最近ウィーンに来られた方は御存知だと思いますが、22年続いた日本食レストランの天満屋さんが2014年1月12日(日)閉店しました。
ウィーンのオペラ座やザッハーホテルのすぐそばで、場所も最高、日本からのお客様に数えきれないほどお勧めさせて頂きましたし、個人的にも
大変お世話になりました。
ウィーンでたいていの和食系レストランは
日本人以外の人が営業している中で、
天満屋さんは、ウィーンでも数えるぐらいしかない、貴重な本当の日本食レストランでした。
ウィーンのリンク道路の最初の大建造物として、有名な国立オペラ座があります。
この国立オペラ座はウィーンの街を歩く上で、重要な目印にもなっています。
この国立オペラ座正面からリンクを隔てて反対側には停留所があります。
そこは路面電車1,2,D,71,路線バス59A,バーデン行き360,Parndorf 行きの停留所です。
ウィーンは歴史あるとても奥が深い街です。
ウィーン旧市街の一番古い場所はローマ時代から存在し、1~4世紀、ローマ軍の駐屯地があったわけです。今年1月3日付でローマ時代のウィーン旧市街地について少し書いていますので御覧下さい。
12世紀半ばバーベンベルク王朝のハインリヒ2世によってウィーンに宮廷が移されてこの街は飛躍的な発展を遂げることになります。
その後12世紀の終わり、現在のリンク道路から約2ブロックぐらい内側に入った辺り(場所によっては3ブロックの所もある)にバーベンベルクのレオポルド5世によって城壁が築かれていき,ローマ時代からの領域が大きく拡張されました。
この時に現在のウィーンの旧市街地の基本の大きさが形成されることになります。
当時5つの城門と19個の塔が城壁に組み込まれていたようです。
オーストリアがユーロ導入前の「シリング」という通貨の時代から比べると、
2002年ユーロ導入後からは、明らかに物価が高くなっていると最近もっと強く感じるようになりました。
その中でも生活していく上で必要な公共料金も少しずつ高くなっているわけですが、
ウィーン市の「WIENERSTADT WERKE」からの定期小冊子にウィーンを初めとした
ヨーロッパ諸都市の電気料金の比較が掲載されていました。
街中至る所に有名な音楽家の跡があるウィーンです。
2013年10月28日付の「ウィーンの中央墓地 3」で、ヨハン・シュトラウス(父)のお墓について書きましたが、そのシュトラウス(父)の最後の場所がウィーン旧市街地にあります。
今年のウィーンの冬は今の所かなり暖かいです。
日中の気温がマイナスになったのは、1月25日から1週間続いただけで、朝方はマイナスはありましたが、それ以外日中は今日までずっとプラスで10℃達しないぐらいです。
そのため雪もあまり降らず、本当に街が白くなったのは2回ぐらいしかないような気がします。
このコーナーでいくつかのレストランや名物ケラーなどを紹介しましたが、今日は中華レストランについての話題です。
天満屋さんの閉店などもあり、日本人経営の純和食レストランがとても少ないウィーンですが、逆に日本人以外が経営する和食もどきレストランや中華レストランはたくさんあります。
先日の新聞にウィーンの中華レストランベスト10という記事がありました。
個人的にも何軒か食べたことがあるレストランもランクされていました。
※ÖSTRERREICH より
ウィーンに来られれば、たいていの方がシェーンブルン宮殿を訪れるでしょう。
そこには以前ここでも紹介したカフェ RESIDENZがあります。
そのカフェの地下の所に、「Strudelshow」(シュトゥルーデル)があります。
去年2013年6月17日に「ウィーンの自転車文化」、
6月20日に「ウィーン シティバイク」、
7月11日に「ウィーンの電動自転車シェアリング」などを紹介しましたが、
これらはとても便利ですが、基本的にウィーン市内での利用が目的です。
しかし、今日テーマである「nextbike」はそれとは比較にならない広範囲の
自転車シェアリングで、オーストリアだけでなくヨーロッパのかなりの街に置かれて
います。
nextbikeは全くの同名で、2004年ドイツのライプツィヒで設立されました。
現在ではドイツだけでなく、オーストリア、スイス、ポーランド、ラトヴィア、キプロス、ブルガリア、ニュージーランド等9ヵ国で運営されています。
コンセプトとして、環境にやさしいこと、移動を多くしなければいけない社会人、
ホテル宿泊客へのサービス、広告等です。
ちなみにここオーストリアではBurgenland州のノイ・ジィードラー湖周辺から始まり、徐々に範囲を広くし、現在ではウィーンのStammersdorf、Hütteldorf、Lieseing,
そしてNiederösterreichの広範囲で利用することができます。
ウィーンの街を歩いていると、何気ない通りでも、たくさんの絵になりそうな風景に
出会います。
色々な様式で作られた歴史ある建物が並んでいる姿、石畳の道、広場、記念像、
窓の鉄格子・・・その場所に見られる全てが調和して意識的に美しい空間を作り上げているようです。
どこの街も歴史自体はありますが、本当の意味で歴史ある建物が残された街は、
ただ歩いてるだけでも楽しいですし、また歩きたいという気持ちにさせてくれます。
ウィーンは数多くのユーゲントシュティール様式を見ることができますが、その中でも特に重要な建築のひとつであるアム・シュタインホーフ教会があります。
この教会は、以前にもこのコーナーでも紹介したオットー・ヴァーグナーによるもので、ウィーン14区の「Sozialmedizinisches Zentrum Baumgartner HöheOtto-Wagner Spital und Pflegezentrum」という精神病院敷地内奥の小高い所に建っています。
