ウィーン滞在の日を日曜日にぶつけて、ウィーン少年合唱団のミサを見ようとされる方も
多いと思います。
このコーナーでもウィーン少年合唱団のミサについて書いていますので、ミサの流れや
チケットの買い方や予約の方法などはこちらを参照して下さい。
去年と比べると、今年のこの時期はそんなに物価が上がっていません。
特に石油、ガソリンなどが去年の今頃と比べるとかなり安くなっています。
しかし、高くなっているものもあるようです。
去年と比べて何がどのくらい高くなっているのか、逆にどのくらい安くなっているのかをちょっと見てみましょう。
※ÖSTERREICH より
今日は3月28日の土曜日で、明日から夏時間になります。
夜中の2時の時に、3時に変わります。
実際に夜中に起きて時計を1時間進めることはなく、事前に進めておきます。
1時間損することになります。この1時間は結構大きいですね・・・。
今年は去年と比べると復活祭は早く4月5日ですからもうすぐですね。
そのためシェーンブルン宮殿の復活祭市も今年は早く始まりました。
キリスト教では現在四旬節で、四旬節とは灰の水曜日から、イエス・キリストが磔になり
その後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・
断食・慈善が基本となります。
この時期は復活祭の雰囲気が街中至る所に見られます。
復活祭はドイツ語でOSTERN(オステルン・・・いわゆるイースター)といいますが、
イエスが復活することを祝う宗教的には年間で一番重要な行事です。
復活祭については例年通りまた後日説明したいと思いますが、復活祭にはなくてはならないシンボル的なグッズ?!を見てみましょう。
先日PRASKACに行って来ました。
PRASKACは地元で有名なフラワーショップで、通常の花屋さんやウィーンの街にもある
大きなフラワーショップチェーン店などには置いていない花がたくさんあります。
またここには花のねこがあることでも有名です。
そこにはAstrogarten(アストロガルテン)という、ミニ庭園があるのですが、そこに咲いていたものです。
ウィーンの北の森観光と言えば、ベートーヴェンの遺書の家やベートーヴェンの散歩道、
カーレンベルクへ上って、ウィーンの眺めを楽しむのは一般的です。
実際に"森"と言っても、遺書の家界隈は森の中にあるわけではなく、森の入口といった感じで、ウィーン郊外の街並みを見ることができます。
しかしベートーヴェンが住んでいた頃は牧歌的な風景が広がっていました。
今日3月26日はそのベートーヴェンの命日になりますね。
ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書の家を見学される方も多いでしょう。
この界隈はベートーヴェンが住んだ家がたくさんあって、彼は日課のようによく散歩をしました。
現在オーストリアには9つの世界遺産が登録されているわけですが、ウィーンにはその中の2つがあります。
シェーンブルン宮殿とウィーン歴史地区です。
(追記)2022年時点でオーストリアの世界遺産は12ヵ所です。
この"ウィーン歴史地区"とよく言われる表現からたいてい中心の旧市街地を想像されると
思いますが、実際にはその旧市街地を丸ごと含んだかなり外側の部分まで含まれています。
ウィーン歴史地区が世界遺産に登録されたのは2001年12月です。
ウィーン中心部は少なくとも2000年の歴史があり、それらがよく保存されている街の
価値、そして中世、バロック、19世紀後半とヨーロッパ文化と政治発展でも重要な役割を担い、その時代の様々な建築が残されていること、また音楽の都としても重要ということなどが理由として挙げられます。
※写真はウィーン市のホームページから引用 http://www.wien.gv.at/
ウィーンの街中は復活祭を待っている空気が流れています。
ドイツ語ではOSTERN(オステルン)といいますが、日本語では復活祭と一般的には訳されています。
復活祭については後日このコーナーで復活祭当日に説明したいと思います。
