ウィーンに見られるトルコ軍の貴重な砲弾

オーストリアの歴史の中では、「オスマントルコの包囲」は有名で、1529年と1683年と

大きく2回ありました。


2回ともウィーンは包囲はされましたが、奇跡的に落ちることはありませんでした。

特に2回目の1683年は、ベルヴェデーレ宮殿を建築させることになる、プリンツ・オイゲンが大活躍をしてくれました。

 

ウィーンの街中には、その時にトルコ軍から撃ち込まれた大砲の弾(Türkenkugel---テュルケンクーゲルとこちらでは呼ばれています)を数か所で見ることができます。

 

旧市街の一角にある

Wiener Neustädter Hof のこの建物正面左側の約3mぐらいの高さに当時のトルコ軍が放った大砲の弾がぶら下げられています。

 

この場所はローマ時代駐屯地の北東部分の角にあたり、風呂がありました。

 

13世紀の記録ではBerghofという名で登場し、裕福な騎士の一族が所有していたとされています。

 

14世紀にはDietrichというウィーンの市長の家になっていたようです。

 

18世紀初め1708年、Wiener Neustadtのシトー修道会に渡されたことから、現在のようにWiener Neustädter Hof と呼ばれ、18世紀前半にバロック様式に改築された姿を

見ることができます。

 

 

これがその時の大砲の弾(Türkenkugel)です。

ここ中庭には、18世紀前半にバロック様式に改築される前には

40kgもある砲弾が置かれていたということです。

 

ここにぶら下げられたのは改築後のことです。


この砲弾は、現在ウィーンの2区である、Leopoldstadtから撃たれたものです。

 

この1683年のトルコ軍が放った大砲の弾によって、この建物については、壊されることもなく、けが人もなかった・・・と伝えられています。

 

ウィーンの街にはトルコ軍が当時放った、現在では貴重な歴史的遺産?である砲弾が見られる箇所が数か所あります。

 

 

 

 

 

 

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