今日は11月30日で、11月の最後の日です。
この時期ウィーンの街中では至る所にクリスマス市を始め、クリスマスの雰囲気を見ることができます。
教会的には復活祭が一番重要ですが、生活の中では年間を通してクリスマスが一番大事な
行事です。
現在私達の時代、世界中でクリスマスは祝われていますね。
"クリスマス"(ドイツ語ではWeihnachten)と一言で表現されていますが、
国や地域によって、また宗教的にもクリスマスの習慣は異なっています。
中でもサンタクロースが一般的で、私達日本でもそうですね。
でもオーストリアではクリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、
子供のキリスト(Christkind・・・クリストキント)が持ってきます。
だってクリスマスはイエスが生まれたことを祝うものであるからです。
クリスマスの習慣はどこから来たかについてはこちらを御覧下さい。
このクリスマスの時期に街中至る所に見られるもののひとつとして
Adventkranzがあります。
ウィーンの街中には多くの場所に記念碑的な像が立っていたり、美しい建物の装飾と共に
ちょっとした像も施されています。(例.Bürgerhaus1を参照)
そんな像の多くは歴史上の有名人ですが、キリスト教文化のヨーロッパですから宗教画と
同様にキリスト教をテーマにする像も多く見られるわけです。
キリスト教と言えばすぐに、イエスの磔刑像や幼子イエスと聖母マリアを思い出すわけですが、今回はその"聖母マリア"についてマリア信仰をベースに少し触れてみたいと思います。
王宮の宝物館には大変貴重で、歴史的にとても重要な物がたくさんあるわけですが、
前回はルドルフ2世の帝冠(オーストリア帝国の帝冠)を紹介しましたが、今日は同じ帝冠でももっと古い神聖ローマ帝国の帝冠について書いてみたいと思います。
先日Stammersdorfからの気持ちのいいサイクリングコースを紹介しましたが、その時に
"Euro Velo"(ユーロヴェロ)に一瞬触れました。
このEuro Veloについて少し書きたいと思います。
ウィーンの街を観光で歩く時は必ずと言っていいほど国立オペラ座の場所がひとつの目安になると思います。
国立オペラ座は1868年にリンク道路最初の大建造物としてプランされ、シッカルズブルク、ニュルという2人の建築家によりルネッサンス様式で建てられました。
国立オペラ座では年間約300回の公演数であり、2日として同じ演目が続かないという
大変な運営状況です。
今回はこの国立オペラ座の舞台裏事情について少しまとめてみたいと思います。
この国立オペラ座については何回か話題にしているので興味ある方は以下も御参照下さい。
ウィーンの街はヨーロッパで2番目に長い河であるドナウ河が流れているわけですが、
前にもここで紹介したように、河川工事の結果、ウィーンのドナウ河は本流、新ドナウとほぼ平行して街を流れて行きます。
そのドナウ河を渡す、車が通れる橋の中で、一番有名な橋はReichsbrücke・・・いわゆる
帝国橋で、この橋はよく市内観光の中でもバスでドナウ河を見る時に通ることが多いです。
この橋を渡る時に、もしくはその橋の下にあるウィーンの一番大きなドナウ河の船着き場
から目立って、絶対に見逃すことがない赤いとんがり屋根が印象的な教会が建っています。
ウィーンは森の都と言われ、緑がとても多い街ですが、ウィーンの森を除き、街中で最も
緑が多い場所と言えば、映画「第三の男」で登場する有名な大観覧車があるプラター公園
です。
映画を知ってる方は、やっぱりこの大観覧車に乗ってみたいですし、また知らなくても
名物大観覧車からの眺めを楽しみたいですね。
でもここは地元の皆さんにとっては、豊かな緑がある憩いの場所であると同時に、
そこそこ大きな遊園地でもあり親しまれています。
音楽を知らない方でもモーツァルトのことは誰でも知っていると思います。
モーツァルトはウィーンに6歳の時に初めて来て以来数回訪れ、最後の4回目の滞在が25歳であり、それから亡くなる35歳までの10年間をこのウィーンの街で過ごします。
