オーストリアにおいてクラシック音楽の3大作曲家と言えば、モーツァルト、シューベルト、ハイドンですね。
音楽に興味がない方でも名前は知っているでしょう。
特にモーツァルトは誰でも知っているので親近感があると思いますが、逆にハイドンは有名ですが音楽に興味ない方でも知っているような作品はそんない多くないかもしれませんね。
しかし、ハイドンは当時、ヨーロッパでは一番尊敬された音楽家であり、それこそモーツァルトやベートーヴェンとも親交があり、大きな影響を与えました。
今日3月31日はハイドンが生まれた日ですから、このハイドンの埋葬に関しての有名なエピソードとお墓について少しまとめます。
このコーナーでもハイドンに関することはかなり取り上げていますので参照して下さい。
ハイドンザール、皇帝賛歌作曲の場所、マリアヒルファー教会、ウィーンのハイドン博物館、アイゼンシュタットのハイドン博物館
まもなく復活祭です。
今年の復活祭は4月1日ですから、今週の日曜日です。
昨日が後の人が名付けた最後の晩餐で、今日イエスが命を落とすことになります。
ドイツ語ではOstern(オステルン)と言いますが、厳密には"復活祭"という訳ではありません。
この時期には至る所にたまご(イースターエッグ)、うさぎ、ネコヤナギが飾られているのが見られます。
これは復活祭の3大シンボルでしょう。
イースターエッグは色々工夫を凝らし、色が塗られていたり、素敵な絵が描かれていたりと色々なスタイルがあります。
どうしてたまごには色が塗られるのでしょうか?
先日国立オペラ座付近の路面電車の線路工事を話題にしました。
この工事のおかげで国立オペラ座付近やSchwarzenbergplatz付近のリンク道路がかなりの渋滞となっています。
今週はOsterferien(オスターフェーリエン)という休暇なので、学校もお休みですから地元の人はスキーや色々な所に出かけています。
つまり交通量が少なくなるわけですね。
その時を見計らって工事というわけですが、毎日観光している私にとってはリンク道路も通れませんし、渋滞も生じるのでかなりの支障が出ています。
さて、3月31日より短期間ですが地下鉄4号線(U4)の工事も行われ、その時期ウィーンを訪れる方は要注意です。
今年は復活祭が4月1日と去年よりも早いため、復活祭市(Ostermarkt)もそれに合わせて早く始まりました。
復活祭市はクリスマス市とは違って、限られた所でしか見られません。
シェーンブルン宮殿の復活祭市、Freyungの復活祭市と話題にしましたが、もうひとつ今日はAm Hofの復活祭市の様子をお届けします。
復活祭は宗教的に一番重要だと思いますが、実際生活の中では春の訪れを祝う空気の方が遥かに強く感じます。
朝はまだ冷え込みますが、日中は10℃前後で青空が広がる日が多くなりました。
今年の冬はそんなに寒くなかったのですが、寒さの後、暖かくなり、また寒くなったりと安定しての暖かさはまだ到来していないようです。
さて、前回の知られざる美しい中庭風景53では旧市街から2つの中庭を取り上げましたが、今回は旧市街と郊外です。
そう言えば今日3月26日はベートーヴェンの命日ですね。
彼はモーツァルト以上にウィーンで足跡を残し、ウィーンで亡くなっています。
さて、ウィーン観光で役立ちそうな情報に書きましたが、3月23日から国立オペラ座付近で路面電車の線路工事が行われています。
線路工事なので、路面電車は走りませんし、一般車も通行することができません。
つまりリンク道路のその区間は閉鎖されています。
具体的にはSchwarzenbergplatz〜Babenbergerstraße(モーツァルト像がある王宮庭園界隈)の区間です。
朝はまだまだ冷え込んでいますが、日中は10℃前後という日が続いています。
まだまだ厚着をしている人が多いですが、レストランやカフェのテラスに座っている人を多く見かけ、たくさんの人が街中を歩いています。
