キリスト教

なぜ復活祭のたまご(イースターエッグ)に色を塗る?

OSTERN・・復活祭が終わり今日から仕事を始めようという地元の人が多いのではないでしょうか。

学校は今日まで休みで、明日から始まる所が多いと思います。

ウィーンで生活をしているとOSTERN の時期にはうさぎ、たまご、ネコヤナギといったシンボルが至る所に見られ、キリスト復活というよりは春の訪れを祝う空気の方を強く感じます。

 

うちは無宗教ですが、年間を通してこちらの習慣を取り入れて生活を楽しんでいます。

復活祭の時には毎年うちでは義理の母が用意してくれるOSTERSCHINKEN(復活祭ハム)にちゃんとすりおろした西洋わさびをつけて、事前に用意したイースターエッグとパンを必ず食べる習慣となっています。

別にFatenzeitを守っているわけではありません。実際復活祭前の金曜日にも肉を食べましたが、OSTERNは毎年このような習慣です。

うちでも色をつけたたまごを今年も用意しました。

現在ではスーパーなどで色々な種類の色付きたまごが売られていますが、うちは毎年しっかりと色をつけます。

 

ところで、イースターエッグにはなぜ色をつけるのでしょうか?

 

これは四旬節と密接な関係があります。

このFastenzeitの期間、クリスチャン達は卵も食べてはいけませんでした。

そのため、卵が長持ちするようにと、女性たちは卵をゆでて、ゆでたまごにしたわけです。

 

生たまごとゆでたまごは、見た目だけではわかりませんので、卵をゆでる時に、生卵と区別するために、ゆでると色落ちする植物を同時にお湯の中に入れて、卵に色をつけたのが始まりです。

やがて時と共に自然界からのもので卵に色々な色をつけることができるようになりました。

      

当時のキリスト教の習慣で、復活祭前日の土曜日だけ、Osterei(イースターエッグ)に色をつけました

その色付けした卵を飾り付けしたバスケットに入れて、次の日の復活祭日曜日に教会に奉納しました。

教会儀式が終わった後、大人達がその奉納された色つきたまごを隠し、それを子供達が見つけるというわけです。

大人達は子供達に最初に赤いたまごを見つけて欲しい・・・という希望を持っていました。赤は幸運をもたらすからです。

それが赤ではなく、青だったらしばらく不運が続くとされていました。


そんなことから、現在でもこの時期には、大人が色つきたまごを庭などに隠し、子供達がそれを見つける・・・という習慣があります。

 

復活祭の象徴のひとつであるイースターエッグには色が付けられているだけではなく、美しい絵が描かれているようなものなどオリジナリティー溢れる物も多く登場しますので、それを見るだけでも復活祭を意識できます。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は復活祭(OSTERN)2017年

今日4月16日はOstern(オステルン)・・・復活祭です。

去年は3月27日とかなり早い復活祭でしたが、今年は遅めです。

謝肉祭が終わり四旬節に入ると、復活祭を思わせるデコレーションが街中にいっぱい登場します。

4月に入るとシェーンブルン宮殿の復活祭市Freyungの復活祭市なども例年通り盛況を見せ、4月10日の週はOsterferien(オスターフェーリエン)・・・イースター休暇なので学校もお休みですから家族連れで出かける方が多いです。

クリスマスの時にはChristkind(クリストキント)がプレゼントを持って来るわけですが、復活祭の時にシンボルのひとつであるOsterhase(オスターハーゼ)・・・復活祭のうさぎがたまごと同様に子供達にプレゼントを持って来る習慣があります。

 

生活の中では年間を通してクリスマスが一番重要な行事だと思いますが、宗教的には復活祭が一番重要です。

 

イエス・キリストが復活したことを祝うことから「復活祭」と呼ばれていますが、ドイツ語では"OSTERN"(オステルン)と言います。

このOSTERNがイエス・キリストの復活を祝うことから日本語では"復活祭"と訳されているだけなので、厳密には正しい訳ではありません。

イエス・キリストが復活することをドイツ語ではAuferstehung(アウフエアシュテーウング)という言葉が使われます。

 

復活祭は移動祝日で今年2017年は3月27日ですが、去年2016年は3月27日、一昨年2015年は4月5日だったんですね。

キリストが復活したのが日曜日ですから、復活祭は必ず日曜日になります。

 

カトリックでは春分の日を3月21日と固定していて、「春分の日を過ぎて、最初の満月を迎えた後の最初の日曜日」と決められています。

もし満月と日曜日が一致した場合は、その次の日曜日が復活祭で、春分の日当日が満月で、なおかつ日曜日である場合は、次の満月に続く日曜日です。

 

 

そのためカトリックでは3月22日~4月25日に復活祭がやって来ますから、今年はかなり遅めの復活祭ということになります。

 

ちなみに東方正教会はユリウス暦で3月21日を春分の日と定めているため、カトリックのグレゴリオ暦と比べると13日のずれがあるため、4月4日~5月8日になります。

東方正教会では復活大祭と呼ばれています。

これは325年のニケーアの公会議で定められた設定基準です。

 


<"OSTERN"の意味は?>

 

 

ドイツ語で「OSTERN」、英語では「Easter/イースター」,これはゲルマン神話の春の女神(あけぼのの女神)「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナート(Eostremonat)」に由来していると言われています。

8世紀にはゲルマン人が「エオストレモナート」に春の到来を祝う祭りを行っていたことの記録があります。

実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものもあります。

 

英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、全てギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来していて、その言葉も元を辿ればアラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」を表す「ぺサハ」(PESACH)」というヘブライ語から来ています。

つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から派生した祝い日であることを示しています。

 


復活祭前の週を、Karwoche (カルヴォッヘ)と呼ばれ、受難週です。

特に木曜日から土曜日までをそれぞれ、Gründonnerstag、Karfreitag、Karsamstagと呼ばれています。

Gründonnerstag(緑の木曜日)が最後の晩餐の日となります。

 

前述したようにOSTERNは復活祭という意味ではありませんが、キリスト復活を祝うことに使われます。

ウィーンで生活をしているとこの時期街中を歩いても教会に行かない限りキリスト復活を意識するカラーはほとんど見られません。

むしろ春の訪れを祝っている空気の方が強く感じられます。

復活祭の今日、春の訪れを祝いたいのですが、残念なことに朝方は10℃に達しない寒い1日の始まりです。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭に登場する3つのシンボル

3月の最後の週はいい天気が続き、日中の気温も20℃を超えてとても暖かくなりました。ウィーンの街は緑が多くなり、一挙に春の空気が広がっています。

街中の公園にある芝生の上ではたくさんの人がくつろぎ、ベンチにもたくさんの人が座って春の日差しを楽しんでいます。

今年の1月は本当に寒かったので、2月や3月に咲く花は例年よりひと月は遅く咲き始めました。

この春の訪れにタイミングよく復活祭がやってきます。

ドイツ語で復活祭は"OSTERN"(オステルン)と言いますが、これは厳密には"復活祭"という訳ではありません。

復活祭についてはその時にまた触れますが、これは宗教的に文字通りキリストが復活したことを祝うものですが、生活の中ではむしろ春の訪れを祝うような空気の方が多く感じられると思います。

街中を少しでも歩けば復活祭に関するデコレーションを店のショーウィンドウなど至る所で見ることができます。

ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません、キリスト教の歴史的習慣などが、現在のウィーンの生活にも現在の感覚として浸透していることがわかります。

今日はタイトルにある通り、復活祭の代表的な3つのシンボルについてまとめます。

 


Osterhase(オスターハーゼ)

 

オスターハーゼは復活祭のうさぎです。

Osterhase(オスターハーゼ)が復活祭のシンボルになったのは、実はそんなに古いことではなく、17世紀終わりからということです。それより前には存在していませんでした。

それまではうさぎではなく、こうのとり、にわとり、きつねがたまごを運んでくるという習慣はありました。

うさぎは春先にたくさんの子供をもうけます。

それが"新しい生命"を象徴し、そこからキリストの"復活"と結びつきました。


Osterei(オスターアイ)

 

たまごもうさぎと同様、新しい生命の象徴です。

このたまごは、前述したOsterhaseが持って来るということになっています。

現実にうさぎがたまごから生まれるということはないですし、うさぎがたまごを運んで来ることももちろんありません。

また、たまごには色が塗られていて、赤、青、緑、黄色といった一色だけのたまごもあれば、カラフルなたまごもあり、スーパーなどでもゆでたまごとしてたくさん売られています。


Palmkätzchen (パルムケツヒェン)

 

 

Palmkätzchen (パルムケツヒェン)も、花屋さんでは必ずこの時期には並んでいて、レストランやお店の中などにも飾られていたりします。

そのヤナギの枝にたまごがぶら下がっていることも多く見かけます。

聖書にはイエス・キリストがロバに跨って復活祭前の日曜日エルサレムに入城した時、人々はシュロ(ヤシ)を振りかざしてイエスを迎えました。

でもこちらヨーロッパの内陸ではヤシがありませんでした。現在ではいくらでも買えますし、南に行けばたくさんあります。

そこでいつしかネコヤナギが代わりに使われるようになり、家をネコヤナギで飾る習慣が生まれたというわけです。

本来であれば、Palmkätzchenではなく・・・パルムはヤシ、Weidekätzchen(ヴァイデケツヒェン)ですね。Weideはヤナギです。

でもこちらではPalmkätzchenと呼ばれています。

ネコヤナギは蜂にとって春の最初の食べ物のひとつです。

そんなことから春の訪れ・・・同時に復活祭のシンボルとなっているわけです。

 


 

地元では復活祭のこの時期になると当たり前のようにこのような象徴的な物を飾ります。

このような習慣もキリスト教の歴史を少しでも振り返ってみると、しっかりとした理由があって現在の私たちの時代に受け継がれていることがわかります。

このような意味がわかっているとまた楽しいですね。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

灰の水曜日と四旬節(2017年)

今日から3月ですね。昨日2月28日は謝肉祭の火曜日で今日から四旬節に入ります。

四旬節初日の今日水曜日は"灰の水曜日"と呼ばれ、ドイツ語ではAschermittwoch(アッシャーミットヴォッホ)と呼ばれています。

灰の水曜日は復活祭から日曜日を除いて40日間遡った日ということになっていますので、今年の場合は復活祭が

4月16日ですから、今日の3月1日が灰の水曜日となります。

 

四旬節はドイツ語ではFastenzeit(ファステンツァイト)と呼ばれています。

今日はこの2つのことについて少しまとめておこうと思います。

 


<なぜ灰の水曜日というか?>

 

 

 

灰の水曜日という表現は、教会でキリスト教徒の額に灰で十字架の印 (Aschenkreuz)をつけることからきています。前述したように復活祭からの日を数えると必ず水曜日になるわけです。

初期キリスト教時代は、信徒は灰の上に座り、それを頭に振り掛けながら断食を行ったということで、その習慣が額に灰で描く・・・ということに変わって行ったようです。

 

旧約聖書には・・・

ヨナ書では、"このうわさがニネヴェの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した"

 

またダニエル書では、"それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた"  

 

                                                                                  ・・・  とあります。

 

そこから初期キリスト教時代は、罪の報いを受けた信徒達は、四旬節の最初に贖罪服を着て、灰を掛けられた習慣があります。

灰を用いた最初の聖別は11世紀に登場し、1091年ローマ教皇ウルバヌス2世によって灰を振り掛けるという習慣が全教会に推奨されました。

12世紀になって、前年の椰子(シュロ)を燃やした灰を用いるということが規定されます。

 


<四旬節とは>

 

四旬節とは、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制、祈り・断食・慈善が基本となる時期です。

 

復活祭の日が決まって、そこから日曜日を除いて40日間遡った日が灰の水曜日ということになっています。

この40日間というのはイエスが40日間の断食を行ったことからきています。

今年の復活祭は3月27日です。

 


Aschenkreuzはもともと男性は頭に振り掛けられ、女性はおでこに描かれる習慣でしたが、今日では性別に関係なく両方行われています。

"灰"は聖書では悲しみや悔い改めの印や、死を意味するものとして登場しています。

キリストの死を悲しんで、人間の罪を悔い改める・・・

土から出て土に帰っていく私達人間が、四旬節の努めに励み、神から罪の赦しを受けて、新しい命を得て、復活されたイエスの姿にあやかることができるようにといった願いが込められています。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Fasching(謝肉祭)2017年

今日2月28日は謝肉祭の最高潮である火曜日で、早いもので今年も明日から四旬節に入ります。

今年は復活祭が去年よりも20日遅いため、謝肉祭も去年よりも遅くなります。

去年の復活祭は3月27日でしたが、今年は4月16日です。

"謝肉祭"という言葉は日本でも知られていますが今年もこの時期に謝肉祭について簡単にまとめてみます。

 

謝肉祭はドイツ語ではFasching (ファッシング)と呼ばれキリスト教の重要な習慣です。

Fasching(謝肉祭)はFastenzeit (ファステンツァイト・・・日本語で四旬節)の前です。

四旬節は灰の水曜日(Aschermittwoch)からイエス・キリストが磔になりその後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・断食・慈善が基本となります。

 

灰の水曜日は復活祭から日曜日を除いて40日間遡った日ということになっていますので、今年の場合は復活祭が

4月16日ですから、3月1日が灰の水曜日となり、その前日2月28日が"Faschingsdienstag"という謝肉祭の火曜日で謝肉祭のクライマックス・・・つまり今日というわけです。

 

40日間というのははイエスが荒野で断食をした長さで、紀元600年頃にどうやらローマ教皇グレゴリウス1世が復活祭前の断食時間を定めたようです。

そのため謝肉祭は厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・という意味があるわけです。

 

多くのレストランなどではちょっとした飾り付けをしますし、特に謝肉祭の最終火曜日は仮装して仕事をする人も多く、謝肉祭シーズンには多くの幼稚園や小学校でもちょっとしたパーティーがあり、子供達が仮装して幼稚園や学校に行きます。

ウィーンだと今日ではなく、先週仮装して登校する学校が多かったと思います。

 


 

仮装用の色々なグッズも売られています。

自分で作っている人も多いので、コスプレ的な感覚です。


謝肉祭はカーニバルと日本でも言われることもありますが、中世ラテン語のcarne levare (ドイツ語ではFleisch wegnehmen・・・直訳で肉を取り上げる)から来ているという説が一般的でしょうか。

 

他の説としては、冬を追い払って春の到来を祝う古代ゲルマン民族の習慣に由来し、その農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説などもあるようです。

 

それではこの謝肉祭はいつから始まるかというと・・・

ドイツ語圏ではたいてい1月6日の聖三王の祝日(Heilige Drei Könige)からというのが一般的でしょうか。

グレゴリオ1世の時代の謝肉祭は、四旬節が現在より6日遅かったようです。

11世紀終わりに四旬節の初日が灰の水曜日に定められ、12世紀には現在の長さになっていたようです。

 

また場所によっては11月11日11時11分から謝肉祭が始まる所もあるようですが、これは19世紀以降に登場した習慣です。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

12月8日はMaria Empfängnis (無原罪の御宿り)

ウィーンで生活をしていると四季を通じて様々な行事があり、この国の習慣などを感じることができます。そのような行事はキリスト教関係であることが多く、中でもこの時期のクリスマスは生活の中では一番重要な行事だと思います。"クリスマス"とひと言で言ってもその中には伝統から培われてきた色々な習慣が見られるわけですね。