この病院はもともと1904~1907年、低部オーストリア州立の神経・精神病患者のための治療と介護施設の「Am Steinhof」ということで建てられました。
ここは当時この分野ではヨーロッパ最大であり、最もモダンな施設でした。
オットー・ヴァーグナーは教会だけでなく、この施設のプランにも携わりました。
数日前にPRASKACのアストロガルテンに唯一咲いていたチャボリンドウについて書きました。
PRASKACは地元で有名なガーデンショップで、ウィーンから車で約40km走ったTullnにあります。
去年2013年7月30日にこのコーナーで「花のねこ (Blumenkatze)」というタイトルでPRASKACを紹介しました。
ここにはBlumenkatze(ブルーメンカッツェ)...花のねこ...正式にはPRASKATZ (プラスカッツ)があります。
ウィーンのリンク道路沿いの重要な建造物のひとつにRathaus(市庁舎)があります。
このコーナーでもRathauskellerや、市庁舎のクリスマス市などと
何回か話題にしています。
この市庁舎前の広場は年間を通して色々なイベントに使われます。
特にクリスマス市や夏のフィルムコンサートは毎年の恒例となっています。
先日「花のねこ」があることで知らるPRASKACに用があって行って来ました。
そこにはAstrogarten(アストロガルテン)という、ちょっとホッとするミニ庭園みたいなものがあるのですが、そこに唯一咲いていたものです。
こちらでも日本と同様に様々な迷信があり、それらが現在の生活の中でも根付いています。
その迷信の中でかなり知られているもののひとつに「塩をこぼすと悪いことが起きる」というのがあります。
これは手に塩そのものを持っていて、その塩を落としてしまうというよりも塩入れを誤ってひっくり返して、塩がこぼれ出てしまう・・・ということの方が一般的でしょうか。
ウィーンの公共交通機関として、U-Bahn (地下鉄)、路面電車(Straßenbahn),
路線バス(Autobusulinien)、国鉄(ÖBB)があり、これらは全て共通券で乗ることができます。
その中で国鉄(ÖBB)を除いた3種類がWienerlinien(ウィーン市交通局)により運行されています。
ウィーン市交通局によると、去年2013年は今までになく闇乗車が(いわゆる乗車券なしのタダ乗り)138.000人と少なかった年だそうです。
ウィーンのシュテファン大聖堂は素晴らしいゴシック建築です。
シュテッフェルと愛称で呼ばれている、南塔は高さ約137mで、とても印象的な形で、天を突き刺すようですね。
このシュテファン大聖堂は第2次世界大戦時に屋根に火が燃え移り、この巨大な屋根が焼け落ちてしまいました。
その時に当時からあったステンドグラス、パイプオルガン等がほぼ全壊してしまいました。
そのため、ゴシック様式だから素晴らしいステンドグラスが見えるだろう・・・と期待して大聖堂に入ると中のゴシック様式の教会独特の敬虔な雰囲気には圧倒されますが、ステンドグラスに関してはちょっと悲しいものを感じます。
この素朴なステンドグラス(?)は、戦後に、オーストリアのチロル州からの寄進によるものです。
もっともゴシック時代14~15世紀のステンドグラスは、バロック時代には、時代に相応しくないということから取り外され、19世紀になってから再びはめ込まれました。
ウィーン旧市街地には、ケルントナー通り、グラーベン、コールマルクトといった3大歩行者天国があり、様々な店が並んでいます。
コールマルクトはブランド街とも言われるぐらい高級店が並んでいます。
しかし新たなショッピング地区として注目されているのが、Am Hof,Bognergasse,Seitzergasse,Tuchlauben一帯の「Goldenes Quartier」(ゴルデネス・クヴァルティーア)です。
日本語では黄金地区なんていう直訳でしょうか。
ウィーン料理が食べられるレストランはいくつもありますが、歴史と話題性がある
ウィーン最古のレストラン「Griechenbeisl グリーヒェンバイスル」は、
ガイドブックでもお馴染みです。
ウィーンの街は様々な建築様式があります。
リンク道路沿いの荘厳な建物、王宮、宮殿、教会といった歴史的建造物を始め、一般的な建物に及ぶまでありとあらゆる所に見ることができます。
この建築様式の流れが見えてくると、ヨーロッパの街はもっとおもしろく見えますね。
その様式の中で「ゴシック様式」というとウィーンでは真っ先きにシュテファン大聖堂が出て来るでしょうか。
このコーナーでもよく登場しているお馴染みの大聖堂です。
以前ここでも書いている「ヴォティーフ教会」はネオ・ゴシックですがとても美しい
教会です。
今日は観光では残念ながらあまり知られていない、しかし重要なゴシック様式の教会 Maria am Gestade(マリア・アム・ゲシュターデ)・・・岸辺のマリア教会について少し書きたいと思います。
このコーナーでは何回か中央墓地について紹介していますが、中央墓地には全部で6つの現在使用されている門(入口)があります。
一般的には「ウィーンの中央墓地 2」でも書いていますが、第2門で路面電車を降ります。
6つある中央墓地の門の中でこの第2門が一番印象的で、時代様式を見ることができます。
オーストリア商業分野でのいわゆる商業動態統計調査によると、2013年の販売額は
544億ユーロ・・・これは1対1(為替レートを考えず)計算で日本円にして5兆4400億円ということになります。
これはインフラを考慮して前年度と比べると0.9%の後退です。
以下主なオーストリア商業の2013年度の統計です。
※2014年1月23日付の新聞「Heute」に掲載されていたデータです。
ちょっと珍しいアングルシリーズは、今まではウィーンの風景を取り上げてきましたが、
今日はザルツブルクのよく知られた場所を、普段とは違う角度から撮影したものを
紹介します。