さて、先日毎年恒例のシェーンブルン宮殿の復活祭市を紹介しましたが、こちらの復活祭市も地元では多くの方が訪れています。
今年は復活祭が4月1日と去年よりも約2週間早いので、復活祭市なども早く始まりました。
昨日はシェーンブルン宮殿の復活祭市を話題にしました。
街中を歩けば復活祭を感じさせる装飾が多く見られます。
復活祭はドイツ語ではOSTERN(オステルン)と言いますが、これは厳密にキリストが復活したことを表す言葉ではありません。
OSTERNについては別の日に取り上げますが、生活の中ではキリストが復活することを祝うよりも、春の訪れを祝う空気の方が強いと思いことを昨日も書きました。
その復活祭シーズンに頻繁に見られる3つのシンボルを紹介しましょう。
今年の冬は暖かく、2月25日に初めて日中の気温がマイナスになりました。
それから6日間だけずっとマイナスでかなり寒く感じましたが、それからは15℃も超えて春が一挙に近づいた陽気でしたが、それからまた寒くなりと変なリズムになっています。
復活祭が近づいているにもかかわらず、4月も寒い予報が出ているようです。
今年の復活祭は4月1日で、去年は4月16日でしたからかなり早いことになります。
復活祭については例年通りまた取り上げますが、ドイツ語で復活祭は"OSTERN"(オステルン)と言います。
これは日本語で言われている復活祭の本来の訳ではありません。
キリストが復活したことを祝うわけですが、生活をしていると実際には春の訪れを祝っている・・・という感覚の方が強いですね。
さて、今日は毎年恒例のシェーンブルン宮殿の復活祭市の模様をお届けしましょう。
ウィーンはヨーロッパ文化が凝縮したかつての帝国の都です。
荘厳な建造物が多く建ち並び、豊かな緑に囲まれ、上品で高貴な一面もありながら、どこかいい意味でのいい加減さが感じられる街で、とても住みやすいと思います。
私はウィーン以外に住むことは考えられないほど、ウィーンの魅力に取りつかれてしまいました。
実際にウィーンの生活のクオリティーが高いことは世界的に知られています。
さて、今年もウィーンの街は世界で一番住みやすい街に選ばれました。
9年連続で10回目です!
春が近づいて来たと思ったら、先週末の日曜日からまた寒くなりました。
しかし、今日から気温が上昇し、暖かくなるようです。
さて、今日はウィーンのちょっと珍しいアングルです。
前回のウィーンのちょっと珍しいアングル53では、Hotel Savoyen Viennaの上階からの眺めを話題にしましたが、今回はその続編です。
先日オーストリアの現首相Sebastian Kurz(セバスティアン・クルツ)さんについて少し話題にしました。
彼はまだ31歳、欧州諸国では最年少の首相ということになります。
彼が党首となっているオーストリア新国民党(neue ÖVP)は去年10月15日の国民議会選挙で1位となり、3位となった自由党(FPÖ)と連立政権を組んでいます。
ÖVP(Österreichische Volkspartei)の前身は、ハプスブルグ帝国時代末期の1893年からオーストリア共和国になっての1934年まで存在したキリスト教社会党(Chritlichsoziale Partei)で、第2次世界大戦後の1945年4月17日にウィーン1区のショッテン修道会で結成されています。
この時の中心的人物の1人であるLeopold Figlさんは後、オーストリア第2共和国の首相の1人となります。
その後多くの首相が登場しますが、それぞれの首相と任期をちょっとまとめておきます。
オーストリアでは首相のことをBundeskanzler(ブンデスカンツラー)と呼んでいます。
日曜、祝日は日本では稼ぎ時であり、当たり前のようにお店がオープンしていますが、ウィーンでは逆にほぼ全面的にクローズです。
私はウィーンに25年ぐらい住んでいますが、日曜日に買い物が出来ないことはもう慣れてしまい、当たり前となってしまいました。