アドヴェントクランツや聖ニコラウスなどもこの時期の重要なものです。毎日決められた時間に教会のミサに行く人はこの御時世限られているとは思いますがキリスト教文化が根付いていることがよくわかります。イエス・キリストは神の子として、救世主として色々な場所に登場しますが、それと同様にイエスを生むことになる聖母マリアも色々な所に登場します。

今日12月8日はMaira Empfängnis (マリア・エンプフェングニス)という祝日です。マリア・迎える・・・というこのドイツ語の表現から、マリアがイエスを授かった・・・つまり受胎告知の日だと思われている方がまだまだ多いですが、受胎告知とは全く違う祝日です。

 

Maira Empfänginis ・・・マリア・迎える・・・これは聖母マリア自身が穢れなくこの世に宿されたことを祝うもので、日本語では"無原罪の御宿り"とか"無原罪懐胎"と呼ばれています。マリアが宿されたのは、マリアのお母さんであるアンナです。そのためむしろこのこの祝日はアンナにも関係するわけです。

この無原罪の御宿りのお祭りは、10世紀ぐらいから存在していました。

 

1477年にローマ教皇SixtusIV世がローマに導入し、1708年にはClemens XI世 によってカトリック全体的に規定され、1854年PiusIX世がこの教義を公認します。

 

ちなみにマリア誕生はこの12月8日のMaira Empfängnisから9ヶ月後の9月8日で、受胎告知は3月25日となっています。

 

右の写真はマリアが蛇を踏んでいるというよく見られる光景です。これは原罪を犯したエヴァの罪からの解放です。

原罪とはエヴァが蛇の誘惑に負けて地上に罪をもたらし、人間は生まれながらにして罪を持っているという考え方・・・この"罪"が原罪です。でも"マリアはその蛇に勝っている"わけです。これはこの無原罪の御宿リを象徴しています。

 

 

マリア誕生以前の話として、ナザレの街にヨアキムという、イスラエルの血を引く裕福な人物がいました。この人物こそが後にマリアの父親となります。

アンナと結婚して20年にもなるのに子供がいなかったという大きな悩みがありました。

 

ある祝日の日、信仰深い彼は神殿に捧げものを持参したら、祭司に子供がいない理由で拒否されてしまいます。

その理由は子のいない者は神の民を増やせないので資格がないということでした。

 

彼は絶望し、また一方アンナも同じ悩みを持ち、悲しみに暮れていました。ある日、突然天使がアンナのもとに現れ、"神はあなた達の願いを聞き取って下さった。しかも世界中に知られることになる人を身ごもるのです" というお告げがあり、その9か月後に高齢のアンナは無事に出産し、「マリア」と名付けられました。

 

 


キリスト教も、その母体となったユダヤ教も基本は人為的に作られたもので、そして時を重ねながら今日の形になった宗教であり、これはキリスト教やユダヤ教が始まるもっと前の時代、私達人類の先輩達が、生活の中での信仰心というものを自然に生み出していました。

 

特に有名な古い神様は地母神です。地母神は万物を生み出す力、生と死、豊穣や凶作、天界と冥界などを司る力を握っていました。母なる大地とも言いますね。

 

このオーストリアで見つかっている考古学上大変重要なヴィレンドルフのヴィーナスはその典型的な例です。

キリスト教が登場し、男性中心、女性蔑視という考え方が広がって来ると抑圧された人々の欲求が、古来の地母神に替わるものとして"マリア"が選ばられることになったわけです。

 

地母神が司っていた能力をそのままマリアに移しました。

 

そこで"永遠なる母性"ということで精神的な調和をはかったわけです。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日11月1日は"Allerheiligen"(アラーハイリゲン) です

今日11月1日はAllerheiligen (アラーハイリゲン)というキリスト教の祭日です。日本では"祭日"という言葉は1948年以降は使用されなくなっていますが、こちらはキリスト教文化ですからあえて祭日という表現を使います。

Allerheiligenは全ての聖人という直訳で、日本語では"諸聖人の日"とか"万聖節"などと呼んでいます。

今日はこのことについてちょっとまとめましょう。

 

名前の通り全ての聖人に捧げるので、カトリックで聖人に列せられているポピュラーな聖人だけではなく、神以外は知らないその他の聖人や殉教者も対象となります。ちなみに東方正教会では聖霊降臨祭後の最初の日曜日がAllerheiligenです。AllerheiligenはカトリックではHochfestと呼ばれる重要な祭日となります。

今日はたくさんの地元の人達が墓地に行き、自分の先祖や亡くなった家族のお墓を訪れて祈りを捧げ、ロウソクや花輪などでお墓を飾ります。年間を通して墓地が最も華やかで活気がある日となります。

ウィーンでも中央墓地を始め多くの墓地が外側にあり、それぞれの墓地が賑わっています。

 

初期キリスト教時代は多くの殉教者を生み出し、多くの聖人達が登場することになり、それぞれの聖人達をそれぞれ特定の日に祈りを捧げるのは不可能となっていました。死者に祈りを捧げるという習慣は古代ローマ時代のキリスト教文化には存在していました。東側の正教会では4世紀の始めに登場したことが知られています。おそらく当時の4大総主教座にひとつであるアンティオキアから始まったようです。

西側教会では609年か610年に教皇ボニファティウス4世がローマのパンテオンで聖母マリアと全ての殉教者達に捧げ、復活祭後の金曜日としてこれが毎年の習慣と定めています。その100年後教皇グレゴリウス3世が全ての聖人に捧げた礼拝堂をサン・ピエトロの中に奉納し、そこからローマ市は11月1日にこの日が移されました。

8世紀終わりにはフランスでもこの11月1日にAllerheiligenが行われるようになり、時と共に西側カトリックではこの11月1日に行う習慣が広がって行きました。そして835年に教皇グレゴリウス4世が西側カトリックでは11月1日がAllerheiligenと正式に定めることになります。

ちなみに次の日の11月2日はAllerseelenという死者の日とか万霊節と言われ、信仰を持って亡くなって行った人を対象としています。本来であれば一般の人は11月2日にお墓参りをするのかもしれませんが、11月2日は平日であることもあり、多くの人は祭日である11月1日に墓地に行きます。そういう意味では日本で言うお盆にあたります。

 

ウィーンで生活をしていると実際には昨日10月31日のハロウィン習慣も最近は多く見られるようになりました。

これはアイルランド、ケルト習慣で、諸聖人の日の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれるキリスト教以前からあった精霊達を祭る夜でした。これが19世紀に移民によってアメリカに持ち込まれ、ハロウィンとなって現在に至っています。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日8月15日はマリア被昇天の日です

一昨日の午後から気温もまた上がり、青空が広がって来たウィーンです。昨日はほぼ30℃で暑い一日でした。

私は昨日ドナウ河の最も美しいヴァッハウ渓谷を御案内しましたが、絶好の船下り日和で、週末の天気がいい日ということもあってメルク修道院やクルーズ船はかなりの混雑でした。

さて、今日は月曜日ですがマリア被昇天ということでオーストリアは祝日です。

地元では長い週末ですね。

 

イエス・キリストを身ごもった聖母マリアにもお決まりのエピソードが存在しています。

ナザレの町にヨアキムという、イスラエルの古い部族の血をひく裕福な男性がいて、彼の悩みは結婚して20年にもなるのに子供がいないことでした。信仰心が厚い彼は、子供がいないという理由で神殿の犠牲の捧げものを祭司から拒否されてしまいます。子供がいない者は、神の民を増やせないので資格がないという理由です。また、妻のアンナも子供がいないという同じ悲しみに暮れていました。

ある日、天使がアンナのもとに現れて、「神はあなた達の願いを聞きとげて下さった、しかも世界中に知られることになる人を身ごもったのです」というお告げがありました。その後9ヶ月後に高齢であったアンナは無事に出産し、"マリア"と名付けられました。

 

キリストが天に昇天し、その後10日後に弟子達の前に現れる聖霊降臨祭が過ぎて使徒達は世界中に散って行った。その後マリアは12年、もしくはその倍の24年を生きたとされ、マリアも60歳、もしくは70歳を超えていました。そこへ1人の天使がマリアの前に現れてマリアに死のお告げをします。そのお告げとは、3日後に臨終が来るということでした。マリアはもう一度使徒達に会いたいと思いました。この天使はミカエルとされています。

すると、はるばる雲に運ばれて使徒たちがやって来ました。そして真夜中にはキリストが到来し、キリストの腕に抱かれてマリアの魂は天に昇って行きました。

この時キリストは使徒たちに3日後に再び来ることを告げました。使徒達はマリアの遺骸を柩に収めて埋葬しました。約束の3日後、キリストがマリアの墓に現れ、大天使ミカエルがマリアの魂を抱いていて、「母上、よみがえりなさい」とキリストが言いました。すると、マリアの魂は遺骸に入り、マリアは起き上がって天使たちに伴われて天に昇天して行きました。

聖母マリアはキリスト昇天と違って、自らの力ではなく、天使によって天に昇って行ったので、"被昇天"と表現されるわけです。

マリア被昇天は6世紀から存在しているようですが、1950年ローマ教皇ピウス12世によって正式に教義とされました。


写真はウィーンの美術史博物館にあるルーベンスの聖母被昇天です。

 

聖母マリアについて 1(マリア崇拝)も御覧下さい。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Fronleichnam (聖体祭)

ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません。

絵画、建築、音楽、工芸品、生活習慣、人々の精神構造など全てキリスト教とリンクしています。

しかし地元の人がいつも決められ時間に教会に行っているかというとそのような方々は僅かだと思いますが、キリスト教の習慣から生まれて現在の生活に大きな影響を与えていることはたくさんあります。

ウィーンで生活をしていると様々なキリスト教関係を習慣を見ることができ、しかもそれらが生活の習慣として密着しています。

 

さて今日5月26日はFronleichnam (フローンライヒナム) というキリスト教の祝日です。

 

Fronleichnamは日本語では聖体祭とか聖体の祝日とも言われ、カトリックの大事な祝日です。

この祝日は復活祭同様移動祝日なので毎年日が変わります。

"聖体"ですからイエス・キリストの体と血の儀式です。

ドイツ語でFronleichnam(フローンライヒナーム)と言いますが、この表現は中世ドイツ語の"vrône lîcham für ‚des Herren Leib"から派生したということです。

Fronleichnamは復活祭の日曜日の次の日を1日目と数えて60日目にあたります。

Pfingsten (聖霊降臨祭)の月曜日が終わり、次の日の火曜日から数えて10日目になります。

今年は3月27日か復活祭、5月15日が聖霊降臨祭の日曜日でしたので、今日が聖体祭になるわけです。

聖体祭は毎回木曜日となるわけですから、磔になる前の緑の木曜日と、その日の最後の晩餐に行われる聖体の秘蹟と結び付けられています。

 

Fronleichnamではミサが重要であり場所によっては外で行われます。

その後はProzessionという宗教行列があります。

これはカトリック教徒達が司祭や助祭が持つ聖体顕示台と共に祈りながら、そして歌いながら行進します。

 

Fronleichnamは1246年にベルギーの Lüttich司教区から始まったもので、1264年にはローマ教皇ウルバヌス4世によって全教会の祝祭として定められました。

 

ウィーンのシュテファン大聖堂では今日8:30からミサがあり、そのあとProzessionがあり

3.000人の参加が見込まれています。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は聖霊降臨祭 (2016年)

今日5月15日は聖霊降臨祭という祭日です。

ドイツ語では"Pfingsten" (プフィングステン)と呼ばれています。

日本では"祭日"という表現はおそらく今でもあると思いますが、昭和23年、1948年に

"国民の祝日に関する法律"が施行されて"祭日"はなくなり全て"祝日"となっていますが、

ここでは宗教的行事ですので祭日と表現したいと思います。

 

聖霊降臨祭は復活祭と同じように移動祝日(祭日)ですので毎年日が違います。

今年2016年に関しては、復活祭は3月27日 (日)でした。

その3月27日を1日目と数えて40日後の5月5日(木)がキリスト昇天祭 (Christ Himmelfahrt)で祭日です。

その次の日から数えて10日後にあたる今日の5月25日が聖霊降臨祭 (Pfingsten)というわけです。

 

聖霊降臨祭はペンテコステとも呼ばれ、イエスが復活した後その40日後にイエスは天に昇天、その10日後に再びイエスは弟子達の前に現れて様々な言語を伝えるという出来事があったことを祝う祭日です。

 

弟子達が集まっていると、突然天から炎のような舌が現れ、1人1人の上に止まります。

すると弟子たちは精霊に満たされて、様々な国の言語を話し始めた・・・ということです。

これは新約聖書の"使徒言行録"の2章1節以降に見られます。

紀元後130年にはキリストのお祭りとしてすでに存在していたようです。

ペンテコステはギリシャ語で"50番目の日"を意味するペンテーコステーに由来しています。

これはユダヤ教においての過ぎ越しの祭りから50日後に祝われる"シャブオット"の

ギリシャ語訳ということです。

シャブオットはもともと春の収穫に感謝する農業祭でした。

 

やはりユダヤ教のお祭りをここでもキリスト教は受け継いでいたわけです。

 

こちらでは今日の日曜日(Pfingstsonntag)と明日の月曜日(Pfingstmontag)は

お休みです。

 

参考までにキリスト教の成り立ちもどうぞ。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

なぜ復活祭では"たまごに色をつける"?

