アスペルンにある兵士追悼ライオン

ウィーンのかなり郊外にAspern (アスペルン)というかつての集落があります。

ここは現在ウィーン22区の一角で、この名前は地元では歴史的にとても有名です。


そこには大きなライオンの像があり、"Löwe von Aspern" (アスペルンのライオン)

と呼ばれています。



このライオンは1809年の5月20日、21日の2日間にわたって繰り広げられた"アスペルンの戦い"と言われる、オーストリア軍がナポレオン軍を初めて破ったという歴史的に有名な戦争があった場所に置かれています。

 

この時大活躍した有名人がハプスブルグ家のカール大公です。(Erzherzog Karl Ludwig Johann Joseph Laurentius von Österreich)

 

彼は1771年にフィレンツェで生まれ、1847年にウィーンで亡くなった軍人で、父は神聖ローマ帝国皇帝のレオポルド2世で、カール大公はその3男です。

 

 

つまり、マリア・テレジア女帝の孫のひとりということになります。

彼の兄がフランツII/I世皇帝ですね。

 

カール大公はこの時最高司令官として戦いました。この戦いでオーストリア軍は23.300人、フランス軍は27.000人の軍人を失っています。

たった2日間の戦いにもかかわらずです・・・。

 

 

このライオンはアントン・ドミニク・フェルンコルンによって1858年に製作されたもので、アスペルンの戦いで命を落とした兵士に捧げられたいわば戦没兵士追悼ライオンです。

 

このライオンは砂岩で作られています。

 

このライオンはアスペルンの戦いの約40年後1850年にアルブレヒト大公(Erzherzog Albrecht Friedrich Rudolf von Österreich-Teschen)が(このアルブレヒト大公とはカール大公の長男)当時このアスペルンの戦いで大活躍した父のことを思って製作を依頼したものです。

 

このライオンが置かれている場所は、アスペルンの戦いの中心であった場所で、しかもこのライオンは亡くなっています。

フェルンコルンはこの像の制作にあたり、様々なプランを考え、そしてシェーンブルン宮殿の動物園にも足を運んで自然のライオンを研究したということです。

 

もちろんカール大公がここでナポレオンを破ったという勝利の意味もありますが、それはライオンの前足でほとんど隠されています。

亡くなった兵士達への追悼と悲しみがメインテーマとなっています。

 

 

 

 

 

 

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