昨日3月21日からこの時期恒例のシェーンブルン宮殿の復活祭市が始まりました。
ウィーンの路面電車は生活に大変密着している市民の大事な足となっています。
ウィーンに来て路面電車に乗る方も多いでしょう。
その路面電車の走り方が国立オペラ座付近の線路工事のため3月28日から一時的に変更になります。
工事終了予定は2015年4月7日です。
該当する路面電車の系統番号は1、2、D、71の4路線で、この4路線は普段は全て
国立オペラ座を経由するので非常に不便になります。
工事現場はBurgringで、有名なモーツァルト像がある王宮庭園や英雄広場界隈です。
どのように変更されるかというと・・・
ウィーンのリンク道路は世界的に知られた環状道路で、様々な様式が飛び交っています。
考え方は保守的で、過去の様式を重んじる時代だったので、そこから過去の様式ではなく、時代に相応しい芸術・・・という発想が生まれ、ユーゲントシュティールが登場します。
時代的に19世紀の終わりぐらいから第一次世界大戦が始まる1914年ぐらいまでにウィーンでは花が咲き、オットー・ヴァーグナーやクリムトなどの世紀末ヒーローが登場しました。
短い時間だったにもかかわらず、ウィーンではユーゲントシュティール様式の建物はたくさん見ることができとても重要です。
観光中バスで中心から離れて、シェーンブルン宮殿に向かう途中に、ナッシュマルクトの横を通って行きますが、その時に右側に見られる印象的な2つの重要な建築があります。
大型バスで通る時にはこの建物のすぐそばを走るので、左側に座ってる方が見難いことや、上を見上げて全体像が見難いことから、私はシェーンブルン宮殿から中心に入ってくる時にたいてい御案内しています。
これだけの音楽家が足跡を残した街はウィーン以外にはないでしょう。ウィーンはヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の居城があった街であることからきています。
街中の至る所に音楽家の跡を見ることができ,ここでも色々な音楽家を取り上げていますが、今回はモーツァルトと同時代で、当時はモーツァルトよりも重要な地位にいた
アントニオ・サリエリについて少し書こうと思います。
この時期地元で人気のある、そして春の訪れを感じさせる花の1つと言えば去年も紹介したユキワリソウです。
やっぱりこの花もこの時期の話題に登場させたいと思います。
今年も至る所で咲いています。
かつての帝国の都ウィーンにはたくさんの留学生がいます。
音楽の都ですから音楽を学ぼうとする人は世界中から集まって来ますが、音楽が全てではありません。美術、建築、ドイツ文学、経済、医学・・・など様々な分野での学生がいます。
私自身も日本で社会人を経験した後、ウィーンで学生をやりましたが、オーストリアで
学ぶオーストリア国籍ではない学生数が74.000人から91.000人とここ5年ぐらいでかなり
上昇しています。
ちょっとその辺を見てみましょう。
※Team Stronach からの統計
本日2015年3月15日からシェーンブルン宮殿の入場料金が改定されました。
全体的に€1.40~€2.40の値上がりです。
オーディオガイドが借りられる一般入場では€1.40高くなりました。
以下値段リストです。
ウィーンの街は415km²とかなり広い街で、東京と同様の23区で成り立っています。
東京は区の他に市もたくさんあるわけですが、ウィーンは、ウィーン市市自体が23区に
分けられているわけです。
ウィーンには6000以上の通りが存在し、それぞれの通りに名前が付けられ、通りに沿って
奇数、偶数番号と住所が定められているので簡単に目的に場所がわかります。
それぞれの通りの名前はたいてい歴史的に言われあることから付けられています。
このコーナーでは大作曲家のモーツァルトをテーマにした内容をすでにいくつか書いていますが、博物館として見学ができるのはモーツァルトハウスウィーンだけです。
それ以外は言われある場所として様々な記念プレートを見ることができます。
