このコーナーで何回かに分けて書いたHofburg(王宮)は非常に複雑で、様々な時代様式から成り立つ複合建築です。夏の離宮シェーンブルン宮殿のようにはっきりバロック建築で・・・というわけではありません。
約650年続いたハプスブルグ王朝時代に様々に増改築が行われて、結果的には一度も完成を
見ることはありませんでした。
是非こちらも参考にして下さい。
ウィーンの王宮1、ウィーンの王宮2、ウィーンの王宮3、ウィーンの王宮4
今回はその"Hofburg"のミヒャエル広場に面した部分についてです。

ウィーンのミヒャエル広場はコールマルクトの延長上にある、ローマ時代の道が交差した歴史的にとても重要な場所で、ミヒャエル教会、ロースハウス、カフェGriensteindlなど見どころも多くあります。
その広場で圧倒的に存在感を示しているのがこの王宮の一部分であるMichchaelertrakt(ミヒャエル宮)です。
この荘厳なミヒャエル宮はバロック様式で作られていますが、最終的に完成したのは19世紀終わりの1893年で、フェルディナント・キルシュナーによるものです。
もともとこの部分は18世紀1726年に、冬の乗馬学校と帝国官房棟を接続するというフィッシャー・フォン・エアラッハによるプランが存在しましたが、ブルク劇場がまだこの間にあったので、長く実現しませんでした。
リンク道路が完成し、ブルク劇場もリンク道路上に新しく建設されたので、ここにあった旧ブルク劇場を取り壊し、このミヒャエル宮が作られて、そのおかげでアルベルティーナ方面からずっと接続されることとなりました。

ミヒャエル宮には真ん中の大きなドームの他に小さなドームが左右に2つ、計3つのドームが見られます。
中央には4体のヘラクレス像が配置されていて、ミヒャエル宮の左右には「海の力」と「陸の力」を象徴した2体の素晴らしい像が見られます。
凹面状の曲線的に建てられたミヒャエル宮はネオ・バロック様式の堂々とした建築であると同時に、Tor・・・門ということで、Michaeltor(ミヒャエル門)とこの部分は呼ばれ、通り抜けることができます。