかなり賑わっていますが、やっぱり暗くなってからでしょう。
シュテファン大聖堂のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、Spittelbergのクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Schloss Hofのクリスマス市、Freyung(フライウング)のクリスマス市、Am Hofのクリスマス市、ミヒャエル広場のクリスマス市もどうぞ。
早いもので今週の日曜日がAdventの第4日曜日となり、Adventskranzに4本目のロウソクが灯されます。
今年は12月23日が第4日曜日なので、もう次の日が24日のクリスマス・イヴです。
毎年そうですがクリスマス時期の週末のウィーンは特に混雑します。
ウィーン市はアドヴェントの4回の土曜日に限りバスの規制を行っていて、事前に許可証がなければ中心部を走ることができません。
厳密にはリンク道路周辺1区と6,7,8,9区が該当し、その中をバスで走る場合は事前に申請して取得した許可証もしくは、オーストリア国家ガイドが所有しているEinfahrtsgenehmigungが必要です。
街中にあhウィーン市の係がたくさん出ていて、走っているバスをチェックしています。
さて、今日はじんまりしたクリスマス市を紹介します。
こちらは王宮のミヒャエル広場にあるクリスマス市です。
ミヒャエル広場はコールマルクトの延長上にあり、Herrengasseと交差したローマ時代から存在している歴史的にとても重要な場所で、ミヒャエル教会、ロースハウスなど見どころも多くあります。
ここのクリスマス市は "k.u.k. Weihnachtsmarkt am Michaelerplatz"という名称で、王宮のミヒャエル宮を背景に、かなりこじんまりしていますが、この美しい広場の美しい景観に溶け込んでいます。"k.k"という名前が示す通り、かつての帝国時代を思い起こさせる演出となっています。
ここの王宮のライトアップもとても印象的で、その前に小さな屋台がたくさん並んでいます。
屋台の色は白を基調としていて、ハプスブルグ帝国時代のワッペンがそれぞれの屋台に見られます。
ここは歴史的に重要な場所であり、王宮、歩行者天国のコールマルクトなど必然的に観光客が多く歩いていますが、他のクリスマス市と比べて空いていることが多いです。
美しい街並みを見ながらここにたたずんでプンシュを飲む時間があってもいいでしょう。
シュテファン大聖堂のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、Spittelbergのクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Schloss Hofのクリスマス市、Freyung(フライウング)のクリスマス市、Am Hofのクリスマス市もどうぞ。
もうクリスマスまでは秒読みですね。
街中を歩くと、クリスマスプレゼントの買い忘れはないかと言わんばかりに、慌ただしく歩く人々の姿が目立ちます。
街中にあるクリスマスツリーが売られている場所には、地元の人がどれにしようかと選んでいる姿も多く見られます。
車の上にクリスマスツリーを積んで走る姿もこの時期ならではですね。
さて、今年もシュテファン大聖堂のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、Spittelbergのクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Schloss Hofのクリスマス市、Freyung(フライウング)のクリスマス市を紹介してきましたが、このAm
Hofのクリスマス市も地元の人が多く行きます。
Am Hofのクリスマス市は"Weihnachts Markt Am Hof"と呼ばれています。
過去ここのクリスマス市は暗くなってイルミネーションが灯された雰囲気を取り上げましたが、今年は青空が広がる昼間です。
Am Hof は歴史的にとても重要な場所で、ウィーンがローマ時代にヴィンドボナと呼ばれていた頃から存在していた部分で、中世のバーベンベルク王朝時代1155年~1156年にウィーンに宮廷を移したハインリヒ2世がここに居城を建設させています。ハプスブルク家のフランツII/I世がオーストリア帝国を宣言した場所でもあり、 映画「第三の男」でも登場したりと話題が多い広場で、中央には黒のマリア像が立っています。
ウィーンの旧市街地の中で、建物に囲まれている広場としては最も大きく、長さ110mx60m(短い所は約30m)です。
右上の写真には黒のマリア像が見えていますね。
この広場を囲むようにしてたくさんの屋台が並んでいます。
昼間でも結構込んでいますね。
この時は地元の人の方が圧倒的に多かったですね。
カウンターのようになっているちょっと洒落た屋台もあります。
この広場で重要な建物のひとつが、左上の写真に見られるAm Hof(アム・ホーフ)教会です。
イタリア的バロック様式の正面がとても印象的です。
この時はマリア像のすぐ下で、有志の合唱団が讃美歌を披露していました。
美しいハーモニーだったので、多くの人がプンシュを片手に聞き入っていました。