ウィーンで亡くなったモーツァルトですが、生まれたのはザルツブルクです。
そのザルツブルクにあるモーツァルトの生家について少しまとめてみます。
モーツァルトのお墓、モーツァルトの最後のお別れの場所、モーツァルトの魔笛の小屋、
モーツァルトの最後の住居、パパゲーノの門 も是非御覧下さい。
3月の始めにウィーンの公園や庭園に花が植えられ始めました。
ベルヴェデーレ宮殿でも専門の係りが数日間かけて、土だけで寂しかった場所に丁寧に
植えているのを何回も見ました。
去年の最初に植えられた花をウィーンによく見られるこの時期の花47で、紹介していますが、今年も去年と似たような花が最初に植えられました。
でも去年のとは少しだけ違っています。
前回では、フンデルトヴァッサーハウスが建てられる背景や彼のコンセプトなどについて
書きましたが、この続編ではフンデルトヴァッサーハウスにちょっと細かく触れたいと思います。
前回のフンデルトヴァッサーハウス1はこちらからどうぞ。
ウィーンの博物館や美術館には歴史的にとても重要で、話題性があるものがたくさん展示されています。これもヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の宮廷のおおもとがこの
ウィーンの街にあったことが一番大きな理由だと思います。
このコーナーでも、宝石の花束、2680カラットのエメラルド、オーストリア帝国の帝冠、
神聖ローマ帝国の帝冠など、歴史的重要な工芸品、美術品などを時間を見つけては簡単に
紹介しているわけですが、今日はルネッサンス時代の傑作である有名な黄金の塩入れについて少しまとめてみます。
日本から通常のツアーグループの皆様を御案内する時にはたいていシェーンブルン宮殿でミートして仕事が始まります。
先日いつものようにシェーンブルン宮殿に向かう時にU4のシェーンブルン駅の上で
3人のアジア女性の皆さんが、ウィーン市交通局の検札係り3人とちょっともめている光景
を目にしました。経験上すぐ日本の方だ・・・とわかったのですが、時間がなかったので通り過ぎました。でも気になって後ろを振り向いたら全員でこちらに歩いてきて、やっぱり声をかけようと思い、「何かお困りでしょうか?」と聞きました。それとほぼ同時に「日本の方ですか?」と聞かれました。
どうやらウィーン市交通局とのトラブルだったので、話を聞きました。
この皆さんはウィーン空港で、前日24時間券を買われ、次の日ウィーンの中心部に来て、
Karlsplatz(カールスプラッツ)で検札にあったそうです。
問題だったのは、せっかく24時間券を買ったのに、最初に打刻をしなかったことです。
しようと思ったけど、打刻機(Entwerter)が見つからなかったのでそのまま乗車してしまったということでした。
Karlsplatzで検札され、そのまま問答しながらシェーンブルン宮殿まで来たそうです。
ウィーン市交通局の検札係りによれば、スタンプを押さなかったので、単純に罰金だということでしたが、彼女達が支払いを拒んでいたことから警察を呼んだということでした。
検札係りによればコミュニケーションが英語でもあまりとれないということでしたが、
要は規定通りで罰金を請求しただけのことでした。
女性の皆さんの言い分は、ちゃんと買っていた・・・ということですが、
スタンプを押していなければ、そのチケットはいつでも使え、1年後にだって使えるので、買っているだけでは全く意味がない・・・という当たり前の見解でした。
私はウィーンの公共交通機関の事情を説明し、これはツーリストだからとか、外国人
だからとは一切関係がなく、地元人でも全く同じ扱いになることを話しました。
検札係りに罰金を免除できないか・・・また、せめて罰金を安くできないかと交渉しましたが、残念ながら不可能でした。そのような例外を作ると、検札係が職を失うということで、
やはりルールというのは守るべき・・・ということでした。
結果的に1人103ユーロの罰金を払うことで落ち着き、シェーンブルン宮殿内のATMから
カードでお金を引き出されて支払うこととなったようです。
