日本のお客様から"こちらのパンはおいしいですね~"ということをよく聞きます。
確かに素朴ながらおいしいですね。主食がパンということもあり、食文化を垣間見ることができます。こちらでは地元で典型的なゼンメルというパンがありますが、バターだけでも
十分おいしく食べられます。ゼンメルはたいていのホテルの朝食でも登場すると思います。
ホテルなどの朝食はそれぞれ個性があると思いますが、地元の生活を覗いてみたい場合はやっぱりスーパーですね。
スーパーにはたいていパンのコーナーがあり、たくさんのパンが並んでいます。
あらかじめ袋に入って売られているのもあれば、様々な種類の小さなパンから大きなパンまでがそのまま売られています。
大きなパンは半分でも買うことができます。
私はごはん党ですから、家ではほぼ毎日お米を食べていますが、朝食などはパンを食べることもよくあります。
その時はスーパーのパンコーナーで作りたてのゼンメルや今日のテーマのKipferlを買って、ハム・ソーセージコーナーで、いくつかの新鮮なハムやサラミなどを目方で買って
家で食べることもよくあります。
そのゼンメルに、バターを塗り、さっぱり系のハム、薄く切ったチーズを載せ、きゅうり、トマト、ピーマンを挟んで食べるのが結構好きです。
今日はそのパンの中でも地元で人気のあるKipferl (キプフェルル)について少しまとめてみようと思います。
"Kipferl" は、三日月型パンの総称で、クロワッサンと言ってしまえば、現代の私達には
分かり易いでしょうか。
しかし厳密にはクロワッサン(Croissant)は後からできた物で、形が似てるだけで別物です。
このKipferl誕生にはいくつかの説があります。
地元での有名な伝説によれば、1683年オスマン・トルコ2回目のウィーン包囲の時、トルコ軍が城壁の地下にトンネルを掘ろうとした・・・それを早起きのパン屋さんが目撃し、その奇襲を知らせた・・・
後にベルヴェデーレ宮殿を建築させるプリンツ・オイゲンの大活躍により、結果的にトルコ軍は敗退し、撤退した・・・
その勝利からトルコの国旗である三日月型のパンを焼いた・・・。
別の説では1686年に、16世紀前半からトルコ軍に占領されていたブダペストもこのプリンツ・オイゲンによって解放されるわけですが、その時に焼かれた・・・。
もっと古いものでは紀元後1000年以降、修道院などで復活祭にパンを焼いた、この形がKipferlの原型であるという説や、また12世紀の古文書にもKipferlは登場しています。
その後18世紀にマリー・アントワネットがウィーンからKipferlをフランスに持って行き、当初フランスでは現在のBrioche Kipferl(ブリオーシュキプフェルル)が作られ、
これがクロワッサンと名付けられることになったようです。
現在のクロワッサンに使われる生地を使って、クロワッサンが現在の姿になるのは19世紀終わりです。
さて、明日はこのウィーンでのクロワッサンの種類をいくつか紹介します。