ウィーンは様々な形容をされる中でよく"バロックの都"と言われます。
もちろんウィーンはバロック様式だけではなく全ての建築様式を見ることができますが、この街の歴史的背景から重要なバロック建築が数多く存在します。
今日は一般観光客が残念ながらあまり訪れることがない、しかし重要なバロック建築の教会を話題にします。
この教会は"Piaristenkirche Maria Treu"という名称で、ウィーンの8区の一角にあります。
ピアリステン教会は皇帝レオポルド1世によって礎石が置かれ1698年~1719年に建てられました。
Hornの建築家であるBartholomäus Hochhaldtingerのプランが一番古くそして唯一現在まで残されいる教会プランで1700年までを知ることができます。
しかし、ルーカス・フォン・ヒルデブラントによって教会は当初と全く違ったものとなりました。
ヒルデブラントと言えばべルヴェデーレ宮殿が真っ先に挙げられます。
ピアリステン教会は名前の通り、ピアリステン修道会のために建てられました。
ピアリステン修道会は、José de Calasanz (1557-1648)によって1617年にローマ教皇から認められ、ウィーンには教育を目的として1697年にやって来ました。
日本語ではエスコラピオス修道会とも呼ばれています。
その後改築なども行われて最終的に1751年に正面部分と南塔が完成し、1753年にはほぼ今の姿になっています。
教会正面部分のこちら側に凸面になっているファサードは、ローマ時代5~6世紀に建てられたSanti Luca e Martinaを思わせるウィーンでは唯一のスタイルです。
教会の名前である"Maira Treu"という文字が正面部分に見られます。
これは現在この教会の主祭壇に祭られている聖母マリアの絵が由来です。
この絵はJosef Herzによって1713年にペスト流行した時に描かれたものです。
この絵はもともとこの教会のSchmerzenskapelleという礼拝堂に置かれていましたが、あまりにも多くの巡礼者が訪れることから1721年以来から主祭壇に置かれています。
"Treu"は忠実とか誠実、貞操という意味があります。
教会内部は非常に美しいバロック様式で、ひとつの大きな空間です。
天井ドームのフレスコ画が印象的な集中式プランで、教会正面の2本の塔をイメージすると意外な構造になっていますが、教会全体ではラテン十字架形プランとちょっと複雑です。
主祭壇はマリアとヨゼフの結婚が描かれていて、その前に上述した"Maria Treu"が置かれています。
主祭壇の一番上にはピアリステン修道会のワッペンを見ることができます。
いつ来てもここは入れますが、柵が閉まっているためミサや演奏会以外ではこれ以上中に入ることができません。
天井の素晴らしいフレスコ画はオーストリアの重要な後期バロック時代の画家Franz Anton Maulbertschが1752年、当時彼が28歳の時に仕上げたものです。
特に中央の大きなフレスコ画は7月29日から始まって、12月20日に完成しています。
こちらが中央部分のフレスコ画です。
アダムとイヴ、アブラハムとイサク、モーゼとダビデが見られ、聖母マリアが天界に迎えられるシーンが描かれています。
左上に見られるのは、この教会の南側に接続されているピエタ礼拝堂です。
教会建築と同じ時期に作られています。
右側は教会前の美しい広場で、1713年に置かれたマリア像が見られます。
ここにはピアリステン修道会の幼稚園、小学校、Gymnasiumあり、たくさんの子供達が通っています。
また夕方18:00からオープンするピアリステンケラー"という地元でも有名なレストランもありますので、寄ってみてはいかがでしょうか。