年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスです。
宗教的には復活祭ですが、クリスマス習慣を楽しむ期間はクリスマス市が出る時から数えればひと月以上もあるわけです。
市庁舎やシェーンブルン宮殿のクリスマス市は12月26日まではやっていますが、場所的に観光産業もひとつの理由になっています。
しかし、本来の習慣からすれば12月23日までがクリスマスの空気を楽しみ、24日からは今までの盛り上がりが嘘のような静かな街の空気に変わります。
多くは家族とクリスマスを過ごしますので、クリスマスツリーの装飾やプレゼントの演出、食事などの準備に追われます。
うちは昼食後、午後にクリスマスツリーを部屋に入れて家内と子供が装飾を担当し、私はロウソクやイルミネーションを施しました。
今年は特に形のいいツリーを探すことができ、部屋に飾ったら予想以上に綺麗です。
もう何度も書いていますが、クリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、子供のキリスト・・・"Christkind"(クリストキント)が持って来ます。
オーストリアではサンタクロースは絶対に登場しません。
クリスマス市も"Christkindlmarkt"と一般的に言われます。
うちにも夕食後、しばらくしてChristkindが多くのプレゼントをクリスマスツリーの下に置いて行きました。(笑)
さて、オーストリアには"Christkindl"という名の街があることを御存知でしょうか?
地元ではもちろん知られた街で、観光的にもかなり知れ渡ってきています。
そのChristkindlについて2回に渡り少しまとめてみましょう。
"Christkindl"という街はOberösterreichの一角で、リンツからだと車で40kmぐらい南に行った美しい街Steyr(シュタイアー)のStadtplatzからさらに4km程離れた所にあり、徒歩だと50分ぐらいかかります。
ここはSteyrの行政区に入る人口2.000人弱の小さな町ですが、ここには有名な巡礼教会とレストランぐらいしかありません。
この巡礼教会ができるにあたって有名な伝説があります。
<Christkindlの伝説>
Steyrに住んでいたFerdinand Sertlはこの地域の楽団長であり、火元見回り人をしていました。
彼は癲癇(てんかん)に悩まされていたこともあり、孤独を好んでいたということです。
1695年か1696年に彼はSteyrの修道女から12cmの大きさのワックスで作られた茨の冠をかぶった子供のイエス・キリストの磔刑像(CHRISTKIND)を買いました。
それをトウヒの木の幹に彫られた空間に捧げ、毎日このイエス像の前でお祈りをしたそうです。
するとまもなく彼の病気が治ったということです。
この話がまたたく間に広がって、奇跡を求める多くの人が訪れる巡礼場所となりました。
1699年にはこのトウヒの木の周りに木製の礼拝堂が作られました。
1702年にはこの地域GarstenのAnselm修道院長が石の教会にするきっかけを作り、建築家Giovanni Battista Carloneに依頼しますが、パッサウ司教の許可が下りず、次の年には中断してしまいます。
結果的に1708年に許可が下りますが、その時にはCarloneがこの世を去っていたので、メルク修道院をバロック化したことで知られるJakob Prandtauerが引き継いで、1725年7月26日に奉納されました。
現在でもここは重要な巡礼教会として知られています。
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左上の写真はこの巡礼教会で、右上はこの教会内部の主祭壇です。
教会の正面は2本の塔が印象的なバロック様式です。
真ん中にも塔があるように見えますが、これはドームになっています。
この教会を作らせた修道院長Anselmのコンセプトではローマにある有名なパンテオンをベースにしています。
この主祭壇はオーストリアでは非常に珍しいスタイルで、初期ロココ様式となっています。
それは祭壇の枠というものが全くなく、そのまま空間に置かれていて、Tabernakel(タベルナーケル)という聖櫃が黄金の球体となっています。
このタイプのものはオーストリアにはここを含めて3つしか例がありません。
この球体の上に伝説の12cmのキリスト像が奉られています。
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左上の写真が伝説のChristkind像です。
これがこの巡礼教会と街の名前になっています。
右上の写真は入口部分とパイプオルガンです。
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この教会の内部はひとつのホール的空間しかなく、脇にはいくつかの祭壇があります。
右の写真は天井フレスコ画で、マリア被昇天を表していて、1710年、Carl von Reslfeldによるものです。
この天井ドームの形からわかるように、教会内部空間はこの円形の一空間しかありません。
逆に言えば天からの光がこのドームを通して内部に入り込んでくるという支配性を感じます。
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