復活祭には色のついたゆでたまごを食べる習慣があります。

うちは別にキリスト教の家庭ではありませんが、年間を通してウィーンの生活習慣を家庭でも取り入れているので、復活祭の日曜日には必ず義理の母が持って来る"Osterschinken"(オスターシンケン)と色のついたゆでたまごを食べます。

"Osterschiknken"は復活祭ハム・・・なんて意味になります。

うちも例年通り昨日昼に皆で食べました。

 

復活祭の飾りでも紹介していますが、復活祭の3大シンボルはうさぎ、たまご、ネコヤナギです。

たまごはOsterei (オスターアイ)とこちらでは呼ばれていて、イースターエッグです。

 

たまごに色を塗る習慣は、Fastenzeitと四旬節に密接な関係があります。

このFastenzeitの期間、クリスチャン達は卵も食べてはいけませんでした。

 

そのため、卵が長持ちするようにと、女性たちは卵をゆでて、ゆでたまごにしたわけです。

 

生たまごとゆでたまごは、見た目だけではわかりません。

 

そこで卵をゆでる時に、生卵と区別するために、ゆでると色落ちする植物を同時にお湯の中に入れて、卵に色をつけたのが始まりです。

 

やがて時と共に自然界からのもので卵に色々な色をつけることができるようになりました。

 

当時のキリスト教の習慣で、復活祭前日の土曜日だけ、Ostereiに色をつけました

その色付けした卵を飾り付けしたバスケットに入れて、次の日の復活祭日曜日に教会に奉納しました。

 

その教会儀式が終わった後、大人達がその奉納された色つきたまごを隠し、それを子供達が見つけるというわけです。

 

大人達は子供達に最初に赤いたまごを見つけて欲しい・・・という希望を持っていました。赤は幸運をもたらすからです。

 

それが赤ではなく、青だったらしばらく不運が続くとされていました。

 

そんなことから、現在でもこの時期には、大人が色つきたまごを庭などに隠し、子供達がそれを見つける・・・という習慣があります。

こちらの幼稚園などでも行われている習慣です。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭 (Ostern) 2016年

今日3月27日は復活祭です。

また同時に夏時間に切り替わりましたので、1時間損したことになります。

 

生活の中ではクリスマスが一番重要な行事だと思いますが、宗教的には復活祭が一番重要です。

イエス・キリストが復活したことを祝うことから「復活祭」と呼ばれていますが、

ドイツ語では"OSTERN"(オステルン)と言います。

 

復活祭は移動祝日で今年2016年は3月27日ですが、例えば去年2015年は4月5日、

一昨年2014年は4月20日だったんですね。

キリストが復活したのが日曜日ですから、復活祭は必ず日曜日になります。

 

カトリックでは春分の日を3月21日と固定していて、「春分の日を過ぎて、最初の満月を迎えた後の最初の日曜日」と決められています。

 

そのためカトリックでは3月22日~4月25日に復活祭がやって来ますから、今年はかなり早い復活祭ということになります。

 

ちなみに東方正教会はユリウス暦で3月21日を春分の日と定めているため、カトリックのグレゴリオ暦と比べると13日のずれがあるため、4月4日~5月8日になります。

東方正教会では復活大祭と呼ばれています。

 

これは325年のニケーアの公会議で定められた設定基準です。

もし満月と日曜日が一致した場合は、その次の日曜日が復活祭で、春分の日当日が満月で、なおかつ日曜日である場合は、次の満月に続く日曜日です。

 

 

ドイツ語で「OSTERN」は英語では「Easter/イースター」・・・これはゲルマン神話の春の女神(あけぼのの女神)「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナート(Eostremonat)」に由来していると言われています。

 

8世紀にはゲルマン人が「エオストレモナート」に春の到来を祝う祭りを行っていたことの記録があります。

 

実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものもあります。

 

英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、全てギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来していて、その言葉も元を辿ればアラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」を表す「ぺサハ」(PESACH)」というヘブライ語から来ています。

つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から派生した祝い日であることを示しています。


 

Fasching (謝肉祭)が終わり、次の日の灰の水曜日からFastenzeit(四旬節)という、イエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの厳粛な時を過ごし、そして復活祭を迎えます。

復活祭前の週を、Karwoche (カルヴォッヘ)と呼ばれ、受難週です。

特に木曜日から土曜日までをそれぞれ、Gründonnerstag、Karfreitag,Karsamstagと呼ばれています。

Gründonnerstag(緑の木曜日)が最後の晩餐の日となります。

 

実際にウィーンで生活をしていると、教会以外ではあまりイエス・キリストが復活したことを祝う雰囲気は感じません。

むしろ春の訪れを祝っている・・・という空気が感じられます。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭の飾り

あと1週間で復活祭となりました。

すでに何度も触れていますが今年は復活祭が3月27日とかなり早いわけで、そのためクリスマスが終わった後の謝肉祭シーズンも早く終わった気がします。

街中には復活祭に関するものが色々な所に登場し、商店街などのショーウィンドゥに飾られて行きかう人々の目を楽しませてくれます。

今日はその復活祭の3大シンボルについて少し紹介します。

 

復活祭のシンボルと言えばうさぎ、たまご、ネコヤナギで以下のように呼ばれています。

"Osterhase (オスターハーゼ)"    復活祭うさぎ

"Osterei (オスターアイ)"     復活祭たまご

"Palmkätzchen (パルムケツヒェン)"  ネコヤナギ

 

 


 

Osterhase

(オスターハーゼ)

 

Osterhase(オスターハーゼ)が復活祭のシンボルになったのは、実はそんなに古いことではなく、17世紀の終わりからです。

 

それより前には存在していませんでした。

それまではうさぎではなく、こうのとり、にわとり、きつねがたまごを運んでくるという習慣はありました。

うさぎは春先にたくさんの子供をもうけます。

それが"新しい生命"を象徴し、そこからキリストの"復活"と結びついたわけです。

 


 

Osterei(オスターアイ)

 


たまごもうさぎと同様、新しい生命の象徴です。

このたまごは、前述したOsterhaseが持って来るということになっています。

現実にうさぎがたまごから生まれるということはないですし、うさぎがたまごを運んで来ることももちろんありません。

また、たまごには色が塗られていて赤、青、緑、黄色といった一色だけのたまごもあれば、カラフルなたまごもあり、スーパーなどでもゆでたまごとしてたくさん売られています。

 

復活祭「たまごに色を塗る習慣」を参照して下さい

 

 


 

Palmkätzchen

 

(パルムケツヒェン)

 

 

 

Palmkätzchen (パルムケツヒェン)も、花屋さんでは必ずこの時期には並んでいて、レストランやお店の中などにも飾られていたりします。

 

 

またこの写真のようにそのヤナギの枝にたまごがぶら下がっていることも多く見かけます。

 

聖書にはイエス・キリストがロバに跨って復活祭前の日曜日エルサレムに入城した時、人々はシュロ(ヤシ)を振りかざしてイエスを迎えました。

でもこちらヨーロッパの内陸ではヤシがありませんでした。

 (現在ではいくらでも買えますし、南に行けばたくさんあります)

そこでいつしかネコヤナギが代わりに使われるようになり、家をネコヤナギで飾る習慣が

生まれたというわけです。

 

そのため本来であれば、Palmkätzchenではなく・・・パルムはヤシ、

Weidekätzchen(ヴァイデケツヒェン)ですね。Weideはヤナギです。

でもこちらではPalmkätzchenと呼ばれています。

ネコヤナギは蜂にとって春の最初の食べ物のひとつです。

そんなことから春の訪れ・・・同時に復活祭のシンボルとなっているわけです。

 


 

この時期普通に街の至る所に見られるものでも、改めて考えるとキリスト教や地元の習慣を知らなければ意味がわかりませんね。

 

地元の人達だっておそらくここまで詳しく知っている人は特定の分野以外ではあまりいないと思います。

こちらで生まれ育っている人にとっては、当たり前の習慣として、そういうものとして自然に生活の中に溶け込んでいるわけで、理由や歴史的背景なんてどうでもいいわけです。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

シェーンブルン宮殿の復活祭市  (2016年)

今年2016年の復活祭は3月27日とかなり早くやって来ます。

復活祭の時期になると、キリスト教の習慣と合わせて毎年復活祭について話題にしますが、

昨日の3月9日からシェーンブルン宮殿での"Ostermarkt" (復活祭市)が始まりました。

 


 

今年で14回目を迎えるシェーンブルン宮殿のOstermarkt (オスターマルクト)はもうすっかり地元では定着し恒例となっています。

復活祭についてはここでまた話題ににしたいと思いますが、復活祭はドイツ語では"Ostern"(オステルン)と呼ばれています。

私は昨日の午前中は団体ツアーの皆さんをアテンドしました。

ホテルから出発し大型バスで最初にシェーンブルン宮殿に向かいました。

宮殿に到着した時にはまだ9:00前でしたから、あまり人はいませんでした。

すぐに宮殿内部の観光をしました。

全室を見るグランドツアーだったので、75分ぐらいかかり、10:00過ぎに外に出たら雰囲気はかなり変わっていて、多くの人が復活祭市の初日を楽しんでいました。

毎年同じようなスタイルで提供されますが、季節や習慣を意識できるものとしていいと思いますし、またこの時期シェーンブルン宮殿に来られた方にとっても楽しめると思います。

 

 



 

復活祭のシンボルのひとつである卵も例年通り登場しています。

シェーンブルン宮殿の復活祭市 2014年 でも見られます)

売られている物も復活祭のシンボルでもあるうさぎとか卵などのちょっとした工芸品などが目立ちます。

クリスマス市とはやはり内容が違います。

クリスマス市はウィーンの色々な所でも見ることができますが、Ostermarktが開かれている所は限られています。

 

シェーンブルン宮殿の復活祭市は3月9日~3月29日 10:00~18:00 です。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

個性的なFastentuch

今年は復活祭が3月27日とかなり早いです。

街中は復活祭を象徴する物がお店などのショーウィンドゥなどに多く飾られています。

復活祭についてはまた後日話題にしたいと思いますが、謝肉祭が終わってこの時期の復活祭までの時期を四旬節・・・ドイツ語ではFastenzeitと呼んでいます。

教会に行くとイエス・キリストが復活をするまでのこの四旬節の時期、主祭壇が布で覆われているのを見ることができます。

つまり、主祭壇を隠してしまうわけです。

見開きの祭壇などもこの時期は閉じられています。

この祭壇を覆う布のことを"Fastentuch" (ファステントゥーフ)と呼ばれていますが、ちょっとおもしろいFastentuchを紹介します。

 

 

こちらはウィーンのシンボルであるシュテファン大聖堂です。

大聖堂に入ると奥の主祭壇には紫色にライトアップされたFastentuchを見ることができます。

主祭壇が隠されているわけですね。

普段見られる主祭壇と比べるとより目立っています。

これは一種のモダン芸術であり、このFastentuchは1枚の布ではありません。

 


 

主祭壇の近くで見るとレースみたいな物ががつぎはぎされていることが伺えます。

全体の形は綺麗な長方形ではなく、いびつなテーブルクロスのような雰囲気です。

右の写真は可能な限り拡大してみました。

 

これはマルチメディアの芸術家Eva Petričによるもので、彼女はウィーンやニューヨークで活躍しています。

 

全体の大きさは11m x 5mで鉤針編みされた古いクロスが無数につなぎ合せてあるもので、これらは芸術家本人が世界の色々な場所でののみの市や寄付によって手に入れたものです。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Aschermittwoch (灰の水曜日)とFastenzeit (四旬節)

昨日2月9日は謝肉祭の火曜日でした。

謝肉祭の最高潮に達した火曜日の次の日の水曜日・・・つまり今日は"Aschermittwoch"(アッシャーミットヴォッホ)と呼ばれ、日本語では灰の水曜日です。

そして今日から四旬節(Fastenzeit)に入ります。

ドイツ語で"Asche" は灰、"Mittwoch"は水曜日です。

 

 


 

<四旬節とは>

 

四旬節とは、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制、祈り・断食・慈善が基本となる時期です。

 

復活祭の日が決まって、そこから日曜日を除いて40日間遡った日が灰の水曜日ということになっています。

この40日間というのはイエスが40日間の断食を行ったことからきています。

今年の復活祭は3月27日です。

 


 

<なぜ灰の水曜日というか?>

 

灰の水曜日という表現は、教会でキリスト教徒の額に灰で十字架の印 (Aschenkreuz)を

つけることからきています。前述したように復活祭からの日を数えると必ず水曜日になるわけです。

 

初期キリスト教時代は、信徒は灰の上に座り、それを頭に振り掛けながら断食を行ったということで、その習慣が額に灰で描く・・・ということに変わって行ったようです。

 

旧約聖書には・・・

 

ヨナ書では、"このうわさがニネヴェの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した"

 

またダニエル書では、"それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた"   

  

                                                                                  ・・・  とあります。

 

 

そこから初期キリスト教時代は、罪の報いを受けた信徒達は、四旬節の最初に贖罪服を

着て、灰を掛けられた習慣があります。

 

灰を用いた最初の聖別は11世紀に登場し、1091年ローマ教皇ウルバヌス2世によって灰を振り掛けるという習慣が全教会に推奨されました。

12世紀になって、前年の椰子(シュロ)を燃やした灰を用いるということが規定されます。

 


 

Aschenkreuzはもともと男性は頭に振り掛けられ、女性はおでこに描かれる習慣でしたが、今日では性別に関係なく両方行われています。

 

"灰"は聖書では悲しみや悔い改めの印や、死を意味するものとして登場しています。

キリストの死を悲しんで、人間の罪を悔い改める・・・

土から出て土に帰っていく私達人間が、四旬節の努めに励み、神から罪の赦しを受けて、

新しい命を得て、復活されたイエスの姿にあやかることができるようにといった願いが込められています。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Fasching (謝肉祭)2016年

今日2月9日が今年度の謝肉祭の頂点である火曜日です。

"謝肉祭"という言葉は日本でも知られていますが実際はどういうものなのでしょうか。

 

謝肉祭はドイツ語ではFasching (ファッシング)と呼ばれキリスト教の重要な習慣です。

 

Fasching(謝肉祭)はFastenzeit(ファステンツァイト)・・・日本語で四旬節の前です。

四旬節は灰の水曜日(Aschermittwoch)からイエス・キリストが磔になりその後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・断食・慈善が基本となります。

 

今年2016年は復活祭が3月27日とかなり早いんですね。

灰の水曜日はその復活祭から日曜日を除いて40日間遡った日ということになっています。

今年の場合は2月10日が灰の水曜日なので、その前日2月9日が"Faschingsdienstag"という謝肉祭の火曜日で謝肉祭のクライマックス・・・つまり今日です。

 

40日間というのははイエスが荒野で断食をした長さで、紀元600年頃にどうやらローマ教皇グレゴリウス1世が復活祭前の断食時間を定めたようです。

 

 

そのため謝肉祭は厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・

その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・・という意味があるわけです。

多くのレストランなどではちょっとした飾り付けをしますし、特に謝肉祭の最終火曜日は

仮装して仕事をする人も多く、謝肉祭シーズンには幼稚園や小学校でもちょっとしたパーティーがあり、子供達が仮装して学校や幼稚園に行きます。

 



 

上の写真はウィーンのある大きなおもちゃ屋さんの一角ですが、全てFasching関係の物が売られています。

子供達がこの時期に仮装するので、様々な分野の衣装やそれに伴ったたくさんの小物が売られています。

忙しいこの御時世ですから、仮装の衣装は買って済ますという人が圧倒的に多いです。

こちらの幼稚園や小学校ではこの謝肉祭時期には特定の日を設けて仮装して子供達が登校します。

学校側から"この日は仮装して登校して下さい"という事前の案内があって、子供達はぞれぞれお気に入りに仮装して学校に行きます。

こちらではこの時期の当たり前の習慣で、子供だけでなく、大人までも仮装して仕事に行く人も少なくありません。

謝肉祭のクライマックスである火曜日に仮装する大人も多いですが、幼稚園や学校などではもう少し早く行われます。

 


 

謝肉祭はカーニバルと日本でも言われることもありますが、中世ラテン語のcarne levare (ドイツ語ではFleisch wegnehmen・・・直訳で肉を取り上げる)から来ているという説が一般的でしょうか。

 

他の説としては、冬を追い払って春の到来を祝う古代ゲルマン民族の習慣に由来し、

その農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説なども

あるようです。

 

それではこの謝肉祭はいつから始まるかというと・・・

ドイツ語圏ではたいてい1月6日の聖三王の祝日(Heilige Drei Könige)からというのが

一般的でしょうか。

グレゴリオ1世の時代の謝肉祭は、四旬節が現在より6日遅かったようです。

11世紀終わりに四旬節の初日が灰の水曜日に定められ、12世紀には現在の長さになっていたようです。

 

また場所によっては11月11日11時11分から謝肉祭が始まる所もあるようですが、

これは19世紀以降に登場した習慣です。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Sternsinger(シュテルンジンガー)

ここ数日はとても寒い日が続いています。

日中は-3℃~-5℃ぐらいで、風も強くて体感的にはもっと寒く感じます。

私は仕事は大好きですが、風が強いマイナス気温の中での徒歩観光は正直辛いものがありますね。

昨日は日中は-1℃だったものの、それ以前よりは少し暖かく感じました。

でもこの寒さが冬の間ずっと続くわけではなく、数日後には少し暖かくなります。

この寒さの中で徒歩観光をしている時に街中で"Sternsinger"に数回出会いました。

 

