クリムトの「接吻」(Der Kuss)

ウィーンには7つもの美術館がありますが、ヨーロッパ3大美術館のひとつにもよく数えられている美術史博物館は絵画に興味があれば真っ先に行く美術館でしょうか。

私も日本からの皆様に御案内するために頻繁に行きます。

その美術史博物館と並んでベルヴェデーレ宮殿のオーストリアギャラリーもここ数年ぐらいから入場観光することが大変多くなりました。

一週間に数回行くことも多くありますし、クリムト生誕150周年の時のある週は一週間毎日入場したこともあります。

 

ベルヴェデーレ宮殿と言えばここでもよく話題にしているバロック様式の重要な宮殿のひとつで、中の美術館に入らなくても写真ストップで寄ることが多いです。

去年にも秋晴れのベルヴェデーレ宮殿も紹介しています。

 

このオーストリアギャラリーは、19,20世紀の絵画が中心で、クリムト、シーレ、モネ、

マネ、ルノワール、ゴッホ、ビーダーマイヤー時代や新古典主義などの画家達や、バロック絵画コーナーもあります。

何と言ってもクリムトの接吻があることで知られ、今日はそれについて少し書きたいと思いますが、普段仕事でこの接吻を皆様に御案内する時には様々な角度からお話しをしますが、ここではあくまでもうわべだけを少しまとめています。

 

 


 

私のこのブログコーナーに見られる写真は、写真撮影が許可されているもののみで、

写真禁止となっている場所のものは一切掲載していません。

そのため例えばシェーンブルン宮殿の内部などは一枚も掲載していません。

このベルヴェデーレ宮殿の絵画コーナーは撮影禁止です。

でも2階の空間には接吻のコピーがありますので、それをここに掲載しています。

 

 



 

これは1907年~1908年(彼が46歳になる年)に描かれたもので、本人は人物を特定していませんが、明らかにクリムトと彼の人生の伴侶であるエミーリエ・フレーゲであることがわかります。

フレーゲは絵の中では33~34歳です。

 

クリムトは"モザイク"を専門的に研究していて、ラヴェンナにも行っています。

彼の作品はモザイク的なものがベースとなり、作品の随所にそれを感じることができます。

モザイクは素材として石やガラスを使用することが多いため、必然的に奥行きが出にくいわけです。そのため、クリムトの作品には切り貼りしたように感じるものが多く、幾何学的遠近法などを使った作品はほとんどありません。

実際にクリムトはそのようなものには興味がありませんでした。

 

左がクリムトで男性の力強さを表現している直線的モザイクが、

右がフレーゲで女性らしい曲線と楕円形の装飾モチーフが至る所に見られます。

様式化されたお花畑に男女が静かにたたずんでいて、クリムトが彼女をリードする形で描かれ、まるで時間が止まっているかのようです。

実際にクリムトは大柄な女性を好み、女性に包み込まれていたいという願望があったので、

この絵でフレーゲがひざまずいていることに気づけば、彼女クリムトよりも大きい女性であることがわかります。

生命力の象徴とも言える渦巻きマークが黄金のオーラや彼の服にも見られます。

バックの色も黄金が使用されています。

キリスト教の伝統を正当に受け継いでいる東方正教会のギリシャ正教などで見られるイコンをイメージします・・・つまり男女の愛が神聖なものとして描かれているわけです。

 



クリムトの黄金期の作品にはかなり怪しげな模様が登場します。

生命力と関係がある美しいものとしてクリムトは描いていますが、初期のクリムトは本当に

写真のように描いた作品が多いこともあり、かなりの論争がありました。

しかし、黄金期の作品でもこの接吻だけはオーストリア国家がすぐに買い上げました。


この作品はクリムトの黄金を使用した全盛期(黄金期)の最後の作品であり、クリムトはこの後は黄金を一切使用しなくなります。

これにはいくつかの理由がありました。

 

クリムトと言えばやはり黄金を使用した装飾スタイルを真っ先に思い浮かべますが、

彼のスタイルは初期、黄金を使用した全盛期、黄金を一切使用していない後期、そして

風景画の4つの世界に大きく分けられます。



 

最近日本でもクリムトファンの方が多くなっていることを実感しています。

 

クリムトは1862年7月14日にシェーンブルン宮殿に結構近い、現在のウィーン14区のLinzerstraße 247番地で、7人兄弟の2番目として生まれています。

クリムトの父は彫金師であり、クリムトは父の後ろ姿を見ながら育ち、芸術的な素質を受け継いだ彼は家計を助けるために工芸美術学校に14歳で入学します。

そこでラウフベルガ―のもとで7年間様々な分野を学びました。

同じ学校に入って来た弟のエルンスト・クリムトと学友フランツ・マッチュと3人でカンパニーを結成し、劇場の天井画などの仕事を請け負います。

売れていたクリムトは様々な実業界からの女性から多くの注文が入り、経済的にも潤っていました。

クリムトの絵には多くの女性の肖像画が存在します。

 

彼は1918年2月6日に脳梗塞(脳卒中)で亡くなりました。

彼は20世紀に足を突っ込んでいますが、現代絵画には入りません。

近代の終わりの世紀末芸術・・・ユーゲント・シュティールです。

こちらで"近代"とは18世紀終わりの新古典主義から19世紀の世紀末までを指しますが、

実際は第1次世界大戦終了の1918年まででしょうか。

 

クリムトのこの接吻を見に、多くの方がベルヴェデーレ宮殿を訪れます。

 

 

 

 

 

 

 

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