正直この方が生活にリズムがあっていいと思います。
ウィーンでの週末はやっぱり週末の空気を感じます。
週末の空気は平日と比べると全然違います。
ウィーンでの週末の空気は重要です。
日本は本当に便利だと思いますが、無くてもいい物がたくさんあると思います。
それでも旅行者の皆さんは日曜、祝日にウィーンに滞在することもあるでしょう。
日曜日に何か買えたらな~・・・と思うのは日本の習慣からすれば当然です。
ウィーンではここ数年で場所は限られていますが、日曜、祝日に開いているスーパーも少しずつではありますが増えてきています。
5年ぐらい前に日曜、祝日に開いているスーパーについて話題にしていますが、
今日は中心の便利な場所にある日曜、祝日でも開いているスーパーを紹介します。
オーストリアでひとつの観光スポットとして、最も多くの人が訪れるのがシェーンブルン宮殿です。
シェーンブルン宮殿はヨーロッパで重要なバロック建築であり、世界遺産にも登録されていて、宮殿見学、庭園見学、動物園など幅広く楽しめます。
団体ツアーではシェーンブルン宮殿に入らないことは僅かの例外を除いてまずありませんし、個人で旅行される方もウィーンが初めてであれば必ず訪れるでしょう。
私も仕事では午前、午後と1日に2回行くことも年間を通してしょっちゅうです。
このシェーンブルン宮殿には国家ガイドの案内で見学する(団体ツアーや個人旅行)、個人で見学する、ここのガイドツアーで見学する場合とあります。
今年度のシェーンブルン宮殿の入場料金ここにまとめます。
ウィーンの今年の冬はとても短かった気がします。
2月24日までは日中はマイナスの気温にならず、暖かい冬でした。
その翌日2月25日から6日間だけは日中-5℃前後と寒い日が続きましたが、3月3日の週末からは気温が上がり、日中は10℃を超える日が多くなり、一気に春が近づいた気がします。
観光も陽気がいい方がずっといいですね。
とは言いながら、今日は午後から気温が下がり、明日と月曜日は日中マイナスになる予報が出ています。
しかし、火曜日からはまた暖かくなるようです。
私は仕事上、毎日のように皆様にオーストリア、ウィーンを様々な角度から御案内しているわけですから、毎日皆さんと一緒に歩いているわけですね。
改めて考えると一緒に観光しているわけですから、毎日かなり歩くことになります。
ウィーンは広い街ですので、見所も点在しているため、大型バスや専用車などを使った観光が比率的にも多くなりますが、それでもシェーンブルン宮殿や美術史博物館などの内部見学でも、博物館内はかなり歩きます。
そういう意味では健康的な仕事だと思ってますが・・・。
さて、仕事で歩くのはいいですが、またプライベートでも家族とよく散歩します。
仕事以外の角度からウィーンを見るのはまた別の意味で面白いです。
うちがよく歩く散歩コースはウィーン21区のStammersdorf界隈で、ここにはグリンツィングなどとは全く雰囲気が違う、地元の本格的なホイリゲ街があります。
今年は復活祭が4月1日とかなり早いです。
日本語では復活祭と呼んでいますが、ドイツ語ではOSTERN(オステルン)と言われ、"復活祭"という意味ではありません。
キリスト教的では年間を通して復活祭が一番重要だと思いますが、生活の中ではクリスマスが一番重要でしょうか。
復活祭はイエス・キリストが復活することを祝うものですが、実際に生活の中では春の訪れを祝う空気の方が遥かに強く感じます。
今年の冬は暖かく、日中の気温がマイナスになったのは2月25日からの6日間だけでした。
それから気温が上がり始め、木々にもつぼみが多く見られるようになってきました。
まだ冬時間ではありますが、日中の気温が15℃前後になると、街中にはまたテラスが出始めます。
冬の間はテラスは片づけられますが、毎年3月の初旬ぐらいになると多くのカフェやレストランでテラスを出し始めます。