1月6日は"Heilige Drei Könige"でした。

Sternsinger(シュテルンジンガー)とは

12月25日~1月6日までこの聖三王(三賢者、三学者)であるカスパール、メルキオール、バルタザールの3人に変装した子供達が街中を歩き、色々な人々を訪れてちょっとした歌を歌い、その後に彼らに少しの献金をするという習慣です。

 

ドイツ語で"Stern"は星、"Singer"は歌う人で、東から星に導かれてイエスを拝みに来るという話から来ています。

これはカトリック教会では伝統的な習慣で、たいてい教会がオルガナイズした子供達が変装しています。

街中だけではなく、彼らは家にもやって来るんです。

その時には家の呼び鈴を押して、家主が出て来るとそこで歌を歌ってくれます。

うちにも毎年近くの教会で組織されたSternsingerがやって来ます。

 

 

こちらはウィーンで観光中頻繁に立ち寄る日本人経営のギフトショップです。

ここに皆様と入った瞬間に偶然にもSrternsingerが店の中にいました。

彼らはもう帰る所だったので、私が日本からのお客様に習慣を見せてあげたいから是非もう一曲歌ってくれと頼みました。

彼らは大変に喜んで数曲歌ってくれました。

 

日本の皆様に習慣を説明し、皆さん喜んで献金してくれました。

観光中にHeilige Drei Königeの話をしたので、これは最高のタイミングでした。

まさか、この店の中にSternsingerがいるとは思いもしませんでした。

 


 

Sternsingerはいつぐらいからあるかというと、例えばザルツブルクのペーター修道院の記録によれば1541年となっています。

それを初めとして1560年よりヨーロッパには急速に普及していったようです。

20世紀半ばから教会などが本格的に組織して、献金で集まったお金は世界の貧しい子供達に送られます。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

聖三王の祝日(2016年)

今日1月6日は"Heilige Drei Könige"(ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)の日で祭日です。

"祭日"という表現は日本ではもう存在せず、現在では全て"祝日"と表現しますが、聖三王のこの日はキリスト教の宗教儀礼上の休日なので祭日でもいいのかなと思います。

 

このドイツ語を直訳すると。「聖なる三王」となるでしょうか。

 

日本語では、東方三博士、東方三賢者とも言われています。

イエス・キリストが誕生したのでイエス・キリストを拝むために東から星に導かれて三学者(三賢者、三博士)がやって来る・・・というよく知られた話です。

 

新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。

 

しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。

 

以下、それぞれの名前と彼らがイエスに捧げる物です。

 

 

カスパール (アジアを象徴)

 

没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場

 

 

 

メルキオール (ヨーロッパを象徴)

 

黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場

 

 

 

バルタザール (アフリカを象徴)

 

乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場

 

 

これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。

 

この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。

ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、

3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。

 

 

クリスマスの時期には上の写真で見られるように、イエスを拝みに来るシーンを演出したWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)というものが多く見られます。

写真奥には赤い服を着たマリアとヨゼフの間にイエスが見られます。

ヨゼフの前には跪いている人とその右に2人の人物が立っていますが、彼らが三王です。

 

Weihnachtskrippeはクリスマスツリーと一緒に飾る習慣があり、クリスマスツリーもクリスマスが終わったら片づけることはせず、1月6日までは飾っておく習慣があります。

写真のWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)はSchloß Hofにあったものです。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

クリスマスツリーを飾る習慣

昨日はクリスマスイヴでした。

うちにも"Christkind"が来てくれたようでたくさんのプレゼントがもみの木の下にたくさん置かれていました。

 

クリスマスツリーのもみの木はこちらでは"Christbaum" (クリストバウム)と呼ばれていて、本物のもみの木にちゃんと装飾をして飾る習慣があります。

そもそも、"本物のもみの木"という表現がこちらの人からすると滑稽だと思います。

おもちゃのツリーを飾る習慣はないからです。

生活の中では年間を通して一番重要な行事がクリスマスです。

(宗教的には復活祭ですが)

うちも毎年もみの木を飾っていて今年はちょっと早めに買い、昨日の午後4に家族皆で装飾をしました。

 

日常生活の中では"重要な習慣"として当たり前のように毎年この時期になればもみの木を飾ります。

ところでなぜクリスマスにもみの木を飾るのでしょうか?

 

これはクリスマスの習慣とキリスト教に大きな関係があります。

キリスト教の成り立ちで書いていますが、313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25 日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年 にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。

 

聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。

 

当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。

キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかった

わけです。

言い方を変えれば、当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、

自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも見えます。

 

そのような背景から以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。

 

①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、

 太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。

 

 

②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、

 これは紀元前217年頃からあったとされています。

 

 

③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。

   北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、

   収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。

 

さて、クリスマスツリーの

原型は、上述した③の北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで使われていたのがもみの木です。冬でも葉を枯らさずにいる・・・これが生命の象徴とされていました。

 

こうした「祭りごとを行う時に、もみの木を飾る」という行為は今のドイツにも伝わり、キリスト教の普及と共にキリスト教でもその習慣を引き継いで行きました。

 

1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が精霊救貧院にツリーを飾ったことが最初の、クリスマスツリーをクリスマスに飾った記録とされています。

常緑樹を飾ったのはなぜでしょうか?

 

日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。

 

そのような歴史的背景から現在に見られるクリスマスツリーを飾る習慣があるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

12月8日は"Maria Empfängnis" で受胎告知とは違います

この時期のウィーンの主役はクリスマスです。

11月半ばから始まったクリスマス市ももう後半です。

年間を通してクリスマスが一番重要なイヴェントがある12月にはそれ以外にも重要な日がいくつかあります。

一昨日の12月6日は地元で重要なニコロ(聖ニコラウス)の習慣であり、また同時にアドヴェントの第2日曜日でしたからうちでもAdventkranzに2本目のロウソクを灯しました。

 

今日12月8日は"Maria Empfängnis" (マリアエンプフェングニス)という休日です。

昨日の月曜日は平日でしたが休みをとって4連休の方が多かったと思います。

シェーンブルン宮殿やベルヴェデーレ宮殿は大変な混雑でした。

 

ドイツ語でMaria Empfängnisは、その言葉から何となく、聖母マリアが迎える・・・

つまりイエス・キリストが生まれることが知らされた

「Mariä Verkündigung」

(受胎告知)と勘違いされることがとても多いです。

地元の人もそう思ってる方が多いんですね。

でもそうではありません!

 

Maria Empfängnisは、イエス・キリストとは何の関係もなく、聖母マリアが、母アンナから無原罪で生まれて来たことを祝うものです。
日本語では"無原罪の御宿り"とか

"無原罪懐胎"と呼ばれています。




マリアが宿されたのは、マリアのお母さんであるアンナです。

そのためむしろこのこの祝日はアンナにも関係するわけです。

この写真はウィーンのアンナ教会の美しいフレスコ画です。




マリア誕生以前の話として、ナザレの街にヨアキムという、イスラエルの血を引く裕福な人物がいました。この人物こそが後にマリアの父親となります。

アンナと結婚して20年にもなるのに子供がいなかったという大きな悩みがありました。

 

ある祝日の日、信仰深い彼は神殿に捧げものを持参したら、祭司に子供がいない理由で拒否されてしまいます。

その理由は子のいない者は神の民を増やせないので資格がないということでした。

 

彼は絶望し、また一方アンナも同じ悩みを持ち、悲しみに暮れていました。ある日、突然天使がアンナのもとに現れ、"神はあなた達の願いを聞き取って下さった。しかも世界中に知られることになる人を身ごもるのです" というお告げがあり、その9か月後に高齢のアンナは無事に出産し、「マリア」と名付けられました。




この無原罪の御宿りのお祭りは、10世紀ぐらいから存在していました。

1477年にローマ教皇SixtusIV世がローマに導入し、1708年にはClemens XI世 によって

カトリック全体的に規定され、1854年PiusIX世がこの教義を公認します。


ちなみにマリア誕生はこの12月8日のMaira Empfängnisから9ヶ月後の9月8日で、

受胎告知は3月25日となっています。






にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

聖ニコラウスの日(2015年)

今日の12月6日は聖ニコラウスの日です。

このニコラウスから現在誰でも知っているサンタクロースが生まれたというのが定説です。

 

ここオーストリアでは「クリスマスにサンタクロースがプレゼントを持って来る・・・」

なんて言うと地元の方に苦笑いされてしまいます。

サンタクロースがクリスマスにプレゼントを持って来ることはオーストリアでは絶対にあり得ないからです。

クリスマスにサンタクロースは登場しません。

 

では誰がプレゼントを持って来るのでしょうか?

それは"Christkind" (クリストキント)・・・つまり子供のキリストが持ってきます。

クリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うものですね。

だからプレゼントを持って来るのは子供のキリストなんです。

サンタクロースは装飾とマスコット以外には絶対に登場しません!

そのためクリスマス市だって"Christkindlmarkt"とこちらでは呼ばれています。

 

そのサンタクロースの元の人物は聖ニコラウスです。

 

聖ニコラウスはカトリックの有名な聖人です。

 

ニコラウスは小アジア(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。

 

貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。

 

 

<ニコラウスのエピソード>

よくある有名な彼のエピソードは、年頃3人の娘を持った、貧しい父親の話です。

お金がなかったので、嫁がすこともできなかた・・・そこで娘たちが体を売ってお金を

作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。

その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に

投げ込まれた・・・ということです。


サンタクロースからのプレゼントがどこに入るかという、小さい頃によく聞いた

話に何か思い当りませんか?!

 

もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達が

ニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・

ということです。

 

 

<ニコラウスがサンタクロースへ変化していく>

 

小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。

 

現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。

 

1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアの

Bari (バーリ)に持たらされ、そこにニコラウスの教会が作られました。 

現在でもそこは有名な巡礼教会です。

その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。

 

やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀にオランダ人達が移民していき、

その時にこのニコラウス習慣をアメリカに持って行きました。

 

St.Nikolaus はドイツ語では、ザンクト・ニコラウス、英語でセント・ニコラウス・・・

オランダ語ではSinterklaas・・・これがアメリカからサンタクロースというカタカナ書きで、私達日本に入って来たわけです。

 

日本はかなりアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけです。

 



そのため聖ニコラウスの日が近づくにつれて、街中のスーパーなどには上の写真に見られるように司教姿のニコラウスのチョコレートがたくさん売られています。

これらを日本で言うとバレンタインデーの義理チョコをあげるような感覚でプレゼントする習慣があります。

大きいニコラウスから小さなニコラウスまで、またデザインも様々ですが、基本は司教さんの姿であるということです。

 


 

こちらの子供達のニコラウス習慣はどうかというと・・・

自分の靴をきれいに磨いておいて、12月6日ニコラウスの日の前日の12月5日夜寝る前に、

窓に置いておきます。

そこでニコラウスが良い子の所に現れて、その磨かれた靴の中に、食べ物を入れるという

習慣があります。

その食べ物は落花生、みかん、リンゴ、チョコレートなどで、この冬に食べ物がある・・・

という象徴なんですね。

 

実際に靴を磨いている子供達はそんなに多くないかもしれませんが、この12月6日に食べ物やちょっとした小さな贈り物をもらうことは現在のとてもポピュラーな習慣です。

今日の12月6日は地元ではNikolo(ニコロ)と呼ばれ、この時期の大事な習慣として生活に浸透しています。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日はマリア被昇天

今日8月15日はマリア被昇天祭です。

イエス・キリストを身ごもった聖母マリアにもお決まりのエピソードが存在しています。

 

ナザレの町にヨアキムという、イスラエルの古い部族の血をひく裕福な男性がいて、

彼の悩みは結婚して20年にもなるのに子供がいないことでした。

信仰心が厚い彼は、子供がいないという理由で神殿の犠牲の捧げものを祭司から拒否されてしまいます。子供がいない者は、神の民を増やせないので資格がないという理由です。

また、妻のアンナも子供がいないという同じ悲しみに暮れていました。

 

ある日、天使がアンナのもとに現れて、「神はあなた達の願いを聞きとげて下さった、しかも世界中に知られることになる人を身ごもったのです」というお告げがありました。

その後9ヶ月後に高齢であったアンナは無事に出産し、"マリア"と名付けられました。

 

キリストが天に昇天し、その後10日後に弟子達の前に現れる聖霊降臨祭が過ぎて使徒達は世界中に散って行った。

その後マリアは12年、もしくはその倍の24年を生きたとされ、マリアも60歳、もしくは70歳を超えていました。

そこへ1人の天使がマリアの前に現れてマリアに死のお告げをします。

そのお告げとは、3日後に臨終が来るということでした。マリアはもう一度使徒達に会いたいと思いました。

この天使はミカエルとされています。

すると、はるばる雲に運ばれて使徒たちがやって来ました。

そして真夜中にはキリストが到来し、

キリストの腕に抱かれてマリアの魂は天に昇って行きました。

この時キリストは使徒たちに3日後に再び来ることを告げました。

使徒達はマリアの遺骸を柩に収めて埋葬しました。

約束の3日後、キリストがマリアの墓に現れ、大天使ミカエルがマリアの魂を抱いていて、「母上、よみがえりなさい」とキリストが言いました。

すると、マリアの魂は遺骸に入り、マリアは起き上がって天使たちに伴われて天に昇天して行きました。

 

聖母マリアはキリスト昇天と違って、自らの力ではなく、天使によって天に昇って行ったので、"被昇天"と表現されるわけです。

 

マリア被昇天は6世紀から存在しているようですが、1950年ローマ教皇ピウス12世によって正式に教義とされました。

 

写真はヴェネツィアにある有名なティツィアーノの聖母被昇天です。

 

聖母マリアについて 1(マリア崇拝)も御覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は Pfingsten(聖霊降臨祭)

今日2015年5月24日は聖霊降臨祭(Pfingsten・・・プフィングステン)という

キリスト教の祭日です。

日本では"祭日"という表現はおそらく今でもあると思いますが、昭和23年、1948年に

"国民の祝日に関する法律"が施行されて"祭日"はなくなり全て"祝日"となっていますが、

ここでは宗教的行事ですので祭日と表現します。

 

 

聖霊降臨祭はペンテコステとも呼ばれ、

イエスが復活し、その40日後にイエスは天に昇天、その10日後に再びイエスは弟子達の前に現れて様々な言語を伝えるという

出来事があったことを祝う祭日です。

 

復活祭が移動祝日(祭日)ですので、聖霊降臨祭も毎年日は違います。

今年2015年に関しては、復活祭は4月5日 (日)でした。その4月5日を1日目と数えて40日後の5月14日(木)がキリスト昇天祭 (Christ Himmelfahrt)でした。

その次の日から数えて10日後が今日である5月24日の聖霊降臨祭 (Pfingsten)です。

 

弟子たちが集まっていると、突然天から炎のような舌が現れ、1人1人の上に止まります。

すると弟子たちは精霊に満たされて、様々な国の言語を話し始めた・・・ということです。

これは新約聖書の"使徒言行録"の2章1節以降に見られます。

紀元後130年にはキリストのお祭りとしてすでに存在していたようです。

 

ペンテコステはギリシャ語で"50番目の日"を意味するペンテーコステーに由来しています。

これはユダヤ教においての過ぎ越しの祭りから50日後に祝われる"シャブオット"の

ギリシャ語訳ということです。

シャブオットはもともと春の収穫に感謝する農業祭でした。

 

やはりユダヤ教のお祭りをここでもキリスト教は受け継いでいたわけです。

こちらでは今日の日曜日(Pfingstsonntag)と明日の月曜日(Pfingstmontag)は

お休みです。

 

 

以下参考までに・・・

キリスト教の成り立ち今日は復活祭も御覧下さい!

