シュテファン広場に見られる石畳の意味

ウィーンの旧市街の真ん中にはシュテファン大聖堂があります。

ゴシック様式のとても印象的なこの大聖堂はウィーンのシンボルのひとつでもあり、歴史的にもとても重要な教会となっています。

年間を通してこのシュテファン大聖堂も頻繁に御案内しますが、2年前(2014年)の4月の終わりまではシュテファン大聖堂のすぐ後ろまで大型バスを横付けできましたが、それ以降は残念ながらバスが入れなくなったため、ここを見学する場合はSchwedenplatzや国立オペラ座裏のアルベルティーナから歩く必要があります。

普通免許で運転できる専用車での場合は、なるべく近くまで入ってそこから歩きます。

そのシュテファン大聖堂の前は広場になっていますが、ここはあまり知られていないかもしれませんが実は2つの広場がくっついています。

StephansplatzとStock im Eisen Platzという2つの広場です。

Stock im Eisen(シュトック・イム・アイゼン)についてはこちらを参照して下さい。

 

Stephansplatzにはあまり気付かれることがない石畳があります。

 

 

右の写真はシュテファン大聖堂が定番な姿で見られる場所ですが、地面には一見なんだかわからないような石畳の模様を見ることができます。

たいていの人はその意味に気づくことなくここを通り過ぎて行きます。

いくつかの異なった石畳のブロックが見られますね。

今はシュテファン広場になっているこの場所は中世の頃この大聖堂の墓地でした。

その墓地の敷地の中に"MARIA MAGDALENA KAPELLE" (マリア・マグダレーナカペレ)という礼拝堂が建っていました。

この礼拝堂の地下にはVirgilkapelle (ヴィルギルカペレ)という聖人ヴィルギルに捧げられた礼拝堂が1220年~1230年頃に作られました。

ヴィルギル礼拝堂についてはいつか時間がある時にまたこのコーナーで取り上げます。

実はこのVirgilkapelleが先に作られて、その後、その上にこのMaria Magdalena Kapelleが作られます。

Magdalenakapelleは公証人・書記協会の会合の場所として使用されていました。

18世紀になってマリア・テレジアの時代、衛生上の問題から城壁の中の遺体の埋葬を禁止させたこと、女帝の長男のヨーゼフ2世は墓地を閉鎖させて外側に埋葬させたことや、1781年にMagdalena礼拝堂が火災で焼失したこともあり、この場所は忘れ去られていくことになります。

 

このシュテファン大聖堂前の石畳の模様はこのMagdalenakapelleが当時ここに立っていた場所を示しています。

言ってみれば見取り図のようになっています。

 

この場所をよく見ると地面の所に左の写真に見られるような記念プレートがはめ込まれています。

"MARIA MAGDALENA KAPELLEが1781年まで、

その下に博物館として見学可能なVirgilkapelle"

と記されています。

Magdalena礼拝堂の場所を示す石畳のブロックがかなり広範囲なので、ここを歩く人はこの石畳の模様にはあまり関心を持たず、そのまま通り過ぎていくようですが、歴史的におもしろい意味が隠されていました。

それを知っていると普段ここを通る時ちょっと特別な思いがあります。

少し立ち止まって観察してみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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