今日はちょっと個人的な話題なので、いつもこのコーナーを読んで頂いている皆様にはあまりおもしろくない話題であることをお許し下さい。
だいぶ日が長くなってきたウィーンで、今日から夏時間に変わります。
日本との時差は7時間ですね。
毎年3月の最終日曜日の夜中の2時に
1時間進めて3時にします。
普段仕事に行く時にはたいて車を使いますが、先日久しぶりに綺麗な日の出が
見られました。
ちょうどこの通りの真正面にかなり大きく、赤オレンジ色の太陽が見えたので、
思わず車を停めて撮影しました。
綺麗な朝焼けでした。
ウィーンの街を歩いていると、この街は本当に文化的な街なんだな~と実感することがよくあります。
街中でよく劇場公演の宣伝を目にします。
オペラ、コンサート、演劇に足を運ぶ地元の人が本当に多いんですね。
この辺もウィーンという街の一面だと思います。
今日はウィーンの主要劇場で、どのくらい座席が埋まってるのか・・・というおもしろいデータを御紹介します。
これには演奏会場である楽友協会ホールやコンツェルトハウスは含まれていません。
※Statistik Austria より
初春のこの時期はウィーンにも色々な花が咲き始めます。
花は街をとても素敵に飾ってくれますが、咲いている時期が限られているのでこのコーナーでも最近花の話題がちょっと多くなっています。
ウィーンは音楽の都ですから、有名な音楽家が数多く住みました。
ウィーンに跡を残した作曲家と言えば、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、
ハイドン、ブラームス、ヨハン・シュトラウス等がすぐ浮かんできますが、
それ以外の音楽家でちょっと意外的なフランツ・リストもこのウィーンにはよく
住んでいました。
今ウィーンの街の至る所に
見られる黄色い花がこのForsythie
(フォルスィティエ),
もしくはGoldglöckchen
(ゴルトグレックヒェン)
とこちらで呼ばれている
レンギョウです。
ラテン語では
Forsythia × intermedia、
モクセイ科レンギョウ属の
樹木です。
久しぶりに車社会の話題ですが、Statistik Austriaによると、
2013年(去年)オーストリアで認可された全自動車数は、6.380.000台ということです。
この数は2012年よりも1.2%上回っています。
その中でPkw (Personenkraftwagen・・・トラックとかではなく普通の自動車)が、
4.640.000台と全体の72.7%を占めています。
以下2013年のそれぞれの州での認可されたPkwの台数です。
3月上旬ぐらいからウィーンの街や公園などに花が植え始められました。
もう何回も書いてますが、今年の冬は本当に暖かい冬で、
ある意味で「冬」というのがなかったような気がしています。
リンク道路の並木も緑をつけ始めています。
ウィーンの街には様々石作りの建物が並んでいます。
それが歴史的重要な建造物であったり、一般的な集合住宅であったりと、ありとあらゆる様式と装飾を見ることができます。
観光案内をしている時、装飾的な石積みで作られている建物は、本当に石がそのまま切られて積まれているように見えるので、初めから石を積んで作っているんですか・・・という質問をお客様から受けることがあります。
確かに外から見ると、建物も綺麗に並んで隙間なく建てられていて、
まるで綺麗な石が積まれているように見えます。
でもたいていは煉瓦で作られています。
ウィーンのリンク道路沿いにマリア・テレジア広場という有名な広場あがります。
そこには、マリア・テレジア女帝が中央に、その両側には美術史博物館と自然史博物館という、双子のような荘厳な建造物が見られます。
美術史博物館についてはここではすでに数回登場していますが、今回は自然史博物館について少し書きたいと思います。
ウィーンから南へ26km離れた
ウィーンの森の一角にバーデンという美しい温泉街があります。
この街はClaudius帝の時代
(41–54 n. Chr.)に Aquae
(アクヴァエ)という、重要な温泉療養を意味する名前で呼ばれていました。
896年にはパドゥンと呼ばれます。
1480年にStadtrecht (都市法、都市権)が与えられ、ハプスブルグ家のフリードリヒ3世皇帝によって現在でも使われている紋章が授けられました。
