ハイリゲンシュタットのミヒャエル教会

ヨーロッパは古い建物を修復しながら残していきますから街並みが美しいです。

ウィーンの街はかつての"帝国の都"を現在でも十分感じることができる歴史的に重要な荘厳で美しい建造物がたくさん見られます。

歩いているだけで楽しくなるウィーンの街並みですが、ヨーロッパ文化を手っ取り早く感じるためには街中の教会に行くのもひとつの方法ですね。

ウィーンにも歴史的に重要な教会がたくさんあります。

ウィーンの街は、街全体に歴史があるので中心から離れても歴史的に重要な建物がたくさんあります。

 

今日は郊外にある教会についてちょっとまとめてみます。

 

この教会はベートーヴェンが遺書を書いたことで知られるハイリゲンシュタットにある教会で、地域の名前からハイリゲンシュタット教会とか、宗教的にミヒャエル教会とも呼ばれています。

この教会から歩いて2~3分の所にハイリゲンシュタットの遺書で有名な遺書の家があります。

現在ではウィーン19区の一角に位置しているこの教会はこの地域では重要な教区教会です。

13世紀の1234年、有名なクロスターノイブルク修道院の姉妹教会としてすでに登場していることが記録されています。

14世紀には司教区教会になりますがこの時ハイリゲンシュタットだけではなく、周辺の

Nußdorf,Grinzing,Oberdöbling,Unterdöbling,Sievering,Salmannsdorf,Neustift am Wlade といった現在19区に入る地域もこの司教区に属していました。

しかし、周辺地域にも時と共に教区権利が与えられてこの教会の重要性が少しずつ失われていきました。

1348年にSieveringに教区が設立されたことにより、西側地域の多くが離れていきます。

結果的にGrinzingとNußdorfだけがヨーゼフ2世の時代までここに属します。

 

当初ゴシック様式で建築された教会は2回のトルコ軍の包囲によって壊されました。

1723年にはバロック様式で改築されますが、その後19世紀終わり1894年~1898年には傷んでいたことから内陣と基本構造を残して取り壊されました。

その後、当時のようにまた修復されています。

 

ベートーヴェンの遺書の家にはこの教会が登場している水彩画が4枚あります。

そこには玉ねぎ型の教会の塔が描かれていて、当時のバロック改築を知ることができます。

ベートーヴェンは当時バロック改築されていた塔を彼は毎日のように見ていました。

でも現在では当初のようにゴシック様式の塔になっています。

 

教会内部空間は美しいネオ・ゴシック様式ですが、正面の主祭壇がある内陣は当時のゴシック時代のものです。

この内陣をよく見ると、しっかりした直線上にないことがわかります。

この理由は、土地の性質でそうなった・・・、もしくは

イエス・キリストが十字架上で命を落とした時に顔がうな垂れたことによる・・・と考えられています。

 

主祭壇の中央にいる人物はこの教会の何もなっている大天使ミヒャエル(ミカエル)です。

天井の後期ゴシック様式を思わせる模様も印象的です。

 

 

この教会の内部構造はPseudobasilika (プソイドバシリカ)と呼ばれる様式です。

PseudobasilikaはStaffelhalleと並んで後期ゴシック時代に非常に流行った様式です。

この2つの様式はHallenkircheとBasilika様式の中間に位置し、バシリカ様式のように真ん中が高くなく、しかしHallenkircheのように天井が平らではありません。

Basilika様式と比べるとかなり真ん中の部分は低くなっていますが、側廊よりは高くなっているのが特徴です。

 

ベートーヴェンはこの教会のそばにあった温泉療養に通い、耳の回復に希望を持っていましたが、この教会の鐘の音が徐々に聞きづらくなってきたということにも絶望したはずです。

そこは当時の面影はなく、静かな公園になっています。

 

 

 

 

 

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