ちなみに地元人の場合は、住所がオーストリアにあるので、手持ち金がなければ、
罰金の振込用紙をくれますが、旅行者は住所がないので現金払いです。
私が話したことで警察の件も取り消してくれました。
私は私のお客様のためのシェーンブルン宮殿の入場券を発行させ、グループの皆様の所に戻る時にまだ検札係がいて、話を少ししたら、罰金は支払ったそうで、助けたことに感謝されると同時に、気の毒だけど罰金を払って頂く他はないので・・・と言ってました。
時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が一目惚れをし、当時ヨーロッパで最も美しい女性の1人とも言われた従妹にあたるエリザベートは、半ば伝説的な女性となり、日本にもたくさんのファンがいると思います。話題が尽きることがないこのエリザベートは、16歳でウィーンに嫁ぎ、30歳までに4人の子供が生まれますが、長男のルドルフ皇太子の悲劇は有名です。
このフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの結婚150周年記念日にあたる2004年4月24日に王宮の一角にシシィ博物館がオープンし、去年で10周年を迎え、世界中から様々な方が訪れています。
このシシィ博物館は、私も頻繁にツアーの皆様と行き御案内していますし、フリータイムの時の質問もとても多いスポットです。
ここは長く行われた改装工事が終了し、今まで一時的に中庭に出ていたチケット売り場も建物内にリニューアルされ、トイレも新しくなり、少しモダンな雰囲気になりました。
ここは若干入口が分かり難いため、結構入口を探されてしまうということをよく聞きます。
ヨーロッパの様々な建築様式が見られるウィーンの街ですが、その中で古典建築ではなく、
カラフルな色と曲線という独特の個性を持ったフンデルトヴァッサーはたいていのガイドブックでも紹介され、日本でもフンデルトヴァッサーを好きな人が多くいます。
フンデルトヴァッサーが手掛けたものは数多くありますが、中でも彼の一番の代表作である市営住宅のフンデルトヴァッサーハウスは有名ではありますが、一般的なツアーでは残念ながら訪れることがとても少ないのでここで話題にしたいと思います。
ウィーンの街は、路面電車やバスといった公共交通機関を始め、車や自転車、また中心部では馬車、そしてもちろん歩行者など様々な人々が行き来しています。
リンク道路の歩道ゾーンは歩行者ゾーンと自転車ゾーンとハッキリ分けられています。
どんな手段で移動しても、それぞれの視点で動くわけですね。
つまり歩行者になれば、誰もが歩行者の視点になるわけです。
さて、そんな歩行者にとって、"何が邪魔と感じるか"というデータを紹介します。
※AK FÜR SIE Februar 2015 より
昨日のウィーンの天気は朝が曇り模様・・・でも明るくて青空も少し広がっていたので、
傘は要らないだろう・・・と思いながらグループの皆様のホテルに向かいました。
もっともウィーンは広い街ですから、場所によって天気が違うこともしょっしゅうです。
昨日はスタートが朝7:30で、8時にはシェーンブルン宮殿に到着しました。
それなりの青空も広がっていました。
2時間後宮殿見学を終えて、出発する時には雲の動きが少しずつ怪しくなっていました。
ベルヴェデーレ宮殿でクリムトの世界を案内し、大理石の間でフレスコ画を見た後、少しのフリータイムという時に、窓からいつも見えるウィーン旧市街に向かっての光景を何気なく目にしたら、虹が大きく架かっていました。
ウィーンは外から見ていたら全く見ることができない美しい中庭空間が至る所にあります。
そんな中庭空間には以前にもここで紹介したローマ時代の壁の名残りのような歴史的にとても重要なものがあったりして、ウィーンは奥が深い街だな~とつくづく思っていますが、
今日はそのような物をひとつテーマにしてみます。
今日から3月です。徐々に日が長くなり、復活祭の象徴グッズなどが街中に並び始め、
春がすぐそこまで来てそうなウィーンです。
この冬の時期に見られる春の訪れを象徴する花についてです。