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は復活祭 (2015年)

今日4月5日は復活祭です。

宗教的には年間を通して一番重要なお祭りです。

しかし生活の中ではクリスマスが年間で一番重要な行事です。

 

復活祭らしい晴天のいい天気ですが、朝の気温は2℃前後とかなり冷え込んでいます。

 

ドイツ語で復活祭は"OSTERN"(オステルン)と言います。

イエス・キリストの復活を祝うことから日本語では"復活祭"と訳されていますが,厳密には

正しい訳ではありません。

キリスト復活はドイツ語ではAuferstehung (アウフエアシュテーウング)という言葉が使われます。

 

このOSTERNは移動祝日で、今年2015年の復活祭は今日4月5日の日曜日です。

キリストが復活したのが日曜日ですから、復活祭は必ず日曜日になります。

 


カトリックでは春分の日を3月21日と固定していて、復活祭は「春分の日を過ぎて、最初の満月を迎えた後の最初の日曜日」と決められています。

 

 

もし最初の満月が日曜日である場合は、その次の日曜日が復活祭で、

春分の日当日が満月で、なおかつ日曜日である場合は、次の満月に続く日曜日です。

 

そのためカトリックでは3月22日~4月25日に復活祭がやって来ます。去年はかなり遅く、

4月20日が復活祭でした。

 

 

復活祭が決まって、そこから日曜日を除いて40日間を遡ると、灰の水曜日です。

その前日の火曜日がFasching(謝肉祭)の頂点で、次の日の灰の水曜日から

Fastenzeit(四旬節)という、イエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの

厳粛な時が始まります。

 

復活祭前の週を、Karwoche (カルヴォッヘ)と呼ばれ、受難週です。

特に木曜日から土曜日までをそれぞれ、Gründonnerstag、Karfreitag,Karsamstagと呼ばれています。

Gründonnerstag(緑の木曜日)が最後の晩餐の日です。

 

 

ちなみに東方正教会はユリウス暦なので、カトリックのグレゴリオ暦と比べると

13日のずれがあるため、復活祭は4月4日~5月8日になります。

 

これは325年のニケーアの公会議で定められた設定基準です。

 

御興味があれば以下も参照して下さい。

キリスト教の成り立ち

 

 

 


英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、

全てギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来していて、その言葉も元を辿れば

アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」を表す

「ぺサハ」(PESACH)」というヘブライ語から来ています。


つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から派生した祝い日であることを示しています。


ドイツ語で「OSTERN」は英語で「Easter/イースター」・・・これはゲルマン神話の

春の女神(あけぼのの女神)「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の

用いた春の月名「エオストレモナート(Eostremonat)」に由来していると

言われています。


8世紀にはゲルマン人が「エオストレモナート」に春の到来を祝う祭りを行っていたことの

記録があります。

実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものも

あります。


復活祭もクリスマスの習慣と同じように、古来からの習慣が混ざり合って現在の習慣になっていったということです。

実際に生活をしていると、教会以外ではあまりイエス・キリストが復活したということを

祝う雰囲気はなく、むしろ春の訪れを祝っている・・・という空気が感じられます。







にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭に登場するもの

今日は3月28日の土曜日で、明日から夏時間になります。

夜中の2時の時に、3時に変わります。

実際に夜中に起きて時計を1時間進めることはなく、事前に進めておきます。

1時間損することになります。この1時間は結構大きいですね・・・。


今年は去年と比べると復活祭は早く4月5日ですからもうすぐですね。

そのためシェーンブルン宮殿の復活祭市も今年は早く始まりました。

 

キリスト教では現在四旬節で、四旬節とは灰の水曜日から、イエス・キリストが磔になり

その後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・

断食・慈善が基本となります。

 

この時期は復活祭の雰囲気が街中至る所に見られます。

復活祭はドイツ語でOSTERN(オステルン・・・いわゆるイースター)といいますが、

イエスが復活することを祝う宗教的には年間で一番重要な行事です。

 

復活祭については例年通りまた後日説明したいと思いますが、復活祭にはなくてはならないシンボル的なグッズ?!を見てみましょう。

 

 


Osterhase(オスターハーゼ)

 

オスターハーゼは復活祭のうさぎです。

Osterhase(オスターハーゼ)が復活祭のシンボルになったのは、実はそんなに

古いことではなく、17世紀終わりからということです。それより前には存在していませんでした。

それまではうさぎではなく、こうのとり、にわとり、きつねがたまごを運んでくるという習慣はありました。

 

うさぎは春先にたくさんの子供をもうけます。それが"新しい生命"を象徴し、そこから

キリストの"復活"と結びつきました。

 


 


Osterei(オスターアイ)




たまごもうさぎと同様、新しい生命の象徴です。

 

このたまごは、前述したOsterhaseが持って来るということになっています。

 

現実にうさぎがたまごから生まれる

ということはないですし、うさぎがたまごを運んで来ることももちろんありません。

 

また、たまごには色が塗られていて、赤、青、緑、黄色といった一色だけの

たまごもあれば、カラフルなたまごもあり、スーパーなどでもゆでたまごとしてたくさん

売られています。

 

復活祭「たまごに色を塗る習慣」を参照して下さい


 


Palmkätzchen

    (パルムケツヒェン)

 

Palmkätzchen (パルムケツヒェン)も、

花屋さんでは必ずこの時期には並んでいて、レストランやお店の中などにも飾られていたりします。

 

また上の左の写真のように、そのヤナギの枝にたまごがぶら下がっていることも多く

見かけます。

 

聖書にはイエス・キリストがロバに跨って

復活祭前の日曜日エルサレムに入城した時、人々はシュロ(ヤシ)を振りかざしてイエスを迎えました。

 

でもこちらヨーロッパの内陸ではヤシがありませんでした。

(現在ではいくらでも買えますし、南に行けばたくさんあります)

 

そこでいつしかネコヤナギが代わりに使われるようになり、家をネコヤナギで飾る習慣が

生まれたというわけです。

 

そのため本来であれば、Palmkätzchenではなく・・・パルムはヤシ、

Weidekätzchen(ヴァイデケツヒェン)ですね。Weideはヤナギです。

でもこちらではPalmkätzchenと呼ばれています。

 

ネコヤナギは蜂にとって春の最初の食べ物のひとつです。

 

そんなことから春の訪れ・・・同時に復活祭のシンボルとなっているわけです。

 



このような物がウィーンの街中至る所に見られます。これらを見ると誰でも"復活祭"を思うわけで、地元では当たり前の様に生活に浸透しています。






にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

シェーンブルン宮殿の復活祭市   (2015年)

ウィーンの街中は復活祭を待っている空気が流れています。

ドイツ語ではOSTERN(オステルン)といいますが、日本語では復活祭と一般的には訳されています。

復活祭については後日このコーナーで復活祭当日に説明したいと思います。


昨日3月21日からこの時期恒例のシェーンブルン宮殿の復活祭市が始まりました。


今年で13回目を向かえる復活祭市はOSTERMARKT(オスターマルクト)と

呼ばれています。


屋台が建ち並び、人工芝的じゅうたんの上に簡易テラスも設けられていて皆さんが

のんびりくつろいでいます。


昨日は天気も非常によく、初日であり週末

でもあったので観光の皆さん以上に

地元の人が多く訪れていました。


一見クリスマス市のようですが、

シェーンブルン宮殿クリスマス市

宮殿正面に市が出ますが、復活祭市は

宮殿正面を見て左側に出ています。


屋台で売っている物も全く違います。

復活祭ですから、復活祭のたまごの

飾りとか、復活祭うさぎのちょっとした

工芸品なども見られます。



もちろん、食べ物や飲み物も売られていて、テラスでのんびりと過ごすことができます。


このシェーンブルン宮殿の復活祭市は以下期間内に開かれています。

3月21日~4月6日  毎日 10:00~18:30 


シェーンブルン宮殿庭園へ入るためのメインの門(Haupttor)を始め、

Meidlinger Tor, Hietzinger Torは共に19:00まで開けられています。






にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

灰の水曜日

昨日が謝肉祭の最高潮である火曜日で、今日は灰の水曜日です。

ドイツ語ではAscher Mittwoch(アッシャー・ミットヴォッホ)と呼ばれています。

 

今日から四旬節に入ります。

四旬節とは、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制、祈り・断食・慈善が基本となる時期です。

 

復活祭の日が決まって、そこから日曜日を除いて40日間遡った日が灰の水曜日ということになっています。

この40日間というのはイエスが40日間の断食を行ったことからきています。

 

 

 


 

灰の水曜日という表現は、教会でキリスト教徒の額に灰で十字架の印 (Aschenkreuz)を

つけることからきています。前述したように復活祭からの日を数えると必ず水曜日になるわけです。

 

初期キリスト教時代は、信徒は灰の上に座り、それを頭に振り掛けながら断食を行ったということで、その習慣が額に灰で描く・・・ということに変わって行ったようです。

 

旧約聖書のヨナ書では、"このうわさがニネヴェの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した"

 

またダニエル書では、"それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた"   

  

                                                                                  ・・・  とあります。

 

そこから初期キリスト教時代は、罪の報いを受けた信徒達は、四旬節の最初に贖罪服を

着て、灰を掛けられた習慣があります。

 

灰を用いた最初の聖別は11世紀に登場し、1091年ローマ教皇ウルバヌス2世によって灰を振り掛けるという習慣が全教会に推奨されました。

12世紀になって、前年の椰子(シュロ)を燃やした灰を用いるということが規定されます。





Aschenkreuzはもともと男性は頭に振り掛けられ、女性はおでこに描かれる習慣でしたが、今日では性別に関係なく両方行われています。


"灰"は聖書では悲しみや悔い改めの印や、死を意味するものとして登場しています。

キリストの死を悲しんで、人間の罪を悔い改める・・・

土から出て土に帰っていく私達人間が、四旬節の努めに励み、神から罪の赦しを受けて、

新しい命を得て、復活されたイエスの姿にあやかることができるようにといった願いが込められています。









にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は謝肉祭の火曜日(Fasching)

今日は謝肉祭の火曜日です。

その一環として街中では様々な所で舞踏会が開かれています。その中でも先日話題にした

国立オペラ座舞踏会はその最高峰でしょうか。


ウィーンで生活をしているとクリスマス等を始め様々な季節のいわゆる行事があり、

それが人々の生活に本当に自然に溶け込んでいるんですね。

たいていがキリスト教習慣がベースになっていると思いますが、この謝肉祭とはどういう

ものなのでしょうか?

 


謝肉祭はカーニバルと日本でも言われることもありますが、中世ラテン語のcarne levare (ドイツ語ではFleisch wegnehmen・・・直訳で肉を取り上げる)から来ているという説が一般的だと思いますが、冬を追い払って春の到来を祝う古代ゲルマン民族の習慣に由来し

その農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説なども

あるようです。

 

 

謝肉祭はいつから始まるかというと・・・

ドイツ語圏ではたいてい1月6日の聖三王の日(Heilige Drei Könige)からというのが

一般的でしょうか。

グレゴリオ1世の時代の謝肉祭は、四旬節が現在より6日遅かったようです。

11世紀終わりに四旬節の初日が灰の水曜日に定められ、12世紀には現在の長さになっていたようです。

 

また場所によっては11月11日11時11分から謝肉祭が始まる所もあるようですが、

これは19世紀以降に登場した習慣です。

 

 

前述した四旬節とは、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になりその後復活する

前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・断食・慈善が基本となります。

 

Fasching(謝肉祭)は、その四旬節(ドイツ語でFastenzeit・・・ファステンツァイト)の前です。

 

 

復活祭は今年2015年は4月5日の日曜日です。

そこから日曜日を除いて40日間遡った日が、Aschermittwoch (灰の水曜日)で、

今年で言えば明日の2月18日です。

その前日の今日2月17日火曜日がFaschingのクライマックスです。

この40日間はイエスが荒野で断食をした長さですね。

 

紀元600年頃にどうやらローマ教皇グレゴリウス1世が復活祭前の断食時間を定めた

ようです。

 

 

そのため謝肉祭は厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・

その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・・という意味があるわけです。

 

多くのレストランなどではちょっとした飾り付けをしますし、特に謝肉祭の最終火曜日は

仮装して仕事をする人も多く、幼稚園や小学校でもちょっとしたパーティーがあり、

子供達が仮装して学校や幼稚園に行きます。

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Weihnachtskrippe 2

先日のWeihnachtskrippe 1 が結構好評だったので、クリスマス習慣は終わりましたが、

もうひとつWeihnachtskrippe 2を紹介します。

 


こちらは背景があまりヨーロッパ的ではないですね。

主題が分かり易く、画面中央にイエスが見られます。




こちらはアルプスの中のイメージで、雪の中という演出です。

よく見ると屋根にはつららまで描写され、寒さが伝わってきます。

イエス、マリア、ヨゼフの3人に、左側にはカスパール、メルキオール、バルタザールの

3人だけと、他は全く登場していないシンプルでなおかつオリジナリティーを感じます。




こちらは真ん中の大きなアーチの下にイエスが見られます。

岩や木も配置させ、自然の中に作られた神殿的イメージですね。



Weinachtskrippeは、テーマが同じでも作者の感性の違いもあり、自由性があって

創造力の違いを見ることができるので、見比べるととてもおもしろいものですね。





にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Weihnachtskrippe 1

1月6日は"Heilige Drei Könige"で、ベツレヘムからの星に導かれて3人の学者がイエスを

拝みにやって来るという有名な話からの祝日でした。

このシーンを表したジオラマが"Weihnachtskrippe"で、アドヴェント時期から教会や

クリスマス市、家庭などに多く見られます。

 

今日はそのWeihnachtskrippeをいくつか紹介したいと思います。

 

 

こちらはお馴染みミノリーテン教会の素晴らしいWeihnachtskrippeです。

ここでは登場人物が一部動く演出もされていて、見るものを別世界に誘い込みます。

ここのWeihnachtskrippeは絶対に見逃せないですね。

こちらはシュテファン大聖堂のWeihnachtskrippeです。

大聖堂内の、ある祭壇の前にあり、あまり目立たないため、残念ながら気づかない人も多く

います。これはイエス、マリア、ヨゼフが登場していないのでちょっと珍しいですね。

ほのかにライトアップされたこの場所は浮かび上がっています。



こちらはシェーンブルン宮殿のWeihnachtskrippeで、クリスマスツリーの前に置かれていました。クリスマス市の中にあったのでクリスマスの雰囲気をより盛り上げました。

ガラスケースの中に入っていて、全体的にライトで灯されていますが、イエス、マリア、

ヨゼフの部分がより明るくなっています。

 



 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

1月6日は東方三博士の祝日です

元旦の次の祝日は今日1月6日の"Heilige Drei Könige" (ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)です。日本語では東方三博士、東方三賢者などとも呼ばれ、イエス・キリストが誕生したので東から星に導かれて三学者がやって来る・・・というよく知られた話です。



こちらではクリスマス時期によく登場するWeihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)という、イエスが生まれ、この3人がイエスを拝みにやって来るシーンを表すジオラマが多く見られます。