日中の気温も上がり、春が近づいているウィーンです。
街中のカフェやレストランにもテラスが出され、ウィーンらしい開放的な空気が感じられるようになりました。
観光もとても気持ちがいいです。
春が近づくと、ガーデニングをテーマとするものが多く登場してきます。
普通のスーパーなどでも春の花や土なども売られているぐらいなので、多くの人がガーデニングに興味があるんだなということがわかります。
こちらは外でお茶が飲めたり、食事ができる・・・つまり"庭"があることはひとつの生活のクオリティーを象徴するものでしょうか。
中心部では集合住宅ですから庭がないのは当たり前ですが、ウィーンもちょっと中心から離れると多くの庭付きの家が建っていることがわかります。
集合住宅でもバルコニーがあるような所はすぐに人が入ります。
そんなこの時期、毎年恒例の"WOHNEN&INTERIEUR"(住まいとインテリア)の大きな見本市が開かれますが、一昨日にちょっと出かけてみました。
先日雪化粧のハイリゲンクロイツ修道院を話題にしましたが、今年の冬で一番寒かった時でした。
寒かったと言っても、日中の気温が連続でマイナスとなったのは6日間だけでした。
しかし日中-5℃前後でしたので、それまで暖かっただけに余計に寒く感じました。
この寒い6日間で2回ウィーンの森に行きましたが、雪のウィーンの森も悪くないです。
旅の日程が決まっているお客様からすれば、青空で緑豊かな方がウィーンの森らしいとは思いますが、雪化粧の森の中をバスで走って行くのも情緒があります。
さて、ウィーンの森観光では、見所が点在している南方面に行くことが圧倒的に多いですが、こちらに来たらマイヤーリンクは外せません。
悲劇のマイヤーリンクと言われた歴史上有名な事件が起きた場所だからです。
今日はここの雪化粧を少し紹介します。
ウィーンの墓地と言えば真っ先に中央墓地が挙げられます。
ここは多くの有名な音楽家が眠っていることや映画「第三の男」のラストシーンの並木道があることで知られ、重要な観光スポットとなっています。
私も年間を通してここにはよく来ます。
中央墓地があまりにも有名なので、観光レベルで見ればウィーンにはこれしか墓地がないような印象を受けますがウィーンも外側に行けばそれぞれの地域に多くの墓地が存在しています。
今日はそんな墓地をひとつ話題にしてみます。
ウィーンの中心部には星の数ほどレストランがあります。観光客が行き易いレストラン、地元の人が多く集まるレストラン、イタリアン、ギリシャ料理、インド料理、和食といった国際色豊かなレストランと様々ですから食事には言葉の問題を除いて困ることは絶対にありません。
ウィーンは広い街ですから中心の外側にだって星の数ほどレストランがあります。
神聖ローマ帝国の皇帝の居城があったウィーンの街は宮廷文化が栄えていましたから、食事もおいしいです。
オーストリアの郊外にも気軽に寄れて雰囲気がいいレストランがたくさんあります。
郊外には逆にウィーンでは見られないようなスタイルのレストランが多くあり、オーストリアの地元なのですが、情緒ある個性を感じるレストランがたくさんあります。
今日はそんなレストランをひとつ話題にしましょう。
数日前から日中10℃を超える陽気になり、春が近づいています。
今年の冬で最も寒くなった2月25日からの6日間でしたが、その時の午前中ウィーンの森に行きました。
先日雪化粧のハイリゲンクロイツ修道院を話題にしましたが、このハイリゲンクロイツ修道院を見学した時に、寒さを感じさせる芸術的な泉水盤が見られました。
2月の半ば頃に、北海道教職員組合(北教組)の皆様とウィーンで2日間御一緒し、オーストリアの教職員組合(Gewerkschaft Öffentlicher Dienst)を訪れました。
北教組は日本教職員組合が結成される1年前の1946年に生まれていて、公立の小中学校、高等学校勤務されている教職員の方々から成る労働組合です。