1529年、1683年のオスマントルコ、16世紀からの宗教改革や反宗教改革、17世紀後半、18世紀前半のペストなど様々なことを経験したこの街は
マリア・テレジアの孫、フランツI/II世皇帝が1796~1834年ほぼ毎年夏ここに滞在し、
その時の街並みが現在のバーデンの基本となっています。
2013年10月23日にこのコーナーで、ウィーンの王宮1について少し触れ、王宮の一番古い部分のスイス宮とそこにある王宮礼拝堂、スイス宮の中庭に通じるスイス門を中心に紹介しました。
ウィーンの王宮はハプスブルグ家が始まる前の13世紀からハプスブルグ帝国が終わる1918年までに様々な増改築が行われ、非常に複雑であると同時に、その時代を反映するあらゆる建築様式を見ることができます。
ヨーロッパ西側はキリスト教の発展や市民社会の確立などの影響もあり、様々な様式が
時代と共に存在し、それを現在私達の時代でも見ることができるわけです。
以前ユーロ紙幣のデザインをテーマにした時にも、ユーロ紙幣にもヨーロッパの主要な
建築様式が使われていることを紹介しました。
これらの様式は、建築、音楽、絵画、キリスト教、生活習慣、工芸品などなどあらゆる所に見られます。
絵画と言えばウィーンでは真っ先に美術史博物館が出て来ると思いますが、
ここは15世紀~18世紀の絵画史上とても重要な作品が目白押しです。
15世紀~18世紀といえば大きく分けてルネッサンスとバロックですね。
ルネッサンスの前のゴシックやその前のロマネスクでは、キリスト教の世界はとにかく神が中心であり、古代のギリシャ、ローマで培われた人間が主役である芸術が忘れ去られていました。芸術家という考え方はなく、絵を描く職人だったわけです。
しかし15世紀初頭フィレンツェから始まる、ルネッサンスは、古代復興であり、
人間が再び主役として登場し、絵画にも感情が吹き込まれ、遠近法なども確立されて、
ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった3大巨匠を雨生み出し、
絵画分野は飛躍的な発展を遂げることになります。
でもいきなりこの3大巨匠のような作品が登場したわけではありません。
絵画の世界では、イタリアのジョット(1266~1337)が絵画に最初に魂を吹き込んだと
されています。
フィレンツエのドゥオモの大ドームを手掛けたブルネレスキー(1377~1446)は遠近法の実験も行い、フィレンツェでヨーロッパ最古の捨て子養育院の建築にも携わります。
朝方は0℃前後ですが、日中はかなり春らしくなっているウィーンです。
今、街中の公園やシェーンブルン宮殿の庭園、ウィーンの森でいっぱい咲いている
小さい黄色い花がとても多く見られます。
2014年オーストリアでは先日3月3日からタバコの値段がひと箱につき
€ 0.20-値上がりしました。
あまり信じてもらえないかもしれませんが、生まれてから私は実は一度もタバコを
吸ったことがありませんし、口にくわえたこともありません。
こちらは50m²を超えるカフェ、レストランは、2009年から禁煙ゾーンと喫煙ゾーンを
分けなければいけないという法律になっています。
(ただし50m²以下でひとつの空間しかないカフェなどは自由選択です)
タバコが生活の必需品になっている方にとっては迷惑な話ですね。
今日はオーストリアでのタバコの値段を挙げてみたいと思います。
以前このコーナーで紹介した「カフェ ハイナー」や「オーバーラー」といった
ケーキがおいしいことで有名なカフェのチョコレートもお勧めですが、
今日は別のチョコレート屋さんを紹介したいと思います。
このチョコレート屋さんは、日本からオーストリア航空の直行便でウィーンに来る方々に、去年から徐々に知られてきた、質のいいチョコレート屋さん
「LESCHANZ」(レシャンツ)について少し書いてみたいと思います。
シェーンブルン宮殿を観光している時に、お客様から「絵葉書を出したいんですが、どこかで出せますか?」という御質問をよく受けます。
灯台下暗しではありませんが、実はシェーンブルン宮殿にはちゃんと郵便ポストが設置されていて、街中のポストと全く同様にハガキを日本宛てに出すことができます。
ウィーンの今年の冬は、1月25日に日中の気温が初めてマイナスになり、冬らしさが1週間続きましたが、それ以外は現在までずっと5~12℃と冬らしくない冬です。