 

クリスマス時期でなくても美術館に行けばこれをテーマにした絵画がいくつもあります。

 

 

この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。

 

ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、

3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。

 

彼ら3人には名前があり、それぞれ以下の物をイエスに捧げます。

 

カスパール (アジアを象徴)

没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場

 

メルキオール (ヨーロッパを象徴)

黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場

 

バルタザール (アフリカを象徴)

乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場

 

 

新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に

導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども細かく描写されていないわけです。

 

しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。

 

ちなみにこの1月6日の"Heilige Drei Könige"が過ぎるまではクリスマスツリーをまだ飾っておく習慣があるので、クリスマスが終わっても、クリスマスツリーも一緒に年を越して新年を迎えるわけです。

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

Christbaum(クリスマスツリー)

先々週からウィーンはクリスマスツリーが街中で売られています。

11月半ばからクリスマス市が出始めてクリスマスの雰囲気が一挙に漂うわけですが、

この時期ツリーが街中に出て来ると、ますますクリスマスが近づいて来るんだな・・・

と思います。

今日は12月23日ですが、今日にツリーを買う地元の方もまだまだ多いんですね。


 

こちらでは毎年もみの木(Tannenbaum)が売られますが、特にこのクリスマスツリーのもみの木は、ここオーストリアではChristbaum(クリストバウム)と呼ばれています。地元では家庭に飾るクリスマスツリーとしてもみの木を毎年買うわけで、ウィーンの街中には至る所でChristbaumが売られています。背丈が高いものから低いもの、全体の形が整っている物など様々です。

オーストリアは林業も重要な産業であり、計画的な植林をしているため、もみの木がなくなることは絶対にありません。ちなみにここオーストリア産の赤松などは日本にも輸出されています。

ツリーを売る業者によってはもみの木の他にFichte (トウヒ)も売られます。

シェーンブルン宮殿市庁舎のように大きなツリーが必要な時には、もみの木ではなくトウヒが飾られます。30mを超えるもみの木はそのこまで成長する時間もかかります。

20m~30mを超えるもみの木はまず見たことがありません。

 

重要なことは常緑樹であるということで、この時期に緑であることが大事です。

 

クリスマスツリーが売っている場所には、このような円形の物が必ず置かれています。ツリーはネットに包まれて運ばれ、ネットが外されてKreuzと呼ばれる十字型の木に立てられて売られています。

 

どれを買うか決めたら、Kreuzが欲しいか欲しくないか聞かれますが、どこの家庭にもたいていはKreuzの代わりにクリスマスツリーを支える物があるので普通はKreuzは要りません。

 

そしてツリーの根本部分からこの円形の中にツリーを通していくと、狭くなっていく円形の中を通りながらツリーの葉が折りたたまれて、同時にツリーがネットでくるまる・・・という中々便利な物です。

 

その方が持ち運びに便利ですね。この時期には仕事帰りにツリーを引きずっている人や、車の上にツリーを乗せている人をよく見かけます。

 

 

さて、買ってきたツリーを部屋に飾って装飾をするのはたいてい12月24日の午前中で、

結構ギリギリなんですね。それまでは庭がある所ではツリーはネットにくるまれたまま外に置いておきます。

部屋の中に早くからだしてしまうと乾燥してしまうからです。

 

うちの今年買ったクリスマスツリーもネットにくるまれたまま庭のテラスに立てかけて置いてあります。

 

 


クリスマスツリーを飾る習慣は、"クリスマスの習慣はどこから来た?"でも書いたように、

以下の3つの習慣が現在のクリスマスの原型で、その時の冬至祭やキリスト教よりもっと

古いサトゥルヌス祭で常緑樹を飾る習慣がありました。

 

①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、

 太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。

 

 

②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、

 これは紀元前217年頃からあったとされています。

 

 

③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。

   北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、

   収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。

 

 

なぜ、常緑樹を飾ったのでしょうか?

日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。


ヨーロッパで最初に
クリスマスツリーが飾られたのは15世紀前半の1419年からと

されています。

 





 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

今日は無原罪の御宿り

先日マリア信仰について書きましたが、今日12月8日は"Maria Empfängnis" (マリア・エンプフェングニス)というカトリックの休日です。マリア・迎える・・・というこの

ドイツ語の表現から、マリアがイエスを授かった・・・つまり受胎告知の日だと思われている方がまだまだ多いですが、受胎告知とは全く違う祝日です。

 

Maira Empfänginis ・・・マリア・迎える・・・これは聖母マリア自身が穢れなくこの

世に宿されたことを祝うもので、日本語では"無原罪の御宿り"とか"無原罪懐胎"と呼ばれています。

 

マリアが宿されたのは、マリアのお母さんであるアンナです。

なのでむしろこのこの祝日はアンナにも関係するわけです。

 

マリア誕生以前の話として、

ナザレの街にヨアキムという、

イスラエルの血を引く裕福な人物がいました。この人物こそが後に

マリアの父親となります。

アンナと結婚して20年にもなるのに子供がいなかったという大きな悩みがありました。

 

ある祝日の日、信仰深い彼は神殿に捧げものを持参したら、祭司に

子供がいない理由で拒否されてしまいます。その理由は子のいない者は神の民を増やせないので資格がないということでした。

 

彼は絶望し、また一方アンナも

同じ悩みを持ち、悲しみに暮れていました。ある日、突然天使がアンナのもとに現れ、"神はあなた達の願いを聞き取って下さった。しかも世界中に知られることになる人を身ごもるのです" というお告げがあり、

その9か月後に高齢のアンナは無事に出産し、「マリア」と名付けられました。

 

 



この無原罪の御宿りのお祭りは、10世紀ぐらいから存在していました。

1477年にローマ教皇SixtusIV世がローマに導入し、1708年にはClemens XI世 によって

カトリック全体的に規定され、1854年PiusIX世がこの教義を公認します。


ちなみにマリア誕生はこの12月8日のMaira Empfängnisから9ヶ月後の9月8日で、

受胎告知は3月25日となっています。


この写真は以前ここで紹介したウィーンアンナ教会の天井フレスコ画でダニエル・グランによるもので、アンナを表しています。



                       2013年12月8日の記事はこちら





にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

聖ニコラウスがサンタクロースになった

オーストリアではクリスマスにプレゼントを持って来るのは誰でも知ってるサンタクロースではありません。サンタクロースが登場しないクリスマスです。

 

しかし、実際に登場しない・・・というと嘘になるかもしれません。

クリスマスをわくわくしながら待つAdvent(アドヴェント)のこの時期、サンタクロースは装飾などの脇役では登場するので街中でもキャラクター的に見ることはできます。

 

こちらではクリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、

子供のキリスト(Christkind・・・クリストキント) が持ってきます。

だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うものなので、子供のキリストが

プレゼントを持って来るわけです。

 

いわゆるサンタクロースは、カトリックの有名な聖人ニコラウスが原型というのが

一般的で、今日12月6日は聖ニコラウスの日として知られています。

 

ニコラウスは小アジア

(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。

 

貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。

 

よくある有名な彼のエピソードは、年頃の3人娘を持った、貧しい父親の話です。

お金がなかったので、娘たちを嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。

その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に

投げ込まれた・・・ということです。


皆さん、サンタクロースからのプレゼントがどこに入るかという、小さい頃によく聞いた

話に何か思い当りませんか?!

 

もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達が

ニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・

ということです。

 

 

小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。

 


現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの

教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。

 

1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアのBari (バーリ)に持たらされ、そこに

ニコラウスの教会が作られました。

 

現在でもその教会は有名な巡礼教会です。

 

その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。

 

やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀、オランダ人達が移民していき、その時にこのニコラウス習慣を

アメリカに持って行きました。

 

St.Nikolaus はドイツ語では、

ザンクト・ニコラウス、英語で

セント・ニコラウス・・・

オランダ語ではSinterklaas・・・

これがアメリカからサンタクロースというカタカナ書きで、私達日本に入って来たわけです。

 

さて、こちらでは良い子にしていた子供達にニコラウスが来るわけですが、

果たして何をもらうのでしょうか?

 

それは落花生、リンゴ、みかん、チョコレート等といった食べ物です。

この冬の時期にも食べ物がある・・・という象徴的な物です。

昨日このコーナーで紹介したように、子供達が自分の靴を綺麗に磨き、その靴の中に

ニコラウスが食べ物を入れる・・・という習慣なんですね。

 

こちらの幼稚園などでも子供達に靴を磨かせてニコラウスを待つということが

行われています。

 

 

 

日本はかなりアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけです。

もちろんヨーロッパでもサンタクロースの習慣はあるでしょう。

 

しかしこちらオーストリアでは、サンタクロースは誰でも知っていますが、

サンタクロースがクリスマスプレゼントを持って来る・・・なんていう話は聞いたことが

ありません。

 

Christkindがプレゼントを持って来るからです。

 

 



 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

 

聖母マリアについて 1(マリア信仰)

ウィーンの街中には多くの場所に記念碑的な像が立っていたり、美しい建物の装飾と共に

ちょっとした像も施されています。(例.Bürgerhaus1を参照)


そんな像の多くは歴史上の有名人ですが、キリスト教文化のヨーロッパですから宗教画と

同様にキリスト教をテーマにする像も多く見られるわけです。


キリスト教と言えばすぐに、イエスの磔刑像や幼子イエスと聖母マリアを思い出すわけですが、今回はその"聖母マリア"についてマリア信仰をベースに少し触れてみたいと思います。


カトリックでは、女性は男性の従属物的という思想が見られます。

例えばアダムの脇腹の骨からイヴが生まれる、またアダムをそそのかしたのも

イヴであり、その軽はずみな行動から

結果的に楽園追放になるわけです。

 

そこから男性中心的で、女性蔑視的な

考え方があるわけです。

 

極論を言ってしまえば、キリスト教も、その母体となったユダヤ教も基本は人為的に作られたもので、そして時を重ねながら今日の形になった宗教であり、これはキリスト教やユダヤ教が始まるもっと前の時代、私達人類の先輩達が、生活の中での信仰心というものを自然に生み

出していたわけです。

 

特に有名な古い神様は地母神です。地母神は万物を生み出す力、生と死、豊穣や凶作、天界と冥界などを司る力を握っていました。母なる大地とも言いますね。

このオーストリアで見つかっている考古学上大変重要なヴィレンドルフのヴィーナス

その典型的な例です。

 

それをキリスト教では"全能の神"と言われる唯一神の男神がその権限を持っていると定め、

女神には権限がないとしたわけです。

そのため古代ローマ帝国で313年にキリスト教が公認されてからは、古来からの地母神は

否定されることになるわけです。

 

しかし・・・

現実を見ると、自然界では基本的に男性と女性、雄と雌がそろって初めて中庸がとれるものであり、それは人間界においても同様です。

私達人間が無意識によって形成していく文化は男性要素だけでは成り立ちません。

それには女性的要素というものが不可欠であり、女性的要素がなければ文化は機能しない

わけです。

 

そこで男性中心、女性蔑視と抑圧された人々の欲求が、古来の地母神に替わるものとして

"マリア"が選ばられることになったわけです。

地母神が司っていた能力をそのままマリアに移しました。

そこで"永遠なる母性"ということで精神的な調和をはかったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭 (Ostern)について

今年2014年は今日が復活祭です。

通常の生活の中で、年間を通して一番重要な行事はクリスマスですが、

宗教的には復活祭が一番重要です。

 

イエス・キリストが復活したことを祝うことから「復活祭」と呼ばれていますが、

こちらドイツ語では「OSTERN」(オステルン)と言います。

 

このOSTERNが、イエス・キリストの復活を祝うことから日本語では復活祭と訳されているだけなので,厳密には正しい訳ではありません。

イエス・キリストが復活することをドイツ語ではAuferstehung

             (アウフエアシュテーウング)という言葉が使われます。

 

Fasching(謝肉祭)が終わり、次の日の灰の水曜日からFastenzeit(四旬節)という、

イエス・キリストが磔になり、その後復活する前日までの厳粛な時を過ごし、

そして復活祭です。

 

復活祭前の週を、Karwoche (カルヴォッヘ)と呼ばれ、受難週です。

特に木曜日から土曜日までをそれぞれ、Gründonnerstag、Karfreitag,Karsamstagと呼ばれています。

Gründonnerstag(緑の木曜日)が最後の晩餐の日です。

 

キリスト教の成り立ち謝肉祭(Fasching)を参考にして下さい。

 

復活祭は移動祝日で、今年2014年は4月20日(日)で、キリストが復活したのが日曜日ですから、復活祭は必ず日曜日になります。

 

カトリックでは春分の日を3月21日と固定していて、「春分の日を過ぎて、最初の満月を迎えた後の日曜日」と決められています。

そのためカトリックでは3月22日~

4月25日に復活祭がやって来ます。

 

ちなみに東方正教会はユリウス暦なので、カトリックのグレゴリオ暦と比べると

13日のずれがあるため、4月4日~5月8日になります。

 

これは325年のニケーアの公会議で定められた設定基準です。

 

もし満月と日曜日が一致した場合は、その次の日曜日が復活祭で、

春分の日当日が満月で、なおかつ日曜日である場合は、次の満月に続く日曜日です。

 

 

 

 

英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、

全てギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来していて、その言葉も元を辿れば

アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」を表す

「ぺサハ」(PESACH)」というヘブライ語から来ています。


つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から派生した祝い日であることを示しています。


ドイツ語で「OSTERN」は英語で「Easter/イースター」・・・これはゲルマン神話の

春の女神(あけぼのの女神)「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の

用いた春の月名「エオストレモナート(Eostremonat)」に由来していると

言われています。


8世紀にはゲルマン人が「エオストレモナート」に春の到来を祝う祭りを行っていたことの

記録があります。

実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものも

あります。


復活祭に登場する色をつけた卵(イースターエッグ)や、多産の象徴である

ウサギ(イースターバニー)などが復活祭のシンボルとなっています。


春の到来を祝うお祭りの習慣と復活祭は密接な関係があったわけです。






にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭 「たまごに色をぬる習慣」(OSTEREI・・・イースターエッグ)

先日復活祭のシンボルについて紹介しましたが、そのひとつである

復活祭たまご(Osterei・・・オスターアイ)に色を塗る習慣について今日は少し

書きたいと思います。

 

この習慣は、Fastenzeit(ファステンツァイト)・・・四旬節と関係があります。(謝肉祭を参照して下さい)

 

このFastenzeitの期間、クリスチャン達は卵も食べてはいけませんでした。

そのため、卵が長持ちするようにと、女性たちは卵をゆでて、ゆでたまごにしたわけです。

生たまごとゆでたまごは、見た目だけではわかりません。

そこで卵をゆでる時に、生卵と区別するために、ゆでると色落ちする植物を同時にお湯の中に入れて、卵に色をつけたのが始まりです。

 

 

やがて時と共に、自然界からのもので、卵に色々な色をつけることができるようになりました。

 

当時のキリスト教の習慣で、復活祭前日の土曜日だけ、Ostereiに

色をつけました。

その色付けした卵を飾り付けした

バスケットに入れて、次の日の復活祭日曜日に教会に奉納しました。

 

その教会儀式が終わった後、大人達がその奉納された色つきたまごを隠し、それを子供達が見つけるというわけです。

 

