ロースハウス

ウィーンの旧市街の一角のミヒャエル広場は、ローマ時代からの道が交差し、ローマ時代の遺跡、王宮、ミヒャエル教会を始め重要な建物が並んでいる重要な広場です。

 

ここに"眉毛のないビル"として有名なロースハウスがあります。

 

 

王宮を背にしてこのミヒャエル広場に立つと、正面には歩行者天国で有名なコールマルクトが見え、そのすぐ左にこのロースハウスが建っています。

 

周りの歴史的な建築とは違って、モダン性がありひときわ目立ちます。


このロースハウスは、オーストリアの重要な建築家アドルフ・ロースによって、1909年~1912年に建てられました。

 

1909年5月に Goldman & Salatschという紳士服専門店のこのビルを新しくするという建築コンペがありましたが、満足のいく案がありませんでした。

その後まもなく、そのコンペの審査員だったと思われるアドルフ・ロースに依頼され、当時のモダンな技術の鉄コンクリートスタイルで建築します。

 

 

ロースハウスが建築されていくと、まもなく批判が飛び交いました。

19世紀後半からの時代は "Historismus・・・歴史主義"と

呼ばれ、ウィーンのリンク道路に代表される、様々な建築様式のオンパレードといったとても豪華な時代でした。

 

そんな時代様式に慣れた人々から見ると、このロースハウスは装飾がなく、大変なショックだったわけで、当局からも建築ストップがかかったぐらいでした。

 

伝統的に建物の窓の上部分には、庇のような装飾がされるわけですが、ロースハウスに関してはそれがなく、まるで"Haus ohne Augenbrauen" (眉毛のない家)と批判にさらされたわけです。

 

この写真を見ても、窓が綺麗にならんでいますが、装飾はなくスッキリしています。

当局と世間との1年間の論議の末、ロースは妥協策として、窓の下に花が置けるスペースを付け加えたわけです。

これが唯一の装飾的効果でしょうか。

そのため当初より時間がかかって1912年5月に認可されました。

 

ロースハウスの1階店舗部分は、ギリシャエーゲ海のエヴィア島からの大理石 Cipollino (チポリーノは炭酸が含まれた鉱物)を用い、トスカーナ様式の柱が配置されています。

 

2階から上は住居として使われていて、いたってシンプルです。

 

この写真はその1階大理石の柱部分です。

 

 

 

 

 

 

こちらはロースハウス1階の内部空間です。

現在はREIFEISENBANKという銀行が入っています。

中に入っても最初は銀行らしく見えません。

 

ロースは店舗空間をお客さん側と店側とハッキリ分け、

マホガニー材、オーク材など高価な素材を使用しました。

 

 

 

 


 

<アドルフ・ロース Adolf Loos >

 

アドルフ・ロースは、1870年12月10日ブルーノ(現在のチェコ)で生まれ、1933年8月23日 ウィーンで亡くなりました。

彼の父は石工・彫刻家でした。

10歳から成績が悪いことで、学校を転々としますが、ウィーンのアカデミーで少し学んだ後、19歳からドレスデンで学び、1893年に彼のおじさんが住むアメリカに渡り3年間滞在します。

その3年間は、日雇い、皿洗い、音楽表評論、家具デザインなどの仕事をします。

 

1996年からウィーンに住み、ジャーナリストと建築家として仕事をします。

 

有名なオットー・ヴァーグナーの影響を受けますが、オットー・ヴァーグナーのコンセプトを更に発展させ、"装飾は罪である"とも主張し、当時大活躍をしていた分離派やウィーン工房の装飾性を批判します。

(参考までにオットー・ヴァーグナーのアム・シュタインホーフ教会も御覧下さい)

 

興味深いことに、ヨーロッパ文明の基本であるギリシャ・ローマのアンティーク様式は、適切に用いるということで否定はしていませんでした。

このロースハウスの大理石の柱は前述したトスカーナ様式で、周辺のミヒャエル教会の前面、王宮の前面に使われている柱との協調性が見られるわけです。

 

オットー・ヴァーグナーと比べると、アドルフ・ロースが手掛けたものはそんなに多くはありませんが、近代建築の先駆者としてとても重要な建築家と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

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