ちなみにモーツァルトの最後の家について以前書いていますので御覧下さい。
ただ博物館として見学できるのは"モーツァルトハウス ウィーン"だけですが、色々な場所
にモーツァルトの跡が見られます。
さて、今日はそのモーツァルトの跡のひとつについてです。
ウィーンの街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の居城があり、またその
ハプスブルグ家の頭上にかなりの期間で神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号があったわけですから、宮廷文化が栄えた街です。
宮廷ン文化があった街の食事は基本的においしいですよね。
先日オーストリアでのレストラン ベスト10という記事が紹介されていました。
なるほど・・・地元で知られたレストランがランクされていましたので、今日はそれを
紹介したいと思います。
※ÖSTERREICH に掲載されていたÀ la Carte Guideによる評価
ウィーンには歴史的に重要な教会がいくつもありますが、そんな教会の中にも言われあるものや重要なものがたくさんあります。
今日はここでもすでに登場したアウグスティーナ教会の中にあるマリア・クリスティーナの素晴らしい墓石について少し書きたいと思います。
ウィーンの街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城であると同時に神聖ローマ帝国の皇帝の居城として長く君臨した街なので、様々な物がこの街ウィーンに集まって来ました。
例えば”アンティーク”もその中に入るでしょうか。
ウィーンはアンティークに興味があればかなりおもしろい物が見つかると思います。
旧市街では王宮界隈にかなりの掘り出し物が置かれている小さなアンティークショップが数多くあります。
しかし、今日ここでテーマにする"DROTHEUM" (ドロテウム)は規模が比較になりません。
以前このコーナーでシェーンブルン宮殿の動物園について紹介しました。
散歩がてらに出かけてもかなり楽しい動物園ですが、現在営業している動物園では世界最古のシェーンブルン宮殿の動物園に日本からの特別ゲストが2人!?
元気な姿を見せてくれています。
その2人とは・・・
ニホンカモシカとタンチョウヅルです。
ウィーンのマリアヒルファー通りは美術史博物館の裏側からウィーン西駅まで、そしてさらにもっと奥まで伸びている長い通りですが、美術館の裏側から西駅までが俗にデパート街として知られ、通りの両側には様々なデパート的な店が並んでいて、ウィーンの中心部とはまた一味違った通りで多くの若者が歩いています。
この写真はマリアヒルファー通りを西駅側から中心方面に見たもので、地下鉄の"U"マークを見ることができる建物が手前に写っています。
この建物の壁の所に作曲家の記念プレートがあります。
人通りが多い場所で、たいていの人はそのプレートに気づきません。
その作曲家とはヨーゼフ・シュトラウスです。
街中を歩いていると何気ない所にアーチ構造が多く見られます。
そんなアーチはヨーロッパ的雰囲気を十分演出しています。
アーチ構造の回廊、建物に組み込まれたアーチ、小路にあるアーチとかなり様々です。
前回のアーチの奥に見える風景4では、ウィーン旧市街のミヒャエル広場界隈と中庭空間にある二重のアーチを紹介しました。
第5弾はウィーンではありません。
ウィーンのリンク道路沿いにある公園のひとつに国会議事堂の前にあるバラが多く咲いているVolksgarten (フォルクスガルテン)・・・国民庭園があります。
そこには以前ここでも紹介したテセウス神殿というミニギリシャ神殿がありますが、リンク道路からもっと奥に行ったあまり目立たない所にエリザベートの像があります。
オーストリアは国こそ北海道よりちょっと広いぐらいの小さな国ですが、ウィーンを含め
9つの州から成り立ち、それぞれの州に個性があり、アルプスが横たわり、旅の全ての魅力を持ったとても美しい国です。
そんなオーストリアには、地元オーストリア人が誇りに思えるものがたくさんありますが、
その一部を紹介したいと思います。
それは何でしょうか?