大人達は、子供達に最初に赤いたまごを見つけて欲しい・・・という希望を持っていました。赤は幸運をもたらすからです。

 

それが赤ではなく、青だったらしばらく不運が続くとされていました。

 

そんなことから、現在でもこの時期には、大人が色つきたまごを庭などに隠し、

子供達がそれを見つける・・・という習慣があります。

こちらの幼稚園などでも行われている習慣です。

 

このたまごは、Osterhase・・・復活祭うさぎが持って来るものということになっています。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

復活祭のシンボルについて

先日シェーンブルン宮殿の復活祭市について書きましたが、

今年の復活祭(OSTERN)は4月20日です。

復活祭を前にしたこの時期、街中には復活祭のシンボルとも言えるものが至る所に

見られます。

 

それは・・・

"Osterhase (オスターハーゼ)"    復活祭うさぎ

"Osterei (オスターアイ)"     復活祭たまご

"Palmkätzchen (パルムケツヒェン)"  ネコヤナギ

 

                        が代表的です。

 

 

Osterhase(オスターハーゼ)

 

Osterhase(オスターハーゼ)が復活祭の

シンボルになったのは、実はそんなに古いことではなく、17世紀終わりからです。

それより前には存在していませんでした。

 

それまではうさぎではなく、こうのとり、

にわとり、きつねがたまごを運んでくるという習慣はありました。

 

うさぎは春先にたくさんの子供をもうけます。

それが"新しい生命"を象徴し、そこから

キリストの"復活"と結びつきました。

 

 

 

 

 

Osterei(オスターアイ)

 

たまごもうさぎと同様、

新しい生命の象徴です。

 

このたまごは、Osterhaseが持って来るということになっています。

 

現実にうさぎがたまごから生まれる

ということはないですし、

 

うさぎがたまごを運んで来ることももちろんありません。

 

また、たまごには色が塗られていて、赤、青、緑、黄色といった一色だけの

たまごもあれば、カラフルなたまごもあり、スーパーなどでもゆでたまごとしてたくさん

売られています。

 

たまごに色を塗る習慣は次回説明したいと思います。

 

 

Palmkätzchen

    (パルムケツヒェン)

 

Palmkätzchen (パルムケツヒェン)も、

花屋さんでは必ずこの時期には並んでいて、

レストランやお店の中などにも飾られて

いたりします。

 

またこの写真のように、そのヤナギの枝に

たまごがぶら下がっていることも多く

見かけます。

 

聖書にはイエス・キリストがロバに跨って

復活祭前の日曜日エルサレムに入城した時、人々はシュロ(ヤシ)を振りかざしてイエスを迎えました。

 

でもこちらヨーロッパの内陸ではヤシがありませんでした。

(現在ではいくらでも買えますし、南に行けばたくさんあります)

 

そこでいつしかネコヤナギが代わりに使われるようになり、家をネコヤナギで飾る習慣が

生まれたというわけです。

 

そのため本来であれば、Palmkätzchenではなく・・・パルムはヤシ、

Weidekätzchen(ヴァイデケツヒェン)ですね。Weideはヤナギです。

でもこちらではPalmkätzchenと呼ばれています。

 

ネコヤナギは蜂にとって春の最初の食べ物のひとつです。

 

そんなことから春の訪れ・・・同時に復活祭のシンボルとなっているわけです。

 

 

 

 


この時期普通に街の至る所に見られるものでも、改めて考えるとキリスト教や地元の習慣を知らなければ意味がわかりませんね。

 

地元の人達だっておそらくここまで詳しく知っている人は特定の分野以外ではあまりいないと思います。

こちらで生まれ育っている人にとっては、当たり前の習慣として、そういうものとして自然に生活の中に溶け込んでいるわけで、理由や歴史的背景なんてどうでもいいわけです。

 

それは私達日本でも同じことですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

シェーンブルン宮殿の復活祭市

昨日4月5日から、

シェーンブルン宮殿恒例の復活祭市が始まりました。

今年で12回目です。

 

ドイツ語で復活祭は、"OSTERN" (オステルン)といいます。

そのため復活祭市も"Ostermarkt" (オスターマルクト) と呼んでいます。

 

キリスト教の成り立ち謝肉祭でも書いていますが、純粋にキリストが復活することを意味するドイツ語は"Auferstehung"と言う言葉がありますので、Ostern本来の意味はキリストの復活ではありません。

 

"復活祭"とは後の人が日本語で、その内容に合わせて意訳的に表現したわけで、

こちらでは復活祭という表現ではありません。

 

今年の4月20日が復活祭ですので、その日に復活祭について触れたいと思います。

 

 

クリスマス市のような雰囲気ですね。

でも売られている物がクリスマス関係

ではなく、復活祭関係のものが多く、

また手作り工芸品、食べ物スタンド、

週末は子供達がマジパンの

復活祭うさぎ(Osterhase)、

復活祭卵(Osterei)

を作れるイヴェントもあります。

 

並んでいる屋台の場所もクリスマス市とは違っています。

 

こちらは毎年恒例の

シェーンブルン宮殿の

イースターエッグです。

 

この時期のシェーンブルン宮殿に

行くと、とにかく目立つ位置に

置かれています。


卵にもちょっとした飾りがあって、青と黄色の卵で、Osternならではのものです。

 

復活祭のシンボルのうさぎ(Osterhase)や卵(Ostereier)については復活祭を迎えるまでの近いうちにこのコーナーでまた紹介します。

 

ウィーンの街は年間を通して季節やその時期を感じるイヴェントが数多くあります。

街の雰囲気がその時期を象徴するかのようで、人々が街の雰囲気をベースに日常の生活を送っているかのようです。

 


シェーンブルン宮殿の復活祭市は、

4月5日~4月21日 10:00~19:00 です。

 

ちなみにシェーンブルン宮殿の正門、ヒーツィング門、マイドリンク門は

20:00まで開いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

謝肉祭 (Fasching) 2014年

この時期は、ドイツ語でFasching (ファッシング)つまり謝肉祭の時期です。

 

謝肉祭はカーニバルと日本でも言われることもありますが、中世ラテン語のcarne levare (ドイツ語ではFleisch wegnehmen・・・直訳で肉を取り上げる)から来ているという説が一般的でしょうか。

 

他の説としては、冬を追い払って春の到来を祝う古代ゲルマン民族の習慣に由来し、

その農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説なども

あるようです。

 

 

Fasching(謝肉祭)はFastenzeit(ファステンツァイト)、日本語で四旬節の前です。

四旬節は、灰の水曜日からイエス・キリストが磔になりその後復活する前日までの時期で、伝統的には食事の節制、祝宴などの自制をし、祈り・断食・慈善が基本となります。

 

ドイツ語でOstern (オステルン)これが日本語では復活祭と訳されています。

復活祭の習慣についてはまたその時に書きたいと思いますが、復活祭は移動休日です。

 

復活祭は今年2014年は、4月20日の日曜日です。

そこから日曜日を除いて40日間遡った日が、Aschermittwoch (灰の水曜日)で、

今年で言えば3月5日です。

その前日の今日3月4日火曜日がFaschingのクライマックスです。

この40日間はイエスが荒野で断食をした長さですね。

 

紀元600年頃にどうやらローマ教皇グレゴリウス1世が復活祭前の断食時間を定めた

ようです。

 

そのため謝肉祭は厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・

その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・・という意味があるわけです。

 

謝肉祭はいつから始まるかというと・・・

ドイツ語圏ではたいてい1月6日の聖三王の日(Heilige Drei Könige)からというのが

一般的でしょうか。

グレゴリオ1世の時代の謝肉祭は、四旬節が現在より6日遅かったようです。

11世紀終わりに四旬節の初日が灰の水曜日に定められ、12世紀には現在の長さになっていたようです。

 

また場所によっては11月11日11時11分から謝肉祭が始まる所もあるようですが、

これは19世紀以降に登場した習慣です。

 

11月11日と言えばウィーンの場合クリスマス市すらまだオープンしていません。

これからクリスマスが来るまで街が盛り上がるわけで、その時に謝肉祭の雰囲気は全く感じません。

この時期には家庭内、街のレストランや

店内にはちょっとした飾り付けが多く見られます。

 

そして謝肉祭の最終火曜日に近づくと、

街中でも仮装した人を多く見ます。

 

スーパーの店員さんなどもその時期仮装

している人も多いです。

 

 

また、幼稚園、小学校でもFaschingパーティーが行われ、子供達が仮装して登校します。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

キリスト教でよく見るモノグラム

2013年11月6日付でキリスト教の成り立ちについて書きました。

 

ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては考えられません。

絵画、教会建築、音楽、工芸品、生活習慣などに大変な影響を与えました。

 

そういう意味でもキリスト教はとにかく奥が深く重要です。

キリスト教のことが少しでも見えてくると、街はもっとおもしろく見えますね。

 

宗教芸術は2世紀末~3世紀初めに現れ、また同時に様々なシンボル的な要素も登場していきました。

 

ローマのコンスタンティヌス帝が313年にキリスト教を公認してからは、

このキリスト教芸術は様々な分野にわたって安定した地位を得ることになるわけです。

 

 

こちらはそのキリスト教でよく見る有名なモノグラムのひとつです。

 

これはギリシャ語の最初の文字

アルファと最後の文字オメガを

表します。

 

聖書のヨハネ黙示録に登場する

『わたしはアルファであり、

        オメガである。』

から発するもので、

わたし=イエス・キリストです。

 

神である主、創造神としてのアルファ(Α)

万物の支配者、審判神としてのオメガ(Ω)であるイエス・キリストを表します。

 

このアルファとオメガは、新約聖書が書かれた後ぐらいから急速に広がって行きました。

ちなみに福音書記者ヨハネの書は、紀元90年代に書かれています。

 

さらにコンスタンティヌス帝の前の時代ぐらいからは頻繁に用いられ、

4世紀にはギリシャ、小アジア、アラビア、パレスティナ、イタリア、北アフリカにも

広がって行きました。

 

このモノグラムは教会以外に、墓石、棺、宗教的書物、工芸品、貨幣、煉瓦などやなどにも見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

1月6日は聖三王の休日

今日1月6日は、「Heilige Drei Könige」(ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)の日で

休日です。

 

このドイツ語を直訳すると。「聖なる三王」となるでしょうか。

 

日本語では、東方三博士、東方三賢者とも言われています。

 

新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に

導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。

 

しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。

 

この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。

 

ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、

3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。

 

彼ら3人には名前があり、それぞれ以下の物をイエスに捧げます。

 

カスパール (アジアを象徴)

没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場

 

メルキオール (ヨーロッパを象徴)

黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場

 

バルタザール (アフリカを象徴)

乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場

 

これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。

 


この内容に合わせて、Weihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)という、

イエスが生まれ、まさにこの3人がイエスを拝みにやって来るシーンを表す

ジオラマが多く見られます。

 

 

 

 

こちらは、ミノリーテン教会の中に置かれている、Weihnachtskrippeです。

 

ここのWeihnahctskrippeはとても大きくて見ごたえがあります。

 

イエスがいるシーンは一番左側だけのちょっとした部分だけで、後はベツレヘムの街の

生活雰囲気が表されています。

 

 

 

こちらはヨゼフとマリアが

一番左にいることが

わかります。

 

個人的に、

東京ディズニーランドの

カリブの海賊を思い浮かべてしまいます。

 

余談ですが、この

ミノリーテン教会には、

以前ここでも紹介した

 

 

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐のモザイク」も必見です。

 

こちらはシェーンブルン宮殿のWeihnachtskrippeです。

 

こちらは外に置かれているため、ガラスケースの中に作られて

います。

 

イエスがどこにいるかすぐに

わかりますね。

 

 

 

 

 

 

Weihnachtskrippe はおそらく、アッシジのフランシスコが1223年にイタリアの

グレッチョで、生きている動物と人間で説教時に始めたとされています。

 

1562年にイエズス会がプラハで置いたWeihnachtskrippeが、

今日の意味で最初のものとされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

「きよしこの夜」発祥の国オーストリア

今日は12月24日クリスマスイヴです。

 

ザルツブルクから車で20kmぐらい走った所にOberndorf (オーベルンドルフ)という

人口5600人程の小さい街があります。

 

この街こそ世界的に知られた「きよしこの夜」が初めて歌われた場所なんですね。

 

 

 

その街の一角に、この写真に

見られるStille Nacht Kapelle (シュティレ・ナハト・            カペレ)

というきよしこの夜礼拝堂が立っています。

 

ここはもともと

聖ニコラウス教会が建って

いました。

 

 

 

1818年、当時のニコラウス教会で、ここのオルガンの状態がとても悪く、弾ける状態ではなかったようです。

 

その年のクリスマスの12月24日にはそのオルガンをミサで使うことができなかった・・・

 

そこで・・・

 

この教会のヨーゼフ・モール神父が書いた詩に、ここのオルガンの代わりに、

フランツ・グルーバー先生がその詩に曲をつけ、ギターで伴奏された曲・・・

そしてそこで歌われた曲・・・

 

それが「きよしこの夜」(Stille Nacht) だったのです。

 

こちらは礼拝堂内部の

ヨーゼフ・モール神父がデザインされたステンドグラスです。

 

当時のニコラウス教会もガラスに見ることができますね。

 

このきよしこの夜の詩は、

1816年にすでに書かれて

いました。

 

 

 

もちろんモール神父は詩人ではありませんでした。

 

 

 

こちらはモール神父と反対側に

見られる、グルーバー先生の

ステンドグラスです。

 

グルーバー先生はギターを持って演奏していますね。

 

やはりニコラウス教会が

見えますね。

 

彼ももちろん知られた作曲家ではありませんでした。

 

 

こちらは礼拝堂の

メイン祭壇です。

 

モール神父とグルーバー先生によって作られて歌われた

当時のニコラウス教会は、

19世紀終わりのザルツァッハ川の何回かの水害によって

傷んでしまったため、

最終的に1913年に

取り壊されることになります。

 

 

 

その20年以上経った後の1937年8月15日、

 当時のニコラウス教会と同じこの場所にこの現在の礼拝堂が奉納されました。

 

このきよしこの夜は、1818年・・・今から200年近く前にここで歌われ、その後

「Stille Nacht! Heilige Nacht!」と呼ばれ、チロルの有名なツィラータールを経由し、ヨーロッパ全土に、そしてアメリカに・・・やがて日本にまでと、世界中に知られるようになったのです。

 

この曲なしのクリスマスは考えられません。

 

「きよしこの夜」は全世界330の言語で現在でも歌われ、親しまれています。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

12月8日は受胎告知ではありません!