北教組の皆様は定期的に海外教育視察を行われていて、今年はウィーンに来られたというわけです。
ウィーンではこのオーストリア教職員組合訪問以外に、ウィーンの公立のGymnasium、小学校の視察、国連訪問が目的で、一部観光もありました。
2月25日の日曜日から今年の冬初めて日中の気温がマイナスとなりました。
それから1週間はずっとマイナスの気温で、今まで暖かかっただけにとても寒く感じました。
この1週間にウィーンに来られた方はウィーンってこんなに寒いのんだ・・・と思われたかもしれませんが、この期間は周辺どこに行っても寒かったと思います。
この寒い時期に学生の皆さんとウィーンの森へ行きました。
団体ツアーの場合は予め観光する場所が決まっている場合がほとんどですから、天気が良かろうと悪かろうと天気に関係なく観光します。
もっとも個人で旅行されても、現地での観光内容は自由に変えられても、旅行日程はたいてい予め決まってますから、天気は運と言うことになりますね。
ウィーンの森に行ったのは3月2日の午前中で、この日は雪がぱらついていて、ウィーンの街中はちょっと白くなり始めていましたが、ウィーンの森はウィーンよりも標高が高いので、真っ白だろうな・・・と思いながらバスを走らせました。
2月25日~3月2日までの6日間は日中マイナスであった本当に寒い日が続きました。
今まで暖かっただけに余計に寒く感じましたが、その後は日中の気温もプラスとなり、今週末は18℃ぐらいと一気に春らしくなるようです。
昨日は日中11℃ぐらいあったので、コートなどを着ていない多く、開放的な空気でした。
このまま一挙に春が来て欲しいものです。
さて、昨日はベルヴェデーレ宮殿の朝、開館前の特別入場から始まって、シェーンブルン宮殿、リンク道路主要な場所でのフォトストップであった詰まった午前中で、午後は少人数でしたが視察を主体とした皆様と御一緒して、最後にベルヴェデーレ宮殿に行きました。
つまり、昨日はベルヴェデーレ宮殿から始まって、ベルヴェデーレ宮殿が最後の観光地だったわけです。
相変わらずこのベルベデーレ宮殿は毎日のように入場観光していますが、3月に入ってから1月8日から始まった模様替えも終わり、絵画の配置がガラッと変わりました。
もう何回も書いていますが、今年の冬は暖かく、日中マイナスになった日が2月24日までは1日たりともありませんでした。
次の日25日から予報通り寒くなり、1週間はずっと朝方-10℃前後、日中も-5℃前後と冷え込みました。
風も強い日があり、体感的にはもっと寒く感じた日もありました。
学生さんのツアーが多くあり、数十分街中を歩くだけでも多くの皆さんが寒くてもうだめ・・・と言われてました。
気温がマイナスの時には寒くても逆に青空が広がることがよくあります。
先日今年3回目の雪景色としてシェーンブルン宮殿を話題にしましたが、その時は青空ではなかったので、今回は青空と雪化粧のシェーンブルン宮殿です。
オーストリアの地形はヨーロッパアルプスが大きく横たわっているという特徴があります。
ウィーンはかつての帝国の都ですから荘厳な建造物が多く建ち並んでいて、アルプスがある国の首都とはとても思えません。
ウィーンの街からは、高い所に上らない限りアルプスが見られることはほとんどありません。
実際に見えてもそれはウィーンの森ですから標高は550m弱です。
場所によってはSchneeberg(シュネーベルク)が見られる所はありますが・・・。
ちなみにウィーンの森はヨーロッパアルプスの一番東側になります。
ウィーンから西に行くにしたがって山がどんどん高くなっていきます。
アルプスがあるおかげでアルペンスキー発祥となったオーストリアですので、スキーもサッカーと並んで国民的スポーツとなっています。
日本ではスキーよりもスノーボードの方が人気があるかもしれませんが、オーストリアではやっぱりスキーですね。
そのスキーを日本に伝えた人がオーストリア人であったことは御存知でしょうか?