※ÖSTERREICH より
中央墓地はヨーロッパで2番目に大きな墓地で、ウィーンが管理している地元の墓地です。
でもここは世界的に有名な音楽家のお墓があるので、観光地としても重要で、たいていの方はをそれが目的で行かれると思います。
以下参考にどうぞ。
また中央墓地は映画「第三の男」で数回登場し、しかも映画のラストシーンがこの墓地の並木道であることは有名です。
この中央墓地に出かけたら、是非見たいのが今日のテーマである教会です。
今年の5月に国立オペラ座の座席や、チケットの値段について書きましたが、今回は世界一音響のいいホールのひとつである楽友協会の座席表とカテゴリーについてです。
楽友協会ホールについてはこちらを参照して下さい。
日本語はグローバルで見れば、本当に特殊な少数言語ですが、最近はかなりカタカナ表現が
多くなり、残念ながら年々アメリカナイズされている傾向を感じます。
前にもここで書いていますが、日本こそ永世中立国になるべきで、いつまでもアメリカのご機嫌をとるような関係ではなく、日本独自の姿勢を私達古来からの伝統文化と共に
いい意味で外交的に図々しくアピールすることができないものか・・・とよく感じます。
日本語にも様々なアメリカナイズされた言葉や短縮形を無意識に使っていますが、
ドイツ語だって本来の表現からの短縮形が多く存在します。
その例を見て見ましょう。
※A1 Telekom Austria より
ヴァッハウ渓谷は全長2.800km以上あるドナウ河の最も美しい所であり、船下りの名所として人気があり、また世界遺産にも登録されています。
ここには色々な街がありますが、やっぱりヴァッハウ渓谷の定番の街と言えばデュルンシュタインでしょうか。
ウィーンはとても歴史ある奥が深い街です。
バーベンベルク王朝時代、ハインリヒ2世が12世紀半ばにウィーンに居城を移し、
その後12世紀の終わりぐらいに城壁が築かれ、現在のリンク道路の内側の大きさがほぼ形成されるわけですが、その中でも一番古いウィーンの部分はもっと限られた部分です。
神聖ローマ帝国時代、オーストリア・ハンガリー帝国時代とウィーンは宮廷文化が栄えた街なので、食事もおいしいと思います。
時のフランツ・ヨーゼフ1世も宮廷料理には誇りとポリシーを持っていました。
ウィーン3大名物料理といえば、Wiener Schnitzel (ヴィーナーシュニッツェル)、Zwiebel Rostbraten (ツヴィーベルローストブラーテン), Tafelspitz(ターフェルシュピッツ) が定番です。
でも今日はあまり観光的には有名ではない、でも地元で誰もが知っている手軽な料理について紹介します。
以前このコーナーで、"何のためのねじ" というタイトルで、壁から飛び出しているネジについて書いていますが、今回も同じような壁から飛び出しているネジです。
これはウィーンのある店の入り口ですが、入り口右側のちょっと低い位置に何やら飛び出しているものが見えます。
一見何だろうと思ってしまいますが・・・
ウィーンの南の森にはベートーヴェンが好んで滞在した有名な温泉街バーデンがあります。のんびりした雰囲気とビーダーマイヤー様式が多い美しい街で、ウィーンから十分日帰りで行って見る価値があります。
そこにはベートーヴェン第九交響曲の家があることで有名ですが、今日はこの名曲第九交響曲のちょっとしたエピソードについてです。
このブログコーナーでもすでに、ベートーヴェン第九交響曲の家、
ベートーヴェン第九交響曲の家2と話題にしていますので、そちらも参照して下さい。
その第九交響曲の家に行くと下の写真のものが展示されています。
このコーナーでは自転車文化についても書いていますが、車文化は私達日本とはかなり
違うものがあります。
マニュアル車が圧倒的に多いこと、ディーゼル仕様車が圧倒的に多いこと、路駐が当たり前であること・・・など日本とは異なっています。
ウィーンもヨーロッパでは車の所持率が高い街と言われていますが、
今年の2014年はどの車メーカーがどのくらいのシェアを持っているのかと認可状況を
見たいと思います。
この順位は2014年1月~8月までに、どの車メーカーがオーストリアで何台認可され、
シェアがどのくらいであるかを示しています。
ちなみに去年2013年の7月にも統計を御紹介していますので御興味があれば
御覧下さい。→2013年の認可台数へ
※Alles Auto より