今日12月8日は、

「Maria Empfängnis」

(マリアエンプフェングニス)

という休日です。

 

マリアは、イエス・キリストの母として、絶大な人気があり、教会、

絵画、街中と至る所で見ることができます。

 

マリア信仰は、かなり後から来たものです。

 

もともとユダヤ教の極端な

男性中心主義と女性蔑視の習慣からマリア崇拝が生まれたと言っても

いいぐらいです。

 

イヴはアダムの脇腹の骨から

創造させられたことや、

ユダヤ・キリスト教が父神「ヤハヴェ」を全能の父・・・という発想でとらえたこと・・・などからもわかります。

 

もともとは古来の地母神の習慣があり、それを父神に入れ替えて、でも現実世界では、

男性と女性、雄と雌・・・があって中庸がとれるわけで、そこからマリア信仰というものが生まれて来たわけです。

 


 

マリアの父ヨアキムと母アンナとの間には、結婚して20年にもなるのに子供が生まれませんでした。

 

ある祝日に神殿に捧げものを持参した際に、子供がいないという理由で

祭司に拒否されました。その理由は子供のいないものは、神の民をふやせない・・・

そのため資格がない・・・ということでした。

 

2人は悩んでいました。

 

そんな時突然、アンナのもとに天使が訪れ、「あなた方の願いは聞き入れられた。

しかも世界中で知られることになる人を身ごもった」というお告げがありました。

 

その後9か月後に、高齢のアンナは無事に出産し、「マリア」と名付けられました。

 

ドイツ語でMaria Empfängnisは、その言葉から何となく、聖母マリアが迎える・・・

つまりイエス・キリストが生まれることが知らされた「Mariä Verkündigung」

(受胎告知)と勘違いされることがとても多いです。

地元の人もそう思ってる方が多いんですね。

 

Maria Empfängnisは、イエス・キリストとは何の関係もなく、聖母マリアが、母アンナから無原罪で生まれて来たことを祝うものです。

 

日本語では、「無原罪の御宿り」とよく表現されています。

 

ちなみに受胎告知は、3月25日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

聖ニコラウスとサンタクロース

今日12月6日は「聖ニコラウスの日」というこのクリスマスの時期のとても重要な日です。

 

ニコラウスは小アジア(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。

 

貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。

 

よくある有名な彼のエピソードは、年頃3人の娘を持った、貧しい父親の話です。

お金がなかったので、嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。

その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に投げ込まれた・・・ということです。

 

何か思い当りますね!

 

もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達がニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・ということです。

 

 

小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。

現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。

 

1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアのBari (バーリ)に持たらされ、そこにニコラウスの教会が作られました。

現在でもそこは有名な巡礼教会です。

 

その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。

 

やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀にオランダ人達が移民していき、その時にこのニコラウス習慣をアメリカに持って行きました。

 

St.Nikolaus はドイツ語では、ザンクト・ニコラウス、英語でセント・ニコラウス・・・オランダ語ではSinterklaas・・・これがアメリカからサンタクロースというカタカナ書きで、私達日本に入って来たわけです。

 

日本はかなりアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけです。

 

つい先日「クリスマスの習慣 ADVENTKRANZ」でも書きましたが、

こちらではサンタクロースがプレゼントを持って来ることは絶対にありません。

Christkind(子供のイエス)が持ってきます。

 

そのニコラウスのエピソードからおそらく転じて、こちらでは子供達が自分の靴をきれいに磨いておいて、12月6日ニコラウスの日の前日の12月5日夜寝る前に、窓に置いておきます。

そこでニコラウスが良い子の所に現れて、その磨かれた靴の中に、食べ物を入れるという習慣があります。

 

その食べ物は、落花生、みかん、リンゴなどで、この冬に食べ物がある・・・という象徴なんですね。

 

実際に靴を磨いている子供達は少ないかもしれませんが、この12月6日に食べ物やちょっとした小さな贈り物をもらうことは現在のとてもポピュラーな習慣です。

 

 

ちなみに良い子にしていなかった悪い子供達には、ニコラウスではなくてKrampus (鬼) が来る・・・ということになっていて、これが前日の12月5日です。

 

クリスマスのこのADVENTの時期には、ここで紹介した写真のように、司教さんであるニコラウスのチョコレートがたくさん売られています。

 

2枚目の写真は、「Nikolo&Krampus」とあり、両方のセットです。

 

この12月6日は特にNikolo(ニコロ)と呼ばれ生活に浸透しています。

 

 

 

サンタクロースは、聖人ニコラウスから時と共に変化していたったものでした。

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

クリスマスの習慣 ADVENTKRANZ

前回「クリスマスの習慣はどこから来た?」というタイトルで、クリスマスの起源について書きました。

 

こちらオーストリアのクリスマスは、私達日本のクリスマスとは根本的に違っています。

そもそも私達日本のクリスマスはアメリカナイズされたクリスマスです。

とにかく私達日本にはアメリカの習慣が残念ながら多く取り入れらています。

これはいかに日本とアメリカの関係が深いかという象徴でもあると思います。

 

こちらオーストリアではサンタクロースがプレゼントを持ってくる・・・

なんてことは絶対ありません。

 

では誰が持って来るかというと子供のキリスト(Christkind・・・クリストキント)が持ってきます。

だってクリスマスはキリストが生まれたことを祝うものであり、それが12月25日ですね。

 

ちなみにサンタクロースは、聖ニコラウスから変化したもので、12月6日がニコロ・・・

と地元で呼ばれている日です。

 

このことについては聖ニコラウスの日12月6日に紹介します。

 

そのためクリスマス市のことを、こちらではたいてい「Christkindlmarkt」と

呼ばれています。

 

このクリスマスの時期のことを「ADVENT」アドヴェントと呼んでいます。

日本語でアドヴェントでもいいと思いますが、待降節とか降臨節なんて呼ばれています。

 

ADVENTはラテン語のadventusから来ていて、「到着/到来」を表します。

もともとAdventus Domini(ドイツ語でAnkunft des Herren)で

人間世界へキリストが到来すること・・・という意味です。

 

クリスマスイヴから遡って約4週間の期間で、厳密には、クリスマスイヴに一番近い日曜日から遡って4回の日曜日を数えます。

 

もし12月24日が過去にもありましたが、たまたま日曜日であればそのイヴが

4回目の日曜日となります。

 

一番早くて11月27日が第1アドヴェントの日曜日、一番遅くて12月3日となります。

 

ちなみに今年は明日12月1日が第1アドヴェント、12月22日が第4アドヴェントの日曜日です。

 

当初この習慣は、5世紀後半に聖マルティン祭(11月11日)からと定められましたが、

グレゴリウス1世の時代に4回と定められました。

 

さて、このADVENT時期に至る所に見られるものを紹介したいと思います。

 

 

これは、Adventkranz

(アドヴェントクランツ)

です。

 

もみの木の葉をこのように円形にし、そこに4本のロウソクが立っています。

 

これはアドヴェントの第1日曜日にロウソクを1本灯します。

 

次にアドヴェントの第2日曜日に2本目を灯しますが、この時にすでに灯した1本目も同時に灯します。

 

アドヴェントの第3日曜日に3本目を灯し、すでに灯した2本も同時に灯します。

 

そしてアドヴェントの第4日曜日に4本目と、すでに灯した3本も同時に灯します。

つまり4本全部灯されて、その週にクリスマスがやって来る・・・ということです。

 

4本同時に灯さなければならないため、ロウソクを灯し切らないようにする必要が

あります。

現実的に12月24日には、1本目のロウソクが一番短くなってるわけですね。

 

 

こちらはウィーン市庁舎のAdventkranzです。

 

ロウソクは火ではなく、

電気ですね。

 

もともとAdventkranzは、1839年、プロテスタントの

神学者で教育者の

Johann Hinrich Wichern (1808–1881) によって

導入されました。

 

その理由は、とても貧しい子供達がAdventの時期にしょっちゅう

「いつクリスマスが来るの?」と聞いてきました。

 

そこで彼は、20本の赤い小さいロウソクと、4本の白い大きなロウソクでこの現在のAdventkranzの形をしたカレンダーを作ったのです。


毎日赤い小さなロウソクが1本ずつ灯され、日曜日ごとに大きな白のロウソクが

灯されました。

 

これによって子供たちがクリスマスまでの日数を数えることができたのです。

 

現在では最初に紹介した、Adventkranzが一般的ですが、ロウソクが4本、

一列に並んでいるものもあります。

 

カトリックにこのAdventkranzが登場するのは1925年ということです。

 

このAdventkranz はこの時期大小様々ですが、至る所で見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

クリスマスの習慣はどこから来た?

現在世界の多くの国が、12月25日の「クリスマス」を祝います。

 

ドイツ語ではWeihnachten (ヴァイナハテン)と呼ばれています。

 

ここオーストリアでも生活の中ではこのクリスマスが年間で一番重要な行事です。

(宗教的には復活祭が一番重要ですが)

 

以前ウィーンのクリスマス市を紹介しましたが、12月24日まで、街は1か月以上もクリスマスの雰囲気で盛り上がるわけです。

 

このクリスマスというのはどこから生まれたのでしょうか?

 

この前11月6日にキリスト教の成り立ちについて書きましたが、313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。

 

聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。

 

当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。

キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかったわけです。

 

言い方を変えれば、当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも見えます。

 

以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。

 

①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、

 太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。

 

 

②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、

 これは紀元前217年頃からあったとされています。

 

 

③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。

   北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、

   収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。

 

 

これらの習慣が現在私達の時代のクリスマスに密接な関係があるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

キリスト教の成り立ち

キリスト教なくしてはヨーロッパ文化は語れません。

 

キリスト教があったからこそ、様々な建築、絵画、音楽等が生まれ、また現在の人々の生活にも

大きな影響を与えています。

 

実際にキリスト教と言っても、

とにかく様々な宗派があるわけですが、ここではあくまでも

成り立ちに触れます。

 

キリスト教の世界が少しでも見えてくると、ヨーロッパの街が違って見えてきますし、

教会、修道院、宗教画などがとてもおもしろくなります。

 

キリスト教はユダヤ教から派生したものです。

 

古代オリエントでは唯一の一神教の民族であるヘブライ民族からユダヤ教は生まれます。

民族的苦難が多く続くことから、ヘブライ人だけが信じれば救われる・・・という排他的な考え方が生まれます。

紀元前13世紀中頃にモーセが神ヤハヴェとの契約を結びます。

紀元前13世紀頃のイスラエルの民がパレスチナに定住し、

紀元前1021年に12部族から成り立つイスラエル王国が作られます。そのイスラエル王国が紀元前922年頃、北と南に分裂し、北イスラエルは紀元前722年アッシリアの滅ぼされ、その時に10部族がなくなります。その南側がユダ王国となります。首都はエルサレムでした。

 

そのユダ王国も紀元前587年、新バビロニアに滅ぼされ、

そのバビロン捕囚約50年の間にイスラエル民族の考え方、言ってみればユダヤ教のベースができました。

 

紀元前539年にユダ王国の人々はユダヤに帰国を許され、ユダヤ教を発展させていき、

エルサレムに再度神殿が作られるわけです。

最初の神殿は紀元前10世紀頃、ソロモン王によって作られ、これが新バビロニアに紀元前587年に破壊され、その後ほぼ同じ場所に再建されることになります。

ユダヤとは、ユダ族が居住していた地方の名前です。

 

旧約聖書は紀元前1000年頃から書き始められているようですが、正式に決定されたのは、紀元後90年頃です。

 

ただ・・・

ユダヤ教の中では「旧約」と言われていません。

 

そのユダヤ教に新しい風を吹き込んだのがイエス・キリストでした。

キリストは紀元前4年頃生まれたとされています。

ユダヤ教の中でも絶望感が漂い、救世主の登場が待ち望まれていました。

 

そのイエスが救世主(メシア)として、民衆達を導いていきます。

使徒を始め様々な支持者がいた反面、古代ローマ帝国に

反逆を企てる人物だと見なされて、結局捕らえられ、磔の判断を下されます。

金曜日の午前中に磔にされ、その日の午後15:00ぐらいにはこの世を去ったとされ、

翌々日の日曜日に復活することから必ず復活祭は日曜日です。

 

この磔の前日の木曜日がいわゆる後の人が名付けた「最後の晩餐」です。

ここでイエスによって、神との契約が更新された・・・という最初の考え方から

新しい契約なので、「新約」と言われ、そこから書かれた聖書は「新約聖書」とカトリックでは呼んでいます。

 

ちなみにこちらで復活祭はドイツ語で「Ostern」オステルンと言われ、

いわゆるイースターですから、復活祭という訳は厳密には正しくありません。

この辺のことはまた復活祭の時期に書きたいと思います。

 

地上で40日間魂として生きたイエスは天に昇天します。

これがキリスト昇天祭ですね。

その10日後、弟子たちの前に現れて、(これは精霊降臨祭です)

様々な言語を伝え、キリスト教が始まっていく・・・とされています。

 

イエスが亡くなってからすぐに、直弟子達によってす色々な方向に教えが伝えられて

いきました。

 

紀元後1世紀終わりまでを原始教会と呼び、そこから先は初期キリスト教と呼んでいます。

 

 

当初は「ユダヤ人キリスト教徒」というちょっと矛盾した世界もありましたが、

結果的にキリスト教はユダヤ教から離れなければいけない・・・という空気が徐々に高まってきました。

 

有名な紀元66年~70年のユダヤ戦争に

よって、キリスト教は完全にユダヤ教から

離れて、基礎ができたわけです。

 

この原始教会時代、

紀元50年頃に「パウロの手紙」、

紀元70年頃に「マルコ書」、

紀元80年代に「マタイ書」と「ルカ書」、

紀元90年代に「ヨハネ書」といった福音書が書かれています。

 

 

初期キリスト教時代はローマ帝国でも迫害の連続でしたが、めげず活動が続けられ、

しかし同時に多数の殉教者も出しました。

 

ついにローマのコンスタンティヌス帝が313年ミラノ勅令により、キリスト教を公認しました。これは帝国にあまりに多くのキリスト教徒がすでに広がっており、キリスト教を認めなければ、帝国をまとめることができない・・・とおそらく考えたからでしょう。

 

そこからキリスト教は堂々と活動を許され、公に教会建築もされていきます。

 

コンスタンティヌス帝はその後まもなくの330年、都をローマから、ビザンティオンに移します。この街は現在のイスタンブールで、当時コンスタンティノープルと呼ばれました。

 

ここを首都として、更にキリスト教が発展をしていきます。

 

その後392年には、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教としました。

 

後の395年、ローマ帝国が西と東に分裂し、西ローマ帝国は476年、ゲルマン民族によって崩壊しますが、東ローマ帝国は、オスマントルコにやられる1453年まで、1000年以上も

続き、ある意味では正統にキリスト教を守っていきました。

昔の名称ビザティオンから東ローマ帝国は、ビザンティン帝国とも言われますね。

 

なのでそこからの基本となるキリスト教は東方教会、俗にオーソドクスと呼ばれ、

現在のギリシャ正教に通じる流れが形成され、いわゆる正統派としてキリスト教の習慣を

受け継いでいるわけです。

 

 

原始教会、初期キリスト教時代には地中海沿岸には5つの総主教座がありました。

それはエルサレム、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレクサンドリア、ローマの5都市で、唯一西側がローマだったわけです。

 

そこから西側ローマカトリックは東側とは常に緊張感を保ち、西側政治勢力と結びついて、ある意味では独自に発展していきました。

 

 

ここまでちょっと簡単にキリスト教の成り立ちを書きましたが、一言でキリスト教と言っても、ここ2000年の間には様々な宗派が誕生していますから、とても複雑です。

 

ここオーストリアは、ハプスブルグ家がほとんどカトリックを守ってきたことから、

圧倒的にローマカトリックが主流です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村

 

 

ページのトップへ戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホーム   ガイド料金と業務内容について     オーストリア国家公認ガイド

 


オーストリアの概要     ウィーンお勧め観光コース

 

 

ウィーン観光で役立ちそうな情報           ウィーンの公共交通機関   

 

 

ウィーンの博物館とオープン時間     お問い合わせ     掲示板

 

 

ウィーンこぼれ話(ブログ)      現地催行お勧めツアー My bus                                            

 

利用規約      リンク集