街中に植えられている植物を見ても春らしくつぼみをつけてるものがたくさん見られます。
先日3月1日の新聞記事によると、オーストリアでは去年2013年に結婚したカップルは
前年度2012年をかなり下回ったようです。
オーストリアは9つの州がありますが、去年2013年は全ての州で下回っています。
以下それぞれの州での結婚したカップルの数と前年度との比較です。
※Heuteより
ウィーン旧市街一角にFleischmarktというよく知られた通りがあります。
その界隈は当時Griechenviertel (グリーヒェンフィアテル)と言われ、いわゆる
「ギリシャ人街」的な意味でしょうか。
グリーヒェンフィアテルはこのFleischmarkt から西側はRotenturmstraßeを超えて
ユダヤ人街区までの界隈です。
この地域には17世紀中頃からオリエント貿易を営むギリシャ人の商人が多く住み始めた
ことからGriechenviertelと呼ばれました。
この地域に19世紀に、GeorgkircheとGriechenkirche zur Heiligen Dreifaltigkeit の2つのギリシャ正教会が建てられます。
この時期は、ドイツ語でFasching (ファッシング)つまり謝肉祭の時期です。
謝肉祭はカーニバルと日本でも言われることもありますが、中世ラテン語のcarnem levare (ドイツ語ではFleisch wegnehmen・・・直訳で肉を取り上げる)、またはcarne vare(肉よさらば)から来ているという説が一般的でしょうか。
他の説としては、冬を追い払って春の到来を祝う古代ゲルマン民族の習慣に由来し、その農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説などもあるようです。
Fasching(謝肉祭)はFastenzeit(ファステンツァイト)、日本語で四旬節の前です。
四旬節は、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になりその後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・断食・慈善が基本となります。
ドイツ語でOstern (オステルン)これが日本語では復活祭と訳されています。
復活祭の習慣についてはまたその時に書きたいと思いますが、復活祭は移動休日です。
復活祭は今年2014年は、4月20日の日曜日です。
そこから日曜日を除いて40日間遡った日が、Aschermittwoch (灰の水曜日)で、今年で言えば3月5日です。
その前日の今日3月4日火曜日がFaschingのクライマックスです。
この40日間はイエスが荒野で断食をした長さですね。
紀元600年頃にどうやらローマ教皇グレゴリウス1世が復活祭前の断食時間を定めたようです。
そのため謝肉祭は厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・・という意味があるわけです。
謝肉祭はいつから始まるかというと・・・ドイツ語圏ではたいてい1月6日の聖三王の日(Heilige Drei Könige)からというのが一般的でしょうか。
グレゴリオ1世の時代の謝肉祭は、四旬節が現在より6日遅かったようです。
11世紀終わりに四旬節の初日が灰の水曜日に定められ、12世紀には現在の長さになっていたようです。
また場所によっては11月11日11時11分から謝肉祭が始まる所もあるようですが、これは19世紀以降に登場した習慣です。
11月11日と言えばウィーンの場合クリスマス市すらまだオープンしていません。
これからクリスマスが来るまで街が盛り上がるわけで、その時に謝肉祭の雰囲気は全く感じません。
以前このコーナーで、「塩をこぼすと悪いことが起きる・・・」という習慣について
書きました。
似たような習慣で、煙突掃除屋(Rauchfangkehrer・・・ラウフファングケーラー)を
見るといいことが起こる・・・と言われています。
ウィーンでちょっと話題性がある名物レストランやケラーがたくさんあります。
このコーナーでもいくつか紹介していますが、今回はZwölf Apostelkeller
(ツヴェルフ アポステルケラー)について少し書いてみたいと思います。
Zwölf-Apostelは12使徒・・・という意味です。