今日は久しぶりにウィーンから離れて郊外のバーデンという街に行きましょう。
バーデンはウィーンの森の南に位置し、ローマ時代に温泉が発見されてから今でも温泉療養地として有名で、なおかつハプスブルグ家のフランツII/I世皇帝の避暑地であり、また様々な音楽家が滞在した緑豊かな街です。
ウィーンの森の観光でもよく訪れる場所です。バーデンのことは今までも数回話題にしています。
ベートーヴェン第九交響曲の家、第九交響曲の家 2、第九交響曲の家 3、
バーデンのユニークな街の紋章、ラウエンシュタインの廃墟のお城などです。
そのバーデンの街のメイン広場からちょっと歩いた所に有名な教区教会があります。

遠くからでも目立つこの特徴的なたまねぎ型の塔を持ったこの教会は Stadtpfarrkirche St. Stephanとも呼ばれ、ローマカトリックの教会でバーデンの街の教区教会です。
"St.Stephan"という名前からもわかるようにここは長らく宗教的中心地であった現在ドイツのパッサウに属していました。
ウィーンの街中にも有名なシュテファン大聖堂が立ってますね。
バーデンの司祭がすでに1220年、この教会のことを挙げています。
この教会は長らくバーデンの近くにあるTraiskirchenの姉妹教区教会でしたが、ここがメルク修道院の管理下になった1312年に切り離されました。
教会の外側は15世紀終わり頃ということが確認できますが、納骨堂は1258年です。
実際には12世紀終わり頃にこの場所に教会建築が始まったようです。
その当時ですからもともとロマネスク様式で、2つの今よりも低い塔がありました。
1400年頃からゴシック様式に改築されて、身廊は15世紀半ばに建築されていて、その頃に2つの塔の上にメインの塔が作られました。
この改築はおそらくハンガリー民族が押し寄せて教会が部分的に壊されたことからの措置だと思われます。
現在のこのバロック様式の塔は、1697年、オスマントルコの戦いで壊された後に作られたものです。
1827年には今日見られる姿になっています。
67mのこの塔には20世紀まで納宝係が住んでいました。
また、棟には5つの鐘があり、それぞれに名前が付けられていて、一番大きい鐘は2.000kgの重さがあります。

こちらは教会内部です。とても明るい印象です。
3層構造のゴシック様式であることは明らかです。
ロマネスク時代やゴシック時代の物は残念ながらほとんど残されていません。
しかし、身廊のアーチに埋め込まれた動物の頭はロマネスク時代で、洗礼盤や壁に見られる天使像などはゴシック時代のものです。
2回にわたるオスマントルコの戦いで教会はかなりの被害を受け、その後内部はバロック様式で改装されました。
18世紀には多くの脇祭壇が作られました。
1880年頃からバロック様式が取り除かれ、再び当時のゴシック様式に戻されました。

こちらは教会正面入り口部分で、
2階部分にはパイプオルガンが見られます。
このオルガンは1744年、有名なオルガン製造のJohann Henckeによるもので、モーツァルトやベートーヴェンも弾いたと言われています。
これは1787年にこちらに運ばれ設置されました。
この角度から見ると教会のゴシック様式の内部構造が美しいです。


この教会で重要なもののひとつとしてモーツァルトの記念プレートがあることです。
この教会でモーツァルトは彼のミサをいくつか初演しています。
その関係でここの合唱団長のAnton Stollとは親しい間柄でした。
そこでモーツァルトは彼のために"Ave verum" KV.618 を作曲し献呈しています。
上の2枚の写真は教会内部に見られる記念プレートと自筆譜のファクシミリです。
この曲は1791年6月17日に作曲され、アヴェ・ヴェルム・コルプスとして日本でも親しまれているモーツァルト晩年の傑作です。
非常に美しいハーモニーで、とても印象的な曲です。