その人は"レルヒ少佐"という人物です。
今日はこのレルヒ少佐と彼のお墓についての話題をお届けします。
ヨーロッパは歴史を感じる様々な建築様式を見ることができます。
ウィーンの街も荘厳な建造物が多く建ち並んでいて、街が美しく見える演出をしてくれます。
ヨーロッパの建築様式にはアーチを伴うことが多く、教会や建物のアーケード、窓などにアーチ構造を見ることができます。
"アーチの奥に見える風景"として何気なく始めましたが、今回で20回目となりました。
前回の19回目はヴァッハウ渓谷のSpitzにあるヒンターハウスの廃墟のお城から取り上げましたが、今回もヴァッハウ渓谷からです。
19世紀以降日本の文化はヨーロッパ文化にも大きな影響を与えていて、世界の色々な所に日本庭園が造られるようになります。
異文化主義と言ってもいいと思いますが、日本のイメージというものが表現されているのでしょう。
ヨーロッパももちろん例外ではなく、数えるのが大変なぐらい多くの日本庭園があります。
ドイツには多くの日本庭園があり、フランスやオランダ、ベルギー、スイス、イタリア、ポーランド、チェコ、クロアチア、スゥエーデン、ノルゥエー、フィンランド・・・本当にたくさんあります。
ここウィーンにだってシェーンブルン宮殿の日本庭園、世田谷公園、旧AKH内のミニ日本庭園、
寅さん公園などすぐに思い浮かびます。
今日はまた別の日本庭園をちょっと話題にしてみましょう。
ヨーロッパの車文化は街が最初にあって、後から登場した車が歴史ある街に共存させてもらっているという感覚でしょうか。
ウィーンは車の所持率が高い街であり、たくさんの車が走っていて、そこらじゅうに路上駐車を見ることができます。
特に縦列駐車が頻繁に行われますので、縦列ができないとこちらでは話になりません。
街中を歩いていると、ギリギリに縦列駐車している状況をよく目にします。
お客様からは「よく、入りますね・・・これで出られるんでしょうか?」とよく言われます。
縦列は慣れですね。何回もやることになれば感覚的に覚えます。
さて、こちらは日本で言えば"外車"が当たり前のように多く走っていますが、日本車だってそれなりに走っています。
個人的なことですが、私も7年前からはずっと日本車に乗っています。
オーストリアでは日本車と言えばTOYOYTAとMAZDAが多く見られますが、それ以外の日本車もそれなりには見かけます。
日本車のSUZUKIと勘違いしていまう頭文字が"S" から始まるヨーロッパ車SEATは多く見られます。
今日から3月ですが、今週はとても寒く、日中-7℃前後ですが、週末から気温が上がるようです。
さて、ウィーンはカフェハウス文化が生活に密着しています。
100年以上もプライドと個性を持って営業している伝統カフェハウスが何軒もあります。
ウィーンを訪れたら歴史的建造物を見ることも大事ですが、このような伝統カフェに入って少し落ち着くことも外せません。ウィーンのカフェ文化の空気に少しでもに触れることができます。
私もプライベート、また仕事でもお客様と色々なカフェに行きます。
多くのカフェでは自慢のトルテも提供されていますが、それだけでなく軽食からしっかりした食事まで提供されています。
昼食などは有名なカフェに入って済ませることもいいですね。
もう何度も書いていますが私個人的浮名カフェは多くありますが、中でもSperl(シュペルル)はお気に入りです。
ここはカフェやトルテはもちろん、朝食から夕食まで幅広く提供されていて気軽に寄れます。
ちょっと軽く食べておこうかな・・・という時にここでEiernockerlをよく食べます。