ここからちょっと歩くとFreyung(フライウング)のクリスマス市があるので、同時に訪れてみて下さい。
クリスマスがあと何日したら来るんだろう・・・とわくわくしながら待つAdvent(アドヴェント)習慣ももうすぐ終わりです・・・ということはクリスマスがもうすぐそこまで来ています。
今週の日曜日にAdventskranzに4本目のロウソクが灯されます。
ウィーンの街にクリスマスツリーを売る業者が出始めると、何となく慌ただしさを感じると同時に、まもなくクリスマスがやって来ることを実感します。
ウィーンには300のクリスマスツリーを売る業者が活躍し、多くの人がクリスマスツリーを買って行きます。
こちらは毎年新しい自然のもみの木を飾ります。
おもちゃのツリーを飾る人はほとんどいないでしょうか。
でも傾向的には次の年にも使えるプラスチックのツリーを買う人も増えているとか・・・。
でもクリスマスはちゃんとしたもみの木です。
うちも毎年クリスマスツリーを買って、家に飾りますが、今年は昨日2mぐらいの形のいいもみの木を買い、24日まで庭に置いてあります。
装飾をするのは12月24日です。
さて、このクリスマスツリーを飾る習慣についてちょっとまとめてみます。
もみの木はTannenbaum(タンネンバウム)とドイツ語で呼ばれますが、特にこのクリスマスツリーのもみの木は、ここオーストリアではChristbaum(クリストバウム)と呼ばれています。
クリスマスプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなくChristkind(クリストキント)ですからね。
背丈が高いものから低いもの、全体の形が整っているものなど様々です。
オーストリアは林業も重要な産業であり、計画的な植林をしているため、もみの木がなくなることは絶対にありません。
毎年時期になると選ばれたもみの木が切られて売られるために運ばれてきます。
うちは毎年家の近くに出る業者からクリスマスツリーを買いますが、その業者はNiederösterreichのWaldviertelに広大な林業地を所有する地元で有名な業者で、家族経営ですがウィーンを始め周辺にいくつかの販売スポットを出しています。
毎年ここで買うのでうちはもう顔を覚えられていて、ちょっとした世間話になります。
この時期が年間を通して一番忙しい時期で、1月6日が過ぎると彼らは休暇に入るそうです。
でもその後、何もしないかというとそうではなく、切り取ったもみの木の根を掘り起こして、新しいもみの木を植える作業が待っていて、さらに成長しているもみの木も当然管理しなければいけないので、
非常に大変だということです。
平均的に植えてから10年前後のもみの木が一番需要があるということです。
そのぐらいのもみの木が普通の家庭に飾る高さに適しているんでしょうね。
こちらはグラーベンでクリスマスツリーが売られている光景です。
ツリーはネットに包まれて運ばれ、ネットが外されてKreuzと呼ばれる十字型の木に立てられて売られています。
クリスマスツリーが売られている場所には、右上の写真で見られるように円形の物が必ず置かれています。
クリスマスツリー(もみの木)の形はどれも一緒なので適当に大きさと値段で選んですぐに買う・・・ということにはなりません。
実際に飾ることを思い浮かべて、どのくらい緑が密集しているか、真っすぐであるか、均等であるか、ツリーの先が美しいか、全体のシルエットが美しいか・・・などポイントがいくつもありますので選ぶのは結構時間がかかります。
どれを買うか決めたら、Kreuzが欲しいか欲しくないか聞かれますが、どこの家庭にもたいていKreuzの代わりにクリスマスツリーを支える専用のものがあるので普通はKreuzは要りません。
このままツリーを運ぶのは不便ですし、しかもクリスマスまではまだ時間がありますから緑が乾いてはいけないのでもう一度ネットに包むわけです。
そこで前述したこの円形の物が大活躍をします。
ツリーの根本部分からこの円形の中にツリーを通していくと、狭くなっていく円形の中を通りながらツリーの葉が折りたたまれて、同時にツリーがネットでくるまる・・・という中々便利な物です。
このような品質保証を示すラベルが巻かれています。
Niederösterreich産で、写真の物は230ユーロもするのでかなり高いですね。
これは昨日のグラーベンです。
ここには毎年この時期にいくつかの業者がクリスマスツリーを売ります。
もうクリスマスまで秒読みです。
<クリスマスツリーを飾る習慣>
11月25日付でクリスマスの習慣について触れています。
その時に現在のクリスマスの原型となった3つの習慣を書きましたが、そのひとつである北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで使われていたのがもみの木です。
冬でも葉を枯らさずにいる・・・これが生命の象徴とされていました。
こうした「祭りごとを行う時に、もみの木を飾る」という行為は今のドイツにも伝わり、キリスト教の普及と共にキリスト教でもその習慣を引き継いで行きました。
1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が精霊救貧院にツリーを飾ったことが最初の、クリスマスツリーをクリスマスに飾った記録とされています。
常緑樹を飾ったのはなぜでしょうか?
日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。
そのような歴史的背景から現在に見られるクリスマスツリーを飾る習慣があるわけです。
12月も半ばに入り、ウィーンの街にはクリスマスツリーを売る業者が出始めました。
クリスマスツリーが街中で売られ始めると、クリスマスはすぐそこまで来ているという意識が強くなりますね。
11月半ばから始まったクリスマスの雰囲気がもっともっと現実的になると同時に、クリスマスプレゼントを買おうとする多くの人が忙しそうに街を歩いています。
さて、今年はすでにシュテファン大聖堂のクリスマス市、市庁舎のクリスマス市、シェーンブルン宮殿のクリスマス市、ベルヴェデーレ宮殿のクリスマス市、Spittelbergのクリスマス市、カールス教会前のクリスマス市、Schloss Hofのクリスマス市を紹介していますが、今日話題にするFreyung(フライウング)のクリスマス市も地元では人気があります。
Freyungのクリスマス市は"Altwiener Christkindlmarkt"(アルトヴィーナー・クリストキンドルマルクト)という名称でFreyungという旧市街地の広場で開かれています。
このFreyung (フライウング)はハプスブルグ家の前のバーベンベルク王朝時代にウィーンに宮廷を移したハインリヒ2世が、アイルランドからベネディクト会の修道士をここに呼んだ1155年から存続している歴史あるショッテン修道会と付属教会がある美しい広場です。
ここはかつては "Gegend bei den Schotten" (ショッテン修道会わきの地域)と呼ばれていました。
ドイツ語で現在のスコットランドはSchottlandと呼ばれていますが、Schotten は当時はアイルランドを意味していました。
Freyungという名は、このショッテン修道会に属したこの場所は、街からの行政が及ばない治外法権的な場所だったようで、ここに来れば自由になれる・・・ということから由来しています。
1710年からこの場所は「Freyung」と名付けられました。
この広場は二等辺三角形のような形で、周りにはショッテン教会だけでなく、多くの宮殿が立ち並んでいるウィーンらしい美しい広場です。
このショッテン教会側の限られた場所に屋台が立ち並び、この中は外界から完全に離れた別世界を形成しています。
2本の通りがあり、それぞれに小さな屋台が並び多くの物が売られていて、通り抜けるだけでも楽しいです。
もちろんここでも一番混んでいるのは右上の写真に見られるプンシュ屋台です。
地元の人がこの美しい歴史ある場所でクリスマスの空気を楽しんでいます。
クリスマス市の本来の楽しみ方です。
このFreyungは歴史ある美しい建物に囲まれ、その建物のライトアップも素晴らしい演出をしてくれます。
このようなこじんまりしたクリスマス市の方がより"地元"を感じます。
大きなクリスマス市もそれなりにいいですが、地元の人はこのようなこじんまりした静かな雰囲気で、しかし歴史を感じる美しい街並みのクリスマス市を好む人が多いですね。
私も個人的にここのクリスマス市は好きです。
長く感じたクリスマスを楽しむこのAdvent時期ももう今週で終わりで、Adventskranz(アドヴェンツクランツ)には昨日の日曜日には3本目のロウソクが灯されました。
クリスツリーを売る業者が街中で活躍している光景も当たり前になり、行き交う人々が心持ち忙しそうにしているのを感じます。
さて、今日はウィーンではない、でも地元では非常によく知られているSchloss Hofのクリスマス市をお届けします。
去年はこのSchloss Hofのクリスマス市を一番最初に紹介しましたが、今年はかなり遅めです。
ここのクリスマス市に来るのはうちのこの時期の伝統にもなっています。
Schloss Hofはウィーンのベルヴェデーレ宮殿を建築させるプリンツ・オイゲンの宮殿です。
ここはウィーンの中心から車でA4高速道路経由で60㎞で1時間弱、Marchfeld経由だ50kmぐらいで1時間ぐらいとちょっと離れた所にあります。
ここは通常の宮殿見学に入場料がかかりますので、このクリスマス市にも入場料がかかります。
しかし、規模が非常に大きいことと、クリスマス市以外でも楽しめることと歴史的にも重要な場所であることもあり地元では毎年大変人気のあるクリスマス市となっています。
左は入口から入ってすぐの屋台が並ぶ通りで、ここには毎年クリスツリーが立てられます。
右はこの屋台通りから右側に位置している宮